百鬼姫
夏木黒羽
第1章人狼編 第1夜 お嬢様は夜の帳で
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今よりはるか昔、人が夜を忌み、嫌っていた時代があった。良くない何かをもたらし、住処に籠る。
そんな夜を恨めしく思っていた人間は時代とともに、ちっぽけな探求心と、尊大な欲望を秘めていき、不可侵のベールに包まれたその
そして現代、人は驕り高ぶり、この地球上に存在するすべてを究明し、森羅万象を司る神のようにふるまっている。そんな
薄い雲が月を覆い隠す、そんな静かな夜。時刻はもう既に日付をまたいで街が眠りにつく、そんな頃合いのことだ。
会社の飲み会帰りの一人の男性がひどい、のどの渇きを覚えさまよい歩いていた。
会自体、終了したのはもう数時間ほど前で、一度家には帰宅したはずだったが、今日は飲みすぎたのか記憶があやふやだった。
「それにしてものどが渇く」
暗がりの道に光る自販機に目をやることなく、ぼんやりとあてもなくただ次第に眠っていく街を重い足取りで歩いていく。
彼ののどの渇きを潤すもの、それだけをひたすら探してさまよう様はまるでパニック映画に出てくるゾンビそのものでどこか不気味だった。
物音がし、とても敏感に、獲物の足音を聞きつけた
「この、のどの渇きを癒せるのはきっと」
狂信者のごとくゆっくりと、しかし確実に聞こえた物音の方向へと彼は歩を進める。
物音がした方向にはやはり彼と同じように夜遅くまで酒を飲んでいて、出来上がった一人の男子大学生だった。
しこたま量を飲まさせられたのか、彼がへたり込んだ場所には吐しゃ物の池ができていた。
「はあ、今日先輩が来るなんて聞いていなかったよ」
頭を押さえ、少し恨めし気にその場にへたり込み、愚痴をこぼした。
サークルでも有名な爪弾き者の彼の顔が青年の脳裏に浮かぶ。こんなことなら一次会でさっさと引き上げればよかった。後悔の念とともに一瞬だけ夜空を見上げ、視線を戻す。
「さ、帰ろう」
終わったことだ、と自分に言い聞かせ、立ち上がり、帰路に就いた時、誰かの足音が聞こえた。
「のど、渇く」
突如暗がりから現れた中年の男性に気が付く。こんな時間に一人で出歩くのは同じ酔っ払いだろう。肝をつぶしそうになったが、近く、手の届きそうな範囲に迫った時、青年の酔いが醒め悲鳴を上げた。
焦点の定まっていない目つきに圧倒され腰が抜ける。また、足取りはゆったりとしていたが、どこか引きずるような物音がしその異常さを際立たせている。そして男性の口元から血が垂れ、身に着けているシャツはそれ以上の量の血液で汚れ、死の臭いを漂わせていた。
「おまえ、うまそうだな」
覆いかぶさるように押し倒され、大きく口を開けると人間の犬歯がより大きく、肉食獣のようになった牙が生えているのは分かったが、青年の意識はそこで赤く染まり、そして消えていった。
「まだ、かわきがいえない」
大きな血だまりの中、彼は嘆き、吠える。
次第に人の身体ではなくなっていき、着ていたシャツも変わっていく肉体の強靭な筋肉に押され、破れていった。
体毛がびっしりと生え、耳が尖る。手の爪は鋭くなり、力が、活力が、精力が、かつての二十台のように、いやそれ以上に漲っているように感じていた。
月を覆う雲がゆっくりと晴れていき、その光が彼を照らした。
発達した聴力がヒトの足音を捉え、その方向を向くと、二人の女性が立っていた。
「お嬢様、人狼のようですね」
肩までの長さの銀髪に、時代錯誤の深い紺色の割烹着を身にまとった女性が表情一つ変えずに隣に立つ少女に言った。
お嬢様、そう言われた彼女はこの辺りで有名な私立高校の制服を身に着けていた。
少し茶髪の入った長い髪は奇麗に整えられていて、赤いカチューシャがアクセントになっていた。
「あなたはもう、人の道を踏み外れている」
死刑宣告をするかのようなその真剣な眼差しは凛としていて、彼をたぎらせた。
「おまえの、ち、ならいやせそうだ」
知性を失い、男はそう言い、もう吸い殻のようになった屍をその場へ興味を無くしたように扱う。
