4/4 結
少女の熱が引いて数日。現在、少女は事務所の隣にある自身の自室に住まわせてある。
看病についても出来る限りの面倒を見た。女の部分は流石に無理だったため、行きつけのバーの女性なんかに頼み込んだりもした。まさかそんな趣味が、と大笑いされたものの、彼女の身の上を話すと予想以上にすんなりと受け入れてくれた。脛に傷とはいかないまでも、30年近く生きていれば子供の不幸に思う所の一つや二つあるのだろう。少女は順調に回復し、今では無事に回復している。
最初は申し訳ない、などと言っていた少女だったが、次第に少しは甘えるような仕草を見せるようになってきた。それでいい、と思う。子供など大人に甘えるのが当たり前なのだ。高校生とは言っても所詮は社会に出たことのない未熟者なのだ。
助けられたばかりか医療費まで払って貰ったためか、どうにも低姿勢で謝る少女を手で制して静かにさせ、一方的に話をさせてもらう。
まず彼女の身元はこちらが引き取る事にした。元々そうなっても可笑しくない関係だったのが早まっただけだ。少女は少し不安そうな顔を見せつつも素直に頷いた。
次に、彼女には将来的にこの会社で採用する事を勝手に決定させてもらった。そのために最低でもそれなりの大卒で金融に関する専門的な知識や資格を取ってもらわなければ困る。よって高校の残りの学費及び大学の学費、及び生活資金はこちらで出すと伝える。少女は予想外の内容にぎょっとするが、待たずに話を続ける。
無事に少女の今後の進路が決まった所でお祝いに奈良や京都にでも旅行に行く計画を立てており、偶然にも巡るルートから泊まるホテル、日にちまでもが学校の修学旅行と同じ計画になってしまっているが、強制参加なので今のうちに荷物の用意をしておくようにと伝えると、とうとうパニックになった少女は待ってください、と取り乱した。
高校の学費、大学の学費、その間の生活費。全てが決して安いとは言えない額だ。親戚でもないただの借金取りが急に出す額ではない。そんな事は知っている。知っているが、勝手ながらこの少女には必要なものがあると思った。
君には、居場所、向かう場所、帰る場所が必要だ。
行方を眩ませた前社長の受け売りのようなものだ。もちろん仮でいい。居場所も向かう場所も後から変えられる。だが、人間は常に変化していく環境の中で、どこか不変の何かを強く求めたがる。帰巣本能と言ってもいい。それは常に意識するわけではないが、ふと思い出すように帰りたくなり、いつも自分を迎え入れてくれる所だ。
信じる人も場所も空白になってしまった人間は脆く、簡単に無謀な行動に出る。嘗て不当解雇された自分が、何人も優秀な弁護士を抱えた大企業相手に訴訟を起こそうとしたように。自分を忘れないでいる為に、自分の過去を内包する場所が人には必要だ。
少女の事は、これまでそれなりに見てきた。我慢強く、周囲に愛される愛嬌と優しさのある人だ。でも、それは外にばかり向いた評価であり、本当は支えがないと気丈でいられない弱さを持っていることも知った。
少女は口元を抑え、嗚咽を漏らしながら、どうしてそこまで、と問うた。どうして、と問われれば明瞭な理由は思いつかないが、もしかしたら寂しかったのかもしれない。
少女が来てから事務所は少し変わったが、少女がいない時間がやけに長く感じるようになった。嘗ては多くの人がいた自分の居場所に、今は自分しかいないというのは、寂しい。そう言うと、少女はプロポーズみたい、と涙を流しながら笑った。気恥ずかしくなって、こちらも笑った。二人で、笑った。
◇ ◇
言うは易く、行うは難い。
いい年をした社会人の金貸しが縁もゆかりもない少女の身元引受人になるには随分と骨が折れた。世間の目も決して良いものではない。借金を残して蒸発した父を持つ少女の世話をする、借金を背負わせた張本人。成程、邪推の余地しか存在しないと納得する。しかし、喉元を過ぎれば熱さを忘れる。少女自身の人徳もあってか、いつの間にか周囲の喧騒は止んでいた。
修学旅行も学校に融通を利かせてもらって集団行動にも参加し、結局彼女は最後まで旅行を楽しみ通した。その間にこちらは担任と彼女の将来に関するあれこれを、若干ながら不信感の拭えない顔をされながら語った。
彼女は成績優秀者だとは聞いているが、実際物覚えがよくセンスのようなものを感じる。何より本人が努力家だ。望めばどこまでも手が届くだろう。彼女の学校での様子などを聞きながら、多少のアルコールを交えた担任との語らいは深夜まで続いた。最終日は思い出の写真を撮りたいと引っ張り出され、二人で記念撮影などをさせられた。こうして本来は行けない筈だった彼女の修学旅行は、青春の思い出として鮮やかな色彩で刻み込まれた。
それから月日が流れ、学校を卒業するまで少女はバイトを続けた。借金は依然として存在するが、貸主であるこちらが請求しなければ無いのも同じだ。利息も止めた。意外と知られていないが、借金の利息を止める方法というのもある。誰も取り立てない不良債権。困るのは自分だけなので、彼女は別段追い立てられるでもなくバイト代を受け取っている。
以前と変わらない毎日のやり取り。
しかし小さく変わったこともある。
こちらに対しての遠慮が少し減った彼女が人をからかうような甘え方をしたり、インテリアの少女趣味がじわじわと事務所を浸食し始めたり、彼女の笑顔と、時折見せる寂しそうな顔が増えたり。
彼女の父親の行方は、わが社の前社長と同じくとんと行方が掴めない。ただ、やくざ者に目を付けられていた訳ではないのでコンクリート詰めで湾港に沈められているという事はないだろう。案外、国外逃亡でもしているのかもしれない。
