旅立ちの時、君は歌を唄う。
傘木咲華
旅立ちの時、君は歌を唄う。
――
幼い頃から剣や魔法の才能もなかったシオンにとって、歌は唯一得意と言えるものだった。兄達が冒険に出かける中、末っ子のシオンだけが故郷に留まり、歌旅人として活動を続けている。後悔はなかったが、如何せん歌旅人は女性が主体の職業である。決して大忙しという訳ではなく、今日は久々の依頼だった。
(……はぁ、どうしたものか……)
しかし、シオンの足取りは重いものだった。ついつい眉根を寄せてはため息を吐いてしまう。
歌旅人というのは、簡単に言えば故郷から旅立つ人を歌で見送る存在だ。依頼主と何度もやりとりをして、オリジナルの曲を作り、届ける――というのが全体的な流れ、なのだが。
今回は、まず依頼主からしておかしかった。
ユーティア・ベリルという二十歳の女性……の祖母から依頼が来たのだ。本人からの依頼でないことにまずビックリしたのだが、本当に驚くべき部分はそこではない。
――ユーティアは幼い頃から身体が弱く、家から出られない生活が続いている。天国へ旅立ってしまう前に、どうか彼女に歌を届けて欲しい。
つらつらと書かれていた依頼書を要約すると、このような内容だった。
(そういう意味じゃないんだけどなぁ……)
もう、何度も頭は抱えた。歌旅人はあくまで旅に出る人のために歌を届ける存在だ。命にかかわる意味での旅立ちのために歌う、というのは聞いたことがない。だからシオンも最初は断ろうと思っていた。でも、シオンの足は重いながらもユーティアの元へと向かっている。どうしても、「間違ってますよ」の一言では済ませたくないのだ。せめて、直接会って断りたい。せっかく自分に依頼が来たのだから、自分にできることはしたいとシオンは思った。
「し、失礼します」
想像以上に上ずった声を出しながら、シオンは扉をノックする。
でもこれは仕方のない話なのだと、シオンは心の中で言い訳をした。ユーティアはきっと、いや絶対に、良いところのお嬢様というやつなのだろう。街自体もシオンの故郷と比べて大都市だし、家なんかは絵に描いたようなお城っぽい豪邸で度肝を抜かれた。
「あら? あなたがシオンさんですの?」
「…………あ。は、はいっ、そうです!」
更にはコテコテのお嬢様口調ときたものだ。思わずポカンと大口を開いてから慌てて返事をした。すると何故か、コテコテのお嬢様――ユーティアは口元に手を当てて、クスクスと笑い始める。翡翠色の瞳はまるでシオンを観察するようにこちらを向いていた。
「君があまりにも緊張してたから、ちょっとからかっちゃった。ホントの私はこっちだから、安心してね?」
ごめんごめんと呟きながら、ユーティアは両手を合わせる。思わずシオンが唖然としてしまうと、手招きをしてきた。
天蓋付きのベッドに座るユーティアは、純白のレースの服に身を包んでいる。腰辺りまで布団がかかっているため全身はわからないが、きっとナイトウェアなのだろう。
ユーティア自身はフランクに話しかけてくれてはいるが、部屋も白で統一されていて煌びやかな印象だ。シオンはおっかなびっくりユーティアに近付く。
「そんなにビクビクしないで。謝らなきゃいけないのは私の方なんだから」
「あっ、いや、それは……」
「うちのおばあちゃん、心配性でね。歌旅人のことを話したら、勘違いして君に依頼しちゃったみたいなの。本当にごめんね」
ユーティアは申し訳なさそうに眉をハの字にして、小さくお辞儀をする。しかし、浮かべる笑みに力がなかったのはほんの一瞬のことだった。ユーティアは前のめりになって、興味津々な様子でシオンを見つめてくる。頭上で光るティアラも、黄金色のロングヘアーも、翡翠色の瞳も、眩しいくらいに輝いて見えた。
「でもね、私……嬉しいんだよ。歌旅人は私にとって憧れの存在だから」
「そう、なんですか……?」
予想外の言葉に、シオンは素っ頓狂な声で訊き返してしまう。シオンにとって、歌旅人は裏方の職業で、そんなに胸を張るものではないと思っている――のだが。
