第七十五話


 莉桜達に知らされる事無く、江戸の街では既に戦いは始まっていた。

 木戸が割いてくれた討伐軍に、志願した執行人、軍警、莉桜達と面識すらない彼等は、道を開く為、江戸中に蔓延る怪夷の討伐に従事した。

「これが怪夷なのか...」

 誰かの舌打ちが聞こえる中、誰もが同じ事を思っていた。

 目の前で対峙する怪夷の多くが、これまで相手にしてきた布袋を被った姿ではなく、焼死体のような人の形を取っていた。

 それは、まるでこの江戸の街の人々がそのまま異形になってしまったかのようで、不気味さを増している。

 けれど、その力はランクDの怪夷と左程変わらない。

 禍々しさだけが、異様な気配を放っていた。

「怯むなっここで我等が粘らねば日ノ本は救えないぞ」

 小隊長の面々の指令や号令が闇夜の中に響き渡る。

 全ては、聖剣使いと巫女を江戸城に届ける為。

 己が屍と果てようとも。その先に待つ夜明けを信じて。



 江戸のあちこちで奮闘する集団を見下ろし、ランは扇を広げて小さく息を吐いた。

「おやおや...随分な気合の入りようだねえ...」

 眼下にて刃を振るうのは、自身の妹が育てた者達かもしれない。

 そう思うと、僅かに胸がざわついた。

「どうして、こんなになっちまったのかいね...まあ、今となってはどうでもいいのだけど」

 自身の掌を見下ろして、ランは目を細めた。

 家族を支える為、花魁になり、あの大災厄で死ぬ筈だったこの身が、怪夷となったのは、もう一度妹に会う為だった。

 けれど、怪夷に身を堕とす事は、心すら蝕まれる。

 死ぬ間際、焦がれた筈の愛しい存在は日を追うごとに想いが消えていく。

「心配しなくても、直ぐに行くさね...」

 闇に沈む暗雲の空を見上げた後、ランは北を見る。

「さて、義理くらい果たしてこようかね」

 カランと、下駄を鳴らし、豪奢な着物の裾を翻してランは夜の江戸に躍り出た。



 丑三つ時を過ぎた頃、上野の山は騒乱に包まれた。

「敵襲!各班は迎撃に入れ」

 雪那達が夕方に張った結界が激しく揺らぎ、火花が雷電となって迸る。

「嬢ちゃん達は突入部隊と一緒に出発してくれ」

 周囲が慌ただしくなる中。高杉に言われた莉桜は唇を引き結んだ。

「襲撃されているなら加勢を」

「そんな時間はない!いいか、一気に江戸城に上るんだっ」

「高杉、もう少し落ち着くぜよ」

 坂本に宥められ、高杉は咳払いをして気を鎮めた。

「お前達にしか出来ない事がある。成すべきことを成せ。俺達の事は気にするな」

「おい、直ぐ出発するぞっ例のランクSに見つかる前に」

 高杉の説得と、突入部隊を任された永倉に促され、莉桜は雪那や悠生、猛、雨の顔を見渡した。

「分かった...行こう、皆」

 永倉の後を莉桜達はついて行く。

 その背中を高杉と坂本は静かに見送った。



 上野山の四方から、怪夷の襲撃は始まった。

「はははっうじゃうじゃいやがるな!」

 シュウタが振るう鉈に似た大振りの刀が剣風を巻き起こし、解放軍を薙ぎ払う。

「怯むな!かかれ!」

 予想はしていたとはいえ、思わぬ襲撃に解放軍の面々は襲撃者達に攻撃を仕掛けて行く。

「もっと強い奴はいないのか!出て来いよっ」

 若い兵士の頭を掴み、勢いを付けて投げつけてシュウタは解放軍を挑発する。

 襲撃を仕掛けて僅かな時で、彼の足元には倒れた討伐軍の屍が積みあがった。

 有頂天に刃を振るうシュウタの頬を、拘束で何かが走り抜ける。

 それが、弾丸だと気付くのに時間は掛からなかった。

