アンコール 三兄弟再び

 セント・ポール大聖堂地下からそれぞれの生活に戻り、もうすぐ1週間が経つ。日曜朝の礼拝を終えたサザーク教会は閑散としている。

「こんにちは!」

「いらっしゃいライラ、トニー」


 片づけを終えたマシューが笑顔で迎えてくれる。決して敬虔なカトリック教徒ではないライラだが、今朝はミサに出席して、無事に家へ帰れたことを神に感謝してきた。その帰りに足を伸ばしてロンドン橋を渡り、やってきたのだ。


「トニーは、調子はどうだ?」

「まだ慣れないけど、よくしてもらってるよ」


 自身の行いを正直に話したトニーを、ライラの父と工房の職人たちは快く受け入れてくれた。サザーク教会へ行くのも、テムズ川右岸はあまり治安が良くないからと父は心配していたが、トニーが一緒ならと許したのだ。


「ウィリアムは?」

「あそこ。毎日ああだよ」

 マシューが溜息を向けた先、礼拝用に並べられた椅子に寝転んだまま、ウィリアムはこっちに手を振った。女王の密偵はお払い箱になったらしく、現在住所不定無職。


 するとライラたちの前を女性が三人、通り抜けていく。三人とも修道女の恰好をしていた。

「シェイクスピアさん!お願いがあって来ました」


「え?もしかしてあんたたちも?だからおれはぁ、」

「お願いします!一度だけでいいんです!」

「だからそういうのじゃな———」


「お礼も用意しています。ですからどうかお願いします!」

 と、ワインとパンが入ったカゴを差し出されると、ニートの男は明らかに心動かされていた。


 ———自分好みのイケメンがイケボで甘い言葉を囁いてくれる。そんな魔法をシェイクスピアが見せてくれる。


 アンが親友の修道女に自身の体験を話したのが発端らしい。それに尾ひれ胸ひれがついて女性の間で噂が広まり、連日こうなのだという。


「仕事探しもせずに、教会でやることじゃないだろう?『作品を描くために女の目を見据えて、その目を楽しませる方法を研究してるんだよ』とか言って。これを商売にとっとと出ていけばいいんだ」

 と、憤慨するマシュー。


「あんたたち修道女?禁欲でしょ?」

「安息日に麗しい殿方のお姿で心癒されるのは罪ではありません」

「そうです言葉を聞くだけですもの」

「実際には存在しない方ですから、もしかすると神とはこのようなお姿なのかもしれません」


 反論する隙など与えない修道女たち。諦めたウィリアムは体を起こすとカゴを受け取った。


「あんたたち、アン・ハサウェイって修道女知ってる?」

 三人は顔を見合わせるが、いいえと答える。


「大聖堂以来、アンとは一度も会えていないらしい」

「そうなの?」

 国教会兵団の詰所を尋ねると、既に辞めていて行方は誰も知らないという。


「じゃ三人、5分間だからね」

 ウィリアムが指を走らせると煙が舞い上がり、現れたのは———

「「「キャーーーーーッ」」」


 まるで戴冠式かと思うきらびやかな衣装の長兄エドワード、髪型を整えいかにも貴公子然とした次兄クラレンス、そして三男リチャードだ。

「え、リチャードは人選ミスなんじゃ…」


 さすがエドワードは学習してきたのだろう、「あなたの瞳は満月のよう」とよく分からない例えを披露し、クラレンスは笑顔一つで女性の心をわし掴みにしていく。


 しかし案の定、固まってしまったリチャードは後ずさりする。が、

「あなたの髪、真っ白ですごくキレイだわ」

「え…っ、俺の髪が」

 一人からハートマーク全開の笑顔を向けられ、頬を染めた。


(がんばってリチャード!)

