青鹿 理沙はほぐしたい
「おざまーす」
俺が「お疲れ様です」と「おはようございます」の間に位置する言葉を口元で呟きながら「えーけん」の部室に入ると、
「なに言ってるの?」
そこにはいつもの「えーけん」メンバーの二人と、俺の幼馴染である
「……なんかいま、失礼なこと考えてなかった?」
「考えてないぞ」
失礼なことではなく、事実しか考えてない。
「今日はサッカー部の練習はないのか?」
俺はそれ以上追及されないうちに、机を挟んだ理沙の向かいへ座りながら尋ねる。
理沙はこの
ウチの女子サッカー部は県内でも屈指の強豪で数年連続で全国大会へ出場しているのだが、理沙はそのチームで一年生ながらもすでにレギュラーとしてフォワードで試合に出場している。
この間、高校初得点もあげたと言ってたか。
「顧問の先生が失恋したから休みだって」
理沙が醤油煎餅をかみ砕きつつ答える。
そして、しばらくボリボリと音を立てて煎餅を噛んだあと、緒女河家のメイド兼、我が「えーけん」のお茶くみ係であるハーフ美少女の
煎餅も紅茶も、こんな乱暴な食べ方をされては浮かばれまい。
ていうかコイツ、「
「……って、顧問が失恋? それで練習が休みになっちゃうのか? 緩すぎんか、お前のトコの部」
明日香が黙って淹れてくれた俺の分の紅茶を飲みながら、俺は理沙と話を続ける。
「ホントね。それでも全国大会常連チームだから笑っちゃうけど」
「相手校にとっちゃ笑い事じゃないけどな」
顧問が失恋したからって部が休みになるようなチームに負けたとあっては、相手校もやってられない。
「たしか女子サッカー部の顧問は、女性の英語の先生だったね」
俺たちより四つも年上で、すでに選挙権さえ持った高校二年生の
窓から差す夕日を顔の半分に受け、その端正な顔が余計に美しく見える。
なんなの、コイツ。
カッコつけてなきゃ死ぬの?
「え? 女性がサッカー部の顧問なのか?」
体育会系の部の顧問って、男性教諭が担当するものだとてっきり思っていた。
まあたしかに、女子サッカー部というなら女性が指導した方が何かとうまく回るのかもしれない。
昨今、セクハラ教師も増えてきてるしな。
「そう。
「へえ、そんなスゴい人がいるのか。で、その人が失恋したっていうのか?」
「そう。なーんか面倒な恋愛してたらしいのよね。で、恋破れて傷心中だから練習もお休み中ってワケ。一応、病欠ってなってるけど、失恋が原因って生徒のグループLINEで
煎餅を齧りながら笑ってそんな話をしている理沙の姿は、数十年後、近所の噂が大好きで、サッカーもやめてでっぷりと太ったおばさんに成長した理沙の姿を想像させた。
「なんかいま、失礼なこと考えてなかった?」
「考えてないぞ」
俺は紅茶のカップに目を落として、ゆっくりと紅茶を飲む。
目を合わせると嘘がバレるからな。
「先生も、生徒がグループLINEで自分の失恋を伝達していると思ったら死にたくなるかもな」
より一層、お休みが長引いちゃったら大変だ。
「いいのよ。美郷ちゃん、みんなから愛されてるから」
愛されてるというかバカにされてるというか。
ウチのクラスの
どちらも生徒からちゃん付けで呼ばれちゃってるし。
「……そういえば、トキオくんのランニングは続いてるのかい?」
居衛戸が話題を変えて俺に尋ねる。
「まあ、ボチボチやってます。と言っても、まだ一週間程度っスけど」
そう。
俺は数日前から夜、ランニングを始めたのだ。
なぜそんなことを始めたのかというと、それは『
というか、この俺が『麗しの君』のため以外にそんなことをするワケがないのだが。
俺と『麗しの君』の重要な繋がりである、謎の能力について知ったのは数か月前。
あれ以来、幸運というかなんというか、あの能力の出番はない。
しかし、またいつ『麗しの君』を狙う不届きものが現れるかわからないのだ。
そのときを座して待つ、というのは『暴走機関車』である俺には到底できない。
「今のうちに俺がやれることってないっスかね?」
一週間前、居衛戸に質問した。
コイツに聞くのは悔しいが、『麗しの君』の能力については、俺よりも居衛戸の方がまだ詳しく知っているからな。
居衛戸は少し考えたあと、
「由梨くんの能力で体調を崩さないというだけで十分な素質はあると思うけど、基礎体力を上げておくことに損はないだろうね。空間移動にしても、もとのトキオくんの移動速度が速いほど、時間を吹き飛ばしたとき、移動できている距離は伸びるだろう」
と答えた。
「てことは?」
「まずはランニングするだけでも違うと思うよ」
そう言われたので、とりあえず走り込みを始めたのだ。
「久しぶりに毎日走っているから、身体に疲れが溜まってきてますけど」
俺は肩を回して見せる。
中学時代は清古や理沙と運動をしたりすることもあったが、高校になって二人と過ごす時間が減ってから運動不足になっていたらしい。
昨日あたりから身体がバキバキである。
「トキオ。よければ私がマッサージしてあげようか?」
俺と居衛戸の会話を聞いていた理沙が、残りの紅茶をグイッと飲み干してから言い出した。
理沙がマッサージだって?
