夢みる人間
芝楽 小町
夢みる人間
深夜、さすがに暑過ぎて起きた。季節は真夏。8月中盤になってからというもの、
ちらと、
この部屋のクーラーが壊れたのは3年前。前の住人が壊したのだと管理人は言うが、全く役に立つ情報ではなかった。真夏の夜に、クーラーだけでなく、
私は大学2年生である。この夏休み、特にやることもなく、家でダラダラと人生を
特に予定のない私は断る理由もなく、二つ返事で引き受けた。
ーーが。
「…………ふう、判断をミスった。こんな……こんなブラックだったとは…………クソがよっ!! (言い過ぎ)」
バイト6日目にして初の
朝4時起床。1時間後にはホテルに
ホテルが海沿いの
社宅は汚く、ボロボロであり、そこらじゅうハエトリグモの
ヘトヘトになって帰ってきた部屋は、むんむんとして
リゾバとはなんなのか、リゾートバイトとはこんなものであったか、皆、海ではしゃいで
しかしながら、それも明日までである。明日さえ乗り越えれば、我々は晴れて自由の身。ひえひえの自室にひきこもり、ぐーたらできる日々が帰ってくるのである。最高だ。
……ふむ、少々のやる気はでてきたな。だがこの暑さでは、流石に寝ることなんてできんな……。
ふと
「午前2時……」
起床まで残り2時間、とてつもなく
ーーが、その時私はあることに気がついた。
「……そういやここ海の近くだったな。こっから浜までは近いんだっけか……」
昨日の昼間、仕事の
「エイがいた、エイがいた。もう、でっけぇ」
「うるせえ」
かなり興奮して、このように語っていたと思うが、仕事で
私はスマホのマップアプリで海岸が近くにあることを確認し、それならばと、少々散歩しに行くことにした。せめてインスタ映え映えしなくとも、海を一目見よう、と。
この時の私は、バイト疲れでまともに頭が働いていなかった。心身ともにヘトヘトであるのにもかかわらず、休みたがってる足腰を少しも
そんなことをちらとも考えずに、私はフラフラと社宅のドアを開けた。荷物はスマホ、100円玉2枚、おやつカルパス2つ。以上。
海の近くで、夜も
世界は温暖化真っ最中であるなあと、しみじみ感じる真夏の夜である。
ジワジワと蒸し暑い、それでいて、どこからともなく吹く風は、なんとなく心地よい。
『ココから先、海岸⇨』と書かれた
道の左右からはみ出る葉が、そよそよと揺れ、私は半ば誘われるようにして、道の奥に進んでいった。
すると、
しかし、ザザーと波の音が聞こえ、足元のサンダルに細かな砂が付いているところを見て、たしかにここは海岸であると確信した。
しばらく
はっとして、目を細める。
ーー船かな?
そう首をひねったが、どうやら光はその場から動かないようであった。
街灯だとしても、私の目の前には砂浜と海しかない。それに、少々遠い。街灯が海に浮かぶことはなかろう。
ーーもう少し近づいてみよう。あれがなんの光なのか気になる。
そう思い、私は砂浜の上を、ジャリジャリサクサクと歩き始めた。サッとポケットからスマホを取り出し、
ぱっと正面を照らして
自分のすぐ目の前から、
その時、何故か私は、この防波堤を歩いて、なんとしてでも終着点を見なければならぬという
そして、私が防波堤に足をついた
はるか遠くの終着点へ向けて、防波堤の灯りが次々とつき始めたのである。
これ幸いと、私はスマホをポケットの中へしまい、
見た目はなんのことはないただの防波堤である。ザラザラと荒いコンクリートの
時々目の前を横切る大小さまざまなカニが、ぽちょんと海へ
しばらく歩いていると、海水がぱしゃと足首にかかった。
あの淡い光がすぐそこに見えている、という時にである。
「……ん? なんだ?」
もちろん周りに人が居るわけもなく、誰にかけられたわけでもない。
ならば今かかった海水はなんなのか、その答えはすぐにわかった。
「おお、防波堤よ。そなたは波を防止する堤ではなかったのか……」
なんと海が防波堤ギリギリまでせり上がり、ちゃぷんと塩水を吐き出してきていたのだ。
ああ、
「これはちと困ったな、足が濡れてしまう」
この時の私は、頭がゆるゆるのド阿呆であったから、この防波堤モドキが全て海に
なんだ、濡れてしまうとは。すでに濡れているだろうに。
ーー本当にド阿呆の
かなり、ふわふわとした気分であった。それ
足元をぼんやりと眺めていた私を、とてつもなく大きな水の塊が飲み込んでいく。
「ーーんガボッ!?」
声にならない声を情けなくあげ、あっという間に防波堤の外へ押し流される。
無論、大いなる自然の力に敵うわけもなく、あっさりと私は波に呑まれたーー。
