4.神さまの嘘


 * * * *




「──着いたーっ!!」



 高校の裏にある、小高い山。

 その頂上にたどり着き、つむぎは両手を上げて叫んだ。


 あの頃は軽々と登れた山だったが……日頃の運動不足が祟ったのか、けっこう息が切れた。歳は取りたくないな……と口にしかけて、やめた。隣にもっと歳取ってる奴がいたんだった。



「ここが……あの写真の場所……」



 黒い瞳を忙しなく動かすつむぎに、俺は手招きし、



「こっちだ。ちょうどここから撮ったんだよ」



 そう誘い、写真とまったく同じ構図が見える場所に立たせた。

 が……厳密に言えば、まったく同じではなくなっていた。

 小さな川と、畑と田んぼと、雑木林ばかりが見えていたはずの景色は……やはりあちこちに新しい家が立ち並び、どこか無機質なものへと変わっていたのだ。


 ……そのことに、俺は、



「………がっかりしたか?写真と変わっていて」



 他ならぬ俺自身がそう思っていることを悟られぬように、つむぎに尋ねた。

 すると、つむぎは、



「……いいえ。がっかりなんて、とんでもない。思った通り、綺麗ですよ。虹輔こうすけさんが、育った街。でも……」



 ……と。

 こちらを振り返って、



「……やっぱりわたし、この景色そのものじゃなくて……虹輔こうすけさんが撮った、あの写真が好きだったみたいです。なんて、すみません。わざわざ連れて来ていただいたのに」



 穏やかな声で、そんなことを言うから。

 俺はまた……胸が苦しくなって、何も返せなくなる。

 つむぎは、着物の裾を押さえながらしゃがむと、



「……写真では、この辺りに蜘蛛の巣がありましたね」

「あ…あぁ。もう流石になくなってるけどな」

「……どうして、撮ったんですか?」

「え?」



 思わず聞き返す俺を、彼女はまっすぐに見上げて。



「………この景色だけでも十分綺麗なのに、どうして……蜘蛛の巣を、写したんですか…?」



 そんなことを、聞いてくるので。

 俺は……



 八年前のあの日、この場所で。

 あの写真を撮った時のことを、思い出す。




 ♢




『今日のテーマは「秋の侘しさ」で!自分にとってのベストな写真を収めて、十七時までに戻って来るように!』



 その日も、お調子者な部長がテキトーに決めたテーマに沿って、写真部の部員たちはそれぞれ思い思いの場所へ写真を撮りに出かけた。

 部活に入って半年。この頃の俺は、技術はないが、とにかく撮ることが楽しかった。


 『秋の侘しさ』が何なのかはよくわからなかったが……秋っぽい景色を探しに、とりあえず裏山へと足を踏み入れた。

 赤く染まった楓や、甘く香る金木犀なんかを撮りながら、「侘しさ、侘しさ…」と頭を悩ませ。

 結局、納得のいくものが撮れぬまま、頂上にまでたどり着く。


 そこで。



「………うわぁ……」



 見下ろした景色に、思わず声を漏らした。

 知らなかった。いつの間にか……街全体が、秋に染まっていたんだ。


 向こうに見える雑木林も。

 眼下に広がる田んぼも。

 川沿いに揺れるススキも。

 全部全部、秋の色になっていた。


 きっとこうして、俯瞰で見なければ気付かなかった。

 ちゃんと"見よう"としなければ、見えなかった。

 あっという間に過ぎ去ってゆく、季節の移ろいにも。

 退屈なはずの、この街の美しさにも。


 ふと、俺は目の端で何かが光っているのに気がつく。

 それは、蜘蛛の巣だった。午前中まで降っていた雨の粒が、真珠みたいにいくつもぶら下がって、キラキラと輝いている。まるで、お伽話のお姫様がつけている首飾りのようだった。

