語り手の「私」は、孫が「あ、おじいちゃん、消しごむ取って」と言った何気ない一言から、小学生だったときのことを思い出します。「私」の子ども時代は、戦争が終わった1950年代。そのころの日本が貧しかったことは、きっと想像に難くないでしょう。
その日は給食がなかったので、「私」は母に作ってもらったお弁当を持参します。お昼になり、教室の机で食べていると、女の子がそのそばを通ります。ただそれだけなら良かったのですが、彼女は「私」の机に置いてあった消しゴムを不意に掴み、落とすのです。
「私」はそれに対し、苛立ちのようなものを覚えますが、その瞬間自分のお弁当から卵焼きがなくなっていることに気づくのです。
犯人が誰なのかは明白ですが、ふと「私」は彼女の家が貧しかったことを思い出します。そのあとの「私」がどういう行動に出たのか。気になる方は、是非本編を読んで確認してみて下さい。
多くの人の生活が豊かになった今でも、貧しい人たちはいて、学校の給食費も払うのが難しい家庭の方もいます。色々な理由はあるにせよ、「貧しい」というのは心を荒ませるところがあります。
そのなかで「私」が取った行動。それはきっと少なからず少女のなかで、温かいものとして残っているのではないかと思います。そして読んだ人にも、その温かな気持ちが伝わってくるはずです。
最後になりますが、落ち着いた文章と、この時代背景がよく合っていて読みやすく、何よりも卵焼きの描写が素敵で読んでいると食べたくなってきます。
「私」が卵焼きを盗んだ女の子に寄せる気持ちに対しても、最後にきちんと回収されて、温かくすっきりとしたお話です。
読んでみては、いかがでしょうか。
消しゴムと卵焼きにまつわる、子供の頃の思い出のお話。
どこか郷愁を誘う昭和の風景。なかなか珍しい題材なのはいうまでもなく、人物の設定(あるいは書かれ方?)に際立ったものを感じます。
ただ古い時代を書くのみでなく、それを小学校の頃の思い出として、年老いた『私』の回想として描写する。一般的に、物語の主人公としてはどうしても青年期や壮年期の人物が多くなる中、この年齢設定だけでもう目を引くというか、なんだかとても新鮮でした。
主題というか、物語を通じて書かれているものそれ自体が好きです。細かな心の有り様、ひとことでは言い表せない感情の動きのような。作中の出来事それ自体は決して大仰な事件ではなく、でもだからこそ伝わる微妙な心境の揺らぎ。些細だけれど大きな出来事。そして最後の、その感情の着地点。
大きな時間の隔たりを繋ぐ、綺麗な流れのようなものを感じさせてくれるお話でした。