「血気盛んじゃのう。儂等の若い頃そっくりじゃき」

 愛用のリボルバーを手に、坂本はニヤリと笑う。

「おんしの相手はこの坂本龍馬じゃ」

「幕末の志士か...そういえば、アンタはおっさんの尋問に関わってたんだよな」

 坂本の姿を見つけるなり、シュウタはそちらに標的を変える。

「軍警じゃないけどいいか。落とし前付けさせて貰うぜ!」

 ブンと、大振りの刃を振り翳しシュウタは坂本目掛けて地を蹴った。



 砲撃の轟音が眠っていた山を騒がせる。

 誰かが放ったのか、廃墟と化していた寛永寺の寺社には火が入り、乾燥した空気に煽られた赤々と燃え上がった。

「まさか、あの奇兵隊の高杉殿とお相手出来るとはな」

「そりゃどうも」

 ジュウロウザと対峙した高杉は、不敵な笑みを浮かべ、刀を振り翳した。

「儂もかつては道場やぶりに明け暮れた剣士のはしくれ。全力でお相手願おう」

「敵にしてはあっぱれだな!いいぜ、どうせ長くない命だっここで使い切ってやる」

 一瞬だけ胸元を押さえた後、高杉はほくそ笑むと愛刀の柄をきつく握った。

 相手と向かい合い、間合いを読む。

 互いに見据えあった後、どちらからともなく踏み込んだ。



 火の手が上がり、燃え上がる山の中。

 喧騒に包まれている筈なのに、その場所だけは妙に静かだった。

 不忍の池の畔。

 夏には蓮の花が咲き乱れるその場所は、今は枯れて静寂に包まれている。

「やっぱり、来てくれたんだ...」

 暗闇から突き出すように現れた青年を、土方は静かに見据えた。

「決着を付けに来た」

「うん...こんな形で再会はしたくなかったけどね...」

 昔と変わらない、けれど全てを諦めた表情で笑う弟分を土方は無言で見つめた。

 ほぼ同時に、それぞれの腰に差した打刀が抜かれる。

 漆黒の刀身に、土方の姿を映して、ソウジは正眼の構えを取った。

 間合いを読み合い、視線がぶつかり合う。

 何度も試合をした相手だ。忘れる筈がない。

 一瞬の動きを読み取り、二人は相手に向かって踏み込んだ。

「ソウジ俺はずっとお前を江戸に帰した事を後悔していたっ」

「今更そんなこという為に来たの?」

 鍔迫り合いの中で、土方は吐き捨てるように自身の想いを口にする。

 言う機会はこれが最期だ。

 刃がぶつかり合い、擦れ合った場所から火花が散る。

 上段から振り下ろされたソウジの刀を、下段から振り上げた刃で土方は受け止める。

 縦横無尽に振るわれるのは、かつて京で振るわれた剣戟だった。

 国を、帝を護る為に磨かれた剣の腕を、今は仲間であった者に向けている。

 皮肉で滑稽なその戦いは、それでも土方に取って一種の贖罪だった。

 本来であれば、この山に来て散る筈だったのは自分だった。

 それを引き留めたのは、局長であった近藤で、あの日、彼が部下を率いて江戸を目指した日から、ずっと託されていた願いがあった。

「たとえ俺が一人になっても、お前を弔うって決めてたんだよ!総司」

「なにそれ、後悔するくらいなら、なんで傍に置いてくれなかったのさ!私は、私は貴方達と共にありたかったのにっ」

 十五年前のあの頃。

 江戸や京で不穏な空気があった。

 江戸に攻め入るかもしれないという気配がありながら、病気であったという理由で自分を帰した土方に、ソウジは憤っていた。

(ああ...そうか...私は...)

 土方が繰り出す刃を受け流す中、ソウジはある想いに行き当たった。

 何故、あの時メルクリウスの手を取ってでも生きながらえたかったのか。

(私はずっと...悔しかったんだ...)