尚もユーティアは笑みを見せてくれた。
「私、ちっちゃい頃から歌旅人になるのが夢なの。だから今日、君がここに来てくれて嬉しい」
心の底から嬉しそうな笑みを浮かべるユーティアの表情は、シオンにとって新鮮でたまらなかった。だからこそ、不安に揺れる感情も芽生える。
「あの、ユーティアさんの病気っていうのは……」
シオンは恐る恐る訊ねる。すると、ユーティアは予想外の反応を見せた。
「……そっか。それに関してもちゃんと弁解しとかなきゃ…………いや、そうじゃないか」
まるで自分自身に言い聞かせるように、ユーティアはぼそりと呟く。やがて、少々言い辛そうに口を開いた。
「ごめんなさい」
「え……?」
「私、君に嘘を吐いているの……っ」
勢い良く頭を下げられ、シオンは口をポカンと開いてしまう。さっきまでの生き生きとした姿はどこへやら、ユーティアは眉根を寄せてしまっている。
「本当は、ちゃんとおばあちゃんも歌旅人のことを知ってるんだよ。知ってた上で、君に依頼を出した。ただ、君に会いたいってだけだったの」
弱々しい言葉を漏らしながら、ユーティアは再び「ごめんね」と呟く。
つまり、あの嘘みたいな依頼書は本当に嘘だったらしい。ユーティアは本気で反省しているように身体を縮こまらせている。ついつい、シオンは笑ってしまった。
「旅立つっていう言葉の意味を間違えるなんて、よくよく考えたらありえない話ですよね」
「うう……ごめんね。君が本気で心配してくれているように見えて、急に嘘を吐いているのが申し訳なくなっちゃったの。本当にごめんなさい」
「大丈夫ですよ、もう謝らないでください。……むしろ、あの依頼書が嘘で良かったです」
確かに、ユーティアが嘘の依頼書でシオンを呼んだことには驚いた。でも、それだけユーティアが歌旅人に憧れているということだ。嬉しくて、シオンは胸を張った。もちろんシオンに憧れている訳ではなく、ユーティアは歌旅人という職業そのものに憧れている。それはわかっているのだが、それでも心の内側から喜びが溢れ出ていた。
「ありがとう。君は優しいんだね」
「そんなことないですよ。……あ」
まっすぐ見つめられ、シオンはすかさず目を逸らす。まるで恥ずかしさを誤魔化すように話題を振った。
「じゃあ、病気っていうのも嘘なんですか?」
「……ううん、それは本当だよ。幼い頃から身体が弱くて、ずっとこの部屋のベッドの上で過ごしてるの。でも、何も生死を彷徨うって訳じゃないんだよ? そりゃ、無理して動いたりしたら駄目なんだけど……心はこんなにも元気だし!」
明るく言い放ちながら、ユーティアは握りこぶしを作ってみせる。シオンは唖然とその姿を見つめてしまった。ユーティアのテンションについていけないとか、そういう訳ではない。むしろ、少しずつ緊張が和らいでいくのを感じていた。
「強いんですね、ユーティアさんは」
思わず呟くと、ユーティアは照れ笑いを浮かべる。小首を傾げて、楽しそうにこちらを見つめてきた。
「そうかなぁ? でも、それは君のおかげでもあるんだよ」
「……え?」
「ここ、特等席だから」
言いながら、ユーティアは窓の外を指差す。今までは緊張で部屋の中をまじまじと見ることはできていなかったが、大きな窓からは街を一望できた。シオンもこの街には何度か来ているが、見渡すのは初めてで思わず息を呑む。
「君のこともここから見てたんだよ。ほら、君って長い髪を結んでるでしょ? だから最初は女の子だと思ってたんだけど、歌声聴いたら男の子だ! って気付いたの」
確かにシオンは白銀色の髪を一本結びにしているし、身長も男にしては低い方だ。女性に間違えられることも稀にあるため、シオンは苦笑してしまう。
「歌旅人は女性ばかりの職業なので、目立ってしまうのは慣れてます。でも、まさかこんなところから見られていたなんて思いませんでした」
「ふふん、ビックリしたでしょ?」
