狂い咲き(2)

 「こいつは雨が降るな」

珈琲コーヒーを啜る常連の又造爺さんは、

俺が最も気にしてやまない言葉を平気で言ってくる。


 誰彼曰く、俺は雨に好かれているのだ。




 花切の役付、雨島あめしまの悪い予感は的中した。


 彼に付き纏う雨という単語そして現象には、おしなべて厄災が付随していた。

だから彼自身は極めて雨に関する物事に敏感に反応するようになってしまったが、

そんな異常性を除けば、雨島自身は至って真面目な好青年だった。


 黒髪に書生服の出で立ちで、風除けの紺のコートを羽織っている。

いかにもな若者姿だが、ただ彼はもはや正式な学生ではなかったので、

学帽だけは被っていない。むしろ彼自身のプライドがそれを許さなかった。

いつまでも過去に縋り付くのは性に合わない。

勿論その後ろめたい思い出には、決まって雨が降っていた。


 そして今もザアザアと雨が降り注いで、矢のように彼の頬に突き刺さる。

「ひどい天気だな」

目の前の男たちに聞こえるよう、わざと大きな声で叫ぶ。

昏い灰色の空が翳っているのは確かに天上の黒雲の為であるが、

この空間の険悪さは、この局所的瞬間的な嵐にも動じずにすくと立っている、

痩せ細った男たちに起因していた。

病的に白い、むしろ灰色の皮ばかりの手足。

笠を目深に被って、虚のような眼を隠している。

幽霊のような矮小な存在感に反して、

雨島が彼らから感じとる殺意は、これまでの群を抜いていた。


 花狩の類だろう。


 雨島は彼らの検討を付ける。

彼の記憶によれば、おそらくはこの男たちは『枯れ指』という者達らしかった。

花狩という、花憑きを狙う賊たちの総称に紛れ込む生粋の性悪共で、

彼らの悪行に血は事欠かない。つまり、敵だ。


 「何者だ貴様」

先頭の、やけに背の高い男が彼に問う。

浅葱鼠の、只今の曇天を染料に染めたような小袖と青白い肌は、

ありとあらゆる光の尽くを嫌う陰険さを、男の代わりに教えてくれる。

「お前らなんざに名乗る名前なんてねえよ」

雨島は久方ぶりにたぎる血を肌の下に感じ取り、

秋時雨の冷たさを押しのけるような熱に震える手を、軍刀の鞘に掛ける。

殺さなければやられる。

殺気づく己の本能に内心驚きながらも、雨島は心を落ち着かせる。

あの時のようなヘマは侵さない。

とどめを刺す覚悟を今は持っているのだから。

「桜の処理は任せる。手短に済ませろ。

の警句が真であれば、それは何度でも狂い咲くぞ」

「分かっている。そちらこそ、小僧一人に手間取るなよ」

仰向けになった頭の桜が目立つ女。

雨島からはよくその姿が見えないが、救うべきは彼女だということは明白だった。

早くしなければ手遅れになってしまう。


 雨島は彼らの目的には心当たりがある。

枯れ指の悍ましい業の一つ。花憑きの生花。

心臓に儀式的な加工を施した黒い刀剣を突き刺し、

人を生きながら死に追いやり、花を死にながら生き存えさせる狂気の美術。

聞伝えに知るだけだが、現物を見る必要はなくむしろ願い下げ。

なんとしても阻止しなければ。


 花を守り、人を守り、それが己等『花切』の役目であるのだから。


 五人の内三人が雨島に刀を向ける。

手入れの足りない、錆びついた刃が目立つ。

あれに斬られると相当に痛そうだ。


 ――君、強くなりたまえよ。


   頭の中の嫌な顔、名前も知らないにくい奴が、

   あの日あの時のまま可惜あたらに笑ってくる。

     

     ああ分かってる。――


 だが、

「今にも折れそうじゃあねえか」

研ぎ澄まされた鉄の白くぎらつくのを、飛び掛かって刺し通そうと。


 もはや、抜いた刀を納めることは出来ない。

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