ながみみせんせいとわたし

南澤まひろ

ながみみせんせいとわたし

 気付いたら、そう見えていた。


「経過は順調ね。最近は学校からも連絡が来ないし」

「先生のおかげです。いつも、しっかり診てくれるから」

「私は手助けをしただけ。あなたの身体が、健康に成長している証よ」

 向かいの椅子で、先生がにっこりと笑う。

 ちょっと眠たげな目がかわいくて、長い黒髪をまとめた三つ編みが白衣に似合っていて。

「吸入用の薬は……3ヶ月前か。じゃあ、新しいのを出しておくね」

「古くなったのは使わないように、ですよね」

「そうそう」

 うれしそうにうなずくと、髪の横から耳がのぞく。

 それは、人のものとは少し違うとがった耳。

「最近、他に具合が悪いところはない?」

「今のところは、特に」

「本当に?」

「本当です」

「本当?」

 少し目をそらしてごまかせば、その長い耳がぴくりと動いて。

「本当ですって」

「何も隠してない?」

「隠してません。……最近、ごはんがおいしすぎるぐらいで」

「あー、食べ過ぎちゃったかー」

 苦笑いして首をかしげれば、へにょんと耳がたれて。

「その、朝ごはんを抜こうとしても、お母さんが許してくれなくて」

「逆にバランスが崩れるから、ごはん抜きはダメ。食べ過ぎって、どのぐらい食べてるの?」

「お茶碗半分だったのが、今は一杯まるっと食べるぐらいですね」

「ぜんぜん普通じゃない」

 くすくすと笑えば、合わせるように耳が揺れて。

「そうですか?」

「今までが食べなさすぎだったもの。それもまた、健康の証よ」

「じゃあ……喜んで、いいのかな」

「いいのいいの。しっかり食べなさい」

 そして、力強くうなずいたあとには耳がぴんと張る。

 そのどれもがかわいらしくて……でも、いつからそう見えたのかはよくわからなくて。

「あとは……」

「あとは?」

「……いえ。気にすることでもないので」

「いいの?」

「はい」

 聞くのが怖かったわたしは、問いかけを引っこめた。


 * * *


 小さい頃から、わたしは呼吸器が弱かった。

 空気が悪くなったり、少し走ったりすると息苦しくなって、部屋のふとんで一日中うずくまることもあった。

 ずっとぜえぜえ言いながら『小学校へ行けるのかな』『進級できるのかな』って、あきらめそうになったことも少なくない。

 そんなわたしを救ってくれたのは、小さい頃にお向かいへ引っ越してきたお姉さん。

 先生がこの小児診療所を開いていなかったら、きっと今のわたしはいなかった。


 わたしがこの診療所へ連れられてきた日のことは、よく覚えている。

 肺に届く空気が少なくて苦しんでいたわたしをお父さんが抱えて、まだ生まれたばかりの弟を抱っこしたお母さんが、すがるようにして先生へお願いしていた。

 ごはんも食べられなくて軽かったわたしを、先生はそっと抱えて背中をなでてくれて……それから、少しだけのどの緊張がゆるんで。

『楽になったら、わたしの手をにぎってね。このお薬をぷしゅってするから、すーっと吸い込んで』

 落ち着かせるような優しい声に、わたしは自然と手をにぎっていた。

 それからは、わたしの毎日が少しずつ変わっていく。

 保育園へ通える日が多くなって、小学校へ通えて、遠足へ行って。絶対無理だって思った修学旅行にも、中学で行くことができた。


 あっという間に10年経って、今は高校2年生。17歳になっても、もっと元気になっていく真っ最中。

 走るのは苦手だし薬も手放せないけど、少し長く歩いても、冬の乾いた日でも、前みたいに動けなくなる日はぐっと減った。

 先生がいなかったら、今のわたしはいない。

 だから、それを壊すのはとても怖くて……


「……やっぱり、『エルフ』だよね」

 部屋に戻って、本棚から一冊のラノベを取り出す。

 表紙に描かれているのは、手のひらに光を溜めているドレス姿の女の子。長い金色の髪からは、先生と同じ長くとがった耳が飛び出していた。

 ヒーラー――癒やし手のエルフが、師匠と慕う魔法使いの男の子と世界を旅していく。

 エルフはとても少ない貴重な種族で、正体がバレれば捕まりそうになって、逃げることも少なくない。それでも理解してくれる人が増えていって、世界を覆う疫病へと立ち向かっていく冒険物語。

