Chap.3-3
一緒だったはずのユウキとリリコさんがいない。悲鳴が聞こえたのは廊下からだった。チャビの手をぎゅっと掴んで、キッチンを出る。
廊下でユウキとリリコさんが抱き合っていた。
「どうしたんですか?」
「もういい加減バカバカしいから、さっさとブレーカー上げようと思ったのよ。そしたら……」
「短髪口ひげで、メガネをかけたゲイの幽霊が、洗面所の鏡に映ってたの!」
洗面所の方を指差しながら、ユウキが悲鳴に近い声をあげる。
「何でそんな具体的な見た目がスラスラ出てくるんだ?」
「だってハッキリ見えたんだもん。ぼく、きっと霊感があるんだ……」
「そもそも見た目だけでゲイかどうかはわからないだろ」
「え? わかるよ、だいたい」
「それは霊感とは別の能力でしょ。ゲイなら誰にでも備わるスキルね。いい加減にしてちょーだい。あんたがビックリする声で、こっちまで寿命が縮まるわ」
街ですれ違っただけで、お互いにそれとなくわかる。ファッションセンス然り。チラチラと目が合うとか。先日の新宿東南口での待ち合わせを思い出した。僕にもそんな能力が備わり始めているのかもしれない。霊感ではなく、察知能力だろうが。
「ねえねえ、いっぺいくん」
やれやれと思っていると、チャビに袖を引っ張られた。
「ん?」
「開いてるよ」
チャビの太くて短い指が差す先。玄関を入って正面がチャビとユウキの部屋なのだが、その左手の部屋の扉が開いていた。リビングとは正反対になる。
「タカさんの部屋だ……」
それはあまり見かけない光景だった。違和感と言ってもいい。ルームシェアをしている僕らは、自分の部屋の扉を開けっぱなしにすることはほぼない。自分のいないときなら尚更だ。みんなに気を使わせないようにするちょっとしたマナーかもしれない。僕がさっきブレーカーを入れたとき、タカさんの部屋の扉が開いていたら気がついたはずだ。部屋から淡い月光が漏れ、暗闇の廊下を青白く照らしていた。
「誰か……いるの?」
リリコさんの問いかけに、部屋の向こうから返ってくる声はない。
皆が躊躇している中、チャビがスタスタとタカさんの部屋に入ってしまった。あまりに自然だったので、誰も止める声が出なかった。僕らもタカさんの部屋へ恐るおそる続いた。
「誰もいない」
他の部屋と比べるとこじんまりとした小さな四畳半。本棚と作りつけのクローゼット。本棚の横に黄ばんだカレンダーが貼られている。ベージュのカーペットが引かれ、月明かりの差しこむ西側の窓際に折りたたみ机がある。ノートパソコンと古ぼけた卓上用の目覚まし時計が置かれていた。部屋が小さいのでベッドは場所を取るのだろう。クローゼットの戸を塞ぐように布団が畳まれていた。綺麗に整頓された、いたって普通の部屋。チャビだけが興味深そうにきょろきょろ部屋を眺め回していた。
「何よ、本当に誰もいないじゃない。一平、さっきも扉開いてたんじゃないの?」
リリコさんが言う。
「そうですね。もしかしたら、気がつかなかったのかな……」
指先で目元をポリポリと掻く。
「さあ、幽霊なんてやっぱりただの噂よ! さっさとブレーカーを上げましょ」
気を取り直したようにリリコさんが言う。
「いや、ユウレイはいるよ。この部屋にも、リビングにも……そこかしこに! ぼく感じるんだ。あぁ、感じるよ。この世のありとあらゆる霊達が、このマンションに集い、渦巻いているのが!」
ユウキが両手を広げて、急にスピリチュアルなポーズをした。
ため息をつく。
この間の勘違いデートで一緒に観た映画『ゴーストバスターズ』の影響をずいぶん受けていると思われる。
玄関から、ガチャガチャとドアの鍵をいじる音、続いて「あれ……あれ?」と声が聞こえ、パッと明かりがついた。急に明るくなって目がくらんだ。
「どうしたんだ、みんなそろって」
「タカさん!」
ユウキが言う。
「ご、ごめんさい! 勝手に部屋に入ってしまって」
僕はとっさに頭を下げていた。そっと部屋から退散しようとしたリリコさんの首根っこをつかむようにして、タカさんがリリコさんを引き戻した。
「どういうことか、説明してもらおうか? 俺の部屋で何してんだ?」
「べ、別に。大したことじゃないわよ。電気の使い過ぎでブレーカー落ちちゃったの。上げにきたらタカの部屋の戸が開いてたから、どうしたんだろうと覗いただけよ」
