第16話
リヴェータの家の掃除もルノの仕事だった。
玄関と玄関先をほうきで掃き、軽く水拭きするだけ。アルディオンを呼ぶまでもない、簡単な仕事だった。
もうそろそろここに来て二月ほど経つ頃だった。
まだ二ヶ月なんだ、という驚きもあった。
「ただい……、誰?」
聞きなれない声に振り返ると、ひょろっと背の高い青年が玄関の戸口をくぐったところだった。
目が合い、竜の子であると分かる。感じる親近感から、彼も自分と同格であると直感する。
竜の子であると分かると、それだけである程度の信用が得られた。
ルノは人懐っこい笑みを浮かべて、名乗った。
「初めまして、ルノと言います。今ここでリヴェータ様にお世話になっています」
「そうなんだ。え? 女の子なんだ。珍しいね。先生はいる?」
「二階にいらっしゃいます」
「分かった。ああ、そうだ、俺はガノスだ」
落ち着いた茶色い髪を持つ青年は、そういって靴を脱いで、脱いだ靴をそろえると、二階への階段に向かった。
「ガノス帰ってきたんだな」
声を聞きつけたのか、アーノンも玄関に顔を出す。彼とガノスは入れ違いになってしまった。
「もしかしてあの人がここで世話になっているもう一人の方ですか?」
「そうそう。ガノスは地の竜の子だよ。地の竜ってすごいんだぜ? アイツは土を扱うのが上手で植物の生育を促したりできるんだ」
「へぇー、農民の方が欲しがりそうですね」
「そういう人相手に仕事をしているんだよ。今も先生にお使いを命じられて、そういうことをしてきたみたいだし」
「そうなんですね。アーノンさんは竜の力を使って仕事をなさっているんですか?」
「いやー、俺は前に暴走させたときに森を潰しちまって、それから仕事は控えてる。今は力の制御に努めているよ」
「そうだったんですね」
彼は火の竜だと言っていたから、きっと暴走も凄まじいものだったのだろう。
森一つを潰してしまうとはよほど凄まじい暴走だったのだろう。
「ルノの場合はまだ被害が大きくならないからいいよな。ちょっとうらやましいぜ」
「そうですか? これはこれで厄介ですよ」
常に影の具合を気にしていないといけない。
慣れはあったが、まるで指先の怪我みたいに気になることが多い。
「ガノスの暴走もすごいけどな。40年ぐらい前にあいつも暴走したんだが、森を作っちまった」
「へぇー! それはすごいですね。あ、でもこれで足し引きゼロじゃないですか」
アーノンが森を一つ潰したから、ガノスが森を生み出した。
勘定としては丁度いい。
「そうかもな。だが次に俺が暴走するときは地上はやめたほうがいいだろうな。海なら前みたいなことになりそうにない」
「霧が出て帰りが大変じゃないですか?」
「そこは先生に何とかしてもらうさ」
とアーノンは肩を竦めた。
そのとき、二階からガノスが声を張り上げて二人を呼んだ。
おそらくリヴェータが二人を呼んだのだろう。ルノとアーノンは足早に二階のリヴェータの元へ向かった。
● ○ ●
「二人とも入れ」
リヴェータの部屋の引き戸の前に二人が来ると、声をかける前にリヴェータが促した。
指示に従い、二人は部屋に入り、リヴェータの前に、先に腰を下ろしていたガノスに並ぶように座った。
「ルノ、こいつはガノスだ。前に外にお使いに行かせているやつがいると言っただろう。それがこいつだ」
「少し玄関で話しました」
「そうか。ガノス、ルノが影の竜の子だと知っているか?」
「はっ!?」
座っても座高が高いガノスは背中を丸めて座るアーノン越しにルノを振り返る。
「影って、あの?」
「俺もあいつ以外影の竜を知らん。だとしたら、そうだろう」
あの、というのはやはり帝国の影の将軍のことを示すのだろう。
