Dana Dana
おこげ
第1話
うららかな陽射しと肺を満たしてくれる新鮮な空気に包まれて、
そんな自然に身を委ねたような景色のなかを、一本の線路が何処までも真っ直ぐに延びている。
カタカタと小気味のよい音を立てながら、貨物車であるデュレイは線路の上を緩やかに走り続ける。
この時期にたった一度の往復のためだけに利用されるデュレイ。八輪タイプの
私は積荷の一つとしてデュレイの前方の
十人の子供である。
構成としては男子が五人、女子が五人。私の知る限り、例年は女子に偏ってばかりなのだが――珍しい年もあるものだ。
彼らは教師である私がこの一年間受け持ってきた大事な教え子たちだ。
二十二世紀も半ばに差し掛かった現代、人の存在意義は大きく変わることとなった。その一つとして挙げられるものに教育が含まれる。
まず、教育分野には義務教育しか存在しない。高度な技術習得や才能を磨くための専門的な知識を求められることはなくなり、僅か一年間の教育課程さえ修了すれば誰もがめでたく卒業となる。
教育は学舎と呼ばれる到底建物とは言い難い、吹きさらしの敷地で行われる。このレンガ造りの学舎には一舎につき一人の教師が在任しており、そこで最終的には十数名ほどになる子供たちと過ごすことになる。
そして卒業後は教師の引率でデュレイに乗り、三日掛けて新たな旅立ちとなる終着駅を目指すのだ。
因みにこの線路を含む、全ての路面には、教育の場である学舎が建つ始発駅と目的地である終着駅の二駅しかない。一度動き出せば、地盤沈下でも起こらぬ限り停車することはない(そもそもが停車したという前例がないわけだが)。車輪や路盤が劣化することはないし、ましてや車体を人為的に破損させて――などという愚行は決してあり得ない。教師と生徒のほとんどが思いつきもしないだろう。
今日はデュレイの旅路から三日目だ。
初めて眼にした外の世界に子供たちの興味は尽きることはない――なぜ空は青いのか、草木は枯れるのか、陽は昇っては沈むを繰り返すのか、暗闇には月や星が輝きを増すのか――えとせとら。
あれこれ語らう彼ら。
車内に静けさが訪れることは一度としてなかった。
これほどまで好奇心に充ち満ちた姿を眺めていると、己を振り返った際に深く考えさせられるものがある。
「ねぇねぇ、おかーさん」
生徒の一人が私に声を掛けてきた。茶色い髪の少女だ。
子供たちは私たち教師のことを親という意味合いを持つ“
この“
説明は不要だとは思うが、私はこの十人の誰とも血の繋がりなどない。生まれてこの方、我が子を抱いたことはないし、この先も一生ないと言い切れるだろう。彼らとの間に、教師と生徒という関係に取って代わるものは何もないわけだ。
だがしかし、私以外の大人を眼にしたことがない子供たちにとって、私はこの世で唯一の指導者であり、教育者であり、母親なのだ。頼れる者は私だけしかいない。
少女がきらきらとした瞳を向けて舌足らずに続ける。
「おかーさんはこの道を何度も通ったことがあるんだよね。しゅーてんに着いたら、もうおしまい?」
彼女の質問に他の子供たちも反応する。それぞれの談話を切り上げ、皆同じような表情で私の顔を見る。
おしまい。
とてもシンプルで、それでいて途方もなく深い言葉。測りきれないほどの重みをたった四文字のなかに押し込めている。
「そうね。成長に必要な機能は諸々身についているはずだから。あとは向こうの決定を待つだけ」
私たちの間に敬語のやり取りはない。礼儀知らずだとか敬いに欠けているだとかそういう事でもなく。教師と生徒である前に
私の表面的な返答に、子供たちはきゃっきゃっ、と笑い合っていた。
頭五つ分ほどしかない彼らの理解力は今や私たち教師のそれとさして違わない。無垢さの裏には見た目からは捉えられない莫大な知識が詰まっている。
芳しい匂いがそよ風を伝って車内に流れ込んできた。その瞬間、深緑の景色は一転して黄色の菜の花畑に移り変わる。子供たちもそれに反応して縁の隙間から外を覗き込んだ。
到着まであと一時間。左右に揺らめく花々がそのことを知らせる。もうじきこの長閑な時は終わりを迎え、同時に子供たちとの別れとなる。
今年もいろいろあったな――そう思うと、懐かしさや寂しさといったものが身体の内側で膨らんでくる。双眸を刺激する優しい感覚が幾度かあった。
「うわぁ、きれーい!」
