最終話 ハッピーエンド

 こっちに戻ったからといって、すぐに二人で会えた訳じゃない。彼女はずっと眠ったままだったのだから、色々と大変だっただろう。

 俺は俺で、これからの事を考えて少しづつ動き出していた。

 そして、今日。ようやく会える日がやってきた。

 目的の部屋番号とその下に書かれた彼女の名前を目にして、一気に高まった緊張感をなだめるように、予行演習してきたセリフを頭の中で繰り返す。それから深呼吸を一つ。

 意を決してノックしようとすると、それを避けるようにスっとドアがスライドした。


「わっ」


「あら?」


 驚いた俺とは対照的に、落ち着いた様子でこちらを見る大人っぽい女性。


「びっくりした」


 口に手を添え、ニコリと微笑んだその女性の言葉からすると、そう見えなかっただけでどうやら彼女も驚いていたらしい。おしとやかな雰囲気と、目元のぱっちりとした顔は、今日、俺が会いに来た人にどことなく似ている。ノックしようとする形で止まっていた俺の手と、反対側の手にある花束へと彼女の視線が動いた。


「もしかしなくても、ゆりちゃんのお友達かな?」


「あっ、はい。初めまして、中学の――」


「いいの、いいの。私よりもゆりちゃんに、ね? あの子ったら、今日は調子が良いからって早くから身支度を整えて……さっきから早く帰れって言っていたのは、なるほどー、こういう事だったのね。そうかそうか、そういう事なら私はお邪魔よね。私はもう帰るから頑張ってね、少年」


 自己紹介をしようとした俺を制止すると、何やら一人納得顔で頷いていたお姉さん。頑張ってね? 何を――ふわっと香った花のような匂い――ぐっと寄せられた奇麗な顔にドキリとさせられる。 


「また今度、ゆっくりお話を聞かせてね」


 じゃれつくような囁きを耳元に残したお姉さんが、悪戯っ子のようにウィンクをして見せる。


「はい、……また?」


 ニコリと微笑んだお姉さんは、リノリウムの床に靴音を響かせて去って行った。

 大人の女性として見せる振る舞いの中に、一瞬垣間見えた子供っぽさ。あれは、といった方が正しい気もする。計算された演出。

 なんとも言えない彼女のペースに呆気にとられてしまったが、そのおかげなのか、さっきまでの気負いのようなものが抜け落ち、すっかりと落ち着いているのに気付く。

 今度こそドアをノックする。静寂の中に三度響いた音が、何となくおごそかに聞こえた気がした。


「……どうぞ」


 すでにドアが開いていたせいで、部屋の奥からの返事はハッキリと聞こえた。その声音に、なにやら不機嫌な要素が含まれていた気がしたんだが、気のせいだろうか。

 部屋は清潔感のある白いクロスに明るめの木調パネルが腰壁としてほどこされ、テーブルや椅子も同色の木調家具で統一されている。温かな雰囲気の個室で、何と言うか、【一度は泊まってみたい高級旅館】といったテレビ番組で紹介される客室のようだ。ここが病室だという事実を誰かに確認したくなる。

 目隠しするように配置されている棚から先へと足を踏み入れると、ベッドで体を起こし、窓辺のテーブルに飾られた紫の花を眺める少女が視界に入った。

 白い寝間着に水色のカーディガンを羽織った少女は、記憶にある姿よりも痩せて小さく見え、黒髪は背中に届くほどに長くなっていた。

 

「おかえり……」


 あれだけ練習したというのに、絞り出すようにしてどうにか口から出た言葉はたったの一言。彼女を見た瞬間に色んな思いが込み上げてきて、さっきまで頭にあった言葉を押し流してしまったからだ。そのい交ぜになった感情は今にも溢れ出してしまいそうで、必死に奥歯を噛み締めた。


「うん……ただいま」


 振り向いた神坂さんは俺の顔を見ると少し困ったような笑みを浮かべ、それから大袈裟に溜め息を吐き出して口を尖らせた。


「はぁ~あ。ねぇ、さっきの人、何か余計な事を言わなかった?」


 そのらしくない態度と口調――記憶にある彼女とのギャップに驚いて、俺は素で答えてしまっていた。


「へっ? あっ、あぁ、綺麗な人だったね」


「そう、良かったわね。姉よ、神坂あやめ」


 どおりで――って、あれ? 神坂さん、なんか今度はふくれっ面してる? それに、ここまで砕けた喋り方してたっけ?