ーー水中でゆらゆらと
もっと荒々しく揉まれ、海の
しかし、不思議とこの時、私は死を感じなかった。
なにか、この広大な海とは違う、大きな存在が近づいていて、それが私を助けてくれるのだと、わけのわからない考えに身を
だが、これは近い死がもたらした
「ーーボガァッ!?」
海上を海の中から眺めていた私の上に、突如として、得体のしれない巨大な影がのしかかってきたのだ。
驚いて、酸素をほとんど吐き出してしまった私に、微塵も構わず、その巨大な影はいきなり私を包み込んだ。
もう、なにがなんだかわからない。
ーーそして、次に私が目を開いた時、目の前には
「…………?」
私が歩いてきた通りにある薬局や、遠くの
気絶しかけていた私には、すごく、すごく綺麗だなとしか思えず、この時何が起きていたのかすら全くわからなかった。
濡れた身体にあたる夜風が、とてつもなく冷んやりとして心地いい。
ふと肩に外部からの力が込められたのと同時に、私はやっと息ができることに気がついた。
「ーーっぷはっ!?」
そして
「……ええ、ああ?」
依然として私には、今何が起きているのか
「うん、よかった、よかった。あと少しで君は連れて行かれてたよ」
そんな、若い男の声が私の背後から聴こえた。
驚いた私は慌てて後ろを向うとしたが、体が思ったように動かなかった。
「あはは、無理しなくていいよ、君はもう少しで死ぬところだったんだからね」
「ングっ、し、ゴホッ」
「落ち着いていいよ、君はもう死なないし、とりあえずここは外だし」
「……あ゛、あなたは……?」
「うん、僕は君のような人間を守る者だよ。ここらに住む人間からはヌシって呼ばれてるようだけど、まあ、そんなことはどうだっていいさ」
「……いま、これは何が起きているんだ」
何故だか、危うく
「ま、簡単に言えば君は海に殺されかけてたんだよ。それを僕が助けたってわけ。あっ、心配しないで、お代はすでに
「すまない、全く理解が及ばないのだが」
「……ん〜、そうだね、例えるなら、悪魔たる海の精が、人間ホイホイにまんまと引っかかった
「ううむ、全く持って意味がわからないが……」
ヒュオオオオォォォォ……
ーーそして、私は眼下を眺めながらポツリと言う。
「とりあえず、下ろしてはくれないだろうか」
「あ、そうだね。それもそうだよね、あはは」
そう言って、背後にいる何者かが私を地上へ下ろすべく、ゆっくりと
「いやね、なんだか
「ああ、大変に結構なことだろうとは思うが、残念ながらいまいち内容が頭に入ってこんのだ」
私は
「ふふ、君って面白いね」
「
トスッと
「さあ、ついたよ」
そして、やけに透き通った少女の声が聞こえた。
肩を掴まれた感覚がなくなったと同時に、私はすぐさま後ろを振り返った。
ーーそこには、夏祭りではしゃぐ子供が着るようなような
「ふふ、どうもはじめまして。神です」
大きな
サァァァと浜を過ぎ去る夜風が、少女の長い黒髪をサラサラと
チラと
「…………大変反応に困るのだが、失礼ながら聴かせていただく」
「んふ、いいよ、好きに聞いて。元はと言えば僕のマネジメント不足が
「では…………先ほど聞こえた若い男の声はなんだったんだ?」
「僕だよ」
「では、いま私が見ている少女は誰なんだ?」
「僕だよ」
「理解できん」
「ふふふ、そうかもね。だって僕、神さまだもの」
「はあ、頭がものすごく痛くなってきたぞ」
「僕はね、今本当にうれしいんだ」
「は?」
なにを言っているんだ、この少女は。お互い、濡れたはずの服も、いつのまにか乾いているというこの状況で、なにを嬉しがっているんだ。恐怖でしかないだろう、このような非現実なーー。
「きみ、きみ、いけないよ。せっかくの非現実だ。もっと楽しもうだとか、思うところはないのかい?」
と、思考を少女に
負けじと私も反論する。
「残念ながら、私は非常にリアリストであるという自負がある」
「ダメなんだよ、きみ。人間はそうやって、すぐに凝り固まった『現実』とやらに
少女は
「なにがダメなのか。そうでもしなければ生きている実感が
しかしながら、今、ここにいる現実を受け止められずに、私はこう言わなければならなかった。
「きみぐらいの人間は皆、私を見ることなく現実に帰る。いや、見るというより、認識か」
「なにが言いたいのだ」
「だから、うれしかったんだよ、今の人間社会、
「だから、なんだとーー」
「君も、この世界に、夢をみているんだろう?」
「なっ……」
少女の発した言葉に、思考が
ーー私が、夢を、みている?