赤毛の少女が笑顔でそう口にすると、隣にいた碧い瞳の少年が不思議そうな顔で彼女に振り向いて言った。
「どーして花がキレイなの?」
「小さくてカワイイからだよ」と赤毛の少女。
「どーして花がカワイイの?」今度は巻き毛の少女が訊ねた。「あれは菜の花だよ。小さくて黄色い花びらを咲かせるだけの植物。どこがカワイイの?」
「そもそもキレイってなに?」「カワイイってなに?」褐色の肌をした少年と背丈と変わらない長髪の少女が続いて言うと、他の子供たちも何故なぜと口にしだした。
赤毛が答えあぐねていると、一人の少女が元気よく手を挙げた。
あの茶色い髪の少女だ。
「わたし知ってる!キレイとかカワイイっていうのはかんじょーが発達してる子が言うんだよ」
それを聞いて周りは〈感情〉という言葉を口々に叫んだ。
「知ってる!かんじょーの発達してる子供はイジョーシャって言うんだ!」「違うよ、ショーガイシャだよ!」「シッパイサクだって教科書に載ってたよ!」「あぁ、そう言えば!」
〈失敗作〉と聞くと、納得した様子で多くの首が縦に振られる。
「だけどシッパイサクならここにいるのはおかしくなーい?」「とっくに欠落してるよね?」「おかーさん、どーして?」
この過剰な光景を
彼らの中で唯一、物静かなのが赤毛だ。この一年を通してみても、あまり目立つ行動を起こしたことはなく、内向的でやや孤立しがちな一面のある子供だった。
私は一つ息を吐いてから、模範解答ではないと理解しながらも説明した。
「稀にいるのよ、そういう子供は。おそらく先天性ではなく後天性によるもの。前者なら教科書通りに欠落するはずだから。だけど後者であるなら、それはきっと失敗作ではなく個性と呼ばれるものね」
「「コセイ?」」皆の声が重なる。
「個性とはつまり、特別な性質。貴重な存在ということ。大昔には常識と言われた個性は今じゃ過去の産物となっている。だから教科書にも記す必要がないの。生殖機能の喪失は知ってるでしょ」
「はい」碧眼が挙手する。「人は生体データさえあればいくらでも生成が可能だから、動物的な生殖行為は不要となり、また機能自体も人為的な操作を繰り返した結果、喪失した」
「そう。一言一句、教科書のままね。そしてそれは脳内にも多大な影響を及ぼし、同性はもちろん、異性に対しても人は特別な情を持たなくなり、それだけでなく感情そのものが希薄化するまでに至った。好奇心と感情は別物であり――そうね、たとえばさっきみたいに菜の花を眼にすれば、知識としての興味や関心を抱いたとしても、そこにカワイイやキレイといった曖昧な感覚を引き合いに出すことは通常あり得ない。万が一、過敏な感性の持ち主がいたとしたら、それはエネルギーを浪費させる失敗作と見受けられても仕方がないでしょう」
そこで私は赤毛の少女にこちらへ来るよう手招きする。
恥ずかしいのか、彼女は周りの視線を避けるように俯きがちに近付いてきた。
「だけどあなたのそれは、本来の人のあるべき姿。だから何も間違ってはいない。感情が発達していようと、腕がなかろうと、眼が見えなかろうと、生きているならそれは皆個性よ」
そして彼女にだけ聞こえるよう、小さく囁く。
「あなたの製造番号は?」
今や人は優れた遺伝子のみを配合させたクローン技法で生まれてくる。そのため誰もが番号でのみ識別されている。私たち自身がそれらを呼び合うことなど滅多にないのだが。
子供たちは全員、頭から被るだけの麻の衣服を身に着けている。赤毛は少し黄ばみのあるその首元を引っ張り、私に胸元に埋め込まれた
肉体と共に成形されていく特殊合金製のタグの表面には性別、血液型を始めとする個体の構造を決定づけた基礎遺伝子と、それに伴って誕生し割り振られた製造番号が表記されている。
彼女のタグの頭には【A】という文字が彫られていた。
「なら、あなたには〈アリア〉という名前を付けるわ」
「ありあ?」
「ええ。独唱や詠唱という意味の遠い昔の言葉よ。感慨深さや情緒に溢れたあなたにはぴったりの名前」
「でも名前なんて何の役にも立たないよ?」
「だけど嬉しいでしょ?名前があるのは」
「……うん」
「そう思えるのもあなただからこそ」
彼女の頭を撫でる。赤い髪は熱を持っていてパチパチと毛先が小さくはぜた。
「おかーさんにも名前はあるの?」
「あるわ。〈イブキ〉というのが」
