エピローグ 僕と彼女の活動記録

 九月一日。いつの間にか寝落ちてしまった僕は、朝の七時に目覚めて慌てふためくことになった。

「やべっ! 昨日お風呂入れてないんだった!」

 と、朝からシャワーを浴びる傍目に見れば急に色気づいたマセガキみたいな行動を取り、トースト一枚だけかじりついて家を出た。

「あ、おっそーい。途中で寝たくせにー寝坊したのー?」

 いつもより五分遅く出たにも関わらず、夏服の制服を身に包んだ幼馴染は僕のことを待っていたようだ。

「あ、あれ……まだ一緒に登校するの……?」

 もう、終わったからてっきりこれも終わるのかと……。

 僕がそう出会い頭尋ねると、久田野はプイっと何も言わずにエレベーターへと歩き出す。

「えっ、ちょっ、く、久田野待って、僕まだ靴ちゃんと履けてないっ」

「知―らない。文哉なんかずっと靴と本のなかの女の子と仲良くしてればいいんだ」

「な、なんだよ、それっ、あっ、ま、待ってよ久田野、僕もエレベーター乗るからっ」

 一足先にエレベーターに乗り込んだ久田野はジト目をして僕を見ながら、閉めるボタンを押した。慌てて僕は共同廊下を走っては下ボタンを押してドアを開く。

「……ちぇっ。間に合ったし」

「ひ、ひどいなあ……」

「そういえば、文哉夏休みの課題は終わらせた?」

「もちろん、終わってるよ?」

 原稿が終わってからこれも死に物狂いで終わらせた。それまで全くやってなかったから。普段はコツコツやるんだけど、今年はそうもいかなかった。

「……ずるい」

 僕の返事を聞くと、そう恨めし気に言い捨てては久田野はエレベーターを降りていった。

「え? もしかしてまだ終わってないの?」

 それを追うように僕も降りて、マンションの敷地を出て通学路を歩きだす。

「う、うるさい、だって、イラストとかメンタル豆腐の幼馴染のフォローとかで忙しくてそんな暇なかったんだもん……」

 ……メンタル豆腐でご迷惑をおかけしました……。

「とりあえず、明日提出の教科は終わってるけど、明後日以降のはまだ……」

「それって?」

「……数Ⅱと数B、あと古典A……。まだ、半分くらいどれも残ってる……」

 ゲッソリとした顔色は、これまた近い将来訪れる別の修羅場を想像したものだろうか。

「だから、文哉も手伝ってよね?」

「へ?」

 いきなり言われたことに僕は理解が追いつかず頭上にはてなマークを浮かべる。

「だって、課題終わらなかったのは半分くらい文哉のせいだから、少しくらい手伝ってくれてもバチは当たらないよね?」

「え? え?」

「というわけで、今日の部活の時間から明日の放課後まで文哉は私の課題を手伝う、ということでっ」

「ちょっ、ちょっと勝手に決めないでよ……っ! 僕また次の新人賞に送るための企画立てようと思ってたのに……!」

「……無理やりキスしたくせに」

 抗議をしようと思ったけど、ぼそっと告げた久田野の一言に僕は全身を硬直させる。

「だ、だってあれはもう気にしてないって!」

「覚えていたほうがいいよ? 女の子は嘘つきってことくらい」

 悪戯っぽい笑みを浮かべては、逃げるように久田野は道を駆け出す。

「あっ、ちょっ、待ってってばっ」

 当然だけど、足の速さで劣っている僕が久田野に追いつくことはなく、すぐに体力が切れて膝に手をついた。

「あ、やっと追いついたー。歩くのと変わらないんじゃない? 文哉」

 学校まであと十分。久田野はコンビニの駐車場前で本を読んで僕を待っていたようだ。ようやく追いついた僕を見つけてはケラケラと笑って合流する。

「じゃあ、そういうことだから、よろしくね? 文哉」

 満面の笑顔で久田野は僕の肩を優しく叩く。

「は、はい……」

 断ることなど、できるはずもなかった。

「ま、課題なんてすぐに終わるから気にしない気にしないっ」

 ……半分くらい残っているんですよね? すぐに終わらせるの、もしかして僕だったりするのかな……。

「そんなことより、あのアホ会長の悔しがる顔を見られると思うと、今から顔がにやけそうで大変だよ」

 話を課題から会長に変えると途端に積年の恨みを晴らす人みたいな顔を浮かべる久田野。

「そ、それは何よりです……」

「放課後が楽しみだなあ」

 ぐへへと気味の悪い笑い声をあげながら歩く久田野に、少し引き気味の僕はそっと距離を取った。

 学校に着き、それぞれの教室に別れると、さすがに今日は僕の教室に来ることはなく、落ち着いて文庫本を読み進めることができた。