 その中央で、黒い背中の蜘蛛が、せっせと糸を紡いでいるのを見て。


 ……別にこいつは、人間様に綺麗なモンを見せたいわけではなく、ただ生きるのに必要だから、巣を張っているだけなんだよな。


 そう考えたら、なんだか余計に美しく感じられて。

 こんなに綺麗なのに、もうきっと、明日には見ることができないのだと思うと。

 俺は、どうしてもカタチに残したくなって。




 ……嗚呼、そうだ。

 この世界には、なんとなくで生きていると見逃してしまう"美しい瞬間"が多すぎる。


 それに気付き、カタチに残すことができるから。

 俺は……写真を撮ることが、大好きだったんだ。




 俺は、学ランの裾が雨露に濡れることなんかお構いなしに。

 蜘蛛の巣と、街の景色が写った最高の一枚を収めるために。

 何度も、何度も、シャッターを切った──




 ♢




「……………」



 記憶を辿りながら、確かめるように、ゆっくりと。


 俺は、あの写真を撮った時の気持ちを……つむぎに、話した。

 話していて、どんどん恥ずかしくなった。さすが十代。我ながらなんて純粋な感性をしていやがったんだ。

 しかし、俺のこの恥ずかしい独白を、つむぎはわらうどころか黙って聞いていてくれた。


 そして、



「……よかった。思い出してくれて」



 そう、穏やかに微笑んだ。

 それから、やけに大人びた視線……というのもおかしな言い方だが、とにかく真面目な目で、俺のことをじっと見つめて、



「……ごめんなさい。わたし、虹輔こうすけさんに、ウソをついています」

「………え…?」



 突然、そんなことを言い始めるので、俺は掠れた声で聞き返す。

 つむぎは俯き、言葉を探すようにしばらく黙り込むと……




「………実は……あの写真に写っている蜘蛛。

 あれ、わたしなんです」




 絞り出すように告げられたその言葉に。

 俺は、「へ…?」と間抜けな声を上げる。



「つ……つまり八年前、ここで俺に写真を撮られたあの蜘蛛が……お前ってことか?」



 俺が尋ねると、つむぎはコクンと頷き。

 そして。

 静かな声音で、語り出した。




「八年前……わたしはまだ、ただの一匹の蜘蛛でした。

 そこへ、あの日……あなたがやってきて。

 『きれい…』って呟きながら、わたしと、わたしが紡いだ巣の写真を撮ってくれました。

 その写真は、この街の写真展に飾られ、表彰までされて。

 たくさんの人の目に、映ることになりました。

 そんなことを知る由もなく、わたしは蜘蛛としての生涯を閉じたのですが……

 死ぬのと同時に、わたしは、神さまになっていました。

 わたしが写ったあの写真がたくさんの人を笑顔にし、この街の美しさを広めたからと、いつの間にか徳を積んだことになっていたみたいで……

 ……つまり、わたしは……虹輔こうすけさん、あなたが生んだ神なのです」




 ……と。

 それこそ嘘みたいな話を聞かされ、俺は言葉を失う。

 つむぎは、少し微笑んで、



「だからね、齢一〇〇〇年超えっていうのは、ウソなんです。本当は、最近生まれたばかりのひよっこ神さま。子どもに見られたくなくて、つまらない見栄を張ってしまいました。ごめんなさい」

「いや……そんな、謝ることじゃ……」

「……ずっと、会いたかったんです。わたしを神さまにしてくれたあなたに、もう一度会いたくて……会って、お礼がしたくて。だけど……」



 きゅ…っ。

 と、つむぎは着物の裾を握りしめ、



「………あなたが、あの写真をきっかけに、今、とても苦しんでいることを知って……胸が張り裂けそうでした。

 あんなに楽しそうにしていたのに……もう、写真を撮ることをやめてしまっただなんて。

 『楽しい』だけじゃ……『好き』だけじゃどうにもならないことがあるのも、わかっています。

 だけど、もう一度……あの時の気持ちを、思い出してもらいたくて。

 それで……ここに、連れて来てもらいました」



 ……そうか。そうだったのか。

 俺は、なんだか妙に納得して、自分の手のひらを見つめる。


 どうやら俺が撮ったあの写真が、俺の知らないところで、たくさんの人を笑顔にしていたらしい。

 こんな……蜘蛛の神さまを生んでしまうくらいに。



 "特別じゃない"。

 そんな風に自分をおとしめていたのは、誰でもない、俺自身だったんだ。

 周りと比べたり、評価をもらうことばかりに固執して……写真を好きになった理由すら忘れて。

 誰のためでもない、自分のためですらない写真ばかりを、撮るようになっていた。


 そもそも、"特別"ってなんだ?

 カメラマンが皆、奇抜な写真や衝撃的な瞬間ばかりを撮っているわけではない。

 俺には俺の、他人ひとには他人ひとの、撮りたい写真がある。

 俺が撮りたいのは、日常の何気ない風景の中に隠れた、ささやかだけど美しい、そんな写真。

 見た人が少し目を留めて、『あ、きれい』って思ってくれるような……そんな、"特別じゃない"写真だったんだ。



 そのことを、この神さまは。

 ……目の前の、小さな神さまは、思い出させてくれた。




「………つむぎ」



 俺は、ポケットからスマホを取り出し。




「……もう一度………撮らせてくれないか?

 この場所で、お前を。

 また………ここから、やり直したいんだ」




 そう、尋ねた。

 つむぎは一度、驚いたように目を見開き。

 ……その目に、涙を溜めると。



「…………はいっ」



 あの時の雨露みたいな雫をぽろっとこぼしながら。

 笑顔で、頷いた。





 ──俺は、つむぎに立ってもらう位置を指示し。

 進んだり退がったり、しゃがんだり立ったりを繰り返しながら、一番綺麗に撮れる角度を探し。



「……よし。撮るぞ」



 少し、震える親指で。

 あの時と同じ、彼女と、故郷の風景を写した……


 今撮れる最高の一枚を、カタチにした。

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