Epilog
実際の数字に直せば、別の経路で通学していたのはせいぜい半月にも満たない程度なのだが、歩き慣れたはずの通学路が凄く久しぶりのように思える。
なにやら感慨深いものを感じながら、ヒナは朝の街路を一人で歩いていた。
その隣にはもう黒と灰色の少年の姿は、ない。
そもそも、朝を迎えたのはもうあの廃ビルではなかった。
なんてことはない日常に帰ってきただけのはずなのに、なんだかふわふわと落ち着かない。それほどまでに、この2週間の出来事は密度が高かった。
古典的なRPGなら
……あの後、レンが戦闘の際に立てた派手な音で近隣住民が気づいたのか、外に出てみれば周りには既に消防隊やら警官隊やらが大量にやってきていた。
彼らにしてみれば、原因不明の異音が続き、中で何が起こっているかも分からない以上突入しようかしまいかと足踏みをしていたところに、明らかに怪しい風体の男女が出てきたのである。さぞや驚いたことだろうが、そこはさすが我が国が誇る治安維持機構。数瞬ばかり鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしこそはしたものの、レンとヒナはすぐに取り押さえられ、次いで建物内部からレンがのした騎士団員がわいわいと担ぎ出されていった。
サルヴァトーレ騎士団が事前にSNS等で声明を出していたのは幸運だった。おかげで話は思っていたよりもすんなり進み、結局当日中に帰宅することはできたのだが……。
また騎士団については今朝方警察から続報があった。司法上、一応テロリストという判断を下し、裁判を経た上で処分するのが適切なのだろうが……彼らの今までの境遇を考慮した結果、検察の方でも求刑について意見が割れているらしく、もうしばらくは拘置所にいることになる線が濃いらしい。
きっと、レンが垂れ込んだのだろう。最も、電話応対をしていた警官は注意喚起のつもりだったらしいが。
そうして大事を取って2日休養を頂き、今後の諸々についてもその警官と相談した上で今日、通常通りの学生生活が始まることと相成ったのだ。
などと振り返っているうちに、いつの間にか学校まで着いてしまった。
下駄箱で靴を中履きに替える。
階段を上り、自分のクラス名が記載された表札のある教室の前で立ち止まった。
「……ふぅ」
深呼吸を一つ。努めていつも通りに引き戸を開け、
直後に、教室中の視線が一斉にこちらに集まった。
別に遅刻して授業中に入ってきたとか、そういうわけではない。ホームルーム前の、通常通りの投稿時刻だ。
だが、それまで友人と談笑していたり、やってなかった1時間目の宿題を片付けてたり、読みかけの本を読んでいたりしていたクラスメイトたちが、こちらになにか自分とは違うものを見るような目でこちらを見ていた。
……騎士団のSNSや動画投稿サイトでの声明は確かに事情聴取の場ではプラスに働いてくれたが、かといってそれが日常生活全般でもよい影響を与えたかというと、そういうわけではない。
今回の一件で、ヒナの身元は事実上バレてしまった。実際、ここに来るまでにもチラチラとこちらを見てくる視線は感じていた。
「お、おっす。ヒナ」
「うん。おはよう、リオ」
それでも気を使ってくれたのか、リオがわざわざそれまで話していたグループから外れてこちらに寄ってきてくれたが、それでもやはりどこかぎこちない会話になってしまう。サオリはまだ来てないようだが彼女も同じだろう。
その程度には、「日下部ゲンゾウ」の名前と肩書きが持つ意味合いは重い。
ヒナを取り巻く“日常”には、静かに、しかし明確に変わってしまっていた。
これは新しいカフェの約束は当分先かと溜息をついたあたりで、予鈴が鳴る。
「サオリが遅刻って珍しいな……んじゃ、私はこれで」
「そうだね。じゃあ、」
「ああ、
去り際、リオは確かにそう言ってくれた。
……確かに、ヒナの日常は変わってしまったかもしれない。
そんな中でも変わらずに接してくれようとする友人がいる。それだけで、十分なのかもしれない。
「おーっす、ホームルーム始めんぞ。席着け席」
生徒名簿を担ぎながらオージーが教室に入ってくる。相変わらずというか、ヨレヨレであちこち汚れた白衣を着ている。
変わったと言えば、最大の変化が。
「うっし、出席取る前に転校生を紹介するぞ」
どこかやる気のない担任教師の声の後、一拍おいて教室の扉が開かれる。
見慣れた男子制服に身を包んで教室に入ってきたのは、これまた見慣れた黒い髪に
少年は教壇の上までやってくると、黒板にチョークで見知った4文字を書いてこちらへ向き直る。
「海原レンという。訳あって今回、この学校の世話になることになった。よろしく頼む」
自己紹介と言うにはぶっきらぼうに、それだけ告げて頭を下げたのは他でもないレンだ。
