授業中 珈琲の香り

谷本 紫雄

第1話

 授業の開始を告げるチャイムの音が校舎中のスピーカーから流れる。

 次の授業は確か移動教室だったっけ? と時間割を思い出しながら、本来向かうべき教室とは逆方向にある棟へと俺は向かう。

 最初に向かうのは物置と化している屋上へと繋がる踊り場。ロッカーを開けて隠していた物があるかを確認する。


 「あれ?」


 目当ての物は無かった。どうやらもう一人もこの時間の授業をサボっているようだ。

 階段を下って四階に降りるとほのかにコーヒーの匂いが漂ってきた。一番手前にある空き教室に近づくほど匂いは強くなる。


 コン、コンコン


 一回目と二回目の間に一拍置いた三回のノック。おそらく中に居るであろう人物と考えたお互いを知らせる合図。

 中から足音が近づいてガチャンと解錠される。


 「いいですよー」


 許可をもらってドアを開くと予想どおり、コーヒーの入った紙コップを持った小柄な金髪の美少女、秋空シンクがいた。


 「おはようございます、カナメさん」

 「秋空さんおはよう」


 秋空さんのにこやかな挨拶に軽く右手を上げて返す。


 「カナメさんもコーヒー飲みますよね?」

 「あぁうん、お願いできるかな?」

 「はい! 任せてください」


 えっへん! と擬態語がよく似合うようにその控え目な胸をはって部屋の隅に置いてある俺の持ち込んだコーヒーメーカーのもとへと向かってくれた。


 「あぅ……」


 秋空さんが可愛く唸る。どうやら何か問題が発生したらしい。


 「ごめんなさいカナメさん。コップがもう無いみたいです」

 「紙コップが? そりゃ残念」

 「あのあの、わたしの飲みかけで良かったら飲んでください!」


 顔を赤くして自分のコーヒーを俺に向けて差し出してきた秋空さん。個人的にも客観的にも控え目にいって可愛い。冗談だったら多少たちの悪い物だが、この子は純粋な善意で行動しているのはまだ短い付き合いの中でも分かっている。


 「もともとこのコーヒーメーカーはカナメさんの物ですし、わたしは厚意で飲ませていただいているので、カナメさんが飲めないのにわたしだけがコーヒーを楽しむのは申し訳ない気がしてしまって……、あぅ……」

 「落ち着いて、早口になってるから。……あと俺がそれを飲んでしまったらいわゆる間接キスになってしまうと思われるのですが、その点についてはどうお考えで?」


 慌てる姿が可愛くて馬鹿な質問をしてしまった。秋空さんの顔が茹で蛸のようにまで真っ赤になったのをみてやりすぎたかなぁと少し後悔した。


 「それは…………いえ! これはあれです! いわゆる間接キスと言われる物ではありません! いわゆらないです」

 「いわゆらない?」


 新しい日本語が生まれてしまった。おそらくあと四十分ほどで死語と化すだろう。


 「ですから、いわゆらないわけですし、これをどうぞ。さあさ一杯。一思いに、ごくんといっちゃってください!」

 「えっと、ごめんいわゆるいわゆらないとかじゃなくてね」

 「あぅ?」

 「持ってきてるんだ。……補充分の紙コップ」


 俺が百均で買った紙コップが数十個ほど入っている袋を見せると秋空さんはポカンとしていた。顔の赤みが引いていき、そして今度は俺にジト目を向けてきた。


 「なんだか弄ばれた気分です」

 「うん、今回は俺が悪いね。ごめん」


 苦笑いして謝罪を口にする。適当にも見えるそんな俺の態度でも秋空さんは笑って許してくれた。そして紙コップを俺から受け取ってコーヒーを淹れてくれた。


 「熱いので気をつけてくださいね?」

 「ありがとう。……しかし秋空さんも随分とこの部屋に馴染んでしまったね」

 「そうでしょうか? もしそうなら……はい、嬉しいですね」

 「……あまり良いことではないのだけれどね」


 今度は二人して苦笑いを浮かべる。この部屋に馴染むということは、すなわちサボりの常習犯ということになる。


 「そうかもしれませんけど、やっぱり嬉しいです。自分の居場所が出来たみたいで。あと、それをカナメさんに言ってもらえたことも含めて、私もここにいて良いんだって思えましたし。」

