3.「写真、撮ってくれませんか?」


 * * * *





 俺の母校の最寄りまでは、電車で二時間。乗り換えを三回もしなければならない距離にあった。


 家の最寄駅から電車に乗り、座席に座ったところで、俺は「はぁぁ」とため息をつく。

 実家方面に向かうのなんて二年ぶりだ。何せ社会人になってから、一回も実家に帰っていないのだから。

 『将来カメラで食っていく』なんて大口叩いて美大に入ったクセに、結局なんの関係もない仕事に就いたことが恥ずかしくて、居たたまれなくて……

 俺は親から逃げるように、一人暮らしを始めたのだ。


 今更ながらめちゃくちゃに気乗りしなくなっている俺の横で、つむぎはあちこちキョロキョロ見回し、楽しそうな表情を浮かべている。

 それに、思わず少し笑いながら、



「電車。初めてなのか?」

「はい!走っているのは何度も見ていますが、乗ったのは初めてです」



 神さまにも"初めて"のことがあるんだなぁと思いつつ、俺も車内を見渡す。

 時刻はまだ六時過ぎ。いつもなら通勤でごった返している時間だが、さすがにどこも年末の連休に入ったのだろう。人もまばらだった。



「すごいですね。みんなで同じ箱に入って移動するなんて。なんだか不思議です」



 そう、つむぎはワクワクした様子で言うが…… 



 その実、俺は、電車があまり好きではなかった。


 というか、大勢の人間と一箇所に詰め込まれている環境が苦手なのだ。

 なんだか自分の存在が……希薄になるような気がして。


 ほら。よくスーパーとかで値下げされた商品が山積みになっていたりするだろう。

 あれと同じ感覚になるんだ。自分は、その他大勢の人間と同じ、なんの特徴もない量産型なんだって。

 そう、思い知らされるみたいで。


 毎朝毎朝。ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って。

 俺もこいつらも、何が楽しくて生きてんだろうなって。

 何者にもなれないこの虚しさに、どう折り合いつけて生きてんだろうなって。


 ……通勤中は、そんなことばかりを考えている。



「…………」



 返事がないことを不審に思ったのだろう、つむぎは横から俺の顔を覗き込むと、



虹輔こうすけさん」

「……なんだ」

「写真を、撮っていただけませんか?」



 急に、そんなことを言い出すので。

 俺はパッと顔を上げ、彼女を見返す。

 つむぎは、にっこり笑うと、



「部屋に飾ってあった、あの写真みたいに……あなたが撮った風景として、わたしとの思い出を、カタチに残していただきたいのです」



 ……なんて、小難しいことを言い出した。

 しかし……



「……悪い。カメラ、持っていないんだ。全部実家に置いてきたから……」



 と、そこまで言って。

 俺は、スマホにもカメラが付いていることに気がつく。

 ……一眼ほど、綺麗に撮ってやることはできないが、



「……これでよければ、撮るけど」



 遠慮がちにスマホを見せると、つむぎは何度も頷いて、



「ぜひ!お願いします!!」



 嬉しそうに笑って、前髪を少し整えてから、居住まいを正した。

 そして……

 両手の親指同士をクロスさせ、手のひらをぐわっと広げる謎のポーズを取った。



「…………なにソレ」

「なにって、蜘蛛のポーズに決まってるじゃないですか。ささ、早く撮ってください♪」



 ……確かに、言われてみれば蜘蛛に見えなくもないが……

 まぁいい。俺は立ち上がって、つむぎの正面に立つ。

 写真を撮ること自体、とても久しぶりだっあ。

 せっかくだから少しでも綺麗に撮ってやろうと、光の入り方や角度を見ながら、しばらくスマホをあちこち動かす。

 その間、微動だにせず、ずーっと『蜘蛛のポーズ』をしていたつむぎは……



「じゃあ、とりあえず一枚。はい、チーズ」



 撮り終えた瞬間、両手でバッ!と目を覆った。



「め…目がぁああっ…!!」

「ああ、ごめん。普通にまばたきしてくれてよかったのに」