「仕方ない」
ゆっくりと息を吐き、彼女の方も覚悟を決める・
「行くわよ、
「かしこまりました、
そっと咲夜の差し伸べた手に、従者である結月が口づけをしたかと思うとその次、歯を立て、噛みつく。
彼女の魔歯から魔力が送られ、咲夜の身体を駆け巡る。自分の身体が熱く燃え上がるようなこの感覚は未だに慣れることはない。
噛みつかれた腕に魔術の術式が浮かび上がり、目が赤くなる。
「
闇夜を裂くように、咲夜が叫ぶ。すると、彼女の腕を噛んでいた従者の結月へ、咲夜の腕の紋章が移動し、結月はたちまち、大きな蝙蝠に姿を変え、咲夜の身体を包み込む。
刹那、それ、は鎧へと姿を変え、深紅と漆黒の装飾が鮮やかに彩られる。そして、過剰に体を駆け巡った魔力がステンドグラスのように飛び散った。
月を背に受けて立つ咲夜は
「うおおお!!」
咆哮にも似た唸り声をあげ、見境もなく男は咲夜へ躍りかかった。
1
世間一般の人間が労働へ駆り出される時間。他に客のいない喫茶店『pallet』へ待ち合わせのため一人、スーツをカッチリと着こなした四十代後半の紳士が訪れる。
カウベルの音だけが寂しく空間に響き渡るが、彼はそんなことも気にかけず、いつもの自分の指定席へと歩み、腰掛けた。
小脇に挟み、持っていた新聞と三流週刊誌を机の上に広げ、まずは新聞に掲載されている昨晩のうちに五人家族の一家が謎の惨殺をされ、その父親だけが現在も行方をくらましている、という現代の先進国にしてはショッキングな内容の記事を眺める。
「ご注文は?」
ようやく彼に気が付いた二十代前半、まだ少しあどけなさの残る若いウエイトレスがぶっきらぼうにオーダーを取りに来た。
「ふむ、ハムサンドとブレンドコーヒーをもらおうか」
いつもの組み合わせを注文すると彼女は舌打ち交じりに戻り、頭を掻きながら厨房へと消えていった。
その約十数分後、今度は若い目鼻立ちの整ったウエイターが注文したものを載せたお盆を片手にやってきた。
「すいません麻生会長、旭のやつにはきつく言って聞かせますので」
平謝りに青年は言い、麻生、と呼んだ男の前に皿ごとオーダーにあったメニューを置いた。
「いや、旭のことは私も重々わかっているつもりだ、それも含めてキミと同行させているんだから、黒川君」
にこやかに言うと、黒川、と呼んだ青年に席に着くよう合図をすると、彼は「失礼します」と礼儀正しく腰を掛けた。
「昨晩の話はもう耳にしたかね?」
麻生の言葉に黒川青年は静かに頷いた。
「ええ、会によるマスコミの情報規制で一般人には知れ渡ってはいませんが、出たんですね久方ぶりに人狼が」
「ああ、仏さんを見てきたが……現場は凄惨だったよ、若いのが何人も便所行きさ」
コーヒーを啜り、新聞の一面の記事を指でトントンと指し示す。
「それで見つかったんですか?」
「いや、会員総出で痕跡を探してはいるがなかなか尻尾を出さないのと、厄介なのが、な」
そう言ってコーヒーカップを置き、もう一つ持参してきた三流ゴシップ誌の付箋を貼ってあるページを開き、見せる。
その記事はとある監視カメラに映った不鮮明な画像が数枚、掲載されているだけだった。
赤と黒の混ざった影が何かと対峙している、ただそれだけの記事。
「会長、これは?」
少し訝しみ、黒川桑太は聞いた。
麻生は少し言うかどうかためらい、一呼吸置き、
「まだはっきりと確信は持てないが、
「
疑念混じりに桑太はそのキーワードを復唱する。
「うむ、とりあえずだがね黒川君、この街に潜んでいる人狼を旭と共に見つけ裁きを加えてやってくれ、そのためには例のシステムも惜しみなく使ってくれたまえよ」
それだけ言うと麻生は机に万札を置き、席を立つ。
「それともう一つ、
それだけ言い残し、麻生は店を後にして行った。
人の往来の激しくなる夕暮れ時、魂を込めた自作の歌を披露するストリートミュージシャンのいる隣で一人の少女が占い道具を机の上に広げ、怪しげな呪い《まじない》を行っていた。
