京都島原秋屋相聞〜世がくれなゐに染まる頃〜

九条ねぎ

世がくれなゐに染まる頃

世がくれなゐに染まる頃


 


 その人に初めて出会ったのは、ある秋の事だった。


 鮮やかな浅葱あさぎの羽織を纏う、落ち着いた佇まいの男性。田舎者で無粋と言われていた新撰組しんせんぐみの一員だとは信じられない柔らかな雰囲気で、人を斬る武士とは思えない、とても優しい人。


 そんな彼だから、恋に落ちるのにもそう時間はかからなかった。


 今でも鮮明に思い出せる、あの頃の記憶。偽りの愛しか知らぬ私に、彼が与えてくれた本物の愛。


 彼がいなくなって久しくなった今も、私は時折あの日を思い出す。彼と出会い、紛物まがいものではなく本当の恋に落ちたあの日を。






「ああ、かえで。今日は爽籟そうらいに上客が来ていてね、あんたと撫子なでしこには名代に入ってもらうよ」


「はい、わかりました」


 それは秋頃、もうすぐ日の暮れる時間だった。遣手のおいちさんから今日のお仕事を告げられたので、廊下の隅で待っていてくれた撫子姐さんと共に座敷へと向かう。


 撫子姐さんはうちの見世自慢の太夫、爽籟太夫そうらいだゆうがとりわけ目をかけている天神てんじん(太夫の次の位)で、その下の位である鹿恋かこいの私とは、一緒に座敷へ上がることも多い。


「ほな行こうか。今日は新撰組の方が来るらしいからなぁ。乱闘騒ぎが起こるかもしれんで」


「新撰組……浪士組ろうしぐみの方達ですよね?そんなに荒くれ者なんですか?」


「荒くれ者っちゅうんが正しいかはわからんけどなぁ。若くて血気盛んな連中やから座敷でもすぐに刀を抜くんや。わては慣れたから大丈夫やけどなぁ、あんたは揉め事が起こったら離れとった方がええで」


 そんなに怖い人達なのかと、まだ見ぬ彼らの顔を思い浮かべる。東の方から出てきたという彼らは、どんな風貌をしているのだろうか。無精髭を生やした色黒な男達の顔が頭を過った。


「……ふふっ」


「なんや?何がおかしいん?」


「あはは……ちょっと彼等の顔を思い浮かべてたら、おかしくなっちゃって。それにしても、新撰組の方って、どんな人なんですか?」


 笑いながら答えつつも、なんとなく疑問に思い尋ねる。すると姐さんは、


「せやなぁ……大体は明るくて気さくな人や。酒が入るとちょっと暴れたりはするねんけど、まあ東男は何だかんだ頼り甲斐があるしなぁ。そんなに怖がる必要もないと思うで」


 と教えてくれた。

 楽しそうに話す姐さんの話を聞きながら、手持ち無沙汰にその辺の鞠を放やる。元々噂好きな姐さんは、話し出したら止まらない。色んな人の話を、身振り手振りを交えて教えてくれる。


 新撰組一の剣士と言われている沖田総司おきたそうじさんや、槍を使い戦う原田左之助はらださのすけさん、他にも永倉新八ながくらしんぱちさん、井上源三郎いのうえげんざぶろうさんなど、たくさんの人の話をしてくれた。


 そんな話をしている間に、客人は早くも現れた。随分と大人数で、賑やかそうな人達だ。姐さんが立ち上がり、一番広い座敷へ彼らを案内する。


 私も酒の徳利なんかを盆に乗せ、姐さんの後に続き運んで行った。





「へえ、凄いわぁ。やっぱりは武士もののふの方はちゃいますなぁ」


「そうだろう?見ろよ、この傷なんかな、俺が自分でつけたもんなんだ」


「まあ、流石は左之助はんどすな。格好ええわぁ」


 もう酔っ払っているのだろうか。私の同僚である格子の桔梗ききょうにからんでいる人がいた。豪快に酒を飲み、がははと笑っている、いかにも武士といった感じの雰囲気だった。


 その横に座る二人は、何やら剣の流派の話をしている様だ。随分と白熱しているようで、見る間に盃の酒が無くなっていく。天然理心流、神道無念流、北辰一刀流……まあ、私には分からない話だ。


 まだ半刻も過ぎぬのに、もう出来上がってる人が何人もいた。撫子姐さんはどこかと座敷を見渡すと、奥にいる顎髭を蓄えた男と楽しそうに会話をしている。なるほど、姐さん好みの頼りがいのありそうな男だ。


