最終話
江戸城の中心であったその場所は、長らく天守閣を頂かない場所だった。
幾度となく火事の炎に巻き込まれ、いつしか石垣のみを残して佇むその場所に。今は巨大な筒上の人工物が建っていた。
その目の前で待ち構えていたのは、全ての元凶たる仮面の男。
「やはり、来ましたね」
友との再会を喜ぶように、メルクリウスは莉桜達五人に親し気に笑いかけた。
「メルクリウス...」
悠然と佇む異様な気配の男を莉桜達はそれぞれ睨みつけた。
「アンタを倒してその魔術炉、破壊させて貰う」
「ああ、やはりそのつもりで来ましたか...ここまで育てるのは骨が行ったのですが...これはこれで面白い結果になりましたね」
魔術炉を愛おし気に撫でてメルクリウスは目を細めた。
「貴方が何をしたかったのかは知らないけど、今日でそれも終わりだよ」
「威勢がいいですね...あの時恐怖に打ち震えていたとは思えない程に。自分が元凶の片棒を担いでいるのを棚に上げてでもですか?」
メルクリウスの問い掛けに、雪那は一瞬息を飲む。だが、揺らいだその肩を猛がしっかりと後ろから支えた。
「雪那さんは、犠牲者だ。貴様の悪事の片棒なんて担いだない」
鋭く睨んでくる猛に、メルクリウスは袖口で口許を隠して僅かに身体を揺らした。
「ああ、怖い。しかし、それくらいがいいでしょう...さて、やはりラスボスらしく貴方達を迎え撃つべきでしょうね」
パチンと、指を鳴らしたメルクリウスの周り、地面から黒い影が這いだして来る。
「さあ、最後の舞台の幕開 けですよ」
舞台役者よろしく、両腕を広げたメルクリウスの命に答え、人の形をした黒い影が莉桜達に襲い掛かる。
莉桜と雪那を護るように、悠生と猛がそれぞれ前線へ踊り出る。
神刀・朔月と神刀・暁月の閃光が、迫りくる怪夷を切り裂いて行く。
その二人を援護する神刀・弦月の放つ銀色の弾丸が怪夷の身体を突き抜けた。
「雪那」
「了解」
互いに視線を交わし、莉桜と雪那は神刀・帝月と神刀・刹月を構え、メルクリウスの前に一気に躍り出た。
振り下ろされる白銀の刃を、メルクリウスは手にした杖で受け止める。
「これが聖剣...その中でも秘蔵とされた二振り。なるほど..始りと終わりの意味を持つだけはありますね」
ギリギリと、金属の擦れる音を響かせながら、メルクリウスは自身へ迫る白銀の刃をまじまじと眺めた。
自身が斬られる事など、微塵も恐れていないというように、彼は、研究者としての視線で莉桜と雪那、二本の聖剣を眺めた。
「随分呑気やね」
「そう見えるなら、それは少し違いますよ」
喉を鳴らして笑い、メルクリウスは杖を大きく水平に振って、莉桜と雪那の刃を退けた。
「これでも、死ぬかもしれないという状況に打ち震えていますよ...死とは、どんな感じなのか、それを確かめられるかもしれないと思うと、心がざわつきます」
「変な事言うんだね。貴方は一体、この日ノ本で何がしたかったの?」
雪那の問いに、メルクリウスは一層笑みを深くした。
「その質問には既に答えてしまったので...別の回答を...ただの探求心です。私はこの世界がどうなろうと構わない。ですが、どうです?陰陽の鍵を宿した巫女達よ。私の実験に付き合いませんか?もう一度その身を持って魔術炉を違う完成に導き、世界が変わるのを見たくはないですか?」
手を差し伸べて来るメルクリウス。
仲間になれというその妄言を莉桜と雪那は否定した。
「は?付き合う訳ないでしょ。もし、私達がいて魔術炉が完成するとしても、世界が元に戻りそうにないし」
「僕等はそんなものに頼らない。今度は自分達の手で未来を掴むんだ」
太刀と鎌を構え、莉桜と雪那は再びメルクリウスとの間合いを図る。
「ああ...残念です...でも、その決意は実に眩しい」
うっとりと頬を紅潮させるメルクリウスの眼前に、莉桜と雪那は差し迫った。
雪那の手から、寛永寺から持ってきた破魔矢が投げられ、それは空を切って見事にメルクリウスの胸に突き刺さる。
聖剣以外の攻撃に驚くメルクリウスを神刀・帝月の一閃が袈裟懸けに切り裂いた。
「未来は...そんなに優しくないですよ...」
肩から脇腹に掛けて、刃の走った場所から、赤黒い血が噴き出す。
後ろに倒れて行くメルクリウスの首を、雪那は神刀・刹月の湾曲した刃で持って、切り落とした。