対面に座る人生に少し疲れたサラリーマン風の男性の手を握り、真剣な眼差しで幾度も虫眼鏡片手に手相を眺め、手際よく手を離し、次は男性の顔を見つめる。
少女、
一分もかからないうちに机上の筒に入れている筮竹を一つ取り出し、机の上に置いた。
男は真剣な面持ちのまま、生唾をゴクリ、と飲んだ。
咲夜は神経を尖らせ、筮竹とにらめっこをし、何か、流れのようなものを見つけ、口を開く。
「おじさん、今の生活にどこか不満を持っているのね、お家も、お仕事もどっちも上手くいってない」
そこまで少しまくしたてるように一気に言い放ち、呼吸をする。
何もここまで発することのなかった男性の表情が、はっ、と何かに気が付いたかのようになったのを見て、確信をどこかに持ち、続ける。
「でも大丈夫、安心して。まずお家の方なのだけれども、娘さんも今ちょっと貴方との接し方について悩んでいる、あたしから言えるのは、もう少しだけ娘さんの考えも聞いてあげて」
優しく、少しなだめるように言い聞かせると、男はただ、無言で数回頷いた。
「それともう一つ、今のお仕事、まだ誰にも評価されない、そんな感じだと思うのだけど、これからすぐ、そんなに遠くないうちにあなたに心強い味方ができます。だからこのまま続けてください」
ふう、と一息つくと、額に溜まっていた汗を制服の胸ポケットから取り出し、レース生地のハンカチで拭った。
「こんなところで如何でしょうか、人によっては見にくかったり、聞こえ辛かったりするからたまに間違えちゃうときがあるのだけれど」
少しだけ無邪気で少女のような笑顔を見せ、咲夜ははにかんだ。
男はやはり物静かな人で、咲夜の言葉に数回首を横に振り、感慨深そうに腕を組み、数度頷いた。
「あとこれはあたしからのお守りみたいなものです、気に入らなければ捨てちゃってください」
そう言って、机の下に置いてあるスクールバッグから小物入れを取り出し、開け、赤い石あしらわれたブレスレットを男性に差し出した。
「最初にもらったお気持ち料八千円に含まれているので安心してください」
それだけ言うと男性は納得し受け取り、気持ち足取り軽く去っていった。
数十分ほど後、帰り支度を済ませ、今流行りのタピオカミルクティーを駅周辺の喫茶店『pallet』で一週間ぶりに飲もうと心に決め、咲夜はすでに入店し、カウンターに座りスマホをいじりながら飲み物がやってくるのを待っていた。
こんなものを飲んでいると分かったら、また家で待っている結月が、やいやいと苦言を呈するのかな、と思いつつ、愛想の悪い女性店員が少し乱雑に、ドリンクの入った容器を置き、去っていく。
「相変わらず愛想悪いな」
最初のうちはドキドキとしながら、その後数分間はオーダーしたものに手を付けられなかったが今では彼女の接客にも慣れ、現代の女子高生っぽくタピオカを楽しむ。
今日はどうやらあの愛想の悪い女の人とよく一緒にいるかっこいい爽やかなお兄さんはいないらしい。
ならば長居は無用とばかりに、ずぞぞ、と勢いよくストローで飲み物を吸い込み、一気に飲み干す。
容器の底に埋蔵されたお宝のように無数のタピオカたちが残ってしまう。
「もう、また残った」
別にタピオカミルクティーに限った話ではないが、粒粒入りミカンジュース、コーン入りコーンポタージュといったこういう類の飲み物は結局こうなってしまう、諦めてふたを外し、口をつけ、飲み干す。
席を立ち、勘定をする時もまた例の愛想の悪い人だった。
お金を取り出そうとした時、不意にコミカルな携帯の着信音が鳴る。
「ちょっと、ごめんなさい」
店員がそう言って何のお構いもなく、電話に出る。
そんな少し非常識にも取られる行為に怒りを覚えず、逆に咲夜は面食らう。
時間にして数十秒のやり取りであったが、咲夜にとっては数分に感じた。
「やっぱりあの人感じよくないよなー」
帰路についている最中、ふとそんなことを口に出す。
人の振り見て我が振り直せ、とは言わないが、魔術師の真似をしている自分があんな態度を取らないように、という戒めにもなるので心のポケットに今日の出来事をしまい込む。