 なぜかライラの拳にも力が入る。


「あなたにとても似合ってる。白い衣もぴったりだし、まるで妖精のような方だわ」

 女性はリチャードの全身を見回して、うっとりしている。


「あ、あぁ…あなたも、その、健康的で、何よりだ」

 ライラがガックリしたのは言うまでもない。


 しかし修道女たちは大いに満足したようで、三兄弟に出口まで見送られ、笑顔で帰っていった。


「リチャード、キサマは愛なき言葉で女をモノにするのが特技ではなかったのか?」

「利用するために演技するのは得意でも、女のハートマークには慣れないんだな?」


 兄二人に言われると、少し口を尖らせる。

「…うるさいな。もう演技など必要ないだろう。そういうのはやめたんだ」


「そうだよな、ありのままでいこうぜリチャード。エドワード兄さんを見習ってさ」

「うむ。僕はそれで余計な争いを色々巻き起こしたが、後悔はないぞ」


「大体、どうして俺がこんなことで呼ばれなきゃならないんだ」

 リチャードが忌々しげに振り返ると、ウィリアムは椅子に座ったまま祭壇の方を見つめていた。明らかに彼らの話は聞いていない。


「どうした、キサマも恋わずらいか?ん?僕に話してみるがよい」

 まばゆい存在感でエドワードはウィリアムの隣に腰かけ、背もたれに腕を回す。肩を抱かれる格好になってもウィリアムは見もしないが、代わりにぽつりと言った。


「アンが好きなのはさ、おれじゃなくてキャラなんだよね」

(うぉ、重っ)

(意外にシリアスね)

 目線で会話するトニーとライラ。するとエドワードが満面の笑みで答える。


「それはつまり、アンを僕に譲るという意思表明だな。よし、では迎えに行くとしよう。馬を曳け弟たちよ!婚礼の準備だ!」

 と、クラレンスと二人で街に出てしまった。


「…迎えってどこ行くつもりだよ。それにあんな格好で目立ちすぎるだろ!ちと待てバーロー!」

 暴走キャラを作者シェイクスピアが猛然と追っていく。トニーはライラと顔を合わせると頷き、その後に続いた。


「リチャードは行かないの?」

「俺は足が悪いから長距離は歩けない。ここで待つ」

 キャラ達は自分の意志で消えられるはずなのに、待つということはしっかり気になっているみたいだ。


 マシューは務めがあるからと戻っていくと、聖堂は二人きりになる。

 さっきの女性は、リチャードを妖精みたいだと言った。ライラには妖精といえばかわいいパックなのでちょっとイメージは違うが、超然として濡れた薔薇のように触れ難く、しっとりとかぐわしい佇まいは、確かに普通の人とは一線を画している。


「なんと言えばよかった」

「え?」


「さっきの、さして美しくもない女に。お前だったらなんと言われたら嬉しい」

「それってわたしがさして美しくもないって言いたいの?」

「そうではない!お前はヨークの血を引いているのだから、あの女とは全然違う。誰よりかわいいに決まっているだろう」


「…ほんと?」

 ライラの顔を見て、大げさでなくリチャードは椅子10脚分は瞬間移動で後ずさる。


「な、ななんでそんな嬉しそうな顔をするんんんだ」

「だって、リチャードがそんなこと言ってくれるなんて思いもしなかったから…」


 それどころか男性からかわいいと言われたのだって初めてである。しかも面と向かって、白薔薇のような元イングランド国王から。

 だめよライラ!これしきでドキドキしてちゃ…


「お、お前なら、こっ公爵でも伯爵でも嫁ぎ先はおお俺が見繕ってやる」

「だから、わたしは王族になんてなりたくないの。好きな相手と結婚するわ」

「誰だそれは。シェイクスピアか?定職にも就いていない男など許さないぞ」


 上がってしまった心拍で後ずさりするのは、今度はライラの方だった。

「ちっ違うわよ!今はいないもん、将来の話!」

 刺すようなリチャードの黒い目。さすが人を欺き続けた王だけあり、人の嘘を見抜くのもお手のものというわけか。


「ライラ、それと…リチャード?」

「ふぁいっ!あ、アン!?」

 飛び上がってから目に入ったのは、見慣れたプレートメイル姿ではなく、地味な色のチュニックにくるぶし丈のスカートのアン。


「アン!今までどこに行ってたの?みんな探してるよ?」

「みんな?」

 そこでアンが、はっと表情を変える。


「リチャードがここにいるということは、まさか表の騒ぎは兄弟の…!」

「騒ぎって…?」

 ライラも嫌な予感がし、二人で扉へ走りロンドン橋の方を見る。


 そこには、さっきよりも大迫力の装いで白馬に跨り王冠を被ったエドワードが、輝くような笑顔で手を振り練り歩いている。珍獣でも見るような人々の目線も、彼には心地よいものらしい。


「アン!アン・ハサウェイはいるか?そこのご婦人、僕の麗しきアン・ハサウェイをご存知ないかな」

「やめてくれ…そんな大声で」

 赤面のアンは拳を震わせながら橋のたもとへ向かう。


「私はここだっ!勝負なら受けて立つ。逃げも隠れもせぬぞ!」

 今日は剣も無いのに、堂々と仁王立ちで言い放った。


「おぉ、勇敢にして薔薇の爽やかな朝露に黄金なす朝日のアンよ。我が誓いは地上のものにして、きみの愛は天上にあり。僕はきみの為ならどんな愚か者にでもなろう。しかし、今日の相手は僕ではないのだ」


