狂い咲き(3)

 もぞもぞと音が聞こえる。

枯れた枝が胸をまさぐるような、固く、命の失せた感触。

それは決して情事の真似事などではなく、もっと恐ろしいもの。

私のなにか大切なものを執拗に探して、奪い取ろうとするもの。

そんなのはゴメンだ。私のものは私のもの。

たとえ、落ちた花びらの一枚であっても、須らく誰のものでもなく、私のものなのだ。


 ――彼女を除いては。


 ――彼女ヒガンバナ




 その名前に、――桜は狂い咲く。

心臓を狙う刃は異様に黒く、それが彼女の運命を大きく狂わせることは明白だった。


 「よもやまだ生きていたのか」

その声よりも速く桜の腕は動いていた。

心臓を狙い、今まさに彼女の領域を侵そうとしていた凶器をそのままに掌で受け止めて、

力任せに男の顔を打つ。


 あまりにも突然の目覚め、そして目潰し。

不測の事態に枯れ指は手を離すという失態を犯してしまう。


 そして桜は奪い取った黒刃を薙いで、男の細く干からびた腕は宙に飛んでいく。


 落ちた腕に生える指はまるで枯れた枝のように、灰に壊死して皮ばかり。


 枯れた鈍色の指は彼ら、『枯れ指』の由縁。


 その血も例外なく灰に汚れている。


 「ぬ、おぅ」

返り討ちにあった枯れ指の男は、さっとバネのように飛び退く。


 止血の余裕はない。流れる血が自らを死に至らしめるのが先か、

それともあの女を仕留めるのが先か。どちらにせよ、己の命は無いと覚悟する。

「その死に体で立ち上がるとは――やはり花憑き、末恐ろしいものよ」

とっさに出る言葉は強がりか。目の前に立ち上がる女は瀕死だろう。

誰がどう見てもそう判断する。

片腕、しかもおそらく利き腕の方は何かドロドロとした組織で

かろうじて胴体と接続されているばかりだし、その腹も半分が飛び出そうとしている

ではないか。動作の度に傷口を縫う根の軋む音がしそうで、おおよそ豪快な動きは

不可能に思える。

反対にこちらは腕を失ってはいるが、攻撃の猶予は十分にあって、頭数も一人多い。

しかし一歩が出ない。

斬られた腕が痛むはずもない

――なぜなら無いものは傷まないのだから――が、

それでも捨て去ったはずの生命としての本能が、

耐え難い痛覚として女との戦いを否定したがる。

「腕を取られたか。戦闘は不可能か」

もう一人が状態を問う。

「構わぬ。我ら使命果たさねば、いずれにせよ用無し」

「しかり」

「ならばいくぞ」


 二人は駆け出す。


 ぬるりと起き上がる桜は、その朦朧とするまなこで翳の二つを認めて、

どちらからも滲む敵愾心てきがいしんを察知した。


 響く金属の打ち合う音。一つの太刀で二つの斬撃を受け止めて、

押す力を滑るようになす。

後方に去っていく二人。

彼らをはっきりと見て、やっと桜は感情の機微を露わにする。


 干からびたくせに、まだ人の振りをするのか。


 人様の感情に付き合うのは気怠く、

動き出すのも億劫で、けれどされるがままも癪だ。


 ただ付き合うためには刀がいる。

遊びたいんだろう。だったらオレのを還してくれよ。


 握る黒い刀は収まりが悪いらしく、桜は畦に放り投げてしまう。


 そして落ちた色々の転がる紅い泥道の先に、探していた刀を見つける。


 刹那、駆ける目的は得物の奪還。


 それを見過ごす敵でもないが、すでに手遅れ。




 本領を発揮できる桜にとって、

彼らはもはや道端の雑草と同じで、見れば確かにあれはただの枯れ草なのだ。




 前屈みの、掴み取った姿勢から後ろに躰を捻じ曲げて、

敵の一人から今度こそ腕ではなくその命を奪い取って、

無理な運動に破れた生傷を気にせずに、流れる剣先を残る一人に走らせる。


 その間は人の感知する時間、時の分解能を超えているように思える。

ちょうど今降る雨が彼女の頬から地面へと滴るよりも速く、

桜は一連の動作を終えたのだ。


 矛先の向けられた枯れ指は、もはや避けることなどできない。

彼ら持ち前の瞬発力が、かえって裏目に出てしまった。

突っ刺す腹の痛みは鈍く。刀は一直線に腹を貫いて。


 ――すぅっと息を、血に浸った肺の中に、僅かにでも空気を蓄えこんで。――


 桜は行き詰まった刀身を力強く握って横腹を裂き斬る。


 戦闘終了。


 凄雨せいうの雪ぐ血泥の流れに横たわる二つの死骸。


 桜はやはり屍山血河に据わってなお美しい。

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狂花繚乱 彼呼辻冬坡 @mikuzu_gashi

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