話を少し変えよう。東雲咲夜は幼いころからほかの人とは少し違う、と思うことが多々あった。その少しの差異を確信したのは小学生の頃、学校で誰からも好かれているある教師がいたのだが、咲夜自身、そんなにいい人間なのだろうか、と肌で感じた感触にずっと違和感を覚えていた。
今まで初めて会った人の雰囲気は何となくだが直感で当ててきたタイプだったので、少し訝しみながらもその一年を過ごしているときに、学校を震撼させる事件を彼が起こしたのだが、この話はまた追々。
あの日を境に咲夜は街行く人々を占うようになり、そのうちに自分が微量な魔力の流れからその人の雰囲気や、特徴を掴んでいた、ということに気が付き、あとはもう早かった。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
咲夜の家はこの辺りでも噂に出るくらい珍しい和テイストの屋敷だ。辺りが耐震、防災を目指し、次第に無機質で没個性化している中、未だに大正時代を思わせるようなモダンの雰囲気を醸し出している。
そんな屋敷の前でこれまた戦前の時代のように銀髪で紺色の割烹着を着たお手伝いさんが彼女を出迎える。
「今戻ったわ、結月」
そう言って咲夜は通学カバンを結月に手渡し、身軽になった腕をぐるぐると回す。
「お嬢様、本日どこかお立ち寄りに?」
冷たく言い放ったその一言に背筋が凍った。喫茶店から出た後にコロンをつけなおしたし、リップも塗った。ガムも噛んだし、ばれる要素は一ミリもないはず。という傲慢な感情が咲夜の中を駆け巡る。
「普段通り、よ」
少しだけ歯切れ悪く答えてしまっただろうか、という咲夜の自分自身への疑念が残るが、結月はにこりともせずそうですか、と頷き、
「お帰りのところ申し訳ないのですが、奴、が出たので急行をお願いしたいのですが」
妖しく、赤く光る水晶を咲夜に見せつけると、顔つきが変わり、気持ちが一段と引き締まる気がする。
東雲咲夜には街で占いをする女子高生の顔ともう一つ、裏の顔があった。
「行くわよ、結月」
冷静に、そして気高く、これから戦地に行く、そんな百戦錬磨の戦士のような表情になり、咲夜は屋敷に対して回れ右をして、再び日の沈んでいく街の方角へと駆け出した。
2
黒川桑太からの一報が入り、持ち場である喫茶店『pallet』を飛び出し、黒のジャケットにデニムのパンツ姿、という装いに変わった若い女性が、営業時間終了間際の大型商業施設の立体駐車場にバイクで駆けつける。
辺りはやけに薄暗く、人工的な照明が少し、不気味な雰囲気を醸し出していた。
車はまだ疎らに残っているが人の気配がしない。
バイクを停め、拳銃型の武器を手に持ち、辺りを警戒する。
「黒川くんめ、他の仕事が忙しくて現場に来られないなんて……、だから煩悩まみれって会の人に罵られるのよ」
と、相棒である青年に毒づきながら、
「これで
一重できりっとした表情は他人に無愛想、ポーカーフェイスだと思われがちではあるが、この時ばかりは少しだけわかりやすい表情を浮かべていたかなと旭は思った。
どこからだろう、物音が聞こえる。
かすかに聞こえるピー、ピー、という少し拍子抜けしたような電子音のようなものが聞こえ、警戒しつつ、ゆっくりと移動をする。
件の機械音を出している室内が少し明るくなっている白いセダンの車を発見し、少し距離を置き観察をする。
どうやら運転席が開きっぱなしになっていて、その警告音として例の音が鳴っているようだ。
拳銃に銃弾が入っていることを確認し、物陰から飛び出し、銃口を車内に向け構える。
そこには身体全体の体液という液体を奪われ、干乾びた人間だった塊がぼろきれのように横たわっていた。
この哀れな被害者に来世こそは良い生き方ができるように数秒だけ、祈り、思考のチャンネルを戻す。
ここに被害者がいるのならば、加害者がどこかにいるはずだ、もっともこの惨状を見る限りもう既に人ではなさそうだが。
「パパ……」
