第54話 帝国の思惑

「さて、和平の話だったな……」

 髪を掻き上げ、ギュスターが口を開いた。

「む……」

 さっきまでの和やかな雰囲気は、すでにそこにはなかった。

「相分かった……と、言う訳にもいかん」

 溜息を吐く。

「って、教皇様の勅命ですよ」

 ユリィが、思わずギュスターに食って掛かる。それを忠興が、遮る。

「フロン王国としては、無論、教皇様の御言葉に意義などあろうはずがない。実際、前線はもう幾日ももたんしな」

「だが、帝国はどうだ……奴らは皇帝を僭称しているのだ……」

 忠興は、首を捻った。ギュスターの言う言葉の違いがしっくりとこなかったのである。

「新約ロームス帝国の君主フリルドル三世は、皇帝を名乗っているわ」

 ユリィが、そんな忠興に説明をする。

「本来、王とは領土、領民を統治する者、そして教皇は宗教上において民衆を統治する者……それら二つの性格を併せ持つ存在、それが皇帝よ」

「帝国は、その名のとおり新約……新たな宗派を国教に定めているの。それの余波が、フロン王国内での内乱の原因ともなったのよ」

 成程なと、忠興は頷く。

「つまり、帝国が教皇庁の命令に従ってフロンを攻めているのは、忠誠からではなく、実際の領土的な野心と言うことか……、そして、いざとなれば教会と縁を切っても構わないということだな」

 この忠興の解釈に、ギュスターも悔しそうな表情を浮かべた。

「そうだ。そして、帝国の力は凄まじい。今のフロンは、私とジュベー卿で何とか支えていると言っても過言ではない」

「特に、北部では奴らの主力とジュベー卿が激しい攻防を繰り広げている。帝国が和平に応じるだけの戦果を上げぬことには、この講和はなりたたんぞ」

 ギュスターが念を押すように言う。

「魔王の力が日に日に増す中で、人間同士が争うなど……」

 ガラシャが寂しそうに呟く。

「そこなんだが……」

 ギュスターが、少し考える様に顎に手を当てた。

「どうやら、帝国は魔物を手懐けることに成功したようなのだ」

 その言葉に、忠興らは耳を疑った。

「実は……この要塞にも魔物が巣くっていたのだ。私も、きっとこれは裏で魔王の手先が糸を引いている、と考えていた」

「しかし、どうやら帝国の中に、魔物を操る能力を持つ者がいるらしい。もし、魔王の手先であればもっと甚大な被害を被っていただろう。恐らくは、人間の中にそのような力を持つ者がいるということであろう……噂では、北部ではドラゴンが出たとの話もある」

 えっ、とユリィが大声を上げた。

「ドラゴン、そんな……人間の力でどうにかなるモノじゃないわ」

 ユリィの声が震えている。

「ドラゴン……」

 忠興はその生物を知らない。

「龍のことです」

 ガラシャが、忠興に説明する。皆の間に少しの沈黙が流れた。

「兎に角、帝国の野望は明白だ。ここは、何とか持ちこたえる。貴公らはジュベー卿のいる北部に向かい、戦況を好転させて欲しい」

 ギュスターが、忠興の目を見据えた。その眼差しには覚悟が宿っていた。

「折角、出会えたソフィアを悲しませる訳にもいくまい」

 愛する者との別れ、その辛さは忠興が身を以て知っていた。

「頼む」

 ギュスターの言葉を背に、忠興は早速、北部へと向かうのであった。


 一行は、フロン領内をさらに北上した。帝国の思惑が和平にないのであれば、教皇庁の勅使と言えども安全とは言えない。

 もちろん、前線の騎士や兵士にとっては、帝国中枢の思惑などは行き届いていないだろうから、まさか教皇庁の旗に弓を引く者はいない。

 しかし、やがて忠興らの存在が帝国として看過できないとなれば、狙われる危険性は大いにあったのである。

 流れ矢、流れ弾、それだけではない。ギュスターの言った「魔物を操る」という者の存在が事実であれば魔物をけしかけて来ることも想像に難くない。

「ジュベー卿、ジュベー卿はいずこか」

 忠興は、声を張り上げながら進んだ。

 やがて、忠興らは両軍の勢力が拮抗する地帯にまで進んでいた。荒れ果てた大地で、おびただしい数の騎士、兵が喚声、叫声を上げて激しくぶつかり合う。

 もはや、この場において、どこが国境などというのはない。そんな曖昧なモノなどは、ここに積み重ねられた死体と、血によって自ずから決せられるべきものであった。

「おい、お主、ジュベー卿を知らぬか」

 傷ついたフロンの騎士に忠興が声を掛ける。

「ワシは、教皇庁の勅使だ」

 その騎士は、まさに今、命が尽きようとしている。虚ろな眼で、忠興の旗を見ると、おおと力ない感嘆を上げた。

「あ……ちら……」

 震える指で彼方を示すと、そのままガクリと力尽きた。ガラシャが、その遺体に祈りを捧げる。

 しかし、この戦場においてそのような時間は一瞬たりともなかった。

「おおおおおおおおお」

 一人の騎士が槍をつがえて、忠興らに迫った。

「ぬうああああああ」

 忠興は、馬首を返しながら、その槍を躱す。そして、そのまま旗の柄尻で、その騎士を突き崩す。

 さらに、刀を抜くと、態勢を立て直そうとする騎士を真っ向から斬り下げた。

「与一郎様」

 ガラシャが、そんな忠興をたしなめる。

「殺らねば、殺られる。相手は騎士ぞ」

 無益な殺生をなどと言うのは、ガラシャの甘さであると忠興は思った。

「行くぞ、こっちだ」

 忠興は、黒松の腹を蹴り、一目散に駆け出した。

 目の前には、黒だかりの山の様に軍勢がひしめき合っている。軍旗は「双頭の龍」、帝国軍である。

 忠興は、旗を背に差す。もはや、この場において言葉などは無用であった。全身を闇の魔力で覆う。

「どけい、どけい」

 そう叫ぶと、兼定から魔力を迸らせる。目の前の集団が消し飛ぶ。

「道を空けい」

 さらに振るった一撃を、見えない壁が防ぐ。

「うぬ……」

 ガラシャである。ガラシャは、忠興に並走しながら「光の壁」で、目の前の敵を忠興の攻撃から守ったのである。

「ここは、私が道を開きます。どうか」

 必死の顔に、忠興は苛立つ。

「そんな事を言っておられるか」

 お構いなしに忠興は、刀を振った。しかし、それもガラシャの光の壁が打ち消す。

「どうか……どうか」

 懇願するガラシャの声に、忠興は勝手にせよと口にする。

「ガラシャさん、私も」

 そう言うと、ユリィが杖を振りかざす。

 すると、大地から水が溢れ出し、軍勢の足を止めたのだった。

「今の内に、抜けましょう」

 ガラシャが頷く。

 こうして、一行は、帝国軍の包囲を突破したのであった。

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異世界一のヤンデレ 長岡 なすび @hikonemu

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