第25話 一人の部屋には、花火の小さな破裂音だけが響いていた。


     ◇◇◇


「ゆーくん、おかゆ作ってきたよー。少しは楽になった?」

「ありがと、琴葉。昼よりはだいぶましになったよ」


 鮫島とのあれこれがあったお盆期間も終わり、じいちゃんちから帰ってきた翌日。

 俺は、自室のベッドで仰向けになっていた。


「良かった。体起こせる?」

「うん」


 今日は地元での夏祭りが開催されていて、本当なら今頃、琴葉と二人で屋台を食べ歩きでもしながら回っているはずだった。


 俺が急に熱を出したりなんかしていなければ。


 朝からなんだか体がだるい気はしていたけれど、昼前に一気に熱が上がって夏祭りへ一緒に行く約束もおじゃんになってしまった。


 雨に打たれたとか冷房の効いた部屋で薄着のまま寝ていたとか、そういう理由らしい理由もなく急に熱が出るんだから、どうしようもないったらありゃしない。


 俺のために夏祭りにも行かず、おかゆを作ってきてくれた琴葉には本当に頭が上がらない。父さんや母さんなんて琴葉の両親と花火を見ながら酒を飲む約束があるからって、俺を放ったらかしにして上機嫌で出掛けていってしまった。


 やっぱり持つべきものは幼馴染だ。本当に困ったときに頼れるのは幼馴染。幼馴染しか勝たん。


 一応この部屋の窓からでも花火は見えるけれど、出店で色んな物を買って食べるのを琴葉は結構楽しみにしていたので、そのうち埋め合わせをしないとだな。うん。



「はい、ゆーくん。あーん」



 体を起こしていつもより心做し回らない頭でそんなことを考えていると、おかゆを一口分すくってふぅふぅと可愛く冷ましてくれていた琴葉が俺の前に匙を差し出した。



「あーん」



 なんとも幸せなシチュに包まれて頬張った卵粥は、塩と醤油だけのシンプルな味付けで風邪の体に最高に染みる。なんというか、良い。うん、良い。


「……美味しい」

「ほんとに⁉ じゃあどんどん食べて風邪直さないと!」


 自然と零れ落ちた俺の言葉を聞いた琴葉は、嬉しそうに次から次へとおかゆを俺の口へ運ぶ。



「――ご、ちそうさま、でした」



 せっかく大事な幼馴染が作ってくれたおかゆを残すわけにもいかず、俺はけっこうな量のおかゆをなんとか完食してお腹をさすった。もちろん最高に美味しかったけれど、琴葉が作ってくれたという付加価値がついていなかったらたぶん食べきれなかったと思う。



「そういえばゆーくん、今日たくさん汗かいたでしょ? 体拭いてあげるよ」



 夕飯を終えてまた横になり、なんでもない話をしていると琴葉が急にそんなことを言いだした。


「え? いや、それはさすがに大丈夫だよ。自分でも拭けるし」

「いいからいいから。こういうときは黙って世話したがりな幼馴染の言う通りにしとけばいいの! ちょっと待ってて!」


 断った俺に食い気味で言ってきた琴葉は、からになった土鍋を持って階段を下りて行ったらしい。どたばたと危なっかしい足音が聞こえて、なんだか和む。


 一人残された部屋で、二人っきりの部屋で幼馴染の可愛い可愛い女の子に体を拭いてもらうだなんて漫画でありそうだなぁ、でも現実でそれはちょっと色々とまずいんじゃないかなぁ、だなんて考えているうちに、腹が膨れたからか徐々に眠気が押し寄せてきた。


 風邪で寝込んでいるときに一階から聞こえてくる水道や冷蔵庫を開ける音というのは、なんということもないはずなのになぜか安心をもたらしてくれる。

 それが母さんじゃなくて愛しの幼馴染が俺のために動いてくれている証だっていうんだから、安心もいつもの百割増しってもんだ。


 不規則に聞こえてくる物音が心地よく、意識は無意識のなかにゆっくりと沈んでいく。


 感覚としては、長い長い瞬き。


 次に目を開けると、目を見開いた鮫島が部屋の入り口に立っていた。


 立って、なにか叫んでいた。



「……あぁ、夢か」



 あの鮫島といえど、いくらなんでも家主に無断で不法侵入してきたりなんてするはずがない。だいたい、そこにいるとしたら琴葉だろ。琴葉はどこに—―。


「ちょっと、いくら何でも風邪で弱ってるところを襲うなんて人としてどうなのよ!」

「…………」


 言われもない言いがかりも甚だしい。まるで俺が風邪で弱っている人を襲っているような言い草だ。夢の中とは言え自分が好きな相手のことくらいもうちょい信用したらどうなんだよ、まったく。って、今風邪で弱ってるのは俺の方か。あはは、変な夢――。



