怪夷の脅威が消えた日ノ本には、穏やかな日々が戻って来た。

 だが、荒廃した場所や、先の作戦での損害などの復興はまだまだこれからである。

 逢坂の街では、今日も爆発した大阪城の蒸気炉再建が急がれ、その工事の音が日夜響いていた。

 怪夷はまだ完全に消え去った訳ではないが、徐々にその出現頻度は減り、少しずつ夜間の外出禁止令は解除されつつあった。

 逢坂の街は、天下の台所と呼ばれた時代の活気を取り戻しつつある。

 江戸から戻った莉桜達は、それぞれ事後処理に奔走していた。

 


 奥出雲の刀工の里の工房で、莉桜は弟の桃夜と父の一番弟子である柳楽と共に刀剣の作成に当たっていた。

「小父さん、これでどうかな?」

「ふむ...いい出来じゃ」

 打ちあがった太刀を眺め、柳楽は出来栄えを確認する。

「これで五本か...」

「図面が残されてて助かったよな...」

「さて、これだけでは終らんぞ...莉桜様、桃夜、最後の仕上げをするぞ」

「はい」

 打ち上げた五本の刀剣を手に、三人は聖剣の母胎とも言うべきあの洞穴へと向かった。

 全ては、ある準備の為に。



 帝都・御所で雪那は皇族としての責務を次の代へと移す儀式に臨んでいた。

 もう怪夷を祓う為の斎王は必要が無く、斎王の務めは本来の役割に戻る事になる。

 自身の従弟に当たる姫にその任を譲り、雪那はその役目から解放された。

「はあ、これでもう自由だ~」

「お疲れ様でした。よかったですね」

 土方が務めていた近衛の任を引き継いだ市村に見送られ、雪那は小さく肩を竦めた。

「ごめん...土方さんの事...」

「いえ、気にしないで下さい...あの人は、多分満足してるだろうし...哀しいけど、俺も進まないと」

 寂しげな表情で市村は御所の庭先に視線を向ける。

 桜の花が舞う光景に目を細め、彼は不意に話出した。

「もう直ぐでしたっけ?出発は」

「うん、莉桜ももう直ぐ戻ってくるし。やっと、向こうさんと話が付いたみたい」

「貴方方も忙しいですね」

「支援の見返りをこっちも払わないとね。それに、僕等にしか出来ないからね」

 舞い散る花びらを見つめ、雪那は胸を張る。

「ご武運を」

 意気揚々と意気込みを語る雪那に市村は祈るように告げた。



 逢坂の四天王寺にある緒方診療所で、雨は検査の結果を待っていた。

「はあ~」

「そんな心配せずとも大丈夫ぜよ」

 雪那や莉桜の代わりに、自身の治療も兼ねて付添っていた坂本が、その背中を励ますつもりで叩いた。

「うん...」

「東雲さん、診察室どうぞ。坂本さんもね」

 診察室から顔を出した華岡に呼ばれ、雨は坂本に付添われて診察室に入った。

「...奇蹟だ。というか、びっくり仰天」

 カルテを眺めて、緒方はニヤリと笑う。

「東雲君、君の黒結病は治った。完治したと言っていいよ」

「え、本当に!」

 驚いたのは、雨自身もだった。

「ああ...私もこんなのは初めてだが...なるほど、聖剣には病を癒す力もあったのか...私もメスとか打って貰おうかな...」

「そのお金、どこから予算出るんです?ただでさえ、無償診療に近いのに」

 坂本の傷の具合を確かめながら華岡は呆れた様子でぼやく。

「むう、華岡君、最近言うようになったな」

「もう研修医じゃありませんから」

 ニヤリと皮肉気に笑う華岡に、緒方は子供のように頬を膨らませた。

「まあ、治ったからと言って、無理はしないようにね。君は成長期なんだから、沢山食べるんだよ。道中気を付けてね」

「はい。あの...先生、僕も医者になるにはどうしたらいいですか?」

 唐突な質問に、緒方は目を見張る。

「そうだな...まずは色々な事に興味を持つ事だな。丁度いい、外国とつくにの最新医術をその眼で見て来るといいさ」

「君の年齢なら、幾らでも道はあるさ。なんなら僕に師事してもいいよ」 

「あ~華岡君はオススメしないかな」

「酷いですよ、先生」

 華岡を指差して緒方は眉を顰める。

 師匠の言い分に華岡はすかさず抗議した。

 二人の変わらない遣り取りを雨は笑いながら見つめた。



 坂本の治療が終わり、その帰り道。

「そうじゃ、雨、これをおんしにやろう」