 まだ休みがちな小学5年生に買い始めた物語は、表紙の端が毛羽立つぐらいに何度も、何度も読み返している。


 先生の耳がとがって見えたのは、結構前から。

 中学校の卒業前に風邪をこじらせた時には、ベッドで眠るわたしをのぞき込むたびに長い髪からぴょこぴょこ耳が飛び出てたし、それからはずっとはっきりと見えていた。

 何度も聞いてみようとは思ったけど……やっぱり、怖い。

 もしも、聞いてみたことで先生が――


「ねーちゃーん」

「ひっ!?」

 そう思った瞬間、コンコンと叩かれたドアの音で背筋が凍る。

 あ、あいつめ、なんでこんなタイミングで!

「な、何よっ」

 あわててドアを開ければ、わたしより背が小さい男の子が心配そうにのぞき込んできた。

「何って、今日は病院だろ? 結果はどうかなって」

「心配してくれたの? 大丈夫、異常なしだよ」

「ほんと? よかったぁ」

 ほっとしたように笑うこの子は、わたしの4つ下の弟。

 部活のサッカーで転んでほっぺたにばんそうこうを貼ってるわ、笑って見せる前歯の一本は折れてるわで、典型的なやんちゃ坊主。でも、こうしてわたしを気づかってくれる優しい子だったりもする。

「そんなに心配しなくていいのに」

「だって、もうすぐ冬じゃん。去年はよかったけど、今年もそうとは言えないし」

「最近はずっといいんだから。平気平気」

「じゃあ、先生からは?」

「先生も、ちゃんとごはんを食べて規則正しく生活すれば大丈夫だって」

「ふーん……まあ、プロが言うならそうなのかな」

「あんたも、ずいぶん先生のことを信頼してるのね」

「ねーちゃんの命の恩人で、オレの先生なんだから当然じゃん。隠し事とかして、先生を困らせるなよ」

「わかってるわよ」

 ぴしゃりと釘を刺されて、ただただ苦笑い。

 サッカー大好きな弟も、前歯が折れて口の中が切れたときに縫ってもらったり、転んで骨を折った時も家まで来て診てもらったりと、先生にはとてもお世話になっている。

 そりゃあ、先生のほうを信頼して当然か。

「そうだ、これを返しに来たんだった」

 そう言って弟が手渡してきたのは、今わたしが持ってるラノベのコミカライズ版。この間オススメを聞かれて、5巻まで渡したんだった。

「ちゃんとキレイに読んだわね。感心、感心」

「折ったらヒドい目に遭うからな。あと、すっげー面白かった」

「でしょ? わたしのとっておきだもの」

「姉ちゃん、昔からこういうが大好きだったもんな」

「まあね」

 小さい頃のわたしは本の中が世界だったのは、弟もお見通し。触れるときも、こうして軽く気を遣ってくれる。

「それじゃあ、また何かあったら貸してくれな」

「うん。オススメも探しておくね」

 軽く手を振ると、弟も軽く手を振ってドアを閉めて出いった。

 そして、わたしの手には原作のラノベとコミカライズ本。

 ……せっかくだから、またイチから読み直そうかな。

『エルフ』のこと、もうちょっとよく知りたいし。


 * * *


 先生についての当たりは、たくさんある。

 子供が病気になったら『まずはあの診療所へ』が近所の合言葉だし、診療所の設備で手に負えないときも、しっかり診てから症状に合った病院を的確に紹介してくれる。

 何よりも、あんなに苦しんでいたわたしがここまで元気になれた。

 先生が背中に触れるたびに、胸まであたたかくなってとても楽になって。今でもいろんなアドバイスで、元気になる手助けをしてくれる『癒やし手』そのもの。

 最初は気のせいって思うようにしてたけど、あの耳が見えてからはそうも言っていられない。

 だからって、直接聞いたりしたら……このラノベのエルフみたいに、どこかへ行っちゃいそうな気もする。

 だから、このことはわたしの中で……


「ふふっ、どうしたの?」

「えっ」

 ぼーっとしていたわたしの意識が、先生の声で覚める。

 くすくすと笑う先生の服装は、水色のワンピースに白いカーディガン。その手にはたくさんのぬいぐるみが入った紙袋があって、ウェーブがかった長い黒髪の横からは長い耳がぴょこんと出ていた。

