Chap.3-2

 リビングに戻ると、ユウキとリリコさんが部屋中の物をひっくり返していた。動かしたテーブルに引きずられてカーペットはめくれているし、棚の置物や雑誌が床の上に散乱。放り出されたビーズクッションが僕の足元に転がってきた。

「何してんの? 二人とも」

「ないんだよ。リモコン」

 途方に暮れたユウキの声。

「エアコンのリモコンがなくなっちゃったのよね」

「えー? ちゃんと探しました?」

 そう言いながら、僕も捜索部隊に加わった。

「今日、湿度高いわねえ……もう汗かいてきちゃった。いやね、梅雨はいつ明けるのかしら」

「毎年、梅雨っていつ明けるのかよくわからないですよね。いつの間にか明けていることもあるし」

 ソファーの上の座布団をつまみ上げながら相槌を打つ。この下にもリモコンはない。ユウキが力尽きたようにソファに倒れこんだ。

「沖縄はいいよなあ。もう梅雨明けてるってテレビで言ってたよ」

「その代わり、沖縄はもうじき台風の季節よ」

 テレビの裏側を覗いていたリリコさんが言う。

「そういえばタカさんは沖縄に帰省しないんですかね? お盆に」

「お店やってるとなかなかそうもいかないでしょ。お盆なんて商売してる人にとっては、かきいれどきなんだから」

「そういう一平くんは帰省しないの?」

 ユウキがソファに座ったまま、首元をパタパタと手であおぐ。

「うーん、一日くらいは帰ろうかなあ」

「一平は神奈川だっけ?」

 リリコさんの問いに肯く。

「はい、津久井ってとこです。相模湖がある山の方で。田舎なんで帰るのけっこうしんどいんですよ。電車の数も少ないし途中からバスだし、二時間以上かかるんです」

「うわあ、田舎に帰るのって大変だねえ。ぼくは東京に近くてよかった」

「ちょっと、別に茨城が田舎だとは思わないけど……その東京にすり寄ってくるのやめなさい。みっともない」

 茨城出身のユウキが顔を赤くする。

「な、何だよ。そういうリリコさんはどこ出身なの?」

「あら言ったことなかったかしら。文京区よ」

「区……」

 ユウキが絶句している。リリコさんは生粋の都会子だ。出身地を県名ではなく区で言うリリコさんにユウキは羨望の眼差しになっている。

「東京生まれの東京育ちかあ。ぼくもそんな風に育っていたら、もうちょっと違った人生になっていたかなあ」

「まあ、あたしからすると田舎のある方が羨ましいけど。たまに息苦しくなっちゃうのよね。ずっと同じところで生まれ育っていると」

 僕やユウキにとって東京はシェアルームのような所かもしれないなあと思う。皆が寄り添って暮らしてはいるけれど、それぞれに帰る場所が別にある。だから東京で頑張れている。田舎と呼べる場所がないリリコさんには、他に行き場はないのだ。

「ぼくは茨城に実家があっても、特別に田舎って感じはないんだよね。最低でも新幹線を使う距離じゃないと」

「あまり遠過ぎると帰省するのも大変よ。新幹線の中で泣き叫ぶ子供がいたらサイアクね。車じゃ渋滞するうえ、トイレもないし……お盆や年末年始の帰省なんて阿鼻叫喚の地獄絵図じゃない」

 ユウキがソファで腕組みをしたまま難しい顔をした。

「リリコ姐さん、田舎が羨ましいのか、東京出身の自慢をしたいのかよくわからないんだけど」

「適度な距離に、故郷が欲しいってことよ。あたしからしたら、ユウキの実家くらいがちょうどいいわ」

 そうリリコさんが腰に手を当てた瞬間。またドゥン! と一斉に照明が消えた。

「またあ?」

「もう、ちょっといい加減にして。だから、ドライヤーとエアコンは――」

「今度は、ドライヤーもエアコンも入ってないですよ」

 洗面所には誰もいなかったから、リリコさん専用のパワフルドライヤーは使われていない。そもそもエアコンはリモコンすら見つかっていない。チャビが電子レンジをスタートさせたかもしれないが、そんなちょっとしたことでいちいちブレーカーが落ちるわけない。

「これ、何かおかしくないですか?」

 改めて尋ねた僕の言葉に、みんな黙ってしまった。暗闇に僕らの息づかいだけが聞こえる。ユウキがハッと息を飲む音がした。

「もしかしたら、これ……あれかな。ほら……や、違うよね。そんなことないない。何でもない」

「何だよ。気持ち悪いな。言いかけたことは最後まで言えよ」

 ユウキが座るソファーを見る。突然暗くなったので、まだ目が慣れない。

「……最近、物がよくなくならない? エアコンのリモコンも全然見つからないし」

「そう?」

「うーん……あ、そう言われればなくなるかも」

「本当、一平くん?」

「ああ。そういうときはたいてい、リリコさんに無断で使われているんだ」

「そうねえ、あたしもよく物がなくなるかしら。靴下が片方ないなんてしょっちゅうよ」

 僕の発言を完全に無視してリリコさんが言う。

「だから、それはリリコさんがズボラなだけじゃ」

 暗闇から飛んできたリリコさんの肘打ちが、僕のみぞおちに入る。声にならない呻きが漏れた。リリコさんの靴下が僕の洗濯物に紛れているなんてしょっちゅうなのだ。

「あのね、物が急になくなるのは、ポルターガイスト現象の一種なんだって」

「ポルターガイスト? 勝手に物が飛んだりするっていう?」

「そう、それそれ。どうやら出るらしいんだよ、このマンション」

「出るって何が?」

「コレだよ、コレ」

 暗闇に目が慣れてきて、ユウキがする古典的なユウレイのポーズが見えた。

「ばかばかしい」

 リリコさんが鼻で笑う。

「ぼくね、気になってちょっと調べてみたんだ」

「何を?」

「だって、何でこの部屋……こんなに家賃安いんだと思う?」

 ルームシェアをしてるとはいえ、都内のマンションで破格の料金設定であるのは確かだ。タカさんが大家さんと顔見知りらしいので、それで安くしてもらっているのかな……ぐらいにしか考えていなかったが。