ユーティアは得意げに微笑む。シオンは今十七歳だから、ユーティアは三つ上のお姉さんだ。でも、この時ばかりは可愛らしいと思ってしまった。
ついついじっと見つめてしまうと、ユーティアはふいに目を伏せる。心なしか、ユーティアの笑顔が弱々しくなってしまった気がした。何か言わなきゃ、と思いつつも何も言葉が出てこない。苦い笑みを零すことしかできない自分が情けなかった。
少しの沈黙のあと、ユーティアはゆっくりと口を開く。
「ごめんね。楽しくて、ついつい話し込んじゃった。……本当は君の歌声を近くで聴いてみたかったな」
「ユーティアさん……」
寂しげに呟くユーティアを見て、シオンは胸が苦しくなるのを感じる。こんな時に名前を呼ぶことしかできない自分も、やっぱり情けなくてたまらなかった。
「……大丈夫です。この街からはたくさん旅に出る人がいますから。僕も何度もここに来ると思います。だから、また見守っていてください」
必死に紡ぎ出した言葉も、どこか他人行儀のように感じてしまう。ユーティアとはたった今出会ったばかりだから、他人で当然なはずだ。なのに、どうしようもなく胸がざわついてしまう。シオンだって本当は、歌旅人に憧れているユーティアにちゃんと歌旅人として接したかった。でも、それは叶わない願いだ。
「うん。そうだね。……そうだよね。それじゃあ、またねって言えば良いのかな?」
「……そう、ですね」
思わず、視線が沈む。
間違った依頼ではあったけれど、結局のところユーティアは依頼主だ。突然出会ったと思ったら別れはすぐに来る。それが当たり前な、はずなのに。
「今日はありがとう。君と出会えて嬉しかったよ。……またね」
「こちらこそ、ありがとうございました。また、会えたら良いですね」
ユーティアが頷くのを確認すると、シオンは小さくお辞儀をする。そのまま、重い足取りで部屋の扉へと向かった。この部屋に入る時も足取りが重かったが、まさか帰りまで重くなってしまうなんて。不思議なものだと苦笑する。
「あの」
気付けば、シオンは扉の前で足を止めていた。
ドアノブを握ろうとしていた手をゆっくりと下ろして、シオンは振り返る。ユーティアは、潤んだ瞳でこちらを見ていた。
「ユーティアさんの病気は、治らないんですか?」
じっと見つめ返して訊ねると、ユーティアは力のない笑みを浮かべる。
「どんな薬でも、魔法でも、駄目みたい。だから今は、治らないって言った方が良いのかな」
――治らない。
まるですべてを諦めてしまったような笑顔で、ユーティアは呟く。
彼女には歌旅人になる夢があって、シオンに会えただけで表情を弾ませてくれた。でも今は、笑顔は笑顔でも悲しさに溢れてしまっている。
心が震えた。苦しいとか同情するとか、そういう気持ちも少しはあるのだろう。だけど、違うのだ。この感情は、決して凍える程に冷たいものではない。
むしろ、その逆だった。
シオンは再びユーティアの元へ近付き、何の躊躇いもなく口を開く。
「ユーティアさん。僕は今、やりたいことができました」
「……やりたい、こと?」
ユーティアは目を丸くさせ、小首を傾げる。唖然としているその姿は、まるでユーティアと顔を合わせたばかりの自分を見ているかのようだった。
「僕は歌うことが好きです。だから歌旅人は理想の職業でした。でも、今はそれ以上の夢が芽生えています」
黙ってこちらを見つめているユーティアの視線から逃げることなく、シオンは小さく息を吸う。初対面なのに馬鹿だなぁ。心からそう思いつつ、シオンは言い放つ。
「それは、ユーティアさんの病気を治す旅に出ることです。それで、いつかまた……ユーティアさんと二人で歌旅人になれたら嬉しいな、と……」
我ながら、なんて自分勝手なことを言うんだろうと思った。自分の感情だけが前へ前へと進んで、ユーティアを置いてきぼりにしている。
そんな自覚はあるのに、自分を止めることができなかった。
「…………るい、よ」
「……え?」
「…………」
俯いたまま、か細い声を漏らすユーティア。