「おかーさんのおかーさんが付けたの?」
「ええ」
「どういう意味?」
「忘れたわ、そんな昔の話」
咄嗟に嘘が出た。大したことでもないから別に構いやしないが。
「それと今話したことは全て秘密ね」
「ヒミツ?」
「誰にも教えてはならないってこと」
赤毛の肩を掴んで言い聞かせるように。
「自信を持ちなさい、あなたにはその起伏をコントロールする術があるのだから」
そのまま背を向けさせ、前方に押し出してやる。
「何の話してたの?」
生徒たちの輪に戻ると皆が興味深く訊ねていた。
「教えない」「どーして?」「ヒミツだから」「ヒミツってなーに?」「教えないってこと」「知ってることなのに言わないの?」「うん」「ヘンなのっ!」「ヘンなのー!」
知識や情報を口外しないということは通常ありえない行動だ。一般人が理解することなど到底不可能だろう。
彼らとのやり取りに赤毛は不格好な笑みを浮かべていた。
「おかーさん、おなかすいたー!」
ふいに誰かがそう口にすると、何にでも飛び付く鯉のように次々と空腹を訴える声が上がった。
私は脇に転がっていた小瓶を拾い上げた。瓶は透明なガラスで中には錠剤が詰まっている。小瓶は他にも幾つかあって、それぞれ色や形が違う錠剤が入っている。
現在の人々の食生活はサプリメントのみの摂取となっている。また栄養補給や健康維持だけでなく、脳の活動補助も薬剤が担っており、睡眠が不要になったことでより短時間での学力向上と機能発達を可能としている。
私は手にした瓶の蓋を開け、一粒ずつ子供たちに与えた。
丸顔の少年が言う。
「昔の人はりょーりしていたって読んだけど、どーして人はりょーりするのをやめちゃったの?」
「どーして?どーして?」子供たちが騒ぎ出す。
「料理、調理というものが嗜好品になったからよ。今ではサプリメントとして均等に分配される食糧も、当時は貧富の差やぞんざいな廃棄によって悩まされ、それが原因で多くの暴動も起こった。環境にも大きく変化をもたらし、ブレーキの壊れた人間社会は急速に破滅へと向かっていた。そんな問題を解決したのが天皇による領廃統合」
領有権を撤廃し、国を一つに統合させることになった出来事。かつて利己主義で自分たちの都合でしか損得勘定が出来なくなっていた政界。その事に悲観した天皇を筆頭に賛同者たちの手で、無意味な人種差別、国家間の権力格差を解消、統一化させるために、大陸と海洋の不要な仕切りを排斥することとなった。この事により無益な戦争はなくなり、競争心や功名心もヒトの本質から衰退していき、実質的な平和で平等な社会が完成した。
「こうやって私たち人間が役目を負って生かされてるのも天皇のおかげよ」
「
碧眼の少年は空を指差して言った。指先はデュレイの進行方向と同じで、遠くには雲を貫く巨大な塔が建っている。私たちの目的地でもあり、線路は塔の内部に続いている。
「そうよ。聞いた話だと塔の最上階にいるらしいわ」
「おかーさんは見たことないの?」
「まさか。人間が行けるのはターミナルと一部の施設だけだもの」
「みんなそこでけんじょーされるの?」
「綿密な検査を受けて異常が検閲されなかったらね」
「天皇さまはどんな人?」
「天空を治める大いなる存在。外国から降り立った鎮守の神」
笑顔で盛り上がる子供たち。
自分たちが献上品であるということに何の疑問も持たなくなった人類。それこそが存在意義なのだと信じて疑わない、遺伝子レベルで改良されてきた家畜。
デュレイは緩やかに走り続ける。
社が見えてきた。
無機質というか異端的というか、とにかく社はその場にはひどく不釣り合いな外観をしている。丸いドーム状の脚、その上部から空に向かって視界の果てまで伸びる柱。真っ黒な壁面はどこまで黒く、空間に生まれた影のように太陽の光をまったく寄せ付けない。
社の根元には無数の空洞があり、ターミナルはその先にある。私たちを乗せてデュレイは中へと入っていった。
内部はその外観からは想像できない様相をしている。壁は特殊合板を用いており、内側からは外の景色が見られるようになっている。壁はモニターに切り替わることもあり、外国の情勢や相場らしき映像が謎の文字列と共に映し出される。
ターミナルには百二十本近くの線路があり、私たちが通ってきたような空洞はドームの全方位に存在している。そこからターミナルを取り囲むようにそれぞれ線路が延びているのだ。