「私はいずれ蘇る!何度でも、君達の怨念が満ちる時、第二、第三の私が君達の前に現れるだろう!覚えて置くといい...未来はもっと酷いという事を...」
首だけになっても尚、メルクリウスは最期の言葉を残し、灰燼と化して消え去った。
「莉桜さん、雪那さん」
メルクリウスが最期に吐き捨てた言葉を考えていると、怪夷を倒し終えた悠生達が合流した。
気が付くと、当たりは魔術炉の駆動音意外の音が消え、異様な静けさに包まれたいた。
「莉桜、最後の仕上げだよ」
「うん、そうだね」
メルクリウスの消滅を確認した五人は、最後の仕上げの為の準備を始めた。
それは、決戦に向かう少し前の事。
「え?じゃあ、魔術炉を封印したら、もう弦月達とはお別れなの?」
聞かされた真実に、雨は大きく目を見張り、寂しげに眉を垂らした。
「そうか...やっぱりそうなるのか」
肩に止まる朔月の喉元を、悠生は名残惜しむように撫でた。
この旅が、最後になる。
それは、十五年も共に過ごした悠生に取っても、耐え難い感情だった。
「土方さんから譲り受けた刀を手放すのは少し辛いな...」
傍にある打刀に触れ、猛は肩を落した。
「ごめん...でも、その為にこの五本は打たれたから」
「僕も刹那と別れるのは寂しいけど...日ノ本を元に戻すためだからね」
刹那の最中を撫でて雪那は寂しげに顔を曇らせる。
それは、真実を三人に話した莉桜も同様だった。
「三日月と離れるのは寂しいけど...それが、この子達の役目なら、やっぱり果たさないとね」
「そういう訳だから、最後までしっかりお別れしといてね」
自分に言い聞かせるかのような莉桜の言葉に、雪那達は静かに頷いた。
そして、その時は、目前に迫っていた。
纏っていた軍服を脱ぐと、莉桜と雪那の衣装は巫女装束へと変化した。
白衣に緋袴を纏い、禊代わりに水筒に入れていた水を被り、清めの塩を撒く。
「良し準備出来たよ」
「それじゃ、始めようか」
顔を見合わせ、莉桜と雪那は悠生から順にこれまで共に戦ってきて聖剣を受け取った。
「朔月、これで本当にお別れだな」
『悠生...私を外の国に連れ出してくれた事感謝しているよ。ありがとう...旅が出来て楽しかった』
肩に乗っていた鷹が、バサバサと翼を広げ、淡い銀色に輝くと、そのまま剣に宿る。
「暁月...その、本来の姿を驚いたのは悪かった...けど、俺はお前と戦えて良かったよ。俺の相棒でいてくれてありがとうな」
『ボクの方こそ...これからは雪那様をしっかり護って下さいね』
足元でパタパタと羽をばたつかせたペンギンも銀色の光となって、打刀に吸い込まれる。
「弦月...僕...もっと君といたかったな...」
『それは、うちもですわ。でも、こればっかりは...雨はん、どうかお元気で』
銀色の光になる前に、雨は弦月を思いっきり抱き締めた。少しだけ窮屈そうだったが、弦月は嬉しそうに尻尾を揺らした後、他の兄弟達同様に銃剣の刃に宿った。
それぞれが別れを済ませたのを見届けた莉桜と雪那はそれぞれから聖剣を受け取った。
「じゃあ、始めるから」
この先の儀式は莉桜と雪那にしか出来ない。
悠生達は陣を張った外に身を引いた。
魔術炉を囲む五か所、丁度五芒星を描く頂点の位置に、莉桜と雪那は悠生、猛、雨から託された聖剣を突き刺して行く。
神刀・帝月と神刀・刹月を突き刺した後、二人は魔術炉の前で向かい合った。
向かい合い、鏡を掲げた莉桜と雪那は謡うように祝詞を唱え始める。
節に合わせて手と足を動かし、神楽が捧げられる。
神楽が始まって直ぐに、五か所に突き刺さった聖剣が光だし、線を繋ぎ、円を描いて魔術炉と二人の巫女を包み込んだ。
紫の禍々しい光が、白い光に包まれ、浄化されて行く。
その光は、霊脈を通り、江戸の街に溢れ出した。
ホマレの胸に、深々と矢じりがが突き刺さる。
間一髪の所で、莉桜が志狼に渡していた破魔矢がホマレの胸を貫いていた。
「...はあ、はあ、なあ...風祭、こんな荒れた世界でも、あんたも俺も、九頭竜や水原社長も必死だったんだよ...お前は絶望したかもしれないけどさ...水原社長はそれ以上に全てを抱えていたんじゃないか...?」
「...まさか...君に説教されるとはね...どうだろ...私は...何も知らされていなかった事がいやだったのかも知れない...」
