超効率重視型社会と一抹のレベル

ちんすこう

超効率重視型社会と一抹の反乱分子《レベル》


 合理性をとことん突き詰めた場合の社会とは、どのような形になるだろうか。

 その答えはこの現代日本の社会に現れている。と、僕は思う。


 西暦二二一〇年。人類は一つの大きな壁を越え、新たな進化を遂げた。二〇五〇年頃にシンギュラリティ――技術革新を迎え、人工知能をもつ高性能機器をあらたなパートナーとした人間は、革新以前よりはるかに効率的で誤りの少ない、正しい生活を送ることが可能になったのである。

 校舎に軽やかなチャイムが鳴り響く。講義終了の合図を受け、学生たちは一斉に席を立ち、大講義室を出て行った。


 教養科目のくせに九十分みっちり集中させられた疲労を、ふう、と小さく息を吐くことで紛らわす。そしてここで昼を食べると決めていたので、席に座ったまま買ってきたパンを机上に置いた。一緒に買っておいた紅茶のパックにストローを差し、先を口に咥えながら、講義内容のメモを取ったルーズリーフをバインダーに閉じる。


 今日の授業では、ちょうどシンギュラリティ前後の近代史について取り上げられていた。

 時代の区切りとなった二〇五〇年代の人々は、電子頭脳がいずれは人智を越えることを知っていた。だから、いざ機械が科学者の予想を超越してその舵を暴走させ始めても、さほど大きな混乱は起きなかったという。アメリカ人のハルという天才科学者がいち早く機械独自の言語を解読し、暴走を始めた機械たちとの対話を試みたことで人類と機械とは一応の和解を成し遂げたらしい。


 共存の鍵は『人側は高次知能を有する機械をひとつの種族と認めること』、『機械側は人間による管理をある程度容認し、既存の人間社会を脅かさないこと』だ。細かい点は般教では触れないとのことだったので分からないが、とにかくそういう形で両者は現状共存なしえている。


 そういうわけで、シンギュラリティ後の人類はめざましい進化を遂げた。知能の高い機械たちがより効率的なインフラ、行政や福祉、教育等のシステムを構築し、人々の生活を支えた。無駄が省かれた社会で人は裕福になり、多少の矛盾は抱えながらも、急速に豊かになっていった。


 大学に入るまでに、シンギュラリティ以前を描いた映画や漫画をいくつか見たことがある。それらを見た時の率直な感想は、『ああ、自分はこの時代に生まれてよかったな』だ。


 たとえば、ある映画ではアフリカ大陸で起きた虐殺事件が描かれていた。その映画の舞台設定である時代では白人系による黒人差別が当たり前だった。映像はフィクションだと分かっていても目を覆いたくなるほどの惨劇は、きっと現代の個人能力判別システムがあれば起こらなかったはずだ。

 AIは、人の肌が何色だろうが関係なく支配者にふさわしい人間と被支配者に相応な人間を分けられる。

 システムによって振り分けられた人々は、ぴったりと歯車が噛み合ったように行動し、最も効率的な経過をたどって確実に結果を出す。


 またあるいは、昔は恋愛漫画というものが大流行していた。

 それが面白いことに、白馬の王子様がやってくるようなロマンチックなファンタジーならまだ流行るのも納得できるが、大多数は人間関係が泥沼にはまってこじれにこじれる鬱々としたストーリーだったのだ。

 僕にはなぜこの登場人物らがこんなにも相手の心情に想いを巡らせ、頭を悩ませるのかが理解できなかった。

 理解できないということは、つまり現代人の価値観と漫画の中の彼らのそれが違っている、ということを指す。

 そこでやっと思いついたのが、この時代には人間同士の相性判断システムが無かったという事実だ。


 現在では、恋愛に悩む人というのは絶滅危惧種。


 専用のマッチングシステムが最高の結婚相手を見つけてくれるから。


 もちろん、同性同士で惹かれ合う者もいれば、生涯独身をつらぬく者もいる。AIはそういう事情も網羅して相手を選別してくれるので、最上の結婚をするまでに無駄な寄り道をする必要がない。


 はたまた、平成時代には労働問題が深刻だったようだ。当時の漫画に描かれる大人はしばしば疲弊していて、自身の勤める会社への呪詛を吐いている。他方、自分に合った仕事が見つからずにお酒やギャンブルに溺れて闇金に手を出し、破滅していく人もいたという。


 が、これもやっぱり現代日本ではとっくに解決した問題だ。


 出生まもなくから三年ごとに電子アンケート回答と特別なテストによる適職診断が行われ、就職から退職までがサポートされる。ミスマッチはありえないし、生まれる前の遺伝子検査でだいたい何歳まで健康で働けるのか分かるので、ライフプランがめちゃくちゃになることはない。