「あの、いつも白衣だから、私服姿って珍しいなって思って」

「そうね。あなたと会うときは、ほとんど白衣だものね」

 夕暮れの商店街を歩く先生は、どこか幻想的で。

 だけど、いつもの優しい声はやっぱり現実で。

「今日はお買い物ですか」

「ええ。あなたは学校帰り?」

「はい。部活でちょっと遅くなりました」

「部活かあ。確か、文芸部だったよね」

「そうです。今日は新入生向けの部誌の打ち合わせでした」

「部誌っていうことは、あなたも書いてるの?」

「書いてます。その……ちょっとした小説とか」

「昔から、そういうのが好きだったものね」

 わたしが話す日常のことに、にこやかな笑顔でこたえてくれる。

 覚えていてくれるのはうれしいし、笑うと耳がたれ気味になって、とても可愛らしい。

 ……やっぱり、言わなくていいか。

「そのぬいぐるみは、またゲーセンでですか?」

「わかる? 今日も大漁だったのよ」

 余計なことで、この時間を壊したくはない。

 だから、いつもどおりにおしゃべりをすることにした。

「待合室のぬいぐるみ、子供が遊ぶとぐちゃぐちゃになっちゃいますからね」

「そうなの。でも、これでまたしばらくはもつかな」

「クレーンゲームだと、安く済むんですか?」

「うん。コツがあって、山を崩せば1回で3、4個は落ちてきてね――」

 少し自慢げで、それでいてうれしそうな先生。

 表情が変わるたびに耳がぴこぴこ動くけど、気付く人まわりにはいない。

 もしかしたら、わたしだけがこういう風に見えているのかも。

 別に、他の人には見えなくたっていい。わたしだけの特権だって、そう思って――

「――さんっ!」

「え」

 おこうと思ったところで、先生の叫び声が割り込んでくる。

 それからすぐに、ぐいって引っ張られて――

「きゃっ!?」

 猛スピードで走る自転車が目の前を過ぎ去っていって、

「あぐっ!!」

 倒れ込んだわたしの腰に、鋭い痛みが走った。

「いたたた……」

「大丈夫!?」

 腰を押さえると、先生がのぞき込んでくる。

 目の前には横断歩道があって、信号は赤信号で……もしかして、もう少しで事故に?

「す、すいません。ぼーっとしちゃって」

「どう?! 痛いところはない?」

「あはは、平気です。平気で……あいたっ!!」

「ほら、やっぱり!」

 手をついて立ち上がろうとすると、電気が走るような痛みが腰に走る。

 これは……もしかして、やっちゃったかな。

「今は動いちゃだめ! ゆっくり、ゆっくり深呼吸して」

 痛みで力が抜けたところで、わたしの腰に先生の手があてられた。

 それだけでも痛みが走るけど、言われたとおりになんとかゆっくり深呼吸していく。

 吸って、吐いて。吸って、吐いて。

 深い呼吸に合わせるように、わたしの腰を優しくなでてくれる。

 横目で見れば、目を閉じた先生が小さい声で何かをささやいていた。

 行き交う車の音と、日本語とは違う言葉で何を言ってるかはわからない。だけど、わたしが息を吐くたびに痛みが少しずつ和らいでいく。

 もしかして……呪文?