「そ、そうなのですね……写真に撮られるのも、これが初めてで……何かを試されているのかと思いました」

「はは。それは悪かったな」



 悪いと言いつつも、少し笑ってしまう。ドライアイの神さまって、それは果たして神さまと言えるのか。



「ほら、初めて撮られた写真……見てみるか?」



 隣に座り直しスマホの画面を近付けると、彼女は食いつくようにそれを覗き込んできた。

 そして、液晶に映る『蜘蛛のポーズ』をした自分を見るなり、



「……すごい。鉄の板の中に、わたしがいる!」

「って、なに時代の人だよ」

「ありがとうございます!すごく可愛く撮っていただけて、嬉しいです!」

「いや、こんなスマホでパシャーが初めてで申し訳ない」

「とんでもない!電車処女も写真処女も虹輔こうすけさんに捧げられて、つむぎは嬉しいです♡」

「ばっ……ヘンなこと言うな!!」



 誤解を生みまくりそうなセリフを吐くつむぎに、俺は周囲を気にしながら大いに焦る。

 しかし彼女は、くすくすと笑って、



「ふふ。これで、電車を乗る度に今日のこと……わたしのこと、思い出してくれますか?」



 ……なんてことを言うので。

 俺は、こいつが一体どこまで考えてものを言っているのか、わからなくなる。


 そして確かに、ドライアイに耐えながら謎の『蜘蛛のポーズ』をとる彼女のことを思い出し、ちょっとはニヤけてしまうかもしれないと。

 ……そしたら少しは、電車も悪くはないと思えるかもしれないと、そんなことを考え。



「……さぁ、どうだろうな。もしかしたら忘れちまうかもしれないから……もう一枚、撮っておくか?」



 次は渇きに耐え切れず、半目になったところを収めてやろう。なんて。

 小学生みたいなことを考えながら、俺はもう一度、立ち上がった。






 * * * *





 予定通り、二時間ちょっとの電車旅を経て。

 俺たちは、目的の駅へと降り立った。


 俺の……生まれ故郷の駅だ。



 ここから歩いて二十分ほどの所に、俺の通っていた高校があり。

 その裏に位置する山をさらに十五分ほど登れば、あの写真の場所にたどり着くことができる。


 二年ぶりに目にした、地元の風景。

 相変わらず閑散とした、何もない場所だ。駅前のロータリーでは、タクシーの運ちゃんが退屈そうに新聞を眺めている。


 ここへ帰ってきたら、もっと息苦しさを感じるんじゃないかと思っていた。

 しかし、今。俺は……


 必死に、笑いを堪えていた。

 何故なら。



「もーっ!ほんとにほんとに、さっきの写真消してくださいよう!!」

「いや、だってこの見事な半目……だめだ、何度見ても笑える。最高。これなら絶対に電車乗る度つむぎのこと思い出すわ」

「ひっどーい!虹輔こうすけさんのイジワル!もう離婚です、リコン!!」



 と、頬を膨らませるつむぎ。

 ポケットにしまう前にもう一度スマホを見るが……我ながら最高のタイミングでシャッターを切ったものだ。絵に描いたような半目。このわけわからんポーズも相まって、絶妙に面白いことになっている。



「はー笑った笑った。さて、行くか」

「……むぅ。もっと可愛く撮って欲しかったのにぃっ」

「いや、これもある意味可愛いぞ?ある意味、な」

「ソレどういう意味ですか?!絶対バカにしてるでしょっ!!」

「はは、冗談だよ。悪かった。今度ちゃんと一眼で撮ってやるから、機嫌直してくれ」

「ほんとですか?!約束ですよ?!絶対絶対、可愛く撮ってくださいね!!」



 と、口を尖らせるつむぎを宥めながら、高校に向けて歩き出す。

 正直、つむぎには救われた。ここにはもう二度と、笑顔で帰って来られないと思っていたから。


 駅前の商店街を抜けると、周りの景色が閑静な住宅街へと変わる。川沿いの道をまっすぐ行けば、高校だ。

 変わっていないと思ったが、こうして見ると新しい家が随分と増えた。空き地や畑だった場所、古い庭付きの家だった場所に、建て売りの戸建てがいくつも建っている。こんな辺鄙な田舎街にも、居住地としての需要があるのだろうか。