 庭に近い席では、若い男二人が和やかに話をしていた。

 

 一人は随分と色白で病的に見えるが、大柄で優しそうな雰囲気。もう一人は子供のように澄んだ瞳が印象的な明るい青年だ。目を輝かせながら子供のように話しているので、見ているこちらも和やかな気持ちになる。


 その向こうでゆるりと遊女達と談笑しているのは、まるで役者のように美しい男性。いかにも二枚目な彼の周りには、幾人かの鹿恋かこい(下級の遊女)や禿かむろ(遊女見習い)だけでなく、天神女郎のきぬた姐さんや、私の禿時代の師である鳴子なるこ姐さんもはべっている。


 色素の薄い青年は沖田総司さん、明るい青年は斎藤一さいとうはじめさん、役者顔の男性は土方歳三ひじかたとしぞうさん。皆、所謂“近藤さん派”と言われる人達との事で、彼らはあまり酒に手をつけてはいない。しかし新撰組局長である近藤勇こんどういさみの姿は、ここには無かった。


 そんな中で、一際目を惹かれる人がいた。柔和な顔立ちにうりざね顔の、人よりはやや小柄な男の人。


「酒は飲まないのどすか?盃が減ってまへんで」


 重たい着物の裾を引きながら、彼の元へ躙り寄る。一人盃を持ったまま月を眺める彼に、そう尋ねた。


「いえ、あの人達は酒を飲んだら何が起こるか分かりませんからね。恥ずかしいことですが何分田舎者でして、私がお目付け役とならないと」


「まあ、えらいどすなぁ。でも、お客様には楽しんでもらわんと、うちが叱られてまいます」


 帰ってきた丁寧な答えに感心しながらも、私は酒をつぐ。彼は少し驚いた素振りをしたが、優しく微笑んで口元に盃を近ずけた。


 しかしその時、ガシャンと大きな物音がした。何事かとそちらを向くと、膳が三つほど引っくり返っていた。誰も対応する人はおらず、周りの遊女達は驚いて固まってしまっている。


「おやめください!」


「何をえうぁ!ぉえいあわな……」


 叫んだのは撫子姐さんだった。どうやら、隊士さんの誰かが酔っ払って暴れたらしい。刀までは抜いてないものの、顔を赤く染め、何やら呂律の回らない言葉を繰り返していた。


 撫子姐さんは暫し驚いていたが、流石に慣れているだけあって、すぐに盃や徳利を片付けると、一旦その場を離れた。


 運の悪いことにその近くにいた桔梗は涙目で震えている。


 皆がどうしようもなく立ちすくんでいると、庭の方で腕を組み宴を見守っていた役者顔の男性……土方さんがため息ひとつ吐いて歩き出した。


「お前のような奴がこうして暴れるから、我等は壬生狼などと呼ばれるんだ。我等の置かれる立場をもう少し理解をして欲しいが……」


 その目は、深く濁っていた。無表情だからこそ恐ろしい、見るものを凍てつかせるような冷たいその眼差し。

 その人が刀の束に手を掛けた。慌てて他の隊士が止めに入る。酔っ払いはその剣幕に大人しくなると、一人で揚屋を出ていった。


 誰も追う人はいない。しかし身に覚えのあるのだろうか、居心地悪そうに俯いている人が何人かいた。そんな中で、その場の雰囲気にまるでそぐわない声を発した人がいた。


「まあまあ、皆さん、飲みましょうやぁ」


 間延びした声でそういったのは、彼……山南さんだった。盃を美味しそうに口元へ運びながらも、悪戯っぽくこちらに目をやる。その言葉に、桔梗や姐さんも慌てて隊士さん達に酒をつぐ。