 こうして三つ例を挙げただけでもはっきりと分かるように、現代に生きる僕たちは明らかに完璧な人生を歩んでいる。

 欠陥だらけだった旧社会に生きた人たちとは対照的に、僕はなんの悩みも抱えずに決められた最良のルートに沿って生きていくことができるのだ。


 思い煩うことなく、ただ目の前だけを見て一日を精一杯過ごす。


 これ以上幸福なことって、あるだろうか。



 激震走る。


 その日の出来事はまさに、我が大学全土を揺るがせた。

「先生。シンギュラリティが僕らにもたらしたものって、一体なんですか」

 木曜二限、四回目の日本史の授業だった。前回に引き続いて人と機械が辿った歴史を解説していた教授に、先の質問が投げかけられた。


 「もたらしたもの、とは? 君は前回までの授業に参加していなかったのかな?」

 教授はスライドを流していた手を止めて、上目がちにその男子学生を見た。大きな講義室の後ろの方で手を挙げていた彼は、自分に向けられた胡乱げな視線を真っ向から受け止めてスパリと答えた。


 「いいや、具体的に与えられた事物を言って欲しいんじゃないです。

 そんなのは、実際の生活でAIが関わってる所を探せば分かるし。

 そうじゃなく、俺らは機械のおかげで豊かになって、道を間違うことが少なくなって、それで結局なんなのか、ってことです」


 教授の顔がこわばる。元よりにこやかとは言い難い表情が、男子学生をうさんくさく思っている気持ちを更に全面に押し出したものになった。

 彼に注目していた周りの学生もきょとんとした。


 「あー……、少し抽象的な話にはなるがね……。

 この技術的特異点がもたらしたものはだね、いわば人類の理想だよ。生まれてから自分に最も適した進路を取り、仕事を見つけ、この世で一番の伴侶を見つけ、過ちのない幸福な人生を送る。

 そんな過去の人類には不可能だったことが、できるようになったんだ。

 AIはこれまで人を悩ませてきたありとあらゆる問題のうち、死以外のほぼ全てを解決してくれたからね。


 君、合理性とは正義だよ。人が不条理を行い、それが理屈と乖離した矛盾を生み、社会を歪ませるのなら、機械はその不条理を正す舵取りだ。常に合理的な機械は効率の悪い手段はとらない。だから世の理は歪まずに、矛盾が生まれない」


 革新以前は未熟な社会だった。以後は、成熟した非の打ち所がない幸福な社会になった。


 僕は、あまりに当然の前提過ぎて答えにくい質問に、よくもまあこう答えられる、これが教授と一般の学生の差か、なんて漠然と思った。一方で、男子学生は納得しなかった。その声音に訝しげな色を隠しもせずに、なおも訊ねる。


「機械が与えてくれたのは、唯一無二の『正解』ですか?

でもその正解の人生を正確に歩んだところで、別に俺ら幸せじゃなくないっすか」


「君はずいぶんとひねくれた考え方をするようだが、誰しも間違えたくないし要らぬことで傷付きたくもないだろう? そのような危機を回避できるのなら、それにこしたことはない」


「じゃあ、先生は機械に言われたから勉強して、教授になって大学に勤めてるんですか」


 やや棘のある切り返しに教授は眉を上げる。


「それは、そういう言い方もできるかもしれんね。進路決定の際には私も例に漏れず、サポートシステムの適職診断を活用したから」

「人工知能――自分以外の何かに自分の人生の舵を取ってもらうことが、幸せですか?」


 いつの間にか、僕は教授ではなく後方の彼のほうに目がいっていた。

 席が離れていて表情ははっきりとは見えないが、その口調から毅然とした顔をしているのだろうとは分かる。

 服装は、他の学生とそう変わらない平凡なもので、染色もパーマも施されていない頭にそんな奇特な考え方が巡っているようには見えなかった。


「……旧時代の人々に比べて、我々は遥かに幸福な人生を送れるようになったと考えるよ」


 重苦しい声が教壇から響いてくる。


「先に言ったとおり、AIと共存することで私たちは道を誤ることが無くなったのだから。

 君とて、小学生だか高校生だかの時に受けた適正審査のおかげで、今こうして自分に合った環境で学び、確約された将来に向かって進めているのだろう。シンギュラリティがなくば君は今頃大学にも通わず、どこぞの異国の海岸でもよぼよぼと歩き、野垂れ死ぬ寸前だったかもしれない」


