5.「おやすみなさい」
「……やっぱりわたし、
撮り終えた写真を、嬉しそうに眺めた後。
つむぎはそう呟くと、俺に背を向け、少し距離を取る。
そして、
「………
そんなことを言い出すので。
俺はわざとらしくため息をついてやる。
「なんだよ。アレか?電車も写真も、俺が初めてじゃなかった、とか」
「ちっ、違いますよう!そうじゃなくて……
……わたし、すべての蜘蛛の子たちの元締め、なんて言ったけど、本当は……
どちらかと言うと、"縁結びの神さま"なんです」
「…………え」
………なんだよ、それ……
「……むしろスゲーじゃん」
「えへへ、それほどでも……じゃなくて!
……あの、くもポイントの本当の特典……
………すっ。
と、つむぎは、自分の右手の小指を立てると。
「………"縁を紡ぐこと"、だったんです」
くいっ。と、まるで繋がれた糸を引くように小指を動かす。
すると。
「どわっ?!」
直後、俺が手にしていたスマホがブーッ、ブーッ、と振動し出した。
画面を見ると、そこには……
「……おっ、お袋……」
しばらく連絡を取っていなかった、母親からの着信だった。
俺は『応答』をタップし、恐る恐る耳を当てる。
「……も、もしもし…?」
『あっ、
「うん、まぁ……ぼちぼち」
『ご飯はちゃんと食べてる?!他のことは疎かにしても、食べ物だけはちゃんとしたモン食べなきゃだめよ?!毎日カップ麺とかにしていないでしょうね?!』
「だ、大丈夫だよ……ちゃんと自炊してる」
『それからね、何に遠慮してるか知らないけど、正月くらい帰ってきなさいよ!お父さんも私も、待ってるんだからね!』
「………えぇと…………実はもう、こっちに帰ってきてる」
『え?!』
嗚呼、ほんと……
俺は一体、何を卑屈になっていたのだろう。
"俺は、特別じゃない"。
そんなの、わかりきっていたことじゃないか。
そもそも
才能がなくても、一番になれなくても。
"それでもいいよ"と言ってくれる人がいることが……何よりも、幸せなことだったのに。
「……え?欲しいモノ?別にないけど……とりあえず、布団敷いといてくれないか?帰ったらすぐにでも寝たい気分なんだ。
それから、俺が置いてった一眼レフ。まだあるよな?……え?!親父が無くした?!」
母親から告げられた衝撃的な一言に。
俺はバッ!と振り返り、つむぎに向かって、
「おい!親父のヤツが俺の一眼無くしたって!せっかくお前を……」
撮ろうと思っていたのに。
………そう、投げかけるはずだった相手は。
「………え…?」
忽然と。
………そこから、いなくなっていた。
* * * *
あれから、三日。
つむぎは……完全に、俺の前から姿を消した。
もしかするとまたひょっこり現れるのではないかと、実家にいる間も待っていたのだが……
あいつは、ついに姿を見せることはなかった。
俺に、写真を撮ることの楽しさを思い出させ。
家族との縁を、結び直したから……
役目を終え、消えた、ということなのだろうか。
──年が明けて、今日は一月三日。
両親に今度はゴールデンウィークに帰る約束をし、俺は実家を出て、一人暮らしのアパートへと戻る。
帰りの電車の中、思い出すのは、つむぎのことばかりだった。
スマホのフォルダの中には……確かに、あいつの写真が残っていて。
あの日の出逢いが、夢ではなかったことを教えてくれる。
「………はは。ひでーカオ」
散々笑ったはずの半目写真を眺めるが……何故だろう、全然笑えなかった。
……あいつはきっと、"記憶の上書き"をしてくれていたんだ。
地元に帰るための電車も、あの裏山までの道のりも。
俺が卑屈に捉えていた風景を全部、楽しいものに書き換えようと。
あいつは、『写真を撮って』と、ねだっていたんだ。
……くそ。こんなの、卑怯だろ。
突然現れたかと思えば、突然消えて。
楽しい思い出だけ、残していきやがって。
何が神さまだ。こんな……
『ありがとう』の一言も、言えないだなんて。
──ガチャ。
と、扉を開け。
俺は、自室へと戻ってきた。
数日間締め切られていたせいか、空気がこもっているのを感じ、俺は荷物を置いて、窓を開けた。
……そういや、大掃除もしそびれたな。
と、汚れたサッシを眺めると……一匹の蜘蛛を見つけた。
まったく。この家には本当に、よく蜘蛛が出る。
俺はそっと、手のひらで包むと。
窓の外へ、蜘蛛を逃がしてやった。
……いつかまた、くもポイントとやらが貯まったら。
あいつに、会えるのだろうか。
「………今ので、一体何ポイントなんだろうな」
糸を伸ばしながら、ゆっくりと降りて行く蜘蛛を眺め、そんなことを呟く………と。
「………………二ポイント、です」
……ふと、そんな声が、後ろから聞こえて。
俺は、窓から落ちそうになりながら振り返る。
そこに立っていたのは………
「…………つむぎ…!!」
あの、小さな蜘蛛神さまだった。
「おま……ずっと、ここにいたのか…?」
俺が尋ねると、彼女は気まずそうに顔を逸らし、
「………だって、
……いきなりお義母さまに、『布団敷いといてくれ』だなんて言うから…っ!