 「……そか」


 秋空さんは照れ隠しなのかコーヒーを口に含む。


 「……ありがとう」

 「あぅ? どうしてカナメさんがお礼を言うのですか? むしろ私の方がありがとうございますです」

 「いやいや、俺の方だってありがとうだよ。サボり仲間がいてくれるのホント心強い」

 「……複雑な感謝のされかたです」


 ここで会話が途切れた。もともと俺たちは会話が得意じゃない。沈黙の中で珈琲を啜る。

 しばらくすると、小さな喧騒が外から聞こえてきた。


 「どこかのクラスが体育なのかな?」

 「……多分、私のクラスだったと思います」


 後ろめたそうな声


 「へぇ、今体育って何してるの?」

 「えっと、男子はサッカー、女子は体育館でバスケだったような気がします……」


 聞こえてくるのはサッカーをやっている男子の声だろう。運動場からかなり離れているここまで届いているくらいには盛り上がっているようだ。


 「運動は苦手だっけ?」

 「そですね……。でも…多分そうでなくても体育は苦手です」


 理由はなんとなくだけど分かるような気がする。

 この学校は中高一貫で殆どの生徒がエスカレーター式に高校生になる。そんな中で俺も秋空さんも高等部からの、謂わば新参者だ。

 もともと出来上がっている人間関係の中に新しく加わることは秋空さんにとっては酷なことだったのだろう。失敗して、浮いてしまった。

 そして体育、特にサッカーやバスケのような団体球技では浮いていようが弾かれていようが、強制的に集団に加えられる。


 「腫れ物扱いは辛いよね」

 「……はい」


 先程とは違う少し気まずい沈黙。何か上手いこと言って励ますことが出来たらいいんだけど、そんなことができていたらおそらく俺はサボり魔になんてなっていない。

 沈黙は嫌いじゃ無いけど、この気まずさはどうにかしたい。だから言わなくていいことを口走ってしまった。


 「俺さ、中学の時サッカー部だったんだよ」

 「……え?」


 俺の唐突な自分語りに秋空さんは戸惑っていた。


 「ごめん! どうでもいいよね。忘れて」

 「いえ! どうでもいいとかじゃなくて、カナメさんが自身のことを話すのって珍しいなって思っただけです」


 お互いにあたふたしてしまう。


 「遮ってすみません! はい! 続きをどうぞ!」

 「えっ? 続きっていうか、『もう辞めたんだけどね』で終わりだけど」

 「……カナメさんってあれですね」

 「……なんとなくわかるけどあれって?」

 「会話が下手ですね」


 こういう時彼女はオブラートに包まない。


 「自覚はあるよ。あと、君も一緒じゃないの?」

 「あぅ……。はっきり言われると凹みますね」

 「はっきりしっかり真っ先に言ってきたのは秋空さんなんだよね」

 「あぅ……、これが『人を呪わば穴二つ』ということですか」

 「うん、違うと思うよ。この場合ブーメラン発言とかが適切な表現かなあ?」

 「飛来骨ですね!」

 「それ結構昔の作品のやつだよね、確かお父さんが漫画集めてたけど。……よく知ってるね、多分だけど俺らが生まれる前の作品じゃなかったかな?」

 「不朽の名作でした。……あっ」


 秋空さんが今日一番イキイキし出したところで授業終了のチャイムが響いた。


 「授業終わったね」

 「そですね」

 「俺は次戻るけど、秋空さんは?」

 「私も戻ることにします。……でも、みんなが着替える時間もありますので、ギリギリまでここにいようと思います」

 「そか、じゃあ鍵お願いしてもいい?」

 「任せてください。いつもの場所に戻しておきますね」


 部屋の鍵を開けて人気がないのを確認してドアを開ける。


 「またね、秋空さん」

 「はい、また今度。カナメさん」


 ドアを閉めて俺は自分の教室へと向かう。そしてまた馴染めない普通に耐えられなくなった時にここに戻ってくるのだろう。

 ふと、次この部屋に来た時の事を考える。その時は秋空さんも一緒だと嬉しいだなんて自分勝手な事を。

 少しだけ自己嫌悪。そしてすぐに開き直る。

 また二人で安っぽいコーヒーを飲んで、実のあるのか無いのかわからないような話をして過ごすことができるのなら少しだけ頑張れそうな気がして、その矛盾が可笑しくて自分で嗤ってしまった。

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授業中 珈琲の香り 谷本 紫雄 @Shio_T

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