 青年はなるほど、と手を打って、そうして言った。


「その手があったか。なら、俺、大学辞めます」


 よく通る声ではっきりと宣言された言葉は、講義室全体をどよめかせた。


「……な、き、君。いったい何を言い出すんだね」


「先生、ありがとうございました。確かに俺はAIが打ち出した計画に沿って生きてきて、それ以外の可能性について考えたことなんてなかった。

 俺のライフプランには『大学にいかずに異国へ出て、浜をほっつき歩く』なんて項目はなかったですから」


 彼は教授に向かってぺこりと頭を下げると、荷物をまとめて席を立ち上がってしまった。


「待ちなさい、こら! さっきのはほんの例え話であって――」


 教授が引き止めるのも聞かず、颯爽と講義室の後ろを通って部屋から退室していった。青年が去ったあとの講義室は、授業中にもかかわらずざわざわと騒がしい。

 学生たちが騒ぎ立てるのも当然だろう。


 ――だって、ここにいるのは、全員四年間大学で学んできちんと卒業するだろうと判断された人間だけのはずだから。


 AIが判断を誤るはずはない。だとするなら、彼は逸脱したのだ。百年以上に亘って人類が重宝してきた絶対の『成功のシステム』から。自ら望んで絶望に突っ込んでいく若者がいるなどと、誰が予想できただろう。


 シンギュラリティ以前に創立されたうちの大学には、一応制度として中退制度が残ってはいる。彼はそれをおよそ二世紀ぶりに利用した学生となったのだった。


 僕は目をおおきく見開いたまましばらく動けなくなってしまって、それから、気付けば彼の後を追って部屋を飛び出していた。


 この胸を駆け抜ける昂揚感、ほてる頬。逸る鼓動はなんなんだろう。



「――ねえ、待って!」


 講義室を抜け、構内の西側に位置する一号館を飛び出し、青年の姿を探した。中庭に出たところで先に出て行った彼の背中を見つけ、大きな声で呼びかけた。

 迷いのない足取りで歩いていた青年が声に反応して足を止め、こちらを振り向く。


「何?」


 軽く息を切らしながら彼と対峙し、僕は黙り込む。勢いで飛び出してはきたものの、面識もない人にどう話しかけたらいいのか分からない。何秒か沈黙が続いて、青年がくるりと踵を返した。


「あっ、待、待って!」


――このままじゃこの人は行ってしまう。今日を逃したら恐らくは二度と会うこともないだろう。

 慌ててもう一度呼び止めると、青年は不思議そうな顔をして、しかし煮え切らない僕に苛立った様子もなく、再び振り返った。


 僕は口を笑みの形のようなそうでないような、曖昧な形に持ち上げながら、精一杯話した。


「さっき、すごかったね」

「何が?」

「何って。あんな堂々とした退学宣言、初めて聞いた」

「ああ」


 細い眉を軽く持ち上げた彼は、なんでもないことのように頷く。


「あれ、本気なんだろう。この物理的にも心理的にも高度に機械化された便利な世の中を捨てて、どこかの国の浜辺でも歩こうだなんて。正気の沙汰じゃないと思う」


 わくわくと胸を躍らせながら言うと、青年はぷっと吹き出して肩を震わせた。


「え。あ、何か変なこと言った……?」


 しまった、と思う。


 その笑い声は僕を嘲るわけではなく、呆れているのでもないようだったが、自分の発言が奇妙なものだったのは悟った。この人に自分が変な奴だと思われることがなぜ嫌なのかは分からなかったが、とにかくすぐに謝った。


「ごめん……」


 ようやく笑うのを止めた青年は「いや」と小さく首を振って、謝らなくていい、と言った。


「あんたが、目キラキラさせてるくせに、そんな明るい顔で人のこと『正気の沙汰じゃない』とか言ってくるもんだから」


「変だったかな」


「変」


 即答した彼はチノパンを履いた腰に手を当てて、こちらの顔をまじまじと見つめた。


「正気の沙汰じゃないって事を、大学生にもなって心から楽しそうに語るあんたは、相当変わり者だと思う」


「君ほどじゃないよ。僕は決められた枠組みから外れようだなんて考えたこともなかった」


 僕は思わず彼の両手を取り、強く握り込んだ。


「僕、今日生まれて初めて何かを『面白い』って思ったよ」


 どうしてなんだろう。

 これまでにも何百、何千の人に出会って、色んなことを学んできたっていうのに、ここまで心が弾むことはなかった。AIが弾き出した、僕にとって最良の人たち。

 僕と同じように決められた最善のルートを通り、何一つ選択肢を間違えることなく自らを磨いてきた立派な人たち。

 そんな人々との幾千もの出会いを一絡げにしたって、この一つの邂逅に勝ることはなかった。


「どうして、どうして君なんだろう」


 浮かれた頭では考えがまとまらず、思っている事がそのまま口をついて出る。


「間違いだらけの君に、惹かれてたまらない」


 はやる口調で一気に捲し立てた後、しんとした空気が落ちる。僕の方はもう言いたいことも言い切ってしまって、ただ相手の温かな手を握りながらじっと顔を見つめていると、淡々とした声が返ってきた。