考え込むように黙り込んだあと、やがて小さなため息を吐いた。
「出会ったばかりの私にそんなこと、悪いよ。……って、本当は言わなきゃいけないんだと思う。……でも、私……」
ユーティアはこちらを見る。でも、本当にちゃんと見られているのだろうか? と思ってしまうくらい、瞳は濡れてしまっていた。赤らんだ瞳から雫が流れても、ユーティアは構わず見つめ続ける。
「嬉しいの。すっごく、嬉しいんだよ。誰かが私のためにそんな風に思ってくれるなんて。それだけで、凄く幸せだよ。ありがとう」
声は震えていても、浮かべる笑顔は優しかった。
きっと、悩んで悩んで「悪いよ」という気持ちが勝ってしまったのかも知れない。翡翠色の瞳はまっすぐシオンの姿を捉えていて、真剣そのものだった。
シオンは思った。例えユーティアに断られても、自分の中に芽生えてしまった感情は止められない、と。歌う以外に生きる意味なんてなかったシオンに、新しい目的ができた。剣や魔法の才能がないと決め付けて旅から逃げてきた自分が、大きな一歩を踏み出せるのだ。
だから、ユーティアが頷かなくてもそれならそれで良い。
そう、シオンは思っていた――のだが。
「……私、思ったの。嬉しいって気持ちがあるからこそ、「悪いよ」で終わらせたくなくて……。私も、私にできることを君にしてあげたいんだよ」
かけ布団をぎゅっと握り締める仕草をしながら、こちらを見る。涙を拭い、ユーティアは大きな瞳をますます大きくさせた。
「私……歌旅人として、君の旅を見送りたい」
それは、あまりにもドヤ顔に近い、得意げな笑みだった。
「なんて……駄目、かな?」
自分は今、いったいどんな顔をしているのだろう?
笑っているだろうか。驚いているだろうか。それとも、ユーティアのことを心配する面持ちになっているだろうか。
多分きっと、答えは全部だ。頷いてくれたことが嬉しくて、歌旅人として見送りたいという発言に驚いて、歌うことはユーティアの身体の負担にならないのだろうか? と不安にもなっている。色んな感情が混ざり合って、シオンの頭の中はごちゃごちゃだ。
「あはは、驚いてる。ごめんね……最初から最後まで、図々しいよね。私のために旅に出てくれるのに、歌旅人になりたいって自分の夢もフライングして叶えようとしちゃうなんて」
「そんな……っ、そんなことないです!」
シオンは反射的に首を横に振った。大袈裟に腕まで振って、全身で「そんなことない!」というアピールをする。しかし傍から見るとおかしな動きだったようで、ユーティアはふふっと笑みを零した。シオンは咳払いをして、一旦冷静になる。
「……僕は今まで見送る側の人間でした。だから、嬉しいです。……でも」
素直な気持ちを伝えてから、シオンはもっと奥底にある本音を零す。
「無理はしてない、ですか……?」
これからユーティアの病気を治すための旅に出ようというのに、当のユーティアが無理をしては何も意味がない。少しでも無理をするというのなら止めた方が良いと思った。歌旅人の夢を叶えるのはシオンが旅から帰って来てからで良いと思うのだ。
「大丈夫だよ」
しかし、ユーティアは即答する。
「私、ずっとこの特等席から一緒に口ずさんでたの。上手かどうかはわからないけど、下手ではないと思う!」
「いや、そういうことじゃなくて」
シオンは目を細める。無邪気なことは良いことだと思うし、年上だけど可愛らしいと思う。でも、いとも簡単に無茶をしそうで何だかヒヤヒヤしてしまうのだ。
「もちろん、ちゃんとした歌旅人みたいなことはできないよ。それはわかってる。だから、この部屋から君を見送るってことになるんだけど……どうかな?」
ユーティアは、上目遣いで甘えるような視線を向けながら訊ねてくる。
(……本当にこの人は、最初から最後まで強引な人だ)
シオンは思わず、心の中で笑ってしまう。
歌旅人として女性と接することは多々あるが、こんなにもわがままな人はユーティアが初めてだった。ユーティアが世界中を自由に飛び回れるようになったら、いったいどうなってしまうのか――なんて。ユーティアの輝く瞳を見ていたら、答えなんてすぐにわかってしまう。
