魔界のレシピ

深見アキ

血の海に沈む堕天使の誘惑~二種のベリーソースを添えて~

 平日の夜十時に、スーツ姿でうきうきしている若い女なんて私くらいだろう。


 塾帰りの学生や、千聖ちさとと同じように残業で遅くなったサラリーマン。疲れた顔の人々が駅に向かうのとは反対方向に、控えめに踵を鳴らして裏通りに入る。

 煉瓦風タイルを敷き詰めた外壁に、古めかしい木の看板が掛けられた夜間営業のカフェ・バビロンは、外観だけ見るとミドルグレーの紳士がこだわりの珈琲でも出していそうな店だが、内装はリフォームしてあるのか綺麗で真新しい。

 この日もカラコロとドアベルを鳴らして中に入る。カウンター席が五つだけの小さな店の店主は、極上の微笑みで迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。今日も日替わりでよかったですか?」


 くっ、このスマイル! 魂が浄化される!!!

 黒澤、とネームプレートをエプロンにつけた美形の店主に会うのが、ここ最近の千聖の楽しみだった。「はい、日替わりで」と一も二もなく頷いて、他の客がいないのに端の席に座る。

 ぶっちゃけメニューはなんでもいい。なんでも美味しいのは連日通ってわかっているし、特に好き嫌いもない。そのうち、黒澤の方から「日替わり?」と聞いてくれるようになり、常連として顔を覚えてくれるのが嬉しくて舞い上がった。


(ほんと、見れば見るほどカッコいいよなぁ……)


 すらっと通った鼻筋に、意志の強そうな瞳。年は三十代前半くらいだろうか。短く刈った黒髪に、耳にはちょっとごつめの金のピアス、というのが昔はやんちゃをしていたのかもしれないと思わせるような雰囲気がある。

 この顔に黒い翼と角とマントを付ければ、千聖が遊んでいるソーシャルゲームの悪魔キャラ・ルシファー様にそっくりだ。はー、イケメン。眼福。合掌。


 カウンターの向こう側では、黒澤が流れるような手つきで定食の準備をしてくれていた。

 じゅわっとフライパンに小判型のタネを入れ、別の小鍋では出汁のきいたあんを温める。

 玄米ご飯と大根の味噌汁、プチサラダ。ひじきと野菜の入った豆腐ハンバーグにとろとろのあんをかけて。刻んだねぎをのせてもらったら完成。


「はい。おまちどおさま」

「わー! 美味しそう! いただきます!」


 たっぷりあんをからめた豆腐ハンバーグをひとくち。焼きたてて外側がカリッとしているのが香ばしくて美味しい。夜間営業だからか、健康に気を使ったメニューを出してくれるのがまた嬉しい。家に帰ってコンビニのお弁当を食べるよりもよっぽど身体に良いと思う。


「神崎さんは美味しそうに食べてくれるから、毎日メニューの考えがいがあるよ」

「そ、そうですか? えへへ、黒澤さんのご飯食べるのが毎日の癒しなので」


 いつ来てもこの店には客がいない。たまたま千聖が来る時間帯に人がいないのかもしれないが、駅裏で分かりにくいし、店もこじんまりとしているからかもしれない。


「黒澤さん、『めしログ』とかに登録したらどうです? 私、星五つ付けますよ」

「うーん。この店自体小さいし、僕の趣味で営業してるようなものだから。常連さんの席がなくなっても困るし、僕は今のままでいいかな」


 黒澤はそういうけれど、千聖からしたら採算が取れているのか心配になってしまう。

 せめて少しでも売り上げに貢献しようと、滅多に頼まないデザートを注文する。夜十時のケーキはなかなか背徳感があるが、これも黒澤推しのための投資課金だ。

 ありがとう、と黒澤は笑い、千聖が食べ終わるタイミングでデザートのプレートを出してくれた。

 白い皿にレアチーズケーキ。皿の余白に赤いソースが点々と垂らされ、レアチーズケーキには黒いソースがたっぷりと。プラスチック製の剣が真上から突き立てられている。


「血の海に沈む堕天使をイメージしてみたんだ」

「斬新ですね」

 斬新というか中二病っぽい匂いがする。一体どうしたんだ黒澤さん。

「二種類のソースを絡めてどうぞ」


 相変わらずの美しい笑顔に促されて、千聖も何事もなかったかのようにフォークを手にした。言われた通り黒と赤のソースを絡めてひとくち。さっぱりとしたレアチーズケーキにベリー系のソースが甘酸っぱくておいしい。


「おいしい。このソース、イチゴですか?」


 皿から顔を上げると、ルシファー様のコスプレをした黒澤がいた。る、るしふぁーさま、と思わず口走ってしまった千聖の頭を、黒澤ががしりと掴む。


「神崎さん、何が見えるの?」

「る、る、ルシファー様、じゃない、黒澤さん、あのその羽と角はどうしたんですか……」

「へえええ、見えるんだ。レッドベリーって人間にはこう作用するんだなあ」


 至近距離で凄まれると色んな意味でヤバイ。がしゃん、とフォークが皿に落ちると、黒澤の目が真っ赤に染まった。


「……ところで、一体いつから僕の正体に気づいていたの?」


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