親愛なる切り株ねむこさんへ。

 こんばんは。
 ご無沙汰しております。
 郷倉四季です。

 今作の「手紙【日々泡々】」が一旦の終わりとなったのが、4月17日の金曜日のことでした。
 
 個人的なことですが、2020年のコロナが流行し始めた頃から僕は、カクヨムではない場所で日記を書いていました。

 なので、4月17日の自分の日記がありました。
 それを読み返してみると、「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ゼロ)」を聴いて、そこで「自宅待機が2週間続いて身体よりも心の方が疲れてくる頃」と佐久間宣行が言っていたと書いていました。

 コロナの流行によって突然の自宅待機によって起きた混乱の渦中だったのが、4月17日頃のようです。
 
 ちなみに佐久間宣行は「体よりも心の方が疲れてくる頃」こそお家エンタメです、とラジオで語っていたようで、それに対して僕は、

 書評家の豊崎由美が「テキストを読むっていうのは意外なほど頭を使うので、体や心が弱っていたり、直近の金策に悩んでいるような精神状態では楽しめないと思うから。読書が“負担”になるケースもある」と書いていたこと

 を思い出しています。
 お家エンタメを楽しむ為の心持っていうのもあるよね、と思った訳です。

 豊崎由美の言葉通りテキストを読むことに「意外なほど頭を使うので」あれば、テキストを書くことには更に頭を使うのは想像に難くありません。

 僕自身、エッセイや小説を書く度に頭を抱えています。

 そんな訳でありますから、世界全体で混乱の渦に陥ったコロナ禍では、自宅待機で時間はあるけれど、心から何かに没頭できる訳ではない、そんな日常を僕たちは過ごしてきたような気がします。

 問題はまだ、そんな日常は終わっていないことにあると思います。
 そんな中でも、そろそろ次なる日常の為に準備をしていかないといけない時期に差し掛かっているんだろうな、とぼんやり考えていた頃に「手紙【日々泡々】」が更新されました。
 9月15日のことです。

 コロナ禍以前の日常が戻ってきた訳ではありませんが、僕たちが心地良く物語に没頭できた、あの頃の日常が戻って来ようとしている気がして、僕は嬉しくて仕方がありませんでした。

 ねむこさん、おかえりなさい。
「親愛なる君へ」から始まる手紙を読むだけで、こんなにも口元が綻び、心温かな気持ちになるものなんですね。

 ちなみに、「手紙【日々泡々】」の紹介文の中に「物語ではないので、どこからでも好きなところからお読みください。」という一文があります。

 なので、今回のレビューを僕の誕生日である2月15日の内容を抜粋して、終わりたいと思います。

 ねむこさんの2月15日は息子さんと「しりとり」をしていて、

「お互いに ら攻め、る攻め。」

「30分くらいしたら飽きたという 2人の意見が一致してやめました。笑」

「私はこんな1日でした。」

 すごい素敵な一日!
 そして、

「私は君の事をあれやこれや知りたくなるけれど、
 君も私の事を知りたいとか思うことはあるのかな?」

「今日はお互いに沢山質問し合ったり、
その後はグリコのジャンケンをしながら
歩きませんか?笑」

 ねむこさんのことで知りたいことはいっぱいあるので、今度、ぜひ質問させてください。

 ちなみに僕のグリコのジャンケンで一番好きな手は「パー」の「パイナツプル」です。
 パイナップルではなく「パイナツプル」って言うのが子供心に楽しくて、毎回パーを出していた気がします。
 そして、弟に毎回負けていました。笑

 これまた、長いレビューになってしまって本当に申し訳ないです。

 ねむこさんの明日が、心地良く幸せな一日であることを祈っています。

 あと、「手紙【日々泡々】」が更新されたこと、心から嬉しかったのですが、決して今後も続けてください、ということではありませんので。
 ねむこさんの心が第一ですので、まずはご自愛してください。

 おやすみなさい。
 良い夢を。