「――ち、違うの六花ちゃん! これは襲ってたわけじゃなくて……そう! 同意の上! 同意の上なの! 同意の上だから!」

「…………ん?」


 なにか腹の上から焦った声が聞こえた気がして、俺は目を瞑り、もう一度ゆっくりと開く。



「同意の上だから!」



 そこには――俺の腹の上には、引き攣った顔で眉をぴくぴくと動かしている、やたらと必死な可愛い幼馴染がいた。


「……同意の上だから!」

「いや、聞こえてるわよ」


 変な夢じゃなくて、変な現実だった。


「……あの、琴葉さん。なにしてるんですか」

「なにって、ゆーくんの体を拭いてあげようと」

「して、理性がなくなってしまったのね。佑斗、残念だけどこの子はもうダメよ。諦めて私と駆け落ちでもしましょう」

「……」


 あと、よく見ると俺は上裸だった。


 やだ、ちょっとこの状況恥ずかしいんですけど。というか鮫島不法侵入説濃厚なんですけど。


「っていうか、六花ちゃんなんでここにいるの!」

「そうだぞ。鮫島は知らないかもしれないけどな、人の家に勝手に入ったらいけないんだぞ」


 ひとまず俺と同じことを思ったらしい琴葉に乗っかり、すぐそこに捨てられていたパジャマに袖を通しながら言葉を返す。


 駆け落ち云々に関してはもちろんスルーだ。


「なんでって、佑斗のお母さんから佑斗が風邪で寝込んでるって聞いたからよ」

「あのな、鮫島は知らないかもしれないけどな、家の鍵をこじ開けて勝手に侵入したらいけないんだぞ」

「失礼ね! ちゃんとお義母さんから鍵を預かって、それを使って入ってきたのよ」

「「どさくさに紛れてお義母さんっていうな!」」


 いけない、いけない。つい息ぴったしでツッコんでしまった。


 まあ鮫島が嘘をついているとも思えないし、そうだというのならそうなんだろう。問題はなんで母さんが鮫島に家の鍵を渡したりなんかしたのかだ。


「おい鮫島。騙されやすいおばさんから家の鍵を騙し取るのもダメな—―」

「知ってるわよ! いつまでその流れ続ける気よ!」

「六花ちゃん、お義母さんをお義母さんと呼んでいいのは私だけなんだからね!」

「え?」

「え?」


 ……話が進まない。そもそも何の話をしていたんだっけ。


 お粥を食べ終わって琴葉が体を拭いてあげるとか言って下へ行ってしまって、それから少し眠ってしまって。それで目を覚ましたら俺の上に琴葉、部屋の入り口に鮫島がいた。


 そうだそうだ。鮫島は俺が琴葉に襲われそうになっていると勘違いしていたんだった。


「まあ話はそれたけどさ、さっきのは同意の上だから大丈夫だぞ」

「ぜっ、全然大丈夫じゃないわよ! 私が困っちゃうんだから……。だいたい、高校生であんなこと、不純なんだから絶対だめよ!」


 それはまあ、確かに健全かといわれるとなんともいえないところではあるけれども。


「いや六花ちゃん、さっきのは本当に汗かいたゆーくんの体を拭いてあげようとしていただけで、確かにすやすや眠っているゆーくんの寝顔を見ながらパジャマを脱がせはしたけど、それは寝込みを襲おうとしたとかそういうことでは本当になくて――」

「――それが不純だって言ってるのよ! っていうかなんか本当に襲おうとしてたんじゃないかとも思えてきたんだけど!」


 なんだかいつもよりハイテンションなツッコミ・鮫島と琴葉のやりとりを聞きながら、俺はまた目を閉じる。


 ご飯を食べてまた熱が上がってきたのか頭がぼうっとして、テレビの音が鳴り響く居間で居眠りをするみたいに意識がふわふわと宙に浮かんでいるようだ。


「なんで六花っちゃんに……」

「そんなの……」


 ついさっきと同じように耳から入ってくる声が遠のいていって、意識がゆっくりと海の底にでも沈んでいくような感覚で――。


「――もう、風邪ひいたらちゃんと寝てなよ。熱もそこそこあったんだから」

「……唯か」

「なによ、悪い?」


 次に瞼を開くと今度は琴葉でも鮫島でもなく、唯が冷えタオルを交換してくれていた。


「まったく、琴姉は兄貴のことになるとすぐ周りが見えなくなるんだから。あと六花ちゃんにも今日の所は帰ってもらったよ」

「あぁ」


 ちょうど疑問に思ったことを説明されて、声なのかどうなのかも微妙な音が漏れる。


「……あれ、唯って鮫島と顔見知りだったのか?」

「あー……保育園の頃、よく物陰から兄貴のこと覗いてる女の子がいてさ、それで声掛けたらちょっと話すようになって。それが六花ちゃん。この前琴姉の家で見かけたときには気づかなかったけど、まさかあんなに美人になってるとはね」

「ふーん」


 そういえば唯も鮫島と保育園同じなのか。俺の妹だから当たり前といえば当たり前なんだけど、少し不思議な気持ちだ。


「ちなみに兄貴が小三くらいまで、毎年バレンタインに私の同級生からって言って渡してた匿名のチョコあったけど、あれ六花ちゃんの手作り。いつも兄貴がいない時間に私に渡しに来てた」

「え……」


 いや、それはさすがに初耳すぎる。てっきり陽菜とかからのチョコだと思ってた。自意識過剰過ぎて恥ずかしくなってくる。


 っていうかそんな形で毎年チョコ渡してくるとかどんだけ不器用なんだよ。


「まあ、私は琴姉の味方だから素直に応援とかはできないけどさ、私が六花ちゃんの立場だったら諦めちゃうだろうし、そこまで一途に片想いができるっていうのは正直凄いと思うよね」

「…………」


 柄にもなくしみじみとすごく真面目なことを言って、それから「ちゃんと寝てるように」と俺に釘を刺して、唯は部屋から静かに出ていった。



「……寝るか」



 誰もいなくなった部屋には誰に言うでもなく呟いた俺の声と、祭りのフィナーレらしき花火が打ち上げられた小さな破裂音だけが響いていた。



※作者より

お久しぶりです。作者です。

前話の投稿から長らく期間が開いてしまい申し訳ありません。

私事ながら就職とそれに伴う引っ越しやらなんやらでばたばたとしてしまい、あっという間に三か月が経ってしまいました。

これからもあまり頻繁には更新できないとは思いますが、なんとか続きをあげていこうと考えていますので、何卒お待ち頂けたら幸いです。

今後ともどうぞ本作と作者を宜しくお願いしますm(__)m

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どこにでもあるありふれた幼馴染ラブコメ 鞘月 帆蝶 @chata_fuji

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