終章

< 壱 >

 東の空の低い位置に、満月を過ぎ幾分欠け始めた金鏡つきがゆっくりと昇り始めていた。

 見上げた空は、既に闇の色に染まっており、冬の象徴ともいうべき三ツ星が数多の星々と共鳴するかのように、キラキラキラキラ輝いている。

 は、と吐き出す息は相変わらず白く、一瞬視界を曇らせたもののあっという間に霧散した。

 ユエは肩下げの位置を整えると、気合いを入れるかのように両手の平でぱん、と自身の頬を軽く叩く。よし、と胸中で呟き、棗や杏といった既に葉を落とした木々を横目に院子にわへと歩を進めていった。


(あれから一週間かぁ……)


 予期せぬ招かれざる客人・・がこの廟に訪れたあの日は、つい昨日のことのようにも思えるし、随分前の出来事のような気もする。

 あの後、一度追い払ったあの道士が再度来ないかと警戒の為しばらく旅に出ずにいえに留まっていたが、それもそろそろ心配はないだろうということで、今夜あの日以降休業していた僵尸隊の家業を再開することになった。

 ひと月も前に亡くなったフォン僵尸いたいを早く故郷に戻してやりたいという想いもあった。

 

(盗賊たちが元に戻ったから、フォンさんもいけるかなって思ったけど……)


 実際どういう仕組みでそれをしているのかの解明はまだ出来ていないが、ユンイーたちのように一度「こん」の一部を切り取ったとしても、元に戻る術があるのならば取り戻した方がよいのではないかと思ったが、どうやら祖父の見立てではそう上手く行くものではないだろうとのことだった。


  ――あやつが、ゆーとったんじゃろ? 抜き取ってひと月も経つと、「魂」を戻しても「はく」と再び絡み合うかカケに近い、と。

  ――うん。だからあの晩、かなり後半焦ってたんじゃないかなって……。

  ――自然死したわけじゃなく、強引に「魂」を抜き取ったもんなら、「はく」に絡みついとる方の「魂」との因果の方が術よりも強いからの。大きい方に引っ張られてもとに戻るっちゅーんは出来ない話ではないと思うが……。


 恐らく、工程としては、「魂」を抜き、切り取り、再びもとに戻し「魄」と絡みつかせ生きている僵尸を作るまで満月の夜に一気に行われるものなのだろう。けれど、フォンたちの場合は、魂を抜いた際に騒ぎが大事となり、「魂」の分離などが行われる前に外部の僵尸隊道士プロが来てしまった。

 そうしてそれらを取り戻す前に、ひと月という制限リミットが訪れてしまったのではないか――と。

 ユエ自身、フーと共に一週間、この術に関して色々な書物などを漁り調べたが、結果的にその辺りで結論は落ち着きそうである。


(まぁそっちに忙しくって結局……この【しるし】? だっけ? このこと訊けてないけど……)


 ――否。

 訊けていないというよりも、その話題に触れるなというような祖父の気配を、勝手にユエが察しているだけである。

 昔から、まだ少女に教えるべき段階にない術などは、いくら彼女が訊ねても教えてくれることは決してなかった。今回も、そういうものなのかもしれない。


(まぁ、とりあえずいま、僵尸隊わたしが気にするべきは、この【字】のことじゃなくて……)


 彼を待つ家族の元へ、これ以上傷つけることなく、かれを届ける。

 ――ただ、それだけなのだろう。

 ユエ垂花門すいかもんを潜ると、目の前にいまだ修繕が行われていない倒座房とうざぼうが目に入ってくる。流石に崩れた石などは撤去されているが、そのへやは現在ほぼ使えない状態になっており、買い溜めていた食材などが無駄になってしまったとファンが嘆いていた。