若干、しどろもどろになりながらリリコさんが言う。
「あ、そうなんだ? もっと契約ワット数上げた方がいいかね。五人で住んでいれば、電気量も高くなって当然だしなあ。どうせまた、リリコがドライヤーを使ったんだろう? あれ使うときは気をつけろと言っているのに」
タカさんは、ヤシの木模様のアロハシャツの胸元をパタパタと動かした。
「それにしても蒸し暑くないか、家のなか」
「エアコンのリモコンがどっか行っちゃったの。タカさん知らない?」
思い出したように、ユウキがきょろきょろとする。
「リモコンはいつも同じ場所に置こうって言ってるのに。少なくても俺の部屋にはないだろ。持ち出す理由がないんだから、リビングのどこかだろ?」
タカさんに自然と促され、皆ぞろぞろとリビングに向かった。
何かがスッキリしない。
リビングの戸口に立ち、僕はタカさんの部屋を振り返って首をかしげた。
「やっぱりこの部屋に幽霊はいないのかなあ」
ユウキがぼやく。
「幽霊? 何の話だい?」
タカさんに事情を説明した。
「事故物件に、幽霊かあ……うーん、いるかもしれないなあ」
「え?」
ユウキが硬直する。
タカさんが虚ろな目で遠くに視線を向けた。
「つい数日前だ。店から帰ってきてリビングで本を読んでいたら、ついソファでうたた寝してしまってね。どのくらい寝てしまったのか……そのうち耳元で『クルシイ……クルシイ……』て声が聞こえて、目が覚めたんだ」
「本当に?」
ユウキが自分の両腕を抱えて身震いをした。
「ああ、本当だよ。そっと目を開けたら……酔っ払ったリリコに『二日酔いのクスリくれ』と言われたんだ。怖いだろ?」
「もう、タカさんまで! からかわないでよー! 結局、この部屋の霊現象のほとんどは、リリコ姐さんの仕業じゃん」
ガックリとユウキがうなだれる。
「ハハハ」とタカさんが笑う。
「勝手に人をバケモノ扱いしないでちょーだい」
リリコさんが肩をすくめる。
「それにしても、結局、エアコンのリモコンはどこいっちゃったのかしら」
「持ってるよ」
「え?」
チャビに注目が集まる。
「ボクが持ってる。レンジと一緒にエアコンつけて、またブレーカー落ちちゃったら大変だと思って」
チャビが自分のポケットからエアコンのリモコンを取り出した。
「だあああ」
皆の声が一斉に揃う。
「ねえ、ボクの肉まんは?」
「はいはい、肉まんね。買いにいこうか」
脱力感が支配する中、チャビをなだめて、サイフを取りに自分の部屋に向かった。
「タカ、今日はちょっと帰ってくるの早かったわね?」
「ああ、客の入りがイマイチでね。早めに店じまいしたんだ」
「そう」
なんて会話がリビングから聞こえて、すっかり一件落着という雰囲気だが……やっぱり僕の胸の内はもやっと晴れないままだった。
◇
翌日、仕事の得意先へ向かう電車に揺られながら、スマホで例の事故物件登録ページを何気なく検索してみた。全国の事故物件が網羅されていると言うそのサイトは、僕が想像してたよりもずっと機能的だった。リリコさんが言っていたように、悪徳不動産に騙されないためとの目的が強いのだろう。
グーグルマップのように自在に拡大縮小のできる地図上で、事故物件として登録された建物に印が付いている。東京にはおびただしい数の事故物件が乱立していて、そりゃ人が大勢住んでいて、日々事件や事故は起きているのだから、どんどん地図は事故物件のマークで埋め尽くされてしまうのだろうなあと思った。
僕らの住んでいるマンションは、確かに五年前に死亡事故があったと登録されていた。だがどの部屋で何が起きたのかまでは記されていなかった。新聞の記事も網羅して情報が集められているようなので、ここでわからなければ調べるのは難しいだろう。
僕は息をついた。
ひととき地上を走っていた丸の内線が、再び地下へ潜ろうとしている。僕の心にひっかかっていること。その違和感の正体が自分でもわからないまま、僕を乗せた電車は、音を立てて東京の地下へ消えて行こうとしていた。
第3話 完
第4話へ続く(近日公開)
虹を見にいこう 第3話『一〇〇三号室の怪』 なか @nakaba995
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