「え、ええ。そうどすなぁ。皆さん、たんと飲んでってくださいなぁ。せや、うちが歌でも歌いましょうかなぁ」


「せやなぁ。じゃあ、うちは舞でも……楓はんも、一緒に踊りまひょ」


 撫子姐さんに呼ばれたので、私も帯を直し舞台へとあがる。舞台と言っても板敷の二畳ほどの場所で、歌舞伎やなんかのと違うけれど。


 彼の方をちらりと向くと、厠へと立つところだった。「大丈夫だよ」とでも言うように目配せをして、彼は揚屋を出ていく。

 私もやきもきしても仕方が無いと、砧姐さんの三味線の音に乗り舞い始めた。


 桔梗の美しい歌声が揚屋に響き、私と撫子姐さんが舞う。砧姐さんの三味線と鳴子姐さんの琴の音色も冴え渡り、いよいよ賑やかな宴だった。

 さっきまでは脅えていた禿達も明るさを取り戻し、皆が皆この饗宴を楽しんでいる。庭の紅葉は灯火の仄かなあかりに照らされ、雲ひとつない空には美しい満月が浮かんでいる。


 中秋の名月とはよく言ったもので、なるほど、月は秋に限るともいいたくなる、あまりにも立派な姿だ。そんな風に皆が盛り上がってきたところに、一人の男が姿を見せた。


「近藤さん!」


 浅黒い肌の色に、何だかあどけなく見える童顔の男だった。沖田さんが彼の元に駆け寄り、座敷の奥の席へと案内する。

 その後ろには、先ほど狼藉をはたらいた男も戻ってきていた。その姿を見て一人二人は眉を釣りあげたものの、皆は彼らを囲んで楽しそうに会話をしている。


 徐に、三味線が穏やかな調子へと移り代わった。鳴子姐さんが立ち上がり、我が楼に伝わる「白鶴千羽」を舞う。まるで真白な鶴の群れが水辺ではたはたと飛び上がるかのようなその美しさに、隊士達は見惚れていた。


 私はなんとなく手持ち無沙汰になり、揚屋の隅へと移動した。桔梗と撫子姐さんはそれぞれ客人の相手をしている。


「大丈夫でしたか?」


 いつの間にか傍に来ていた彼が問うた。私は驚いたが、すぐに彼の方を向き答える。


「はい。山南はんのおかげどす。あの隊士はんももう大丈夫そうですなぁ」


「あの人は普段は優しい方なのですが……」


 彼はそう言うと、それ以上の言葉無く俯いた。彼は悪くないのに、自分のことを責めてしまっているのだろう。彼からすれば迷惑をかけられた側だろうに、それを心配するだなんて。


「そないな顔したらあきまへん。あなたさんのおかげさんでみんな重たい雰囲気も無うなったし、あなたさんも楽しんどぉくれやす。さっきのお人も、たまたまお酒に振り回されただけどす」


「ありがとうございます……あなた、お名前は?」


「うちは楓。この通りの角の店……秋好楼の遊女どす。もし良かったら、この次会うときは二人で……」


 一瞬だけ、本名を教えそうになった。しかしそれは禁忌だと思い直し、誘いの定型文を返す。所詮遊女のこの身が、恨めしいと思った。今日、初めて出会った彼。しかし、今までの客に抱く感情とは全然違うものが胸に溢れている。


「……はい。また、貴方と二人で会えたら」


 驚いて彼を見上げた。社交辞令のような言葉に、きちんと返してくれるだなんて。やはり良いお方だと、益々愛おしくなる。


「ほな、約束しまひょ。次にここへ来た時は、絶対にうちを指名しとくれやっしゃ」

「……はい。また、逢いましょうね」


 彼がにこりと笑い、私も笑う。その時確かに心が交わったような、そんな気がした。


「おーい!さんなんさーん、帰りますよー!」

「はい、今行きますよ。……じゃあ、今日はありがとうございました」


 彼のあだ名は、さんなんさんと言うらしい。暫しそこに立って、遠ざかっていく彼の背を見送る。すると、いつの間にか後ろにいたらしい鳴子姐さんに肩を叩かれた。


「あんた、恋をしたのどすなぁ」


 全てを見通したというようなその言葉に、私は黙って俯いた。私がここに売られてから、ずっと世話をしてくれた姐さん。何かを言いかけて、喉が詰まった。膳の盃には月が映り、背後にある行燈あんどんの火は揺れる。


「あんたは知らんかもしれんけどな、遊女の恋は……」


「わかっています。…一夜の徒花、でしょう?大丈夫ですよ。姐さんの思う様な事ではありませんから」


 生意気にも姐さんの言葉をさえぎって答えた。きっと、認めたくなかったのだ。

 小さな頃、それこそ禿の頃から、私は数多の遊女が恋に溺れる様を見てきた。それなのに一目惚れだなんて、してはいけない。するはずもないのだ……そんな私に、姐さんは困った様に微笑んだ。


「……別に、その想いを抱いとったとしてもええんどす。 せやけど、私達の仕事は、一夜限りの恋を売ること。その想い、決して表に出してはあきまへんで」


 生粋の京育ちである姐さんの京言葉が、どこか重たく感じた。姐さんは蝶文様の裾を翻して楼へと戻っていく。

 私は楼へ戻る気にもどこかへ行く気にもなれず、ただ静かにその場にへたりこんだ。

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