蛇足
冒頭で西鶴先生の「第二の罠」について述べておいて書けなかったが、それが気になった読者のために続けておこう。第二の罠は、持てない剣客だったはずの勘右衛門に実は念者の若衆がいたとということだろう。
勘右衛門が死んで三之丞が弔いの場に行った時に突然、佐内という元服したての若衆が現れる。
固唾を小川に吐いた瞬間に三之丞に対する恋の手管を仕掛け、容貌と不釣り合いな格好良い台詞を絞り出し、何度もストーカーのように三之丞の後を追い、読者は、ああ、そんなに苦労して三之丞を手に入れたんだね!と同情を持たれたかも知れない男にすでに幾度も枕を共にした少年がいたとは、読者の先入観を全く裏切るものだ。
これは読者の記憶を突き飛ばす文学上の手法と言えば、驚かれるだろうか。私は前述した川端康成の自伝的小説と言われる「少年」でいやというほどそれを味わい実感した。読者は最初に持った浅はかな先入観を鮮やかに否定される。そのことは私の論考『川端康成と「少年」、清野少年の虚像と川端の実像について』に詳しく述べてある。ただ、文学者がやろうと思って簡単に出来る手法ではない。
三島由紀夫も川端の批評に言葉を変えてそれを何度も述べている。それは他の人間が川端の本質を述べることを嫌ったためと私は考える。だから直截的な表現はせず、自分以外の川端への批判を抹殺する意図を持っていたと思う。「少年」はNHKで「男色大鑑」が紹介された番組の最後に少年愛の文学として紹介されて、私はそれがきっかけで川端と三島の沼に足を踏み込んでしまった。
美少年の唾を飲めるか否か、についてから始めた散文だが、かなり本筋から離れてしまった。特に歳をとったからか、思ひつきのままに文章を書いてしまう。その意識の中で、西鶴先生の小説手法からの影響はとても大きい。
令和二年睦月七日(なぬか)
『川端康成と「少年」、清野少年の虚像と川端の実像について』
『夢路の月代』の固唾の「命」論 泊瀬光延(はつせ こうえん) @hatsusekouen
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