さて、今回の一件で国にもレンとフィアンマの存在が露見した。となれば、次に出るのはこの二人をどうするかという問題だ。
これに関しても揉めに揉めた。何しろ片や欧州で悪名高き“
最終的に国が下した決断が、「フィアンマは国家の技術職に就きながら、レンは生前に受けていた教育過程に再び戻りながら監視されることを受け入れれば、定住を特別に許可する」と言うものだった。軍事を抜きにしても、フィアンマの能力はリスクに見合う価値がある、と考えられたのか。
報酬も低くはない。あの廃墟暮らしから抜け出せる上に、国に認められた定住権を得られる以上は特に文句もないと言うことで二人とも条件を受け入れたという。(フィアンマは「酒飲み生活ができなくなる」とごねたらしいが。)
レンの享年がちょうどヒナと同い年だったこともあって、彼も同じクラスに編入することに。
オージーからの紹介も終わったらしいレンが、唯一空いている隣の席に座る。
目が合った。
「……? 何か、おかしかっただろうか」
「ううん、別に」
首を傾げる彼に微笑みながら。
これからの生活に少しの不安と期待を感じつつ、ヒナは前へ向き直った。
後日、レンとヒナの関係を邪推する噂が流行したのは、また別の話である。
(終)
「――報告は以上です」
暗い。
照明が全て落とされた完全な暗闇の中に、一点だけ光るものがあった。それはタブレット端末の液晶画面だ。
ささやかな光を頼りに見ればどうやら会議室であるらしいそこに、女の声が響いた。
少女特有の可憐なソプラノ・レッジェーロ。ヒナが聞けば、あるいはその持ち主がすぐに分かったかもしれない。それもそのはずだ。なぜなら、彼女は他ならぬ
タブレットが照らす顔に、いつものおっとりとした垂れ目はない。ウェーブがかかった髪も、今はストレートに正され後頭部で一纏めにされていた。
成岡サオリ。
ヒナと同じ高校に通う、ごく普通の少女。
――それが、
彼女が話す先はこの部屋の中のどこかに設置されたマイクだ。
『ご苦労。では、引き続き対象の監視に当たってくれたまえ』
「はい」
男のだか女のだか、子供のだか大人のだか老人のだかも分からないほどくぐもった声がタブレットから響く。その声に律儀に返事を返した後、「失礼します」の挨拶とともに電源を切る。
見計らったかのように会議室の照明に灯りが点った。ふぅという溜息とともに、先方はこちらのことは常に監視しているのだと言うことを改めて理解させられる。
(さて……)
形だけの会議室を抜け、階段を上るとそこはキッチンの床下収納に繋がっていた。
一階は普通の住居と変わらない。サオリはフロリーングの床を歩いて洗面所へと向かう。
APC、と言う組織がある。
正式名称を
監視対象には、当然
鼻歌交じりに纏めた髪を解くサオリ。
即ち。
日下部ヒナを監視するために高校へ送り込まれた、APCのエージェント。
それが彼女の正体だった。
(とはいえ)
髪に櫛を入れながら、疑問点を整理していく。
(今回の事件、色々ときな臭そう)
脳裏をよぎるのはいくつかあった不審な点だ。
何故、ライナスはあのようなパワードスーツを持っていたのか。
……彼の持っていた品。お世辞にも実用性が高いとは言えないが、かと言って使えないかと言えば想ではない。肉体を破壊する覚悟さえあれば、ちゃんとカタログ通りのスペックを叩き出す『完成品』だった。あれほどのレベルのものを、彼らが自作できたとは考え辛い。必ず工場を通って作られたもののはずだ。
何故、彼らはこの国に容易く入国できたのか。
……勘違いしがちだが、決してこの国は楽に入ってこれるような場所ではない。四方を海に囲まれている分、むしろ密入国のハードルは高いと言える。かといってあのようなテロ集団まがいの連中を正規のゲートで入国させられることはできない上に、そもそも各国政府やAPCの認可状がなければ
いや、そもそもの大前提として。
何故、サルヴァトーレ騎士団はヒナの正体を知ることができたのか?
そんなもの答えは決まっている。
(単なるミスであれば良いけど)
「ゴメンね、ヒナちゃん」
化粧を肌に乗せていきながら、ポツリとサオリは呟く。
(私は、最悪のケースを想定して動かなくちゃ)
「喫茶店の約束、もう少し先になりそうだなぁ……」
溜息とともにそう独りごちながら、彼女は椅子にもたれる。
大方の敵の正体は掴めている。
パワードスーツを斡旋でき、国際的に圧力を掛けられるような輩が所属していて、且つリストを見ることができる存在。
APC。それも、上司に当たる高官の何者か。
裏切り者は、そこに潜んでいる。
神為る土地で 鍛冶と青銅のエイジイズム 真倉流留 @ChinRyu
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