 そう思った瞬間に、痛みがぬくもりへと変わっていった。

 小さいころ、消えそうなわたしの命を助けてくれたぬくもりへ。

 あのとき先生が守ってくれた、優しいぬくもりへと。

「どう? 大丈夫?」

「は、はい」

「立てる?」

「どうでしょうか……」

 言われたとおりに、アスファルトに手をついて立ち上がろうとしてみる。

 さっきの電気が走るような痛みが怖くて、おそるおそると。

「いたたた……あれっ?」

 でも、痛いことは痛いけど、鋭い痛みはやってこない。

 どっちかというと、じんわり鈍い痛みが残ってるような……立ち上がれることは立ち上がれるような、そんな痛み。

「よかった。たいしたことはなかったみたいね」

「はあ」

 うれしそうに笑う先生が、腰にあてていた手を肩へぽんっと置いた。

 その肩にも、さっきのぬくもりが伝わってくる。やっぱり、さっきのぬくもりは先生の……

「まったくもう。ふらふらーって行って、ほんとびっくりしたんだから」

「ごめんなさい。話しながら考えごとをしちゃって」

「次からはちゃんと気をつけること。無事におうちへ帰らないと、ご両親や弟くんが心配しちゃうでしょ」

「わかりました……」

 わたしの戸惑いをよそに、先生は軽くしかってくれたり、たしなめたりしてくれる。

 そのたびに長い耳はぴんっと張ったり、不安そうにたれたりして……やっぱり、かわいい。

「念のために、ちゃんと診ておきましょうか」

「だ、大丈夫です。大丈夫ですってば!」

「見た目だけじゃわからないでしょ。レントゲンとか、しっかり見ておかないと」

「だけど、先生はお休みで――」

「お休みだからって、ケガした子を見捨てるわけにはいきません!」

 遠慮するわたしを、先生がきっぱり切り捨てた。昔からやるって言ったらやる人だから、これ以上言っても無駄なのはわかってる。

 わかってるけど、それなら……

「わかりました。でも」

「でも?」

 小さく首をかしげれば、ちょこんとたれる先生の耳。

 もう、我慢できない。

「わたしも、色々聞かせてください」

 その耳へと、そっと手を伸ばして――

「ふぇやっ!?」

「この耳のこととか」

 そのとがった耳の先に、そっと触れた。

「な、なにっ、私の、みみっ?」

 触られた先生はものすごく動揺して、わたしの手を外そうとしたけど、

「えっと……さきっぽ……」

 その手に、自分の長い耳が触れていることに気づいたみたいで、

「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 交差点に、かわいい絶叫が響いた。


 * * *


「えっと、これで大丈夫かな」

 背中越しに、戸惑うような先生の声がきこえてくる。

「んっ」

 続いて腰へ広がるのは、ひんやりとした感触。真ん中に湿布を貼ってくれたみたいで、ハッカみたいなツンとした香りが漂ってきた。

 とても気持ちいいけど、残っていたぬくもりが消えそうだから……少し、残念。

「ありがとうございます。先生の魔法のおかげで、この程度のケガで済みました」

「なっ、なななななっ、なんのことかなっ!?」

 ブラウスを直してから回転イスで振り返れば、顔を真っ赤にした先生が目をそらした。

 長い耳もぱたぱた震えてるし、とってもわかりやすい。

 パニック状態の先生をなんとか診療所へ連れて行って、治療が終わった頃にはもう夕暮れ。

 診察結果は良好で、念のためのレントゲン検査も異常なし。そうしてホッとしたところで、先生はまた挙動不審になっていた。

「…………」

「どっ、どうして見つめるの?」

 両手で顔を隠しても、長い耳はぴくぴくしたまま。

 不規則に揺れる耳が、とってもかわいい。

「…………」

「あのー……なにか、言ってほしいかなーって」

 困ったように言えば、耳がへにょんとたれる。

 先生の心が、そのまま耳に伝わるのかな。かわいい。

「…………」

「言ってよぅ……」