 そう言って坂本が差し出したのは、布に包まれた長い物だった。

 渡されたそれの布を解くと、現れたのは一丁の小銃だった。

「最新式のライフルじゃ。新しい銃剣にはそれなりにいいモノを付けんとな」

「ありがとうございます!」

 真新しい小銃を握り、雨は年相応に喜んだ。

「嬢ちゃん達の支えになってやっちょくれ」

「はい!」

 坂本から託された思いを受け取り、雨は強く頷いた。



 帝都のある寺を猛は花を手に訪れていた。

 二つ並ぶ墓標の前に花を備え、猛はその前にしゃがみ込んだ。

「土方さん、沖田さん...ようやく江戸の復興も始りました。色々目まぐるしく変わっていて、毎日何処も賑やかですよ」

 墓標に刻まれた故人の名を呼び、猛は静かに現状を伝えた。

「来週、日ノ本を立ちます。今度は、世界を救う為に...悠生の母国のエスパニョーラに渡る事になりました。だから。暫くここへは来られないけど...見守っていて下さい」

 墓標に手を合わせ、猛は尊敬すべき者達の冥福と、己の旅の安全を願う。

「お世話になりました」

 ゆっくりと立ち上がり、二つの墓標に背を向けて、猛は歩き出す。

 周りの木々を揺らし、猛の頬をそよ風が撫でる。

 ハッと、肩越しに後ろを振り返り、猛は墓標に向かって微笑んだ。

 


 ばささああ。

 蒸気船の帆が大きく広げられる。

 逢坂湾の人工島。

 エスパニョーラの緋色の旗が掲げられる中、船では悠生とレオが走り回っていた。

「よし、風も問題ないな」

「荷物の積み込みも終わったし、いつでも出発出来るよ」

 帆の張り具合や乗組員の配置を確認し、悠生はレオに出発完了の指示を出す。

「英雄の皆様は乗り込みオーケーかな?フェル」

「甲板で出発を待ちわびているよ」

「そうか、それじゃ、そろそろ出発するか」

「すっかり船長だな...俺の船なのに」 

 海図を手に胸を張る親友の態度に悠生は苦笑する。

「まあいいじゃないか。さて、後は俺に任せてお前は愛しのセニョリータの傍にいてやれよ」

 グイっと、レオに肘で突かれて悠生は苦笑したまま操舵室から甲板へと出た。

「ユウさん、もう出発?」

 甲板の縁に寄り掛かり茅渟の海を眺めていた莉桜達は、甲板へ出て来た悠生に気付いて振り返った。

「お待たせ。いよいよ出発ですよ」

 莉桜の問いに悠生は笑みを浮かべたまま答える。

 江戸城の魔術炉が機能を止めた事で、繋がっていた霊脈が途切れた今、大災厄を起こした世界の魔術炉破壊が可能になった。

 そして、莉桜達は日ノ本の怪夷退治を支援してくれたエスパニョーラ政府の要請に応じ、彼の国を救う為、今日、旅立つのである。

「次は世界の怪夷と戦うのか...骨が折れそうですね」

「だから、莉桜さんが聖剣の写しを打ってきてくれたんだよね」

 腰に差した真新しい打刀を見遣り、猛は同じく最新式の小銃に装着した銃剣を持つ雨の一言に頷いた。

「写しっていっても、聖剣を生み出す為に最初に打たれた試作品の改良だからね。それに、柄とか拵えは以前のままだし」

 自身も腰に佩いた太刀を持ち上げ、莉桜は自信ありげに胸を張る。

「それにしても、写しっていうよりそのままじゃん」

「そりゃ、柳楽の小父さんと桃夜が頑張った結果に決まっとるやん」

「やっぱり、慣れた得物があるのは助かりますね。ありがとう、莉桜さん」

 渡されたばかりの剣を見つめて悠生は優しく微笑む。

 彼の笑顔に莉桜は頬を染めてはにかんだ。

 大きな軋む音を立てて、船が離岸する。

 風を受け、茅渟の海を進み始めた蒸気船から、莉桜達は大海原を見つめた。

「さあ、行くよ。世界をあるべき姿に戻す為に」

 風を受けて走り出した船の上、五人は水平線の先に思いを馳せる。

 新たな旅立ちの中、海原を見つめる彼彼女達の肩や足元には、ハリネズミや黒猫、五匹の動物達が寄り添っていた。

 




【終】

 

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逢坂怪夷奇譚 夜桜 恭夜 @yozacra-siga-kyouya

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