ガノスの様子、リヴェータの様子からしてもルノの存在がなかなか信じられないように映るらしい。
詳しく聞こうと口を開きかけたが、先にリヴェータが口を開いた。
「二月ほど前にエルウィンと交わした取引のために東に行く。お前らもついて来い」
「東……。王都ですか?」
「目的はそこだが、そこに住むのはまずい。あっちにも魔女はいるからな」
その言葉に釣られて、ルノは最近見始めたイグニスという青年の記憶が脳裏を過ぎる。
かつて王妃だったエルウィンがなぜ負けたのか。それは王太子であったエヴァンと対立した方に竜晶石を持つ魔女がいたからだ。
まただ。また夢で得た大事なことを忘れていた。どうして忘れてしまうのだろう。
「エルウィンには俺があの魔女を片付けると言った。おそらくエルウィンも俺が魔女をどうにかするまで兵を挙げないだろうな。元々はあいつが魔女を片付けるつもりだったらしいが」
そうか、エトは、エルウィンはエヴァンと別行動すると言っていた。それはきっと挙兵の邪魔になるであろう魔女と対峙するという意味だったのだ。
「大丈夫なのですか? 王都の魔女は竜晶石を持っているとの話ではないですか」
ガノスが言った。
どうやら竜晶石は公然の事実だったようだ。
「だからこそ俺が行く。お前らには言っていなかったが、あの魔女の持つ竜晶石はオレの友の魂だ。何としても取り戻す」
竜晶石は竜の魂の塊であり、力の塊。だとしたらその生産元となった竜がいるはずである。
「お前たちにも協力してもらう。魔女と戦うにはただ真正面から突っ込んでも駄目だ。やつの周りを探り、裏をかかねばならん。ま、運がよければあいつから竜晶石だけ掠め取ってとんずらするって手もあるがな」
リヴェータの目的は魔女の持つ竜晶石。だから魔女を倒さなくても目的のブツさえ手にすればいいだけで。
そう運よくことは運ばないだろうけど、それはそれで悪い手ではない。
魔女がエルウィンに負けを認めさせ、エヴァンを戦地に追いやったのは竜晶石があったからだ。それさえなければ、エルウィン側に十分旗が上がるだろう。
それにルノが得たアルディオンやイグニスの記憶からしても魔女や今の国王が貴族たちに好まれているというわけでもないようだ。だとしたら、裏をかくというのも案外うまくいくかもしれない。
「東側で暮らす場所は決めているんですか?」
アーノンが尋ねた。
「ああ、ガノスが見つけてきてくれたからな。王都近くの町に部屋を借りる。そしてルノは王都で店を開け」
「え?」
不意に自分だけ別の指示が飛び、驚く。
「なんで私だけ?」
「お前はあのエルウィンの元で魔女を騙っただろう。だから王都の魔女ぐらい騙せるだろう。だから王都で店を開き、できるだけ王都の魔女の情報を集めろ」
リヴェータはルノが魔力持ちのことを知っている。だから騙っていたのではないと分かっていて、でも他の竜の子の前だからそう言ったのだろう。
しかしアーノンが心配して口を挟んだ。
「そんな、ルノが竜の子だってばれたときがまずいじゃないですか」
「大丈夫だろう。こいつは魔女に育てられている。だとしたら、嘘もうまいだろうからな」
「そんな言い方って」
アーノンは尚も食い下がる。
ルノは隣に座る彼の腕に制するように手を出した。
「王都で店を開いても必ず王都の魔女の情報が得られるとは限りませんが、私はやりたいです」
「なら、決まりだ。来週にはここを発つ。それまで準備をしておけよ」
竜であるリヴェータの言葉は絶対だ。命令そのものである。
だからそれ以上は三人とも何も言えずに従う他なかった。
腹ペコにゃんこと影の魔女 アイボリー @ivory0126
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