縁ですか

 “俺の名前は田辺滉一です。父親の名前は優二です。母親の名前は燈子です。自殺をしました。第一発見者の方は、お手数ですが警察へのご連絡をお願い致します。もう、生きることに疲れてしまいました。家族のみんな、必ず幸せになってください。”


「へえ。こんなことを書いていたんだ。」


 母さんのお見舞いに来たある日、杉崎先生と喫煙所で屯しているときに、例のカッターナイフを見せた。


「なんかとりあえず、早く身元が判明した方がいいのかなって思って。それで、どうしたらいいと思います?このカッターナイフ。」


 俺は、このカッターナイフについて困っていた。処分しようにも、このまま捨てて誰かに発見されたら、面倒になりそうな気がする。


「記念にとっとけば。俺も持ってるよ、あの時書いた遺書。忘れちゃいけないことだから。こうやってなにかに躓いた自分も、やっぱり全部自分なんだよ。目を背けたい過去かもしれない。だけどやっぱり、その過去があるから、今の自分があるんだよ。」


 それは、過去は捨てなくていいって言ってもらえた気がした。


「じゃあ、大切に保管します。」


 カッターナイフをお貸しの空き箱に入れる。裸のまま持ち歩いたんじゃ、どんな勘違いをされるか分かったもんじゃない。


「でもこれから先、不安だらけなんですよね。自分の進路とか決めれたわけでもないし。」


 強く生きると決めたものの、どうやって生きていこうか決まっていなかった。いつまでも、ニートで居るわけにもいかない。


「諦めなければ、必ず道は開ける。怯まなければいい。とりあえず、今、自分がやれること、やらなきゃいけないことからやってみればいいじゃないか。」


 俺はカッターナイフの入ったお菓子の箱をじっと見つめた。


 “今、やらなきゃいけないこと”と言われて思い浮かんだのは、和馬と立花の顔だった。喧嘩したままじゃ、前に進もうにも勧めない気がする。


 立花だって和馬だって、忙しい中で俺のことを気にかけてくれていた。それなのに俺は、本当に自分のことばかりだった。


「……とりあえず、友達に謝ることから始めます。」

「ああ、喧嘩しているんだったな。まだ謝っていないなら、その方がいい。心から大切な友人が居れば、人生は豊かになる。自分が友人を大切にすればするほど、友人だって自分を大切にしてくれるから。そう考えると、縁って不思議だなって、俺はいつも思うよ。」


 杉崎先生は煙草を吸うと、ふうっと大きく煙を吐いた。


「縁ですか。」

「ああ。人と人の出会いは、すべて縁だよ。滉一君と俺との出会いも、もちろん縁。偶然なんてない。必ず、そこに意味がある。どんな素敵な人に出会ったって、どんな嫌な人に出会ったって、それを自分の成長に変えていけるかは、全部自分次第だよ。」


 そう言うと、杉崎先生は煙草を灰皿に押し付けた。


「さて。俺はそろそろ仕事に戻らないと。」


 ベンチから腰をあげた、白衣の杉崎先生の背中を見つめて思う。


 杉崎先生と出会えてよかった。もし、出会えていなかったら、俺はきっと自分を大切にできなかっただろう。だから、その出会いが偶然じゃないというのなら、俺には俺にしかできないことがあるんだって、確信したい。


 母さんの退院が明日に決まった。もう、杉崎先生と会うことは、中々ないかもしれない。だからどうしても、これだけは聞いておきたかった。


「杉崎先生。俺、幸せになれますか?」


 北風が吹きすさぶ。晴天だというのに、風邪がめっぽう冷たい。だけどそれが、嫌じゃない。


「何を言っているんだい、滉一君。」


 杉崎先生は振り向かずに言った。


「生きていること。それだけで幸せじゃないか。」


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そのスタンブルを輝きに変えて 茂由 茂子 @1222shigeko

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