デュレイが停車すると、待っていたとばかりに子供たちが荷台から飛び出した。頭上を見上げたり、足場を叩いてみたり、ターミナルを行き交う外国人に手を振ってみたりと忙しい。
そんな無垢な行動を眺めていると、一人の外国人がやって来た。
見たままの感想をひと言述べるなら〈歩くモップ〉だ。全身が毛むくじゃらで、白く太い体毛に覆われた彼(?)はズルズルと音を立てながら近付いてくる。通った床は粘り気のある透明な液体で濡れている。
星の海を越えた先にある国々、それが外国である。資源豊かなこの土地を自らの手で破壊していく人間たちを、侵略という形で救済した異国の存在。生物の頂点に君臨してきた人間も今ではかつて自分たちが生きるために組み立てたルールに則って彼ら外国人たちの家畜と成り下がったのだ。
彼(?)は私の監視役だ。監視役とはつまり、飼い主である。
早い話、教師とは皆が個性を持って育ってしまった、商品として何の価値もない欠陥品なのだ。しかしそんな私たちを買い取り、家畜の育成を代行させることがある。その買い手が監視役なのである。
私たち教師にはそれぞれ監視役が一人ずつ付いている。互いに顔を合わせるのは毎年子供たちを出荷するこの日だけだが、学舎にいる間もなんだかずっと見張られているような気がするのだ。実際、私たちが知り得ない方法で社から監視しているのだろう。
モップは眼の前で立ち止まると、体毛を触手のように動かして私に種子の入った袋を渡してきた。
この種子が現代の人間の姿だ。
私たち教師は学舎に戻ると、まず種子を地面に撒く。土壌によって違いはあるが、二日もすれば芽が出て苗になる。かつての人間で言うところのへその緒の役割をしている葉が地中の根に大気中の栄養を送り続け、一週間後には地表が割れて中から子供が這いだしてくる。この段階ではまだ手脚は根の形状のままで、はっきりとした人型になるにはそこから更に一週間の期間を要することになる。だが栄養不足や欠陥箇所のある子供がいると、その間に欠落――つまり成長が止まり死んでしまうのだ。八割の種子がこの段階で欠落し、無事に一週間を乗り切った子供たちだけが出荷までの一年間を学舎で過ごすことになる。
袋を受け取ると、モップと一緒にやって来た機械が子供たちの方へ飛んでいった。拳ほどの大きさのアメンボのような機械だ。
「それについて行きなさい。検査室に連れて行ってくれるわ」
私がそう言うと、子供たちは手を上げ大きく返事をした。
すいすいと空中を進むアメンボの後を一列になって付いていく。行き先はターミナルの中心部。そこには円天井の先へと続くエスカレーターの柱が何本も立っている。
子供たちは上階の中央検査室で用途ごとに分類されてから、各施設でさらに
子供たちが柱の中に吸い込まれていくのを見届けたところで、モップの体毛が私に伸びてきた。
彼らは人語を理解できるようだが、モップが私と会話を交わすことは決してない。他の外国人たちも基本的にはそうしている。恐らく情報を漏らさないようにするためだろう。無駄口はいつだって互いの為にはならない。
だから彼(?)の行為が何を意味するのかはっきりしない。年に一度、こうやって私に何かを注入するが特に変化はない。体調を崩すことも身体に変化が起こることもない。いたって健康だ。いや、健康すぎるという意味ではそれは変化というべきなのだろうか……。
「【I-2238】、まだ生きてやがったか」
私たちの元へ一人の教師がやって来た。私よりも一回り若い青年だ。
「そっちも相変わらずのしぶとさね、【:-539】」
恒例行事の挨拶を交わす。
いちいち名前を口にしてくるので、私も面倒ながら彼の名前を呼んでやる。ただの製造番号なのに、なぜか彼は私がそう呼ぶと至極ご満悦になる。
腕を組んで偉そうに私に訊ねてくる。
「今年は何人出荷したんだ?」
「十人よ」
「へっ、なんだそのチンケな数は。俺なんか十六だぜ」
「へぇ、それは凄いわね」
「おやおや?もしかして負けて悔しいか?んー?」
「勝負なんてしていたつもりはないけど……まぁ、そういうことにしときましょう。おめでとう」
毎年のように彼はこうして私に突っ掛かってくるのだ。初めのうちは同じ不良品なら話が合うものだろうと思っていたが、個性とはどうにもそう巧くはいかないらしい。