 始業式は始業式でまた長い校長先生の話を挟み、九月になっても蒸し暑い体育館に並ぶ一般生徒を苦しめた。

 白坂会長の挨拶もいつも通りの様子に見えた。まあ、さすがに一部活の出来事ひとつに態度は変えないか。

 迎えた放課後。今日は始業式だけなので午前で授業が終わる。

 ホームルームが終わると僕はゆっくりと第二校舎の三階隅、文芸創作部の部室へと向かいだす。

 スライド式のドアを開けて、通いなれた部室に入ると、

「あ、おそーい」

 もう既に、残った課題を広げている久田野の姿があった。

「遅いって……僕はすぐに来たんだけど」

 どんだけ早くホームルーム終わってすぐに来ているんだか……。

「それで……どこからなの?」

 僕はいつものボロボロの椅子に座って残っている久田野の課題を見る。

「えっとね、数Ⅱは三角関数のここからで──」

 勉強に関しては僕のほうが若干得意な部分はあり、久田野が引っかかった部分を教えていく。

 そうしてしばらくの間、課題を進めていくと。

 コンコン。

 ドアがノックされた。

「はーい」

 久田野が少し喜色混じる声でそれに応じ、席を立ちあがる。

 やはりというか、彼女が向かう前にドアは開けられ、憮然とした面持ちで立っている白坂会長が部室に入ってきた。

 長い髪を揺らし、会長は机に一枚の紙を叩きつける。だ、だから大切にしてくださいって……。

「条件は達成されたようなので、今年度の存続は認めますわ。ですが、来年も部員が集まらないようなら、これと同じ条件を課しますからねっ」

 と、もう会長印の押された「存続承認」と題された書類を置いては、ずごずごと部室から立ち去っていった。

 ついてきていたのか日和田君がおずおずとドアを閉めては、一瞬で終わった寸劇を僕らは呆然と見ていた。

 そして、堰を切るように僕らはお腹を抱えて笑い始めた。

「ははは! 見た? 文哉、あの表情っ」

「うん、見た」

「ああっ、最高、もう!」

 いつもから会長に茶髪をいじられ続けていたことも重なっているのだろう、すごく痛快そうな顔でまだ笑い続けている。

「ねえ文哉っ」

「ん? 何?」

「来年もさ、こんなふうに、何かできるといいねっ」

 笑い過ぎで息が切れてしまったのか、久田野は途切れ途切れに僕にそう伝える。

「ら、来年は……受験もあるし、怪しいと思うよ?」

「もう、そんな夢のないこと言わないでよっ」

「……じゃあ、とりあえずこの課題をなんとかしようね、久田野」

「……面白くないの」

 と、ぶつぶつ文句言いながらもまた課題に戻った。

 そんなようにして、いつもの下校時間、午後五時半まで僕らは部室で残った夏の課題を消化していた。


 完全下校の時間になり、帰ることになった。

「じゃあ、僕は鍵返してくるから、先に玄関行ってていいよ」

 カバンを持って、僕は彼女にそう言うけど、なかなか部室を出ようとしない。

「久田野?」

「……わ、私も一緒に職員室に鍵返しにいくよ」

 何か決意したようにそう言っては、結局そのまま僕のことを待つ。

「別に、僕一人でもいいのに……」

「いいのっ、ついて行きたいからそうするのっ」

「……ま、まあそうしたいならそれでもいいけど」

 困惑しながら僕は久田野と一緒に部室を出て、鍵を閉める。

 そのまま階段を降りて、職員室へと並んで歩きだした。


 帰り道。家路へと進む僕と久田野の影は伸び切っていて、そろそろ日没の時間になる。

 車道を行き交う車の数は少しだけ多くなっていて、駅の方向から来てすれ違うサラリーマンの人もチラホラと目立つ。

「ねえ、明日からも、一緒に登校するの?」

 ふと、僕は気になっていた疑問を口にする。

「……駄目なの?」

「だ、だって、もう小説も終わったし、これ以上僕のために一緒に出て行く意味も、帰る意味もないよね……?」

 そう尋ねると、ふふっと久田野は子供っぽく笑ってから、

「その意味に気づけないようなら、文哉は小説家としてはまだまだかなー?」

 また、僕より先を、走り出した。

「え、またなの? ちょ、ちょっと待ってってばっ!」

 残暑厳しい、九月の夕方。

 西に沈みかけている夕日は、もうちょっとだけ、僕らのことを見守りそうだ。

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キミの描く世界で奇跡を見たい~創成高校文芸創作部活動記録~ 白石 幸知 @shiroishi_tomo

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