「アン~、どっ…どこ行ってたんだよぉ…ずーっと探してたんだぞぉ…?」

 エドワードの行幸に市中引き回されて頭はぐっちゃぐちゃ、息も絶え絶えのウィリアムがヨタヨタと前に出る。


「すまないウィル、その———」

「あのさ…。おれは歳下だし仕事ないし金もないし、ビビリだし甲斐性もない。アンがおれのことなんか見てくれなくても仕方ないと思う」


「ウィル、だから———」

「けど、アンが一緒に居てくれたら、たとえ望まない結末が待っていたとしても、きっとハッピーエンドに変わる。そしておれはアンにもそうしてあげたい」

 いつの間にかトニーもマシューも、全員が手に汗を握り見守る。


「アンを幸せにする為ならおれは何でもする。劇作家を諦めたっていい」

「それは絶対に駄目だ!」

 即座に否定して、それからアンは少しはにかむ。


「ウィルが最高の劇作家になって、たくさんの人を楽しませることが私の夢なのだ。だから、住む場所を探して、働き口も見つけてきた。私が働けばウィルは創作に没頭できるだろう?時間がかかってしまい済まなかった」

 言葉が出ないウィリアム。


「ビビりだって構わない。私が守ってみせる。それに、私はウィルの物語を側で見たいのだ。誰よりも最初に」


「もちろんいいとも!」

 その声はウィリアムではなく、感動して涙を浮かべるエドワード。

 いや、そこ入ってきちゃダメでしょう!しかしお構いなし。


「恋はまず女の目から教えを受けるもの。それは疾風のように素早く全身の器官に行きわたり、二倍の力を与えるのだから。女の目は本であり学問であり、人生を示し、含み、養うものだ。これ以上に優れたものなどない。だからキサマは一生アンの側にいるべきだ」


「そこは兄さんの口からじゃなくて本人に言わせなきゃ…」

 ってリチャードにまで突っ込まれている。


 しかしウィリアムがアンの手を取って、そのままキャラたちをほっぽらかし教会を出て行った。


 どうだ、僕のおかげだろうとドヤ顔のエドワード。

「恋はとかく、みっともないことをさせるものだからな。では僕たちも帰るとしよう」


 そんな鼻高々、顎長々の兄にすかさずクラレンス。

「その言葉、兄さんの人生そのものだよな。リチャードもライラに会えて良かったじゃん。もう一度会いたいって言ってたもんなっ」


「…っ!また酒樽に浸かりたいみたいだな、クラレンス兄さん」

 リチャードは背を向けたが、最後にちょっとだけライラを振り返り、足元から煙に包まれて消えた。


「わたしも同じよ、リチャード」

 ライラは小さく微笑む。

 隣でやれやれとトニーはため息混じりで、マシューに呟く。


「結局俺が走ったのは無駄だったわけ?」

「まあ、収まるところに収まったんだからいいじゃないか」

「とか言いながら、ウィリアムが出て行って本当は寂しいくせに」

「どうしてそうなるんだ」

 

 たとえみっともなくても、ウィリアムは確かに想いを伝えたのだからおめでとうと言いたい。

「アンとなら、きっと夢が叶うよね」

 ロンドンは今日もすっきり晴れない曇り空。恋とは、こんな色なんだろうか。


「よし、わたしもイケメン探しに行こうっと!」

「えぇ!?ライラちと待てって!」

 焦るトニーを置いて、ライラはクスクス笑いながら駆け出した。




※『恋の骨折り損』

ナヴァール王ファーディナンドと三人の貴族は、学業に打ち込む為三年間の禁欲生活を誓い合う。折しもそこへ外交使節として訪れたフランス王女に、王は一目惚れ。三人の貴族も侍女達に恋してしまう。誓い破りのラブレターが次々に発覚し、ついに「恋こそ生きた学問だ!」と全員開き直っての仮面舞踏会。やっとお楽しみかと思いきや、祖国フランスから父王の訃報が届き、恋の成就は一年の喪に服してからと女性陣はあっさり帰国してしまう。


禁欲シスターズ+アン VS 魔法の世界に帰ってしまう三兄弟+ウィリアム でやりたかったのですが、全然違う方向に…。ちくしょう…とりあえずウィルとエドワード、そこ座れや。


※長くなってしまったのでセリフ引用元は割愛します。主にエドワードに言わせています。

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シェイクスピアの肉1ポンド 乃木ちひろ @chihircenciel

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