「事故物件登録ページで検索してみたら、ばっちり出てきちゃったんだよねえ、ここ」

「事故物件?」

 僕の喉がゴクリと鳴る。

「前住んでた人が死んじゃったとかそういう?」

「うん、そう。過去に起きた事件や事故のニュース、口コミを調査して登録された全国の事故物件を検索できるページがあるんだよ」

 全国の心霊スポットを紹介するサイトは聞いたことがある。事故物件を専門に扱うサイトもあるのか。

「知ってるわよそれ」

 何かを考えていた様子のリリコさんが、妙に冷静な声で言う。

「事故物件登録ページはオカルト目的のサイトじゃないわ。火事や事件、事故が起こった物件の大家は、次の入居者に対してそれらの告知義務があるの。ただ、ひとりでも新しい入居者をはさんだら、もう次から告知をしなくてもよいというのが業界の通説で、知らずに事故物件に住んでいたってことも多いのよ。故意に隠蔽されている場合もあるわ。そういう不当な不動産物件を見抜くためのサイトなのよ」

 さすがリリコさん。情報雑誌の編集者をしているだけあって、世間の話題に精通している。

 ユウキがよっとソファから立ち上がった。

「オカルト目的でも、そうじゃなくても……このマンションが事故物件登録ページにあったのは事実だよ。だからもう少し詳しく調べてみたってワケ。サイトには部屋番号まで出てなかったから、この部屋のことかはわからなかった。でも、この部屋……不可解な現象が続くって、何人も退去してんだよ。僕らが入居する前、数年で三人も入れ替わってる。だって普通に考えればオカシイよね。基本この間取りは分譲でしょ? なのに、このマンションのこの部屋だけ賃貸で、ルームシェアがオーケーとかさ」

 一般常識や皆が知っている当たり前の礼儀作法を知らなかったりするユウキだが、ネット関係の情報検索能力はズバ抜けている。イマドキの子は皆そうなのか、それともユウキの特技なのか。

「不可解な現象って何だよ?」

「えーとね、物がなくなるとか、突然、停電するとか」

「バカバカしい」

 リリコさんがユウキの言葉をさえぎった。

「ブレーカーのスイッチがゆるんじゃっただけでしょ。ちょっと一平、早くスイッチ入れてきなさい」

「え、何でまた僕なんですか? 今度は他の人が行ってくださいよ」

 リリコさんもユウキも沈黙した。

「ユウキ、行ってきて」

「えぇ、ズルイよ。リリコ姐さん」

 弱々しい声。

「ジャンケンにします?」

「いやよ。何でこんな暗闇で、顔つき合わせてジャンケンしなきゃいけないの」

「じゃあ、公平にみんなで行きましょう」

「なら、ぼく真ん中で。先頭は一平くん、後ろの警戒はリリコ姐さんお願い!」

 ぼくを挟んでみんなで守って! もっとくっついて! と叫ぶユウキの頭をリリコさんがはたいた。

「何バカ言ってんの。ユウキ先頭、さあ行くわよ」

 問答無用にユウキが前に押し出された。

「ヒャ!」

「今度は何?」

「ぬ、濡れてる」

 ユウキが指差す先、暗がりでよくわからないが、リビングに水溜りが出来ているようだ。

「霊現象の噂にあったんだ……突然、床が水浸しになっていることがあるって。ゆ、幽霊が通った足跡なんだよきっと。やっぱりこの部屋、何かがいるんだ。人ではない気配をずっと感じていたもん」

「その水溜りは、リリコさんだよ。さっきシャワー浴びてたから。リリコさんいつもちゃんと拭かずに出てくるんですから。そこら中、水浸しですよ」

 リリコさんは「そうだったかしら~?」とトボけている。

「じゃ、じゃあ、噂には夜中にどこからともなくすすり泣く声が聞こえるというのもあるよ!」

「別に霊現象をオンパレードで紹介しなくてもいいわよ」

 リリコさんがため息混じりに言う。シーンとした暗闇にリビングの壁掛け時計の秒針がカチカチと動く音が聞こえる。

「あれ……聞こえません?」

「何が?」

 二の腕にぞわっと鳥肌が立つ。小さく地の底を這うような、誰かのすすり泣く声が確かに聞こえる。皆の喉が一斉にゴクリと鳴ったのがわかった。僕らは暗がりを手を伸ばして壁や戸に当たらないよう、声のする方へおそるおそる近づいて行った。

「ねえ、チャビどうしたの?」

 レンジの前でさめざめとチャビが泣いていた。

「せっかく、いっぺいくんがやり直してくれたのに、また電気切れちゃって、今度はホラ」

 チャビの手の内にある肉まんは、中途半端に暖めが止まってしまったうえに濡れたキッチンペーパーにくるまっていたので、皮がべちゃべちゃになってしまっていた。これではもう修復はつかない。二回も温めに失敗してしまった肉まんの末路である。

「ボクの肉まん……」

 チャビがこの世の終わりだと言わんばかりの声を漏らす。幽霊よりずっと未練たっぷり。チャビのふさふさの髪の毛の上からぽんぽんと頭をたたいてやった。

「あとで、コンビニで買ってあげるから。だから泣かない」

「うん」

「キャー!」と悲鳴が聞こえて、今度はチャビと顔を見合わせた。


Chap.3-3へ続く

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