 俺の横でキョロキョロと辺りを見回していたつむぎだったが、ふいに俺の服の裾を引き、



「ねぇねぇ、虹輔こうすけさん。また写真、撮ってくださいよ」



 と、ねだるように言ってきた。

 俺はわざとらしくため息をついて、



「なんだ。また半目の瞬間を激写してほしいのか?」

「違いますよう!ここ、虹輔こうすけさんの通学路だったんでしょ?あなたの思い出の一ページに、わたしを刻み込んでほしいのです」

「お前はさっきから言うことが昭和のバラードみたいだな」

「昭和の何たるかも知らない平成生まれが何を言っているのですか!とにかくわたしは、虹輔こうすけさんにいっぱいいっぱい撮ってもらいたいんですっ!」

「はいはい、わかりましたよ。ほら、そこ」



 俺は、道の少し先を指さし、



「川沿いに、山茶花さざんかが咲いてる。可愛く撮ってやるから、どうぞあちらへ。モデルさん」

「わかりました!」



 指示を受けるや否や、つむぎはキランッと目を光らせ、山茶花の木の横へと素早く向かう。


 陽の光を受けて輝く小川。

 燃えるように赤い山茶花。

 そして、和服の美少女。


 ……うん、けっこういい絵になるんじゃないか?

 なんて思いながら、俺はつむぎが最大限に可愛く映る角度と距離を探す。さっきの半目写真の罪滅ぼしも兼ねて。



「じゃあ、何枚か撮るぞ。まばたきは適当にしていいからな」



 そう声をかけ、俺はスマホの画面をタッチして写真を何枚か収めた。

 同じように見えても、少し角度が変わるだけで、光の入り方が変わるだけで、全然印象が違う。



 ……そう。この、微妙な違いが。

 自分の納得のいく一枚を探す、この瞬間が。

 ……楽しくて、わくわくしていたんだっけ。




「………うん。いいのが撮れた」



 俺がそう言うと、つむぎが「見たい見たい!」と駆け寄ってくる。

 一緒に覗き込むその画面には、少し澄ました顔で微笑むつむぎと、山茶花の花、そして背景にぼんやりと輝く小川の水面が映っていた。



「わぁ……きれい」

「おいおい、自画自賛かよ」

「違います。わたしのことじゃなくて……なんて言うんでしょう。この写真に写る全てが、とても綺麗で……まるで、お話の中のワンシーンを切り取ったみたいな、なんかちょっと、特別な感じがして……素敵です。虹輔こうすけさんて、やっぱりすごいですね」



 なんてことを、ガラス玉みたいな目をさらに輝かせて言ってくるもんだから。

 俺は………不覚にも、少し嬉しくなってしまって。

 胸がぎゅっと、つかえるような感覚に陥る。

 だから、それを誤魔化すように、



「特別、って……そりゃそうだろ。お前、神さまなんだから」

「はっ。そうでした!」

「それに………俺が上手いんじゃなくて、被写体がいいんだろ。たぶん」

「……虹輔こうすけさん……」

「………ほれ、行くぞ。いっぱい撮ってもらいたいんだろ?お望み通り撮ってやるから、次なるロケ地にGOだ」



 ぶっきら棒に言って、スタスタと歩き出す俺の後ろを、



「あぁっ、待ってくださいよう!」



 つむぎは、草履を鳴らしながら、嬉しそうについて来た。

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