 空虚でしか無かった心に、ふつふつと激しい感情が渦巻きだす。

 ずっと忘れていた激情は、刀を振る手に伝わった。

「何故一緒に戦わせてくれなかったんだ!私だって新選組の沖田総司だっ貴方の隣で、あの戦いに参戦したかった。もう一度貴方に会いたくて私は!」

「総司!」

 突き出した切っ先が、肉を貫く。

 気が付くと、ソウジの顔が間近にあった。

 ぽたり、ぽたりと、生暖かい滴が、地面に滴り落ち、赤黒く土を染めていく。

 互いに寄り掛かる形で、土方はソウジの肩に、ソウジは土方の胸に額を付けた。

「...馬鹿野郎...一人で突っ走りやがって...」

「土方さんには言われたくなかったな...」

 抱き合うように土方とソウジは、ズルズルと地面に座り込む。

「...ごめんなさいに...一緒に戦えなくて...」

「悪かったな...傍に置いてやれなくて...」

 ずっと胸に秘めていた想いが、ようやく昇華する。

 ヒヤリとした冬の風が、火照った身体を冷ましていく。

 腹に刺さった白銀の刃を見下ろす。

「まさか...聖剣のまがい物で消えるなんて...」

 ボロボロと、短刀の刺さった場所からその身が崩れて行くのに、ソウジは乾いた笑みを零した。

「安心しろ、俺達がいなくても、日ノ本はもう大丈夫だ...」

 塵となって崩れて行くソウジの背中を土方は最期の力を振り絞り、抱き締める。

 既に熱のない身体に、微かに熱を感じて土方もまた、苦笑した。

 既にソウジの意識は殆どなく、眠るように完全にその身を預けた後、十五年時を止めた身体は、砂像のように崩れ去った。

「...あの世でな...」

 夜明けの近付いた空に舞い上がた砂塵を見上げた土方は、そのままの姿勢で目を閉じた。

 満足げに笑って、彼は静かにそこに立たずんだ。




 不意に、永倉は後ろを振り返る。

 既に、先程までいた上野山は炎に包まれ、砲声や銃声が木霊となって響いていた。

「永倉隊長」

「ああ、大丈夫だ」

 部下に呼ばれて永倉は何でもないと首を横に振る。

「前方に怪夷多数っ」

「良し、そのまま斬りながら突っ切れ」

 永倉に率いられた解放軍が怪夷に向かって押し寄せる。

 白銀の刃が怪夷を霧散させ、道が開かれて行く。

「莉桜、なんか数少なくない?」

 雪那の違和感に莉桜は周囲を見渡した。

 江戸に入った直後、怪夷はあちこちに溢れていた。

 人のような形をした怪夷も珍しくなく、それらを切り伏せながら上野山を目指したはずである。

「おかしい、いくら昨日怪夷斬りながら上野に進んだにしては、数が少ない」

「莉桜さん、雪那さんっあれ」

 雨の声に横を見ると、そこには幾つもの解放軍の亡骸が転がっていた。

「余計な事は考えんなっ立ち止まらずに進めっ」

 芦屋の怒号に莉桜と雪那は唇を引き結ぶ。

(私達が休んでる間に...)

(先発隊が出てたのか...!)