やがて、少女は勉学に励み、一流と呼んでいい大学に進学した。受験が受かった日は、事務所に彼女の友達まで押し寄せてきてなし崩し的に宴会場として使われてしまったが、どうせ夜には仕事をしていないので後片づけだけしっかりやらせる事にした。
彼女は進学に伴って住む場所が離れ、やがて事務所は自分ひとりになった。メールや電話でのやり取りはよくあったが、彼女がこまめに変えていた少女趣味のインテリアは季節感もなく停止し、今や時々埃を落として清潔さを保っている程度だ。一人で過ごす部屋の中が、やけに静かで広く感じた。元に戻ったと言えば聞こえはいいが、無くなったものに喪失感を覚えているのは、一人に慣れ過ぎていた反動かもしれない。
彼女はもう戻ってこないのだろうか。要は、彼女が新しい居場所を見つけることが出来ればこの事務所の存在はお役御免。仮に彼女が借金から逃げ出したりしたところで追いかけるつもりもない。健全で将来有望な少女が借金に追われることなく暮らしていけるのだ。それも、こんな胡散臭くて将来性のない男と一緒にいるよりはいい事だろう。
◇ ◇
数年が経過し、衰えを感じる肉体を騙すためにジムに通いながら帰ってこない社長を待つ人生を続けていたある日――寂しさにも慣れ始めていた事務所に来客があった。どこか見覚えのある、しかし記憶にある人物より随分美しく、そして立派なスーツを着た女性。嘗て少女だった彼女は、あの頃より少し頼りがいのありそうな笑顔でこう言った。
――あなたの会社の株式を50%買い取りました。二人でもっと会社を大きくしましょう。
顎が外れるかと思ったのは人生で初めてだった。率直に言って、訳が分からなかった。すると唖然とするこちらを尻目に彼女は事務所にあったホワイトボードにマジックペンで何やら書き込みながら説明を開始する。
長い話を要約すると、彼女は父親を見つけるのではなく、父親を『釣る』為に自分の娘が大物になっている事を認識させようと会社を立ち上げたのだという。これはこの会社に於いて人探しの為に時々使っていた手口を参考にしたらしい。そして経営は上々、彼女も立派な女社長にまでなったという。
しかし、新規に立ち上げた会社故に経験者の絶対数が不足しており、誰かいい人材がいないかという話になった。そこで彼女は自分の師だと思っているらしいこちらに目を付けた。買収する旨味が余りない会社故にそちら方面への警戒心が薄かったのをまんまと突いて、彼女はこの会社を事実上の傘下に置いてしまったのである。曲がりなりにも株式会社では、大株主にNoとは言えない。
いったいどんな手を使って集めたのだろう。社長の立場である自分がそれに気付かないのも大問題だが、だとしてもいきなりすぎるんじゃないか。……と不満げに言うと、驚かせたかったから、と舌を出してウインクをかましてきた。社会人がする態度ではないが、彼女もいつもはこんな態度はとっていないのだろう。つまり、場所が場所だからこうしておふざけのような態度も取れるのだ。彼女にとって、ここは未だに居場所たりうる――それを知れただけでも満足だと思うことにしよう。
なお、彼女はこれを行う計画を事前に立てていたのだという。
曰く、友達兼社長に帰ってきて欲しいのなら、待っていないでもっと探す努力――ひいては会社を大きくして宣伝能力と情報収集能力を高めるべきなのではないか。前に会社の過去の話を聞いた時に彼女はそう思い、ならば自分がそれをやって恩返しをしようではないかと考えたらしい。
更に、少し考えればそういう判断も出来たのに自堕落にそこそこの収入止まりの経営をしていることを説教された。いや、その内容はだらけているというより、それだけ安定して会社を運営する能力があるのにどうして自分で埃をかぶせているのだ、という若干の嫉妬が籠った説教だった。
おまけに、経済の流れが変わってから経営を変えるのでは遅いとか、あまり頭を動かさないでいるとボケが早まるとか、そもそも自分の身元引受人なのに何故株式を買いましたと宣言するまでこちらの会社の存在に気付かないのか、等々の割と理にかなったご尤もなお説教まで受け、平謝りしてしまった。
謝ったら彼女はそっぽを向いて許さない、と言い、やや間を置いて嘘ですと笑いながらこう言った。
――貴方は私の恩人で、先生で、家族です。
――だから、私が誇らしく思える人であってください。
――私も、一緒に頑張りますから。
自分の為に、人に頑張れと言う。見ようによってはかなり傲慢な話だが、痛い所を突かれたとばかりに笑ってしまった。そう、人の為にしか動かない男を動かすには、人の為に動けと言う他あるまい。この気持ちは、きっと彼女との間でしか疎通出来ない感覚だ。
金で離れる縁えにしもあれば、金が繋げる縁もある。道具で対価で使いよう。上手く使えば虚構の信仰も人同士が助け合う手段になり、やがては金ではない部分が本質へと変貌する。
もしかすれば、自分は社長が居た頃の時間、空間をずっとあそこに閉じ込めておきたかったのかもしれない。それでも停止した過去を動かしてしまう決意が固められたのは、きっと今目の前で早速事務所を少女趣味に染めようといそいそ工作している少女が新しい時間となったからなのかもしれない。
嘗て金を貸した愚かな男よ、お前の娘は鳶が産んだ鷹であったぞ。
……あと嘗ての友よ、さっさと戻ってこないと事務所が別物になってしまうぞ。ああ、あいつのお気に入りの横掛け軸にピンクのリボンが。彼女のセンスも全く変わっていないな。
金貸しと女子高生 空戦型ヰ号機 @fafb03
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