癒しよりもプレッシャーしか与えないようなコイツがか?
「私、スポーツ科学科でしょ。ウチの科ってスポーツリハビリの授業もあって、アスリートのためのマッサージも学んでるの。今日は授業で使ってるヨガマットもあるからマッサージしてあげれるよ」
「マジか!」
「うん。私、みんなからウマいって言われてるのよ」
「いいね。じゃ、ちょっとお願いしようかな」
理沙はゴムでくくってあったヨガマットを床に広げた。
「下にTシャツは着てるでしょ? ブレザーとワイシャツを脱いで、ここでうつ伏せになってよ」
「あい。こうでいいか」
「いいよー。始めるね」
理沙は背骨を中心に両手で背中を両側へ向けてなでる。
「あー、こってるね、コレ」
「背中を触っただけでわかるのか」
「だから、私、ウマいんだって。じゃ、いくよー」
ちなみに居衛戸と明日香は、俺の両脇に座って理沙の手技を見ている。
「ココ、効くでしょ」
「おお、そうそう。気持ちいいわ」
さすが、中学時代は「女ゴリラ」と一部で(主に俺と清古の間で)噂されていた理沙。
力強く押してくる指圧がよく効く。
「なんかいま、失礼なこと考えてなかった?」
「考えてないぞ。なるほど、ホントにウマいな。ビンビン効くところにピンポイントで指が入る感じだわ」
「でしょ。私、マッサージの才能あるんだと思う」
理沙の声が上機嫌な声色になった。
いやあ、これまでマッサージなんて受けたこともなかったが、こんなに気持ちいいものだとは。
「ちょっとストレッチもしておこうか。マッサージだけじゃ、筋肉が
理沙が足のマッサージをしながら言う。
「わかった~」
俺はマッサージの気持ちよさに夢うつつになりながら答えた。
「じゃ、右足からいくね。えい」
「あいだだだだだだだだだだだだだだ‼‼
「我慢しようねー」
「できるか、こんなもん! やめてくれ‼」
「我慢しようねー」
「……お、お前、ワザとやってるな⁉」
「さっき、失礼なこと考えてたよね~?」
俺の質問には答えず、理沙が歌うような口調で尋ねる。
「カンガエテナイヨ……」
俺はカタカナで答える。
「我慢しようね~」
「あいだだだだだだだだだだだだだだ‼‼ 悪かった、悪かった! 考えてたから許してくれ!」
「考えてたんだ。じゃ、ここからは失礼なこと考えてたせいで、痛いバチが当たったと思って我慢しようね~」
「あばばばばばばばばばば! 理沙さん! ごめんなさい!」
俺が断末魔の叫びを上げていたところへ、用事を済ませたらしい俺の最愛の人、『麗しの君』
「あああ、由梨先輩! いいところへ! た、助けてください!」
俺は『麗しの君』へ助けを求めるが、
「相変わらず仲がいいですね、二人とも」
『麗しの君』は溶けるような笑顔で言った。
「違いますぅぅぅうううう!」
相変わらず誤解は解けていない。
「ありがとうございます、由梨さん! さ、トキオ! 覚悟しなさい!」
「ストレッチで覚悟とか言うなぁあああ!」
もうコリゴリである。
――マッサージだけに。
おあとがよろしいようで。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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一目惚れした美少女は財閥令嬢でした 太伴 公建 @kimitatsu
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