彼女を包むポジティブなオーラは、たくさんの人を笑顔にする力を持っている。出会ったばかりなのにおかしな話かも知れないが、そう断言できてしまう自分がいた。
「じゃあ、ユーティアさん。お願いできますか?」
「っ! もちろんだよ!」
観念してシオンが頭を下げると、ユーティアはわかりやすく両手をバンザイして頷いた。やっぱり、彼女の笑顔は眩しい。気付けば不安に思う気持ちは消えていて、シオンは「よしっ」と呟いた。
そうと決まれば、シオンはまだまだユーティアと話をすることになる。歌旅人は依頼主から様々なこと(生き様や旅に出る目的など)を話し合って一つの曲を作るのだ。平凡な人生を送ってきたシオンにとって、ユーティアに自分のことを話すのは恥ずかしいと思ってしまう。でも、なるべく決まりに従わないとユーティアの機嫌を損ねてしまうかも知れない。シオンは覚悟を決めて口を開こうとした。
「曲はもう頭の中にあるから、すぐにでも始められるよ」
「…………へっ?」
予想外すぎる言葉に、シオンの反応が一瞬遅れる。
「ええっと……つまりユーティアさんは、アドリブで歌うってことですか……?」
「んー、まぁそういうことになるのかな?」
人差し指を唇に付けながら、ユーティアはわざとらしく小首を傾げる。確かに愛らしいポーズではあるが、シオンの頭の中はすでに「いやいやいや」でいっぱいだ。最初に打ち合わせをしてから、後日完成した曲で見送る……というのが、基本的な歌旅人のスタイルなのに。歌詞もメロディもその場で考えるなんて、まず聞いたことがない。
「大丈夫。君にピッタリな曲を届けるから、ね?」
ユーティアからウインクとともに放たれた言葉は、最早「駄目かな?」ではなく「良いよね?」だった。それくらい浮かべる笑顔は自信満々で、シオンは唖然とする。驚きすぎて、ついつい気が抜けてしまったのかも知れない。
「君は、僕以上に歌旅人の才能があるのかも知れないね…………あ」
気付けば、素直な感想が零れ落ちてしまっていた。シオンは慌てて口を塞ぎ、恐る恐るユーティアを見つめる。
「へぇ、普段はそういう喋り方なんだ?」
「す、すいません。つい、気が抜けてしまって。元々ユーティアさんは依頼主だったので、気を付けていたんですけど……」
「ふぅん、今更遠慮するんだ。私のために旅に出てくれるのにねぇ?」
言いながら、ユーティアはニヤリと口角をつり上げる。
ユーティアの言う通り、確かに今更な話なのかも知れない。でも年齢的な遠慮もあるし、意識するとやっぱり敬語しか出てこないのだ。シオンが苦笑をして誤魔化すと、ユーティアは不満げにジト目を向ける。
「君も君って呼んでくれて良いのになぁ」
「いや、何かややこしいんでやめましょうよ」
「…………」
「……き、君の歌声を聴かせて欲しい……です」
無言の圧力に負けて、シオンは素直にお辞儀をする。ユーティアは満足そうに頷いた。
きっと、彼女はこのお屋敷でたくさん甘やかされて育ってきたのだろう。表情がころころ変わるユーティアとの会話は、シオンにとって新鮮なことばかりだ。
だから、こんなにも鼓動が速くなるのだろう。いつか本当に二人で歌旅人になる日が来たら、きっと楽しい日々が待っている。そう、自信満々にシオンは思った。
ほんの少し深呼吸をして、ユーティアはこちらを見つめる。シオンが頷くとユーティアも頷き返し、瞳を閉じて息を吸う。
そのまま――ユーティアの歌声が響き渡った。
透き通っているけれど、自然と冷たさは感じない。むしろ、優しさに包まれるような歌声だった。声量がある訳ではないが、その分歌詞の一つ一つを大事に歌っている印象だ。上手いかどうかはわからないとユーティアは言っていたが、謙遜かと思うくらいに上手だと思う。
でも、正直な感想はまた別にあった。
(な……何で、どうして。君が、この曲を……?)
