最悪 PART2【なずみのホラー便 第53弾】

なずみ智子

最悪 PART2

 冬の夜十時過ぎ。

 全体的に平和な日本。その日本における、そこそこの人口の地方都市。

 一人での外出は、若い女であってもまだまだセーフだ。

 ”若い女であっても”ってことは、男である俺の場合はなおさら大丈夫だ。


 金銭目的か、それ以外の目的で輩に襲われたとしても、元陸上部の俺は足の速さには自信がある。

 二十代半ばの俺のスタミナは、現役時代と比べて落ちてはいるだろうけど。

 それに、もしその輩が一人ではなくて複数だった場合は少し厳しいかもしれない。

 

 というか、歩いて五分程度のコンビニに、冷凍鍋焼きうどんを買いに行くだけなのに、今夜の俺はなぜこんなに不安になっているんだ?

 これは俺の”第六感”とかいうやつが知らせている危険信号なのかもしれない。

 やっぱり、コンビニに行くのを止めようか?

 冷蔵庫の中にある残り物で、夕飯を済ませてしまおうか?

 いや、でも今の俺はどうしてもあのコンビニのプライベートブランドの冷凍鍋焼きうどんが食べたい。

 食べたくて食べたくて、たまらない。

 美味しい鍋焼きうどんで、腹の底からあったまりたいんだ。

 

 マンションの玄関を出た俺の肌は、冬ならではの冷気によってブワワッと鳥肌立った。

 ズボンの尻ポケットに財布を、そしてダウンコートのポケットには家の鍵と両手を突っ込んだ俺は、背中を丸めてコンビニへの最短ルートを歩く。


 日本の夜はまだまだ明るい。

 蝋燭とか行燈とかしか知らなかった昔の人たちは、何も見えなくなる夜の闇に恐怖を感じ、その恐怖が妖怪や幽霊の源泉となったのだろう。

 ”恐怖”ってモンにも、時代の変遷を感じずにはいられない。

 このご時世、妖怪や幽霊とかよりも、社会の中にいるサイコとかの方がよっぼど恐怖と困惑の対象だからな。

 いや、サイコとまではいかなくても、常識が通じない奴ってのもそこそこいるから困ったもんだ。



 俺は何事もなく、コンビニでお目当ての冷凍鍋焼きうどんを買うことができた。

 ちなみに、お菓子コーナーでついに目に留まった”かりんとう”まで買ってしまった。

 あとはこのまま家に帰るだけ。

 第六感なんて、抽象的なモンはあてにならなかったな。やっぱり単なる取り越し苦労だったんだ。



 コンビニ袋を提げて歩く俺の十数メートル先を、犬を散歩させている女の子が歩いていた。

 女の子と言っても、小学生もしくは中学生の”少女”という意味ではない。

 彼女の後ろ姿から推測するに二十代前半、いや、もしかしたらまだ十代後半かもしれない。


 街灯が明るく照らしている彼女のコートは淡いピンク色で、襟と両袖口にはふわっふわの白いファーがついていた。バレエのチュチュのような形のミニスカートからは、白いタイツに包まれた長くてすらりとした足が伸びていた。

 彼女の横顔もチラッとだけ見えたが、思わずドキッとしてしまうぐらい可愛かった。


 しかし、まだまだ明るいとはいえ、こんな時間に若くて可愛い女の子がたった一人で犬の散歩なんて危険だ。

 戦闘能力の高いキング・シェパードやグレート・デーンを連れているならともかく、彼女の傍らにいるのはクリーム色のちっちゃい犬……おそらくチワワだろう。

 でも、可愛い彼女にはピッタリの犬かもしれない。


 やっぱり犬や猫とかが好きな女の子っていいよな。

 俺も恋人にするなら、絶対に動物好きの女の子がいい。


 でも、いくら動物好きで可愛い女の子が前を歩いているとはいえ、「可愛いワンちゃんですね。ところで、この辺に住んでいるんですか?」なんて彼女に声をかけたりするわけがない。

 見ず知らずの女の子をナンパする度胸と自信を持っている男なんて、ほんの一握りだ。

 というか、チラッと見えた横顔だけでもあれだけ可愛いだから、おそらく彼氏持ちだろう。


 俺は彼女に不埒な輩だと思われないように、そう、彼女に恐怖心を与えないように少し距離を取って歩くことにした。

 男にとってはなかなか生きづらい世の中だ。

 自意識過剰かもしれないが俺が急に歩調を速めて彼女を追い越すのは不自然だし、彼女だって「男の人が私を追いかけてきたの?!」って怖がるだろうから。



 俺は、ふと気付く。

 あの彼女、犬の散歩において必要不可欠なものを持ち歩いていないようだ、と。

 

 俺も昔、実家で犬を飼っていた。

 その犬はもう老衰で死んでしまったけど、犬の散歩に行く時は俺も俺の家族も必ずエチケット袋と水を入れたペットボトルを携帯していた。犬がおしっこをしたなら、ペットボトルの水でその箇所を清めてもいた。

