狂花繚乱

彼呼辻冬坡

第一章 狂い咲き (1)

 身中宿る花はまだ咲きたらぬと、巣食うひと

恨み辛みや未練を喰らい、死にゆく躰に再び血を巡らすのだ。



 ごぶ、と女は血を吐き出した。

腹から背を突き破る刀は、はらわたの根に絡まって抜ける気配がない。

それでも女は殺意を失うこともなく、武器を失った相手に向かって刃を振り下ろす。

鋭い太刀筋。けれど獲物を捉えることは出来ない。

刃がひらめいては空を切り、風を薙ぎ、

ついにはふらふらと女はよろめいて、握る柄も落としてしまいそうに。

流れる血の量はすでに、意識を奪うには十分なものだったのだ。


 「しつこい奴だね。私を殺しても、お前に何の意味も無いだろうに。

これだから殺したがりはどうしようもないね」

老女は怪訝な声色で女を喝破する。

女の眼はもう酷くぼやけて使い物にならなかったが、

その声を逆手に取って、狙い定めようと試みる。

死に体ではあるが、負けてはいない。

朧な黒い影を見据えて斬りつける女。

すこぶる速い弾丸のような一撃。

しかし二度あることは三度ある。

女の兇弾は外れ、その代償に片腕をばっさりと奪われてしまったのだった。

老女の凶器は失った刀だけではなく、袖の下には仕込み刀が潜んでいた。

からくり仕掛けの刃は勢いを持って飛び出し、

そのままに女の細く白い、包帯まみれの腕を切り落としたのだ。


 ついに、腕を喪失した女はここで息絶えた。

ぐったりと糸の切れた人形のように倒れ込む女のむくろを、

老女は刺した刀を取っ手に掴んで支えた。


 さて検死というように、女の躰を見る黒着物を纏った痩躯の老女。

白髪の混じった黒髪は後ろで纏められ、

橘の飾られたかんざしがよく目立つ。

それはたった今死に絶えた、刀に貫かれた少女も同じだった。

結い髪に桜の挿頭かざしをつけた、長い濡烏ぬれがらす

所々血に湿って黒く固まり、髪にはかつての艶やかさの面影もない。


 橘の花憑き――これからは単に橘と呼ぶが――

が見た桜の少女の躰は、随分と痩せ細っていて、

まるで食べるという行為をすっかり忘れてしまっていたように映る。

病的なその躰を光から隠すように、幾重にも巻かれた包帯は、

橘にとっても馴染みのものだった。

仔細は知らないが、霊水によって清められた麻布であるということはわかっている。

花抑えの布をこれほどまでに巻かなければ、

身中の花の出を抑えきれないという事実に、彼女は驚きを隠せなかった。

「あんた、大分かしいでるねぇ……」

その行く末を嘆くように、橘は呟いた。


 が、それとこれとは無関係。

奪われたものは還してもらうぞ、

と橘は拳に力を込めて、抜けぬ刀を無理に引っ張る。

肉の擦れる音に混じって、木の根が千切れるぶちぶちといった音がする。

どさっと、血溜まりに骸は倒れ込む。

異形の躰、悍ましい牢獄から開放された刀身には、

べっとりと昏い血が纏わりついていた。

「恨むんじゃあないよ。襲ってきたのはそっちが先なんだから」

橘のおうなはぎらつく刀を天に掲げる。

その血の朱さを、人の『らしさ』を確かめるように。


西から吹く風が木々をそよがせて、稲穂には金色の波が立つ。

女の髪から生える桜の枝から散る花びらは、

死した宿主と別れ血の流れに乗り何処かへと旅立って行った。


秋口も過ぎたこの頃に、桜の花びらとは妙なもの。

だがそれも必然。

人に憑き咲く花はなのだから。

そして条理の外側、

人倫の埒外にある花は時に宿る者もその周りをもすら狂わせるが、

この二人も例外ではない。

現に、二人は出会ったそばから殺し合いを演じ、

結果として桜の女は死んだのだった。



 文明開化の後明治を過ぎて時は大正。

人の世を誑かしてきた悪鬼悪霊の類は迷信として今や死に絶えたが、

未だ正真正銘の者達が生き残っている。

それは花憑きと呼ばれる、運命の囚人。

一人は橘を身に宿し、もうひとりは桜に憑かれている。

片割れは特に花憑きサクラツキと呼ばれるが、その理由はまた追々。



 「互いに花憑きの身だろうに。どうして、こうも仲良くできないんだろうかねぇ」

憂う眼には彼女自身の心傷もあるのだろう。

「そも人目を憚りながら生きていかなきゃいけない私達が、

同士討ちなんざで殺し合ってる場合でもないだろうに」

光の消えた瞳は答えもしない。

無言の時間は刹那。

端から返事など期待していなかった。


 懐紙で刀の血を拭う。鮮やかな朱に染まった紙を丁寧に畳み込んで、

死んだ女の胸に添える。一種の礼儀作法の類いか、それとも彼女なりの儀式なのか。

実際彼女にも区別は付いていなかった。それほど、永く生きすぎたのだ。

橘はしゃがみこんで、桜の女のこめかみに手を添える。

「右近だ左近だの言われた時から、あんたとは因縁あるが、

まさかこんな厄介事になっちまうとはね――。

仕方ないが、この子からは奪っておかなくっちゃあならないよ」

右の袖口から枝が這って出てくる。

たちまちに若葉が生え、

一つのを実らせる。

「あんたには悪いけれど、

あんたの中にある危なっかしいものは全部取らせてもらったよ。

恐ろしいね。こんな奴が、人の内にいていいはずがないのに。

さあ、狂い咲くもいいが、金輪際なにもかも綺麗さっぱり忘れて、

まっとうに死ぬんだよ。あんたはそうしなきゃならないんだよ、いいね」

袖口のこずえの実を引きちぎり、橘は懐にしまい込む。

立ち上がり、曇りゆく空を見上げる。

「嫌な空になってきたね。

こんな灰色の雲が空にかかると、決まって小汚い鼠共が出てくるものさ」

橘の嫗は花憑きサクラツキに警告する。

たった今、自ら命を奪いとったにもかかわらず、その復活を見越しているように。

「あんたいつまでもそこでへばってる場合じゃあないよ。

奴らは取れるもんならなんであっても根こそぎ剥ぎ取る強欲な奴らさ。

まあ、あんたなら大丈夫だろうが」

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