「全てはお前達を江戸城に届ける為だ」

 芦屋の言葉が、背中を冷たく下りて行く。

 どれ程の犠牲を払ったのか、見当がつかない。

「九頭竜!償いなら役目を果たして償えっ」

 襲い掛かってきた怪夷を刃の付いた剣で退けた志狼の声が響く。

「誰もお前等を責めないっここで立ち止まったらそれを無駄にしますよ」

「四の五の考えてねえで進めば良いんだよ!」

 執行人の仲間達の励ましに、莉桜と雪那は迷いを振り切って聖剣を握る。

『雪那、オレの動きに合わせろ』

 聖剣に宿った刹那の声に雪那は、鎌を振るう動きを、刹那が伝えて来るそれに合わせた。

 鋭利で弧を描いた鎌が、死神が振るうが如く、怪夷の身体を狩っていく。

 一度に数体を屠るその威力は、莉桜が使う神刀・帝月に匹敵する威力を放った。

「神刀・刹月の力、見せてやる」

「威勢はいいからもっとちゃんと戦え」

 刹那の支援でようやく前線で戦える事に喜びを爆発させている雪那を、莉桜は叱責した。

 調子に乗った雪那が取りこぼした怪夷を猛は的確に屠っていく。

「大振りな武器は間合いに入られると厄介ですよ」

「猛、その阿保の面倒任せた。雨、援護射撃頂戴!ユウさんと志狼、私について来て、道開けるから」

「分かった!」

「了解」

「任せとけ」

 それぞれに指示を出し、疲労の見えだした解放軍の前線へ、莉桜は一気に躍り出た。

「おいっ九頭竜!」

「ラスボス戦へのウオーミングアップですよ」

 永倉の傍に迫った怪夷を一刀両断して莉桜はニヤリと笑いかけた。

「たく...本番でばてるなよ!お前等っ聖剣使いの剣戟に巻き込まれるな」

 仲間へ忠告を出し、永倉自身も怪夷の額を切っ先で貫いた。

 幾つもの橋を越え、江戸城へと続く内堀が見えた所で、莉桜達の眼前にひらりと豪奢な着物を纏った花魁が舞い降りた。

「おやおや、随分騒がせてくれているねえ」

 ひらりと扇を広げ、解放軍の行く手を阻む位置にランは、悠然と立ちはだかった。

「あんたは...水原の」

「そうさ、まあ、今となっては関係ないけどね」

 目の前に立ち塞がるランを、永倉は静かに見据えた。

「芦屋殿、予定通りこのまま九頭竜達を連れて進んでくれ。ここは、俺の部隊で引き受ける」

「承知した。九頭竜、行くぞ」

 後ろ髪を引かれる思いを振り切り、莉桜達は大手門を越えるべく橋を渡る。

「行かせないよっ」

「あんたの相手はこっちだよ!」

 ランの扇から放たれた刃の風を、莉桜達の間に入った永倉の刀が受け止める。

「永倉隊長!」

「行けっ土方さん達がずっと付けたかったケリをお前達に譲ってやるんだ!感謝してよね。魚住っいいか、絶対振り向くなよ」

 戻りかけた猛を永倉はまくしたてる。

 性格は違えど、この若者は何処か総司に似ていた。

 だから、土方が目をかけていたのだ。

「絶対生きて帰って来いよ」

 自分が先に言いたかった言葉を永倉に言われて、猛はそれ以上は立ち止まらなかった。

「おやおや...どうなっても知らないよ...」

「そりゃこっちの台詞だよ。新選組隊長の肩書は伊達じゃないからね」

 刀の柄を握り、部下達と共に永倉はランに向かって駈け出した。

 この地で、怪夷との戦いで散った多くの仲間の事を思いながら、彼は切っ先を閃かせた。



 大手門を潜り、莉桜達は江戸城の中へ侵入を果たした。

「ここ、本当に城があったの?」

 門を潜り、入り組んだ道を進んだ先に広がっていたのは、瓦礫に埋もれた廃墟とも言いずらい場所だった。

「大災厄の時の爆発で何もかも吹き飛んだらしいからな...魔術炉があるのは天守の方だ」

 地図を頼りに、芦屋は残った者達を先導して行く。

 そこにいるのは、莉桜や雪那等五人の聖剣使いの他は、逢坂の執行人の中でも指折りの実力者達だ。

「この先にメルクリウスと魔術炉が...」

 瓦礫に埋もれたかつての政治の中心地を見据え、莉桜が一歩踏み出した時。

「九頭竜っ」

 志狼の鋭い忠告と共に、身体が強い力で押し退けられる。

 傾いた視界の先で、火花が散り、莉桜は大きく目を見張った。

「風祭!」

「君は...今度は邪魔するのか」

 志狼の剣が受け止めるのは、漆黒に染まった刃。

 そして、それを握るのは、大阪城の蒸気炉を爆発させた張本人だった。

「莉桜さん、大丈夫ですか?」

 倒れかけた身体を悠生に支えられ、莉桜はこくりと頷いた。

「誉さん...」

 目の前に立ち塞がるホマレに、莉桜は唇を噛み締めた。

「悪いけど、この先には他の人は行かせられないよ」

 志狼や芦屋を始めとした執行人達を見渡し、ホマレは淡々と言葉を紡ぐ。

「それは...あのペテン師は僕等を招待したいって事?」

 莉桜が何かを言いたいのを遮って、雪那はホマレの言葉の意味を確認する。

「メルクリウスが何を考えているかなんて私はどうでもいいよ...でも、聖剣使い意外は通すなって言われたからさ」

「なら、ここは俺達が相手をしてやる」

 大剣を構え、芦屋は一歩、前に出る。

「水原の懐刀...一度本気で戦って見たかったからな」

「それは、執行人なら誰もが、だろ」

「九頭竜さん、秋津川さん、ここは我々に任せて、どうぞ先に」

 芦屋や志狼、共に怪夷退治で競い、協力して来た執行人達に後押しされ、莉桜達はそのまま、天守のあった場所を目指して走り出した。


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