物陰から女子中学生がふらりと現れる。その様子はひどく憔悴しており、眼もうつろで、着ている衣服に血が大量についていて返り血でも浴びたのかと思うほどだった。
「大丈夫?」
その場にしゃがみ込み、ふさぎ込んでしまった少女を少しだけ哀れに思い、旭は声をかけた。
小さな声で嗚咽を漏らしているのだろうか、人気のない、薄暗い立体駐車場で彼女の声がいやに響く。
「ねえ、あなた」
そっと近くにより、肩に手をかけるか、かけないかの距離で彼女が嗚咽を漏らしているのではないことに気が付いた。
「おなか、へった」
嗚咽と思ったのはうめき声、そして急激に消耗していたエネルギーが減るのを抑えるためにうずくまっていた、ということだった。
こちらに気が付き、肉食獣のように旭に向かって身体全体を使い、跳びかかる少女。その目は赤く染まり、犬歯が鋭く鋭利に伸び、体毛が濃く、毛皮のようになっていた。
うう、という狼のような唸り声に、ナイフのように尖った爪が微かに光った。
「あなたが!」
いったいどこでこうなってしまったのか皆目見当もつかないが、とにかくこうなってしまったからにはできる手段は一つしかない。
思わず身体を引き、距離を取る。人狼化した人間を元に戻すことは現代の医学でも化学でも魔術でも不可能であることを旭は理解していた。
「おーけーい」
少しけだるげに首を傾け、銃の撃鉄を起こす。
正直なところ、こんな
一度試しに装着をしたことはあるので最悪の事態まではいかないだろうと旭は想定しているが、運用まではしたことがない、というのが一つネックだった。
なんにせよ、覚醒してまだ間がなさそうだったので、とりあえずあいさつ代わりに狼少女の足元へ威嚇射撃をする。
超人的な反応で回避行動をし、あっという間に停車している車の陰に隠れ、息をひそめる人狼。
「あなたには申し訳ないけど、人の道を外れてしまったものに生きる権利はないわ」
諭すように宣言し、逃げる人狼を追いかけ、隠れただろう物陰へ銃弾を撃ち込むと、悲鳴にも似た叫び声とともに大きな足音が聞こえる。
「ただ、あなたの仇は私たちがきちんととるわ」
まだ覚醒しきっていない人狼は皮膚がまだ柔らかく、会の作った非力な拳銃の銃弾も効力を発揮しやすい。
これ以上、人を食らい、生き血を啜ると、真種ほどではないが厄介な存在になりかねない。
人間が鬼役をする鬼ごっこを続けているうちに、人狼と化した彼女は、立体駐車場の柱を伝い、壁越しに下へと降りていく。
「まずいわね」
舌打ち交じりに、地上を眺めると、人の通りの激しいメインストリートの方へと走り去っていったのが見える。
踵を返し、先ほど停車させたバイクに飛び乗るとヘルメットもつけずに発信させ、後を追った。
結月に言われるがまま、現場へと急行すると、大きな商業施設へと続く通りで悲鳴と喧騒が聞こえた。
人の波が咲夜の方へと押し寄せ、皆が我を忘れ、一目散に逃げていく。
「お嬢様、急ぎましょう」
結月が急かす、急がないといけないのは分かるが、この怪異と遭遇する前の独特な雰囲気が少しだけ咲夜は嫌で、毎回躊躇してしまう。
群衆の群れを抜け通りへと出ると、そこは凄惨な光景が広がっていた。
逃げ遅れたであろう少女が無残にもはらわたを食いちぎられ、臓物がアスファルトの地面に食い散らかされ、赤く染めていた。
捕食者は口元を朱に染め、こちらに気が付くことなくまだ貪っている。
「まだ生まれて間もない
結月の言葉に頷き、咲夜は片腕をまくり、彼女の前に立つ。
二人の気配に人狼が気付き、低い唸り声をあげ、威嚇をする。尻尾が二つに枝分かれし、より毛が濃く、硬くなり、真種の人狼の持つ性質へと近づいていく。
「こうなっちゃ、あたしが送ってあげられるのは、安らかな、死、だけね」
咲夜が静かに、語り掛けるように呟くと、差し伸べた手へ結月が服従の意を見せるように口づけをし、牙を立て、噛みついた。
魔力が流れ込む、慣れることの熱い感触。咲夜の腕に紋章が現れる。
