アダムとイヴの禁断のリンゴタルト


「正体……?」

「今さらとぼけなくてもいいよ。きみ、ときどき、僕を見て『ルシファー様』って呟いてたよね?」


 げっ、声に出てたのか。焦ったものの、それがどうしてこの状況に繋がるのかわからないが、怒った様子の黒澤にとりあえず謝る。


「す、すいません、ルシファー様にあまりにも似てたのでついっ。あのでもコスプレもお似合いです、かっこいいです」

「コスプレ?」

「あっでも、角の形がちょっと違うような?」


 黒澤の頭についているのは羊のように曲がった二本の角だが、立ち絵だと真っ直ぐな角のはず。怪訝な黒澤にスマートフォンの画面を見せると、毒気を抜かれたように溜息をつかれた。目の色も冷静を取り戻したのか、赤から焦げ茶色へと戻る。


「……なるほど。ゲームのキャラクターか。それは悪いことをしたね」


 黒澤はキッチンの片隅にある分厚い洋書を手に取るとめくり始めた。背表紙を見ても何を書いてあるか読めない。


「レッドベリーの効果は一日で切れるはず。量も少ないからそんなに副作用はでないはずだよ」

「ふ、副作用?」


 訳が分からない千聖に、黒澤が冷蔵庫の中から赤いベリーを取り出した。形はラズベリーに近いが、色は鮮血のように毒々しい。


「このレッドベリーは人間が食べると一時的に目が良くなるんだ。見えなくていいものも見えるようになる。ただし、天界の奴が食べると丸一日、目が見えなくなる」

「はあ」

「僕はきみが天界から来たんだと疑っていたんだ。神崎千聖なんて名前も疑わしいし、僕の正体に気づいた天使が、邪魔をしにきたのかと」

「はあ」


 つまり、黒澤さんは……。

「本物の堕天使ルシファー? なーんちゃって……」

「その名前は好きじゃなくてね。サタンと呼んでほしいな」


 黒澤は笑わなかった。料理は趣味なんだ、と恥じたように言う。


「この店も必要以上に気づかれないようにしているはずなのに、毎日来るのはきみくらいだよ」


 そう言って黒澤が食べかけのチーズケーキを下げてしまった。今日はお会計はいらないよ、と片付けに入る。翼の生えた背中が、なんだかしょんぼりしているように見えた。


「あの……ご馳走様でした……?」

「ああ、気を付けて」


 黒澤の声を背に店を出る。さすがに駅の周りの人はぐっと減っていたが、向かいのホームにいたおじさんの肩に女の悪魔が乗っているのが見えた。

 胸元の大きく開いた黒いボディスーツ。長い足を組んだ扇情的な悪魔は、サキュバスとかリリムとか言うんじゃなかったっけ……。

 ごしごし目をこすって別の方向を見ると、夜空にでっかいハエベルゼブブが飛んでいくのが見えた。


(怖ッッッ!!!)


 見えないものが見えるようになると言っていたが、幻覚だとしても怖い。


(は、早く効果切れて!)


 悪魔の言うことを信じていいかわからないが、千聖はスマートフォンの画面に目を落とす。ホーム画面で、ルシファー様が「明日もいい一日になるといいな」とウィンクを飛ばしていた。



 *



 行くべきか行かざるべきか。

 迷ったあげく、結局、千聖は翌日の夜もカフェ・バビロンへと足を運んだ。レッドベリーの効果がちゃんと切れるのか心配だったし、いまさらファミレスやチェーン店で食事をする気にもならなかった。


 いつもの通り、駅を出て裏通りに入ると――


「休み⁉」


 ドアにはCLOSEの札が下げられていた。明かりもついていない。もしかして。


「人間にばれたからいなくなっちゃったのかな……」


 そんな馬鹿な、と笑われるかもしれないが、黒澤にからかわれているとは思えなかった。魔界にかえっちゃったんだろうかとか、本物の天使に見つかってしまったんじゃないかとか、他の人に聞かれたら「どうかしているんじゃないか」と突っ込まれそうなことを考えてしまう。


「そんな……」

 思わず呆然と立ちつくしていると、

「物好きな人ですね」

 背後から声をかけられる。驚いて振り返ると、エコバックをぶら下げた黒澤がいた。


「く、黒澤さん!」

「もう来ないと思ったよ。……レッドベリーの効果は切れたみたいだね」


 そういえば、もう黒澤の翼も角も見えない。いつもどおり、ミステリアスできりっとかっこいい黒澤さんだ。いつもと違うのは、カフェエプロンをつけたスタイルではなく、黒とドクロと荒っぽい血文字を基調にした、だいぶパンクなスタイルだということくらい。私服だろうか。美形が台無しになるほどダサい。


「あの……営業しますか? 私、夕ご飯まだなので……」


 おずおずと尋ねると黒澤は店のドアを開けてくれた。札はCLOSEのままだ。どうやら特別に入れてくれるらしいとわかって顔が緩む。

 無言で水をおしぼりを出されて席につく。誰も入ってこないと分かっているので真ん中の席、黒澤の顔が一番よく見える特等席に座る。エプロンをしめた黒澤がフライパンを温めた。


「食材ってスーパーで買ってきてるんですね」

「客、少ないからね。業者に頼むほどじゃないんだ」

「……この間のレッドベリーはどちらで……? ま、魔界までお買い求めに……?」

「いや、通販」


 キッチンの隅には未開封の段ボール箱が置いてある。Makazon。魔界ってインターネット繋がってるんだ……?


「どうしてまた来たの? またきみに何か盛るかもしれないよ?」

「大丈夫です。見張ってますから」


 フライパンの上の鶏肉も、エコバックから出したきのこ類にも怪しいところは見当たらない。香ばしい匂いにお腹が鳴る。やっぱり反則だ。私服がダサかろうが悪魔だろうが意地悪だろうが、美味しいご飯に胃袋をがっちりつかまれてしまっている。


 今日の定食は白米とわかめとねぎのお味噌汁、鶏むね肉のソテーに、つけあわせはキノコのナムル。

 ほかほかのご飯の上に鶏肉をのせて頬張ると顔が緩んだ。醤油の味でご飯が進む。


「あー……おいしー……」

「……神崎さん、本当に美味しそうに食べてくれるよね」


 ずっと硬い顔をしていた黒澤が今日はじめて笑ってくれた。その笑顔にやっぱりわたしは見とれてしまう。

 未開封の段ボールを手にした黒澤は、封を破ると、中から赤くて丸い果実を出した。リンゴだ。つやつやしていて美味しそうな。

 そのリンゴを果物ナイフでカットすると、小さめのフライパンに並べて火にかける。洋酒をかけるとフライパンが一瞬炎に包まれた。


「何作ってるんですか?」

「デザートです」


 ボウルに卵と砂糖を入れてかき混ぜ、小鍋では牛乳を沸かす。小麦粉と温めた牛乳を合わせてバニラエッセンスを落としたところで、カスタードクリームを作っているのだと分かった。甘い香りが店内に広がる。


「本日のデザートは『アダムとイヴの禁断のリンゴタルト』です。召し上がりますか?」


 丁寧な口調なのに、ちょっと意地悪な問いかけだ。使っているのはMakazonの箱から取り出したリンゴだとわかっている千聖に聞くのだから。


「こ、効果は……?」

「人間相手だと、今夜、家に帰りたくなくなるくらいですかね」


 ――明日は休日。さて、どう答えたものか。

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魔界のレシピ 深見アキ @fukami_a

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