ただでさえ義実家へのご挨拶なんて緊張するのに、帰って早々、そんな……"寝る"だなんて!こっ、心の準備がっ!!」
「って、お前は一体なにを勘違いしてんだぁぁああっ!!」
俺は、窓を開けていることも忘れて絶叫する。
「はぁ?!それじゃあ何か?!その妙な勘違いをしたせいで、ずっと姿を隠していたってワケか?!」
「……だって、ハネムーン中の夫婦が布団の上ですることなんて、一つじゃないですか!」
「いや、布団は寝るためのものだから!つーかあの会話の流れでよくそんな勘違いができたな?!」
はぁぁ……くそ。一気に疲れた。
俺はガクッと肩を落とすと、ベッドにダイブする。
「……あの……
「そうだよ。結局、実家でもあんま眠れなかったからな、誰かさんのせいで。お前の顔見たら……一気に気が抜けたわ」
「………その、お隣にお邪魔しても、いいですか?」
「………いいけど、散々ビビって姿消したくせに、なんで添い寝は平気なんだよ」
「この三日間でばっちり心の準備ができましたから!それに、ぱんつも可愛いのを履いているので……今なら何されても大丈夫です!」
「ぶふっ!いや、何もしねーから!!」
吹き出す俺の隣に、つむぎはころんっと横になる。
「えへへ♡なんかいいですね、こういうの。夫婦ってかんじです♡」
「……嫁は特典じゃないとか言ってなかったっけ」
「ええ。お嫁さんになるのはポイントの特典ではなく、ただのわたしの願望です!」
「って、やっぱり押しかけ女房じゃねーか!……まぁいい。とりあえず今は」
──ぎゅっ。
と、俺はつむぎを胸に抱き寄せ、
「……黙って、俺の抱き枕になっとけ」
「こっ、
「……起きたら一眼買いに行くぞ。お前が消えたせいで、また写真が嫌いになりかけたんだ。責任取って、いろいろ試し撮りさせてもらうからな」
「………はいっ」
「…………それと……」
俺は。
彼女の後ろ頭をそっと撫で。
「……………ありがとう。つむぎ」
ようやく言えた、その言葉に。
心が満たされるのを感じ、俺は一気に眠気に襲われる。
起きて、カメラを買ったら、どんな写真を撮ってやろう。
つむぎは撮るとして、三が日の街並みや、お寺さんの風景を写すのもいいな。
……って、眠る前から起きた後のことが楽しみだなんて、小学生か俺は。
嗚呼、でも、これで……
ようやく、ぐっすり眠れる気がする。
俺は、今度こそ大切なものを見失わないように。
好きなことから、逃げ出さないように。
腕の中の、小さな神さまを抱きしめ、言う。
「………それじゃ、おやすみな」
「えっ、ほんとにこのまま寝るんですか?!」
「……………」
「……お、おやすみなさい。
耳元に返された、少し緊張した声に、思わず微笑んでから。
俺は、心地よい眠気に
──静かに、瞳を閉じた。
蜘蛛神さまは突然に 河津田 眞紀 @m_kawatsuta
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