「俺は今日、生まれてからずっと感じ続けてた違和感の正体に気付いたんだ。

 間違いさえしなければ機械の言いなりになったっていいのか。

 ミスの無いように計算され尽くした人生を送るのが幸せなのか。

――そんなはずはないってことに。

 自分以外の優秀な奴が書いた、オチが見えてる予定調和の台本よりも、好き勝手やってミスりまくって、失敗に終わるようなアドリブの方が演じてて楽しいだろうって」


 すっと一直線に伸びた視線が、僕を射抜く。

 黒々とした瞳の中に、青年の意志が確りと地に足を着けて立っていた。


「AIの分析によれば、人一人の人生の正解までの道筋は決まってるらしい。だからAIは俺たちの出生まもなくから死ぬまで、いつ何をすればいいのか計画を立ててくれる。

 そこまで先が見えてるんだったら、その人生生きる意味ってなくないか?」


「……確かに」


 一度オチがついた筋書きをもう一度なぞることは、退屈なのだ。


 僕は彼に憧憬を抱いた理由に気付いて、はっとしたのだった。


「俺はそんな生き方をしたいとは思わないが、否定はしない。

 結末とそこに至る過程が決まってれば、それは楽だから。思考停止で毎日決められた作業を繰り返して、ゴールに近付いていく。そうすれば幸せになれるのは分かってるんだから。

 あんたもそういう生き方をしてきたんじゃなかったのか」


「僕は」


 唐突に訊かれ、返事に窮する。彼の言うことは完全に正しい。僕は今日初めて真実に気付いたような気がしているが、本当は脳のどこか片隅で理解していたに違いない。

 自分で自分の生きる道を切り拓けない窮屈さ。

 人類じゃない知性が提案する『正解』の支配に甘んじることの気楽さ。


 でも、現実ナイズドされた人々は、創造精神を喪って退屈になっていく。だから、第二の道を示してくれた彼に、僕はここまで心躍ったのだ。

 電子頭脳が計算したのじゃない綻びだらけの生き方をほのめかしてくれた、理に適ってないから先が見えない。オチが分からないから面白い。AIに提案されたライフプランよりも遥かに。


 それなら、AIがもたらす合理性とか効率とかって、実は大して意味がないんじゃないだろうか。


「僕は、君と同じ道を生きたい。今日、そう決めたんだ」


 彼はわずかに目を見開いて、馬鹿だな、と笑った。


「親が泣くぜ」


「だって、僕はきっと人生を楽しむために生まれてきたんだもの」



「ま、そこは同意」





「君さ、これからどうするの?」


 購買に行って買い込んだアイスをベンチで齧りながら、隣に座る彼に訊ねた。

 そういえばまだ彼の名前も知らない。名乗ってもいない。後で話そう。


「うーん……そうだな。まずは適性診断もしないような簡単な肉体労働を繰り返して、資金を溜めて、ヒッピーにでもなるかな」


「その後は?」


 彼はのんきにチョコアイスを食べながら、なんでもないことのように言った。


「適当に色んな場所行って、違う国に出て、綺麗な海とか山見るだろ。美味いもんもまずいもんもたらふく食って、いろんな顔形した女の子と遊んで。それで、いつか限界が来たら死ぬかな。途中をじゅうぶん楽しめたら、最後がめちゃくちゃ悲惨だとしてもいいんじゃない?」


 僕は声をあげて笑って、彼の顔を覗き込んだ。


「じゃあ僕は君のその悲惨な末路を見て、最後に大笑いしてやるよ」


「俺がそんな状況だったら、一緒にいるあんたも大変なことになってるだろ。そんな時に笑われたら、俺もつられて笑っちゃいそうだな。


……面白いな、あんた」


「だから、君ほどじゃないよ」


「名前は?

これから大嵐の航海を共にする伴侶の、名前も知らないなんてヘンだろ」


 あっさりと同行する許可が得られて、僕は顔を綻ばせた。


 一歩先は真っ暗闇でいつ何が起こるかも判然としない。その漠然とした不安は期待とないまぜになり、目の前の彼に投射される。


「あ。当たり。幸先がいいぜ」


 僕の不安も期待も一切意に介さず、アイスの当たり棒を眺めている姿を見ていると、自然気分が舞い上がった。


 そして――ああ、幸せだなぁ、と。心底からそう思ったのだった。





                   終

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