「そう……なんだ。あの奇麗な人がお姉さんか……って、あのさ、なんか不機嫌だったりする?」


「別にっ。――やっぱり、ああいうのがタイプなんだ。しかも二度も言った。大事な事だから二回言ったんですか、そーですか。どうせ、私は地味ですよ」


 さっきよりもあからさまに口を尖らせて、「別にっ」なんて言われてもなぁ。絶対に機嫌を損ねてるよな、あれ。その後にも何かモニョモニョ言ってたけど、何を言ってたんだろう。


「でも姉妹だけあって似てるよね。神坂さんもあと何年かしたら、あんな風に大人っぽい奇麗な女性になるってことかぁ」


「なっ?! なにをっ……ふん、今は子供ぽくって悪うございましたねっ。そういえば、前にも幼稚って言ったよね、言いましたよね?」


「えっ? いや、そんなつもりじゃ……えっと、神坂さんのこと、幼稚だなんて言ったっけ?」


「言いましたー、妹っぽいって」


 そう言って、可愛らしい舌をちろりと出して、あっかんべーをしてみせた神坂さん。多分、その時の俺は、そういうところを幼稚っていうか、幼いって言ったんじゃないのかなぁ。この状況で口に出しては言わないけどさ。

 でも懐かしいな、この感じ。あの頃のような雰囲気で喋れたおかげで随分と落ち着いた。ひょっとして俺の気を紛らわせるために話題を振ってくれたんだろうか。きっと、そうなんだろう。


「あの時、気付いてあげられなくて……ごめん。遅くなって、本当にごめん」


 やっと言えた。自己満足でしかないけど、一番伝えたかった言葉。俺の改まった雰囲気から察したらしく、神坂さんも表情を固くした。


「キミが謝る必要なんて全然ないんだよ? 私こそ、ごめん。つらい思いをさせちゃってたみたいだね。それから、ありがとう。私が戻って来られたのはキミのおかげ。だからキミにも、笑って『ただいま』って言ってほしい」


「うん、……うん、ただいま」

 

 精一杯、笑っているつもりなんだけど涙で視界が滲んでしまう。そんな俺を見て神坂さんは眉尻を下げると、俺が手にしている花束を指差した。白い菖蒲あやめの花束を。


「それ、私にだよね? 覚えていてくれたんだ」


「あぁ、うん、約束したから」


「そっかそっか……ねぇ、光太、その花の花言葉って知ってる?」


 さらりと名前を間違えて呼ぶ神坂さん。何となく、その気持ちもわからなくもない――俺は服の袖でごしごしと目元をぬぐうと、お返しとばかりに口を尖らせてみせる。


「調べたよ。だから迷わずこれを選んだんだ。それから、今の俺は光太じゃない」


 そんな俺の顔を見て、吹きだすように笑い出した神坂さん。あの頃より少しだけほっそりした顔で、それでも変わらないえくぼを作って、俺にとって一番の笑顔を咲かせている。

 俺はといえば、何とも言えない思いで、そんな神坂さんに花束を差し出し続けるしかなかった。


 白い菖蒲の花言葉――あなたを大事にします――。


 一頻ひとしきり笑った彼女は、満足したのか大きく息を吐き出すと、両手で花束を受け取った。


「つまり、そういう事で良いのでしょうか? ん? どうなのかな?」


 今度は悪戯な笑みを浮かべて見上げてくる神坂さん。まったく、やれやれだ。


「神坂ゆりさんが好きでした……好きです! 俺と付き合って下さい、大事にします」


 勢いよく頭を下げて、右手を差し出した。二度目の告白。催促された感があれだけど、やはり本人の姿を目の前にしてだと感慨深いものがある。


「う~ん、もう一押し。態度で示してもらいたいかな」


「え? もう一押し? 態度でって……」


 ちょっとした達成感に浸っていたのも束の間、神坂さんから注文をつけられてしまった。正直、肩透かしを食らった感じで、思わず声に不満さを乗せてしまったが――顔を上げた俺と目が合った神坂さんが、少し上を向いて目を瞑った。彼女の頬は、薄っすらと赤く色付いている。