 誰かに言われたわけじゃくて、これは犬を飼っている者として当たり前のマナーなんだから。



 と、彼女が突然に立ち止まった。

 いや、違う。

 チワワが立ち止まったから、彼女も立ち止まったのだ。

 便意を催したらしいチワワは、ウンチングスタイルを取り始めた。

 それも、とある家の門の前で……



「いっぱい出したねえ、マロンちゃん。すっきりしたでしょ」

 プリプリと排泄を済ませたチワワの小さな頭を、しゃがみこんだ彼女は優しく撫でていた。

 俺の所まで聞こえてきたその声までもが、可愛かった。

 でも、自分の犬が他人の家の前で排便したにも関わらず、彼女はそれを片付けることもせずに、そのまま立ち去ろうと……



 最悪だ。

 どれだけ可愛くても、あんな場面を見てしまっては無理だ。

 犬を可愛がる心を持っているなら、公共のマナーを守る心も併せ持っていろよ。


 でも、俺は彼女に注意はしなかった。

 彼女が俺の家族とか恋人だったら間違いなく注意していただろうけど、下手に注意して逆切れされ痴漢だと冤罪をかけられる可能性だってある。

 

 しっかり見てしまったけど、見なかった振りをしよう。

 家の前を犬のトイレにされた、あの家の人たちには気の毒だけど。

 非常識な奴には関わらないに限る。



 と、その時だった。

 家の玄関から、おばさんが飛び出してきたのだ!

 ズドンとしたドラム缶を思わせるような体型のおばさん――おそらくあの家の奥さん――は、怒りで両肩を上下させていた。


「ちょっと、あんた! あんただったのね! ”いっつもいっつも”うちの家の前で、犬にウンコをさせてたのは!」


 彼女はその細い身をビクッと震わせ、後ずさった。

 彼女の足元の小さなチワワもビクッと震えて、後ずさった。


「え? やっ……あ、あの……でも、マロンちゃんはお散歩の時は”いつも”ここでしかウンチしなくなっちゃってて……」


「あんたの犬がどこでウンコしようが私たちには関係ないわよ! っていうか、あんた、ウンコ袋ぐらい持ち歩いたらどうなのよ!」


「で、でも、だって、マロンちゃん体が小さいから、ウンチもそれほど大きくないし……」


「小さくても大きくてもウンコはウンコでしょ! 犬を飼うなら他人に迷惑をかけないように、マナーと常識を身に着けなさいよ!!」



 おばさんに怒鳴られた彼女とチワワは恐怖に縮こまってしまっていたけど、おばさんが言っていることは至極正論だ。

 毎日毎日、蓄積され続けていたウンコの怒りがついに爆発したのだろう。

 誰がジャッジしても非は彼女にある。自業自得だ。


 俺はそのまま揉めている彼女たちの横を、通り過ぎることにした。

 さっき買ったばかりの”かりんとう”は、今日はちょっと食べるのをやめておこうか、とも思いつつ……

 陸上部時代に培ったスパート力でダッシュで走る(逃げる)のは、状況的にあまりにも不自然だから、”何も見ていないふり聞いていないふり”をして、スタスタとごく普通に通り過ぎようとした。


 そのはずだったのだが……


「……あ! アッくん、助けて!」


 彼女が――いや、彼女とチワワが俺に助けを求めてきた!


「え? あ、いや、俺は知りませんよ。俺は無関係ですって!」


「ひどいこと言わないでよ、アッくん。アッくんは私のカレシじゃないのぉ」


 今にも泣き出しそうな声の彼女が、俺の腕に馴れ馴れしくすがりついてきた。

 彼女の顔を間近で見てしまった俺は、思わず悲鳴をあげそうになった。


 彼女は後ろ姿もファッションも若く、声までも”若い女の子みたいに”可愛かったが、その顔はちりめん皺だらけで、ほうれい線もくっきりだった!

 不自然なほどにビシビシの睫毛も、黒々と周りを囲まれた小さい目の上で、毛虫みたいに不気味に蠢いている!


 あ、あ、あんた、絶対に俺より二十歳以上、年上だろ!?

 若作りも度が過ぎると怖いんだよ! 見た者に恐怖しか与えないんだよ!

 ある意味、一種の妖怪じゃねえか!?

 

 それになんで俺を巻き込むんだ?

 男連れだと知ったら、怒れるドラム缶おばさんだって、ひるんで家の中に引っ込むんじゃないかとでも思ったのか?

 それに、俺はアッくんじゃない。思いついたばかりの適当な名前で呼ぶなよ!

 

 俺は財布の中のフルネームが書かれた診察券でも見せて、アッくんじゃないってことを証明して逃げようと考えた。

 でも、俺の名前は”アキガワアキヒコ”だった。

 苗字も名前も、”あ”から始まるという何たる最悪な偶然……


 その偶然に追い打ちをかけるかのように、チワワが俺の足にじゃれついてくる。

 緊迫したこの場の空気が読めないのか、それとも”空気を読んで”俺がこの妖怪女の超年下カレシだとおばさんに思わせるためにか、やたらと親しげにじゃれついてくる。


 おばさん二人の諍いに完全に巻き込まれてしまった俺。

 最悪の巻き添えだ。

 いくら足の速さには自信があっても、逃げるタイミングを俺は見誤ってしまったんだ。


 完全に夜叉と化しつつあるおばさんが、ジロリと俺を睨んだ。


「……あんたら二人の関係なんて、どうでもいいのよ! 私はただマナーを守れって言ってるの! 犬のウンコは飼い主がちゃんと持って帰れって言ってるのよ!!」


 金切り声で喚いたおばさんはバッとしゃがみこんだかと思うと、チワワが放出したばかりのウンコを、そのままガッと素手で掴んだ!

 なんと、”それ”をブン投げてきた!


「きゃっ!」

「キャン!」


 妖怪女とチワワは、俺の後ろに素早く隠れやがった。

 俺を盾とするために!



―――完 (´;ω;`)―――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最悪 PART2【なずみのホラー便 第53弾】 なずみ智子 @nazumi_tomoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