 とりあえず表の路の修繕はあの盗賊たちが請け負ってくれているが、それが済んだら是非いえの中も責任をもって対応してほしいものだ。

 少女はそのまま崩れた倒座房を右に歩を転がし続け――、表門を抜ける。

 そこには一週間前と同様に、見送りに出ていた祖父母の姿のほかに、四体の僵尸がすでに整列しており、その補褂ほかいの裾が冷たい風に揺れてた。パタパタと小さく羽ばたくのは、額に貼られた黄色の呪符。


「さて、と。んじゃ爷爷じっちゃん。ファンさん。そろそろ――」


 行ってくるね。

 いつも通りの言の葉を、するりと唇に滑らせようとしたその、瞬間――。

 その語尾は音を孕むことなく白い息に変じて消えた。


「……っ!]


 視界の端で壁に凭れる黒い影を見止め、慌てて肩越しに振り返る。

 そこにいたのは、黒い道袍どうほうに、首元に白い布を巻く少年の姿。

 あの日、森で出会ったとき同様の、ランがそこにいた。


「アンタ……」


 睫毛を一度羽ばたかせ、ぼんやりと呟いたユエの眼前で、ゆらりと身体を起こした少年は一歩、また一歩と靴子ブーツの底を石畳へと落としていく。


「え、まさか家出?」

「……アホ。んな堂々とした家出があっか」

「え、じゃあ……え、なに??」

「……俺も行く。連れてきやがれ」


 何故、命令口調なのだ。とか、なんのために? だとか。

 疑問はいくつか頭に浮かんだが、そもそも自身の解釈があっているかの自信が持てない。


「…………えと、僵尸隊に……同行するってこと?」

「……だからそういってんだろ、バァカ」

「バカ!? バカっつった!? ってか、そもそもそんなん、いってなかったけど!?」

「あァ!? 連れてけっつーんはそういうこったろうが!!」

「はぁあ!? 大体なんで連れて行ってもらう人間がそんなに偉そうなの!! 連れてってほしかったら頼むのが筋でしょうよ!!」

「あーあー、わかったわかった。てめェ独りじゃ危なっかしいかんな。ついてってやっから、ありがたく思えよ、ユエ

「……っ」


 あの日――。

 ラオへ一撃をかます、その瞬間。


  ――ユエッ!! ブチかませ――ッッ!!


 そう聞こえたのは、空耳かそれとも気のせいかと思い込んでいたが、あれ以降、時々彼はこうして少女をなまえで呼んだ。最初からそう呼ばれていたのならさほど気にもしなかったのだろうが、どうしても彼に名を呼ばれることが改まったものに思えてしまい、胸の内側で心臓が喉元までせり上がってくるような感覚に陥ってしまう。


「オラ行くんだろ。でこっぱち」


 まぁ無論、彼がそう呼ぶのは本当に時々であり――緊張する自分がバカを見ているのは確実なのだが。


「でこっぱちっていうなっつってんでしょッ!! 行くわよ、行けばいいんでしょ!!」


 いつぞや森で、似たような会話をしたなと少女は独り言ちながら、肩下げの中にあった鐘を取り出すと、空に掲げる。金鏡つきの光を弾きながら、チリン、チリンと涼やかな音色が夜空に溶けた。

 バサ、と空へ撒くのは、冥府への通行料である紙銭を模した符呪。

 小さな布鞋シューズの足音のすぐ傍で、靴子ブーツが重たい音を転がす。その後ろに続くのは、四体の僵尸したいたち。頭に暖帽だんぼうを被り、補褂ほかいの裾を跳躍のたびに翻している動く死体。彼らが履く両の朝靴ちょうかが地面を蹴るたびに、朝珠ちょうじゅと呼ばれる玉を連ねた数珠が胸元でシャラシャラと踊る。

 闇色に転がるのは、歪な金鏡つき

 その傍に、冬を象徴する三ツ星がきらめいている。

 夜の帳の落ちる中、少女の声が高く響いた。


「僵尸さまのお通りだー! 生きてる者は、道を開けろー!」

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それでも少女は、死体を連れて 笠緖 @kasaooooo

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