東雲咲夜には街中で占い師をする顔ともう一つ、誰にも教えていない顔がある。この世の中には魔術師を自認し、普通の人が知覚できないような超常の存在たちと渡り合う人種がいる。東雲の家は古くからそう言った家の血筋ではないが、咲夜自身そういった類に憧れを持っておりその真似事のようなことを続けていた。
もちろん危険なのは重々承知の上だ。
「
魔力の高まりを感じ、結月がカッと目を見開くと、黒く巨大な蝙蝠に化け、彼女の身体を包み込む。
強靭で伸縮性に富んだ黒い皮へと変わり、その上に咲夜の魔力が合わさり、身を守る赤い金属の装飾品へと変化し、過剰に咲夜の体内へ残留した二人分の魔力はステンドグラスのように弾け、大気中へと霧散していった。
獲物の肉、魔力を喰らい終えた少女の人狼はこちらへ視線を移し、低く唸り声をあげ、威嚇をする。
冷たい
吹きすさぶ風の音がやけに耳に残る。誰もいない夜の街で異形の存在が二つ。遠くでパトカーと救急車のサイレンが聞こえ、近づいてくるのが分かる。時間がない。
こちらの気配を悟ったのか再び毛を逆立て、唸り声をあげる。そしてその声が戦闘開始の合図かのように人狼が躍りかかってきた。
彼女の直線的な動きを読み、押し倒されるように体を崩すが、勢いを生かし、人狼の脇腹を掴んで後方へと投げ飛ばす。
十字路のガードレールに激突し、べコリ、という大きな音を発生させる。
咲夜が背筋だけの力で起き上がり投げ飛ばした方向を見ると、人狼がガードレールを下敷きにしてその場に倒れていたが、ゆったりと起き上がり、再び戦闘態勢に入る。
咲夜も間合いを取り、呼吸を整える。
今度は咲夜が駆け出し、距離を詰め、人狼の腹部へと数度拳を叩きこむと、人狼がのけ反る。そこへ間髪を入れることなく、顔面へ掌底を放つ。
うめき声にも似た彼女の叫びが辺りにこだまする。
まだ生まれて間もない人狼故にまだ未熟だ、しかし放っておくと無数の人間を喰らい、成長する。完全に育ってしまうと同胞を増やす厄介な存在になるため、今ここで倒しておかないといけない存在だ。
いったい彼女をヒトから人狼に変えてしまった
「お嬢様……」
鎧になり咲夜を守っている結月が声をかけると、自身が戦闘中に上の空になっていたことに気が付き、自戒の念を入れる。
人狼はこちらの肉を喰らおうと躍起になり、手負いの状態だろうがお構いなしに立ち上がってくる。
「もう、楽になりなさい、
沸々と全身の魔力が熱を帯びていく感覚に身を任せる。黒い鎧が赤く染まっていき、全身が深紅に変わる。
体全身を一瞬だけ縮こまらせ、魔力が全身にみなぎるのを感じ、跳躍。
近くの商業施設の立体駐車場よりもはるか高く跳びあがり浮かんだ月を背に一回転、繰り出す右足から魔力を放出し、人狼のターゲッティングをし、捕捉する。
身動き一つとれず、唸り声だけを上げる彼女目掛け、咲夜の全身全霊の一撃が放たれる。
直撃し、地面にめり込むほどの破壊力を見せたこの一撃は彼女の身体へと確実に魔力を注ぎ込むと、次第に人狼の動きがゆっくりと鈍くなっていき、身体がステンドグラスのように弾けた。
やり遂げた、という感覚は咲夜にはなかった。
「どこに行ったんだよ」
旭はバイクを路地に停め、人狼が逃げたであろう後を追いかけたが手掛かりを掴めずにいた。
携帯を取り出し、通知が来ていないことを確認しポケットにしまう。
取り逃がしてしまった、と舌打ちをし、黒川桑太や会長にどう言い訳をしたものか、と考えていた。
とりあえずは『pallet』に戻ろうとバイクのエンジンを始動しようとした時に、路地から一つの人影が旭の視界に入った。
「
おもむろにスポーツバッグから『トワイライトシステム』のデバイスを取り出し、腰に巻くと、拳銃片手に通りへと飛び出す。
幸い、まだその人影はこちらに気が付いてはおらず、先手を取るならば今しかないと本能が告げる。
引き金にかけている指に力が入り、震える。
「震えるな……あいつは我々の……人類の敵っ!」
旭は雄たけびとともに拳銃の引き金を引いた。
続
百鬼姫 夏木黒羽 @kuroha-natsuki
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