「あんなこと、こんなこと、
「…………なぜ、そんなことが言える」
「ふふっ、決まっているじゃないか。今、目の前にいるのが僕という『非現実』なのだから」
少女がそう言った次の瞬間、少女がふわりと浮き上がり、空中でくるりと1回転した。
「な…………」
またもや私は
とすっ、と再び地上に降り立った神と、再び
「君は寝ているわけでも、気がおかしくなったわけでもない。ただ、ひたすらに現実をみているだけなんだよ。それも、夢を見続けなければ決して触れることのない、現実だ」
自分の
もはや神を見る人間には、なんの反応もできなくなっていた。
「宗教を信じている人間はまだましな方だよ。まったく、イマドキの人間ときたら、夢を
…………。
「ほとんどの人間がそんなものだから、だからこそ、君のような夢をみる人間に会えて、本当に嬉しかったんだ」
「私が……夢を、みている?」
「そう、ごく
「……そうか、私は夢をみているのか。この現実に」
「その通りさ。だから、君はどうか、そのままでいてくれよ。この世界には魔法があるし、超能力もある。異世界人もいるし宇宙人もいるんだーー」
神は星が散らばる夜空を
「ーーそれらは皆、見ようと思えばすぐそこで、見れるんだよ」
ビュオオオォォォーーーーー!!
突如、
砂が巻き上がり、私はすぐさま顔を腕で
ーーしばらくして風が収まり、私はゆっくりと手を
男も少女も、女性の姿すら残さず、神は、消えていた。
〜 〜 〜
ーーぱしゃと足首に水がかかったような感覚がして、私の肩がピクっとした。
ハッとして足元を見ると、なんと海が防波堤ギリギリまでせり上がり、ちゃぷんと塩水を吐き出してきていたのだ。満潮のことを考えていなかった。
「これはちと困ったな、足が濡れてしまう」
このまま
しかし、もう一度だけ海を見ようと、スマホの懐中電灯を防波堤の外に向けて、照らす。
「……ん? なんだ、このでかい影は、いわ、かっ、て。うおっ!?」
海に現れた巨大な影が、スゥゥゥと沖の方へ移動していった。あまりに大きいものだから、思わず声が上ずってしまった。
「おおっ! あの形からしてエイじゃないか。いや、あれだけ大きいのは初めて見たぞ!」
わざわざ海にきた
「あいつが確かエイがうんたら言っていたが、このことだったのか」
友人もあのエイを見たのだろうか。
ともかく、エイを見ただけで、何故か私は大満足であった。
心が満たされ、腹の底からふつふつと、希望と元気が湧きがってくるような感覚がする。
私は元来た道をサクサクテクテクと、一歩一歩踏みしめながら、友人の寝る社宅へと足を早めた。
ふと時計をみると、時刻はすでに3時40分。あと20分で起床の時刻であった。
「もうこんな時間が経ったのか、数十分くらいしか経っていないものだと思っていたが……」
まあ、よい。なぜか今の私は、すこぶる元気なのだから。
社宅のドアをガチャリと開け、私はすぐさま友人の元へ向かった。
「おい、おい、起きろ。すごいぞ、エイだ、でっかいエイがいたんだ」
私はブンブンと友人の肩をゆすり、鼻息を
「……んぁ?」
友人は
「ははは、
「……うぅむ、あのなぁ、好き勝手言うなや。別人なわけあるか、そんなことありえねぇだろうが」
友人は起こされたことに
しかし、今の私には通じなかった。
「おいおい、何を言っている」
あ? と友人は
「お前、ありえないなんて、そんなつまらないことを言うな。夢をみるんだよ。夢を。この世界には魔法があるし、超能力もある。異世界人もいるし宇宙人もいるんだ」
「オメェ、とうとう暑さで頭イカれたんか?」
本気で友人が私を心配し始めた。
「いいや、イカれてなんかいない。ただ、私がそう信じて止まないだけだ」
あの防波堤から見えたエイ。あれを見てから、私の中に長年押さえ込まれていた欲求が、解かれた気がする。
あり得ないなんてつまらない言葉を、平気で使っていただなんて。
「夢を信じないと、いけないのだ」
網戸からスゥゥゥと風が吹き込み、私と友人を包んだ。
ーーそれはとてつもなく心地よく、ここから始まる新たな1日への
夢みる人間 芝楽 小町 @Shibaraku_Omachi10
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