 その姿に、もう会う事のない、銀髪の少女の姿が重なる。

 神坂さんの細い肩に出来る限り優しく手を添え、ゆっくりと顔を近付けた――長かったような、短かったような――正直、唇の感触を感じる余裕はなかった。

 俺が顔を離してもまだ目を瞑っていた神坂さんが、パチリと目をあけた。


不束者ふつつかものですが、よろしくお願いします。ちゃんと、責任取って下さいね、山咲やまさき一途かずとくん」


 照れ隠しにお決まりのフレーズを口にしたものの、耐えきれずに照れ笑いを浮かべてしまったという所だろうか。はにかんで見上げてくる神坂さんの破壊力が凄すぎる。


「……こちらこそ、お願いします」


 おかげでこっちにまで伝染してしまい、照れ笑いの応酬になってしまった。二人していかにも青春っぽい時間を過ごした後、神坂さんは意を決するかのようにふっと息を吐き出すと、窓辺に飾られた紫の菖蒲をじっと見つめた。


「私も、クロユリを卒業しないとだね」


「卒業も何も、あの時、終業式の日はきちんと伝えられなかったけど、俺にとって神坂さんはとっくに特別な女の子だったよ。それに俺だけじゃない、神坂さんの事を知らされた時、クラスの友達もみんな泣いてた。だから元々、クロユリなんかじゃなかったんだよ、神坂さんは」


 神坂さんの見せた悲愴な表情に、思わず捲くし立てるようになってしまう。そんな俺に神坂さんは、やっぱりちょっと悲し気に微笑んだ。


「ありがとう。私さ、姉みたいになりたかったんだ。あの容姿な上に何でも出来て、両親からも凄い期待されててさ。将来、この病院も継がせるつもりなんだよ。その期待にも、なんなく応えちゃうんだろうなぁ。本当に凄いなって、大好き……だったんだけどな。私は、そんな姉に一番認めてもらいたくて頑張ったんだけど、頑張れば頑張る程……遠いのが分かっちゃった。いつからなのかなぁ、嫌われたくないって考えに変わったのは……」


「神坂さん……」


「姉の真似事をしたところで、私が姉のようになれる訳じゃない。それでも、少しでも嫌われないように、見放されないように必死だった。姉のように振る舞って……そんな私でも、認めてくれている人たちがいたんだね。でも結局、逃げ出しちゃった」


「ごめん、俺が、もっと力になってあげられていたら……」


「ううん、十分、助けられていたよ。あの頃、花壇で二人で話している時は、本当に楽しかった。二人でいる時、私は――私でいられた。それにね、こっちに戻ってから姉や、お父さんやお母さんと話したんだ。私のせいで迷惑や心配をかけちゃった事を謝って、それから私が抱いていた想いを。生まれて初めてってくらい凄い怒られちゃった……それと、凄く泣かれちゃった。普段は厳格なお父さんまで泣いてたから罪悪感で一杯になっちゃったけど、でも嬉しかった。三人が三人とも、私を好きだって事が伝わってきたから。勝手に思い込んで、私、本当に馬鹿だったよね」


 神坂さんは窓辺の菖蒲から俺へと視線を向けた。


「ただ、他の人の前でも、こんな風に素を出せるまで少し時間がかかりそうかな。演じている時間が長かったから、どうしても構えちゃうんだ」


「今は、あの頃よりも自然な感じがするけどね。でもそれなら、俺と一緒にいる時間を増やせば良いんじゃない?」


 数瞬、キョトンとした神坂さんが、次の瞬間には顔を隠すようにして笑い出した。しばらくして向き直った神坂さんが「そっかそっか、そうだね。それに山咲くんのおかげで、名実ともに白ユリになれるわけだしね」と、目尻に溜まった涙を拭いながらそう言った。


「俺のおかげで?」 


「そうだよ。だって将来は、【山咲ゆり】になるわけでしょ? 山に咲くユリ、ヤマユリは白い花を咲かせるのよ」


「でしょ