鼓動が跳ね上がる。ユーティアの奏でるメロディを聴けば聴く程に、歌詞を理解すればする程に、心が震えるのを感じた。何で。どうして。そんな言葉だけがただただ繰り返されて、ついつい息をするのも忘れそうになった。
知っている。誰よりもシオンが、この曲のことを知っているのだ。
――シオンが歌旅人になって、初めて作った曲なのだから。
(そっか。そうだね。……確かに、初めての仕事はこの街だった)
ユーティアの歌声を聴く度に、記憶が鮮明になっていく。曲名は「ティアラ」で、依頼主はラナ・フィリアスという少女だった。確か、当時のシオンより三つ年上だった覚えがある。つまりは、ユーティアと同い年ということだ。
忘れるはずもない。何せシオンにとっての初仕事だったのだ。記憶の扉を一度叩いてしまえば、あの日の光景が鮮明によみがえってくる。
ラナは言っていた。私には大切な友達がいるのだと。その友達は身体が弱くて、ラナは友達を救うために旅に出るのだと。必ずあなたを救いに戻ってくる。ラナはそんな約束を込めて、友達にティアラを贈った。
だからシオンは、ティアラという曲名を付けた。でも、曲名の由来はティアラを贈ったからというだけではない。
――ティア。
ラナは、友達のことをそう呼んでいた。シオンはてっきり「ティア」という名前が本名だと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。あの時は緊張もしていたし、ちゃんとティアのことを訊くことができなかった。つまり、ティア=身体の弱い少女という認識だけで、曲を作ってしまった訳だ。ティアを救いたいという気持ちや、元気になったティアとやりたいこと、ここを離れてごめんねという苦しい気持ち……。ラナの想いはたくさん詰められたと思っていた。でも、少しだけ間違っていたようだ。
ティアは……ユーティアは、本当はこんなにも明るくて、わがままで、甘えん坊な少女だった。シオンは思わず苦笑する。ユーティアの歌を聴きながら、今の自分ならもっと良い歌詞が書けたのになぁ、なんて思ってしまう。
しかし、それはもう過去のことだ。
「君は……ティアさん、なんですか……?」
歌い終えたユーティアに、シオンは訊ねる。
すると、ユーティアは嬉しそうに翡翠色の瞳を輝かせた。同時に、頭の上のティアラもキラリと光る。そうか、これはラナからの贈り物だったのか、とシオンは密かに納得した。
「気付いてくれたんだ、嬉しい……! ラナが旅立つ時ね、私はここで見てたの。でも、私が歌旅人に憧れてるって知ってるラナが、映像で残しておいてくれたんだ。この歌、大好きだから覚えちゃったの。ふふっ、驚いたでしょ?」
腕組みをして、ユーティアは得意げにふんぞり返る。どうして歌詞もメロディも完璧だったのか不思議に思っていたが、ようやく合点がいった。
「そういうこと、だったんですね……」
ユーティアの言う通り、驚いた。心の底から驚いてしまった。
歌旅人は陰の職業だ。だから、歌旅人に憧れていると言ってくれただけでも充分嬉しい。でも、ユーティアはこうして一度終わった依頼に対して「大好き」と言ってくれた。
自分を見てくれている人がいる。ただそれだけで、喜びが溢れて止まらなかった。
「私、友達からはティアって呼ばれることが多かったんだ。皆、もうこの街にはいないんだけどね……。だから、嬉しかったよ。家族以外とお話したの、久しぶりだったから」
って、私が嘘を吐いて君を呼び出しちゃっただけだけどね。と、ユーティアは弱々しく付け足す。ほんの一瞬だけ、ユーティアは目を伏せた。どこか悲しげな表情に見えて、シオンも俯いてしまう。
シオンもまた、旅に出る。ユーティアの元から離れてしまう。
でも、一度灯ってしまった炎は消えそうになかった。必ずユーティアの病気を治して、歌旅人になる夢を叶えたい。その時は、シオンも誇りを持って再び歌旅人になるのだ。
「今度は二人で歌いましょう。約束です」
ユーティアを見つめ、小指を差し出した。急なことだったから、ラナのティアラのように託すものは何もない。でも、心残りはそれだけだ。
「絶対、帰ってきてね。……一日でも長く生きるから。無茶はしないって、約束する」
「そんなの、当たり前ですよ」
「……だよね」
固く結ばれた小指と小指に二人の約束を込めて、頷き合う。
旅立ちの時、君は歌を唄う。
――今日から、シオンにとっての新しい人生が幕を開けるのだった。
了
旅立ちの時、君は歌を唄う。 傘木咲華 @kasakki_
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