 消えそうな声もかわいいし、真っ赤な耳もかわいい。

 こうしてじっと見れば、かわいくてかわいくてたまらない。

「…………」

「……いつから、気付いてたの?」

 陥落した姿も、本当にかわいい。

 さすがに、そろそろ応えたほうがいいよね。

「中学校の卒業前。風邪をこじらせて、泊まり込みで診てもらったあたりからです」

「そんなに前から!?」

「はい。熱がひいてたときには見えてました」

「ええっ!?」

 ショックを受けっぱなしの先生が、長い耳を震わせながら机の上の鏡をのぞき込む。

「でっ、でもっ、鏡だとちゃんと丸い耳なのに!? どうして!?」

 先生が言うとおり、鏡に映る姿はわたしたちと同じ丸い耳。だけど、直接目で見る耳は長くとがって、先っぽまで真っ赤だった。

「あの、先生。魔法か何かでそうしてるんですよね?」

「そこまで知ってるの!?」

「いえ、たぶんそうかなって。あの日も、先生はわたしに魔法をかけてくれましたよね」

「え、ええ、そう……だけど……うう」

 言ってから、しまったっていう感じで表情が曇る。やっぱり、秘密だったんだ。

「わたしの病気も、さっきのケガも、ずっと。その魔法が、わたしを救ってくれんですよね」

「救ったんじゃなくて……最終的には、あなたの命が持ちこたえたのが大きかったんじゃないかな」

「わたしの、命?」

「私の魔法は、人の中で眠る命の力を呼び覚ますものなの。日本の薬にも手助けをしてもらっていたから、私のはあくまでもきっかけでしかなくて」

 自分の力じゃないって言いたいのか、先生の口調はぎこちない。

 だけど、そんなことはどうでもよかった。

「でも、先生のおかげには変わりないじゃないですか」

「それは……」

「ありがとうございます。先生のおかげで、わたしは今日もこうして元気でいられます」

 これまでお世話になってきた中で、初めてしっかりとお礼を言う。

 先生が、元気をくれたから。

 大切な魔法で、わたしを助けてくれたから。

「怖く、ないの?」

「何がですか?」

「私、人間じゃないんだよ? 変だって、思ったりしないの?」

「先生は、先生です」

 少し不安げな先生へ、きっぱりと言う。

「たとえエルフだとしても、先生はわたしの恩人です」

「そこまで気付いて……」

「えっと、そっくりなんです。よく読む小説に出てくる、癒やしの魔法を使うエルフの女の子と」

「え」

 今度は、長い耳をぴくんと揺らして固まる。

「わ、私のこと?」

「さすがにフィクションですよ。それに、エルフが出てくる小説とかマンガはたくさんありますから」

「たくさん? 日本はいつからそうなっちゃったの!?」

「先生、ゲーセンに行くのに知らないんですか?」

「私はクレーンゲーム専門だもん!」

「たぶん、日本だけじゃなくて世界的にです」

「世界規模? ウソでしょ!?」

 ついには頭を抱えていやいやと振りだした。先生、そういうサブカルの知識はなかったんだ。

 いつも優しくてほわほわなお姉さんだから、あたふたする姿はとってもかわいい。

「あくまでも想像ですけど、先生がたくさん魔法をかけてくれたことで本当の姿が見えたのかなって、そんな気がします」

「ううっ……ホントにそうみたいで何も言えない」

「だから、さっき治してくれたときに確信したんです。先生は、エルフなんだって」

「……ええ、そうよ」

 観念したように、先生が苦笑いを浮かべる。

「まさか、バレるなんて思ってもいなかったなぁ」

「やっぱり、秘密だったんですね」

「当たり前じゃない。とは言っても、昔の師匠にそうしろって言われたんだけどね」

「お師匠様がいたんですか」

「ええ」

 わたしの問いにうなずくと、思い出そうとしているのか、先生が目を閉じる。

「国のために、王家のためだけに働けって言われるのが嫌でこっちへ逃げ出して、今で言う北海道の村でお世話になってね。人の中で暮らすなら、まずはそうしろって言われたの。

