タイム入りました

水円 岳

「あら」


 いつも買い物帰りに立ち寄る小さな園芸店。その店先に置かれている黒板型のメッセージボードの下端に、素っ気ない一文が書き込まれていた。


『タイム入りました』


「誰か、取り置きでも頼んだのかしら」


 タイムはキッチンハーブの定番だけど、食用以外にもグラウンドカバーによく使われる。うちの庭にも一部にクリーピングタイムを植え込んでいるけど、とても重宝してる。丈夫で、病害虫がほとんどなくて、手入れが楽。敷き詰めておくと、雑草が生えにくくなって庭の管理が楽になる。蒸れに弱いのが弱点だけどね。

 だけど、今は冬。それも真冬よ。タイムの苗を仕入れて売る意味あるのかしら? メッセージボードをじっと見つめていたら、店主の滝野さんがひょこっと顔を出した。


「三田さん、まいどっ!」


 滝野さんは、むさ苦しい髭面のおっさん。こう言っちゃなんだけど、およそ園芸というものには縁のなさそうな風貌と口調で、よくこんな小さなお店を切り盛りできるなと思う。まあ、奥さんが園芸好きで、園芸なんかに興味がないご主人が巻き込まれちゃった……そういうパターンなんだろうけど。でも、奥さんは仕入れや苗の手入れが忙しいのか、めったに顔を見せない。店にいるのは、いつもこのがらっぱちなご主人だ。


「こんにちは。ねえ、滝野さん。誰か取り置きを頼んだの?」


 メッセージボードを指差したら、三田さんが苦笑混じりに弁解を始めた。


「まあね。こんな時期外れに苗を注文するバカがいるんだよ」

「バカって、まあ!」


 お客さんに対してそういう言い方はないだろうと思ったけど、がさがさのご主人だからなあ。


「タイムは夏草だ。夏に茂ったのを刈り取って乾かし、それを使うってのがキッチンハーブのタイムでしょ?」

「ええ」

「観賞用にしたって、基本的に夏花の扱いだよ。多年草……ってか低木なんで冬でも扱えるけど、流通するのは夏。こんな時期に注文出されてもねえ」

「手に入るんですか?」

「それは楽勝。見切りの売れ残りとか、ハウスものの切れっぱしとか、状態を問わなきゃ物はいつでもあるからね。はっはっはっ」


 おいおい。人様に商品を売る立場として、その言い草はいかがなものか。呆れ顔の私を見て、滝野さんがにやっと笑った。


「まあ、それでも欲しいと思った時が買い時なんだろさ。商売だから、頼まれれば仕入れるよ」

「でも、オフシーズンなら高くなるんじゃないの?」

「廉売はしないね。プレミアの上乗せはないにしても、札値売りだ」

「そうよねえ。私なら絶対に頼まないわ。あ、そうだ。プリムラのフリンジ咲きのが入ったのを見かけたんだけど、まだある?」

「先週末に売り切っちゃったわ」

「あちゃー……出遅れたか」


 滝沢さんが売り場を振り返った。


「うちは個人宅ベースの小さな店だよ。仕入れたのをさっさと売り切らないと、次のが入れられない。回転で稼ぎを出してるからね」

「そっかあ。私も取り置き頼まないとダメだな」

「それはいつでもおっけーだよ。入荷したらすぐに電話したげる」

「じゃあ、今度お願いしようかな」

「はっはっは! お安い御用だよ」


◇ ◇ ◇


 買い物袋の中身を冷蔵庫に収めて、一息つく。


「ふう……」


 リビングの窓から冬枯れの庭を見ているうちに、さっきの滝沢さんとの会話を思い出して首を傾げた。


「入荷したら電話くれるって言ったよね」


 なんか……違和感が。取り置きなら、さっき滝沢さんが言ったみたいに個別に電話するだろう。でも、入りましたっていうのは一般商品の宣伝だ。時期外れの売れそうもないタイムを、わざわざメッセージボードに書いて宣伝する?


「……」


 いや、それ以外にもあのお店には謎がいっぱいあるんだ。まじめに商売を考えてるなら、売り子があのご主人ていうのはありえないわ。私は慣れたけど、本当に態度ががさがさ。個人宅ベースのこじんまりとしたお店なのに、飾り気も商売っ気もない。入荷する商品も、その店でないと買えないっていうスペシャル感がない。まあ……園芸好きの素人がお店でもやってみようかしらっていうレベルだと思う。いくら花商売の利益率が高いって言っても、あれじゃあ売り上げなんて知れたものでしょ。

 でも、もう何年もお店は続いてる。つまり。あのお店はカムフラージュで、実際は別の商売をやってるってこと。黒板に書かれているのは、何かの隠語なんじゃない? そう考えると辻褄が合うんだ。


「麻薬とか、かしら」


 いや、それは考えにくい。私みたいにすぐ怪しむ人が出るだろうから。あんな、誰の目にもつくように堂々と書くってことはないな。


「何かを募集する、引き受けるって感じ?」


 でも、それなら年中書かれてるはず。


「……そうか」


 入荷したと書いて本来の客が来れば、売り切れましたと断れる。私がさっきプリムラの話をしたのと同じだ。そうじゃない本筋の客相手なら、入荷しましたは作業中だってこと。その間は他の仕事を引き受けられませんよ……そういうメッセージなんだろう。


「本筋の作業は死体処理……かあ。そうよね、タイムは肉の臭み消し用ハーブだから。奥さんも大変だあ」



【了】


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タイム入りました 水円 岳 @mizomer

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