最終話 愛する女とつき合って男としての自信がつくと他の女で試してしまうろくでなし

 それから二日後、敬子の口座に百八十万円が振り込まれていた。バイク代に違いなかった。

 その通帳を見たとき、本当に終わったのだ、と敬子は思った。これだけの金額を集めるには相当借金したはずだ、と正志を心配した。終わった相手の心配する自分が可笑しかった。

 正志から手紙が来た。お金を振り込んだことを知らせる短い文面だった。後半には、『敬子のハンカチを入れてある引き出しに、前から渡そうと思っていたプレゼントが入れてある』と書いてあった。新しい女物の財布だった。ブランド品ではなかったが、ベージュのバックスキンに金の留め金がお洒落な、敬子好みのものだった。

 いつから置いてあったのだろう? これまで正志の棚や引き出しばかり調べていたので、気がつかなかった。

 敬子はしばらくその財布を見ていたが、やがてゴミ箱に持って行き、放り込んだ。テーブルに戻って手紙を手に取り、正志の幼稚な字を目で追った。ボールペンの強い筆圧で紙がへこんでいた。彼の手がそこに触れたと思うと、愛しくなり、その部分を頬に押し当てた。指の、固くやさしい感触を思い出し、涙が出た。


 それから少しして、木村がめぐみという娘と別れた。彼女が他の男に乗り換えたらしかった。敬子は、まさか、と思ったが、その相手は正志ではなかった。

 彼女の監視の目がなくなった木村と敬子は、また非常階段の踊り場で話すようになった。木村はずっと落ち込んでいた。敬子は、何とか彼をなぐさめようとした。

「でも本当言うとさ、あの娘、なんか腹にイチモツある、って感じだったよ」敬子は言った。

 木村はライターを持った手を伸ばし、敬子がくわえたタバコに火をつけた。敬子は煙を吸い、夜空に向かって吐き出した。梅雨も開けた夏の夜だった。ビルの合間に換気扇の回る音が響き、油の匂いがしていた。

「いやあ、それくらわかってたんスよ。オレ、こう見えても馬鹿じゃないスから」

「それでも好きだったんだ」

 彼は、指に挟んだタバコを口に持って行く途中で止め、ぼんやりと宙を見た。

 敬子は黙っていた。

 彼の目が光り、敬子を見た。口元は笑っていた。

「何?」と敬子。

「いやあ、時々思うんですけどね。神様ってひどい奴だなって」彼は、きょとんとする敬子を見て続けた。「だって、うまくいくはずのない相手とわかっていながら、好きになっちゃうように、そんなふうに仕組んであるんですよ? それって、残酷じゃないっスか」彼はタバコを吸い、敬子が同意するかどうかうかがった。

 敬子はゆっくりうなずいた。「あの娘のこと、そんなに好きだったんだ」


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ほぼ愛 ブリモヤシ @burimoyashi

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