 それから仮の姿をつくって、師匠に医療のことをたくさん教えてもらって、腕を磨きながらここへ流れ着いたってわけ」

「じゃあ、日本にはずっと前に?」

「120年ぐらい前かな。それから、いろんなところをずーっと巡って」

「ひゃく、にじゅうねんも……」

 なんでもないみたいに言うけど、とんでもない。

 120年って、まだ大正時代とか明治時代とか、そのあたりからだよね? ずーっと日本で過ごしてたなんて想像もつかないし、それに、巡っていたってことは……

「それじゃあ、またどこかへ行っちゃうんですか?」

「えっ?」

「この街から、いなくなっちゃうんですか?」

「ど、どうして?」

「だって、先生の正体を知っちゃって、本当はそれじゃダメだってことは」

 言葉にしていくにつれて、心の温度が下がっていく。

 先生が、いなくなる。

 先生と二度と会えなくなることを想像しただけで、わたしの心は冷えて、身震いするぐらいに痛くなって……

「あの、絶対誰かに言いませんから。ずっと、わたしだけの秘密にしておきますから」

「あ、あのね、ちょっと待って」

「でも」

 スパイラルが止まらないわたしの両手を、先生がとって、

「私、いなくなったりしないよ?」

「えっ?」

 諭すように言われただけで、心の痛みは止まって。

「だって、まだまだあなたのことが心配だし、弟くんもよくケガしたりしてるでしょ?」

「そ、それはそうですけど」

「診ている子たちもたくさんいるし、せっかく構えた私の診療所だもの。見た目は魔法でどうにかできるんだから、今すぐどこかへ行ったりはしないわ」

「本当に、ですか?」

「ほんと」

 短く柔らかい約束で、凍えかけた心をほどいてくれる。

「私の初めての患者さんを、ずっと見守っていたいしね」

「よ、よかったぁ」

 先生の優しい声色で、わたしの身体から力が抜けていった。

 大きくため息をつけば、先生はにこにこと笑って見守ってくれて……ううっ、恥ずかしい。

「思い込みだったみたいで……すいません」

「いいのいいの。そっか、だからさっきは私の顔を見てボーッとしてたのね」

「ほんっとーにお恥ずかしい限りです!」

「それで事故に遭ったら台無しでしょ。ご両親や弟くんを、悲しませたら絶対にだめ」

「ごめんなさい……」

「せっかく元気になれたんだもの。これからも、元気な姿を見せてね」

「わかりました」

 厳しいけど優しい先生からのお説教に、深くうなずく。

 先生が助けてくれた命を無駄にしないためにも、ちゃんと元気に過ごしていこう。

「でも、やっぱり私がエルフっていうことは秘密にしてくれないかな」

「もちろん。わたしと、先生の間の秘密っていうことで」

「うん、そうしてくれると助かる」

「じゃあ、最後にひとつだけ。わたしからも、お願いしていいですか?」

「なに? 私にできることだったらいいわよ」

 軽く切り出してみたら、先生も軽いノリでのってきた。

 全部の問題がクリアになったことだし、一気にダメモトで。

「ちょっとだけ、先生の本当の姿をみせてください」

「えっ」

 今度は、意外そうな表情で先生が固まった。

「ど、どうして?」

「今書いてる小説って日本で暮らすエルフのことだから、その参考に」

「ま、まさか、私のこと!?」

「違います! あくまでもイメージで、先生じゃありません!」

「本当?」

「本当ですって。保健室の先生なエルフの女の人と、助けられた男の子のラブコメで」

「近い! 職業とか立場とかすっごく近い!」

「それでも先生じゃないんです! 本当なんです!」

「それじゃあ、私にもその小説を見せてくれる?」

「え」

 せ、先生に、わたしの小説を!?

 そう聞かれたら、わたしも固まるしかないって!

「私の秘密とのとりかえっこで、ね?」

「う、うーん」

 秘密のことを出されたら、今度はこっちが弱い。でも、まだ先生に見せられないし――

「カメラで撮ってもいいから」

「ううっ」

 それはすっごく魅力的! 魅力的だけど、それでも!

「なんだったらいっしょに自撮りをしてもいいから、ね?」

「よろしくおねがいします!」

「そう来なくっちゃ」

 陥落したわたしへ、先生が耳を揺らしながら笑いかける。そこまで言われたら、ダメって言えるわけがないじゃない!

「ふふっ。久しぶりだなぁ、本当の姿に戻るなんて」

「そうなんですか?」

「何年かに一回、こっそり里帰りするときだけだから」

「じゃあ、日本で先生の本当の姿を見るのは」

「お師匠様と村の人たち以来だから、この時代だとあなたが初めてね」

「初めて……」

 言われて、照れそうになる。

 ふたりだけの秘密なのもそうだけど、この時代で初めてなのがとても嬉しくて。

「それじゃあ、見ててね?」

「はい」

 わたしがうなずくと、先生は両手を胸元へ当てて息を吸い込んだ。

 そのまま深い呼吸を数回繰り返したあと、小さく口を開いた次の瞬間、先生の姿が淡い光に包まれていく。

 その光が晴れたあとの先生の姿は、いつもとは違っていた。

 ウェーブがかった長い銀色の髪と蒼い瞳に、少しだけ朱が差した白い肌と長くとがった耳。

 水色のワンピースと白いカーディガンに、いつもと同じちょっとぶかぶかな白衣。

 ファンタジーと現実が混ざった姿は、とても不思議で。

「やっぱり、すっごくかわいいです!」

「もうっ、結局はそれ?」

 くすりと浮かべる笑顔は、新鮮だけどいつも通り。

 普段の先生も、こっちの先生も、どっちもきれいでかわいい。

 やっぱり、先生は先生だ。


「あの、先生」

「うん?」

 だから、こっちの姿の先生にもちゃんと言っておこう。

「これからも、よろしくお願いします」

 ここにいるって言ってくれた先生へ。

 わたしを助けてくれたエルフの先生へ、ちゃんとしたあいさつを。

「これからも、よろしくお願いします」

 いつもの笑顔で応えてくれる、大好きな先生へ。













「ただいまー」

「おかえりー。って、ちょっと、あんたまたケガしてきたの?」

「うん。病院で先生に見てもらって、軽い打撲だって」

「もう、先生もいい加減迷惑してるんじゃない?」

「そんなことないって! ……で、それで、だけどさ」

「うん?」

「その、先生が……」

「先生がどうしたの?」

「なんか、ねーちゃんから借りたマンガみたいに、耳が長く見えたんだけど……」

「……あちゃー」

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ながみみせんせいとわたし 南澤まひろ @m_minamizawa

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