じわじわと、消えていく身体を見下ろし、ホマレは脱力した。
あれだけ憤っていた感情は当に消え、何に対して憤っていたのかすら忘れていた。
「...前から思っていたけど...赤羽君は...おせっかいが過ぎると思うよ...格好つけてばかりだから思いを伝えられない...」
溜息と共に吐き出されたその言葉は、本来の風祭誉のもの。
「は?何言って...」
「もっと、素直に生きた方がいいよ...でないと...私みたいになるからね...」
清々しく微笑んで、既に恨みなど消え去った表情のまま、ホマレは砂となって地に帰って行った。
「たく...もっと一緒に闘いたかったな...」
消えていく先輩を見送り志狼は天守の方を振り仰ぐ。
そこには、天から下りる梯子を思わせる光りの筋が立ち上っていた。
目の前で、豪奢な着物を纏った花魁が砂へと還っていく。
「これで...やっと逝けるのかえ...」
紅を引いた唇に赤い筋を伝わらせ、ランは自分を貫いた破魔矢に手を添えた。
既に間隔は無く、目も殆ど見えていない。
けれど、その目には天守から昇る白い光が確かに見えていた。
「ああ...燐...やっとわっちもそっちへ...」
天に手を伸ばした瞬間、ランの身体は弾けるように消え去った。
「はあ、はあ、たく...待ってろって、言っただろ...なんで来たんだよ、一」
弓を手に自分に駆け寄ってきた斎藤に永倉は呆れて肩を竦めた。
「すみません。秋津川公爵とリベラトーレ伯爵に直談判して、船で来ました」
「あっそ...」
披露した身体を地面に投げ出して、永倉は大きく息を吐いた。
「土方さんは...」
「さあ?でも、決着は付けたんじゃない?」
永倉の一言に、斎藤は目を唇を引き結んだ。
「行くか...上野に」
「はい...」
顔を歪めた斎藤の背中を摩り、永倉は黙って仲間の顔を見つめた。
炎に包まれた上野山で、坂本は左腕を失いながら、山中を彷徨った。
「高杉!高杉!何処じゃ」
転がりながら辿り着いた先で、坂本は満足そうに地面に横たわる高杉を見つけた。
既に、ジュウロウザの姿は無く、代わりに塵灰がその場に散っているのを見止めて、高杉が刺し違えたのを坂本は悟った。
「...高杉...おまん」
「よう...坂本...はは、俺はここまでだな...」
まだ息があったのか、高杉は傍に来た坂本を見上げた。
「悪い...嬢ちゃん達の事は頼む...」
「任せるぜよ」
「あいつは...多分、俺と同じだったんだ...この国のあり方を変えたくて...剣を磨いた...あの日の俺達と...」
遠き日の情景が、走馬灯となって高杉の瞼裏を駆け巡る。
「...そうか...」
「...未来を...夜明けを掴めよ...」
坂本が見守る中、高杉は静かに瞼を下ろした。
そこは、真っ白な場所だった。
神楽を舞っているうちに、いつしか莉桜と雪那は現世と幽世の境界へ足を踏み入れていた。
『莉桜、雪那』
聴きなれた声に呼ばれて、二人が振り返ると、そこには、奥出雲の刀工の里で見た、人の姿を取った三日月達が立っていた。
「もう...お別れなんだね...」
ぽつりと、莉桜はずっと押さえていた感情を吐露する。
寂しげな彼女に、三日月は優しく微笑みかけた。
『仕方ないだろ、前にも言ったけど、その為のオレたちだったんだから』
『今この瞬間は多分頑張ったご褒美』
刹那と三日月、その後ろで朔月、暁月、弦月が莉桜と雪那の背後を指差した。
『莉桜達と過ごせて楽しかった。悠生と仲良くね』
『ほら、さっさと戻れ、これからは新しい時代が来るんだからな』
「刹那っ」
「三日月っ」
五人の姿が、徐々に光に包まれていく。
『またいつか...ね』
月のような優しい笑みと声で、三日月の言葉を最後に、二人は現世へと引き戻された。
気が付くと、魔術炉は崩れ去り、五本の聖剣は遥か昔からそこにあったとでもいうように、悠然と突き立てられていた。
茫然とそれを見つめてから、莉桜と雪那は互いの手を握り、その存在を確かめた。
「...終ったね...」
「うん...」
いつしか、東の空からは白くなり、新たな日が始まろうとしている。
その朝日は、その作戦に参加し、生き残った者の目に、しっかりと焼き付いた。
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