「そういや」青年がふと思い出したように訊ねる。「雌雄の比率ってどうだった?」
「一対一だけど」
「やっぱり……」
「やっぱり?」
「俺のとこもそうなんだ。俺のとこだけじゃない。聞いた限りじゃ、どこも今年の雌雄数は同じだったらしい」
「偶然でしょ」
「今まで偏りしかなかったのにか?こんな偶然あってたまるか」
「じゃあ何があるっていうの?」
「知らねぇよ、そんなもん。とにかくこれまでにはなかった変化があったってことだ。もしかしたら予兆なのかもしれないな、人間が生き続けられる変化の兆しとか」
「人はただの家畜よ。新鮮なうちに食べられるのが一番の幸せなの」
「十年以上も生きてるくせによく言うぜ」
「私は欠陥品だもの。だから教師として違う用途で使われてるだけ」
「あんただけだぜ、そこまで生きてるのは。みんな五年程度でくたばるってのに」
「そのせいで多くの感情が身についてしまったわ。今年はついに涙なんてものが流れてしまったし」
「それこそが人間のあるべき姿なんだろ。あんたが以前、俺に言った言葉だ。あんたはその事実を理解していながら眼を背けてる。いいか、あんたは俺にとって生きる希望なんだ。人が飼われる世界なんて間違ってる。自分たちの意思で好きなように生きる、自由を掴む権利があるはずなんだよ」
「意外と夢見がちなのね。でもいいの?そんな事ばかり言ってると、監視役に何されるか分からないわよ」
「俺のとこは放任主義だからな。ビビることなんか何もねぇよ」
ほら、と言って青年は頭上を見る。そこには蛇のような外国人がキーキーと鳥のような声をあげてくねくねと上空を泳いでいた。あれが青年の監視役だ。腹部には無数の脚が蠢いている。
「あんたのとこと違ってあいつは俺に無関心なのさ。種子を育てて持って来さえすれば問題なし」
彼は気付いてないのだろう、自分と監視役とを繋ぐ細い糸の存在に。
監視役はただ私たちに子供の出荷をさせるだけではない。あくまでもそれは業務であり、ほとんどの場合が彼らの個々の食糧である。青年の頭部に繋がっている糸は、謂わばストローだ。人間の脳髄は一種の麻薬作用があるらしく、そこから吸飲して堪能している。青年の前任者が年々衰弱していったのは今でも覚えている。
「俺は絶対に死なねぇ。平均寿命を越えてその先もあんたと一緒に生き抜いてやる」
そう言って青年は背を向けて去って行った。彼の真剣な思いはいったいどこから来るのだろうか。
別に彼の言っていたことを否定するつもりはない。私だって自由を得られるのなら望みたいに決まっている。だがしかし、現実はその思いを容易に打ち砕くほどに非情なのだ。
毎年、多くの人間が眼の前で死にゆく。私はこの食物連鎖のなかでただ一人、知り合いが消えていくのを傍観しなければならないのだ。あの青年も、そして個性によって教師となるであろうアリアも。これほどの酷があっていいものか。心が、感情があるからこその苦痛。そんな人生に希望を持たれてしまっても辛くなる一方だ。
さて、そろそろ帰らなければ。
とっくにモップは姿を消していた。青年との会話のさなかにエレベーターに乗っていなくなっていた。
大きく溜息をつく。
また一年、同じ事を繰り返そう。子供を育て、心を乱され、新たな傷を受け入れる。それが私が背負う人生だ。
デュレイに乗ろうと踵を返す。
だが、けたたましい警報音が私の脚を止めた。
何事かと周囲に視線を巡らせる。ターミナルに鳴り響く不穏な音に外国人も動揺を隠せないでいるようだった。
身体が小さく揺れた――そう感じた瞬間、今度は激しい震動が足許から起こった。
「地震!?どうして?」
外国の技術力により、天災や環境すらも制御できるようになった時代に地震が起こることなどまずない。あるとすればそれは人為的に発生させたものとなる。しかしながらそんなことをしても誰も特はしないはずだ。
不意に青年が言っていた言葉を思い出す。
「予兆……」
それが再び破滅へと繋がるのか、新たな時代の幕開けを意味するのか、それは分からない。だがもしかすると何かが本当に変わろうとしているのかもしれない。
その時、何かがお腹を蹴るのを、私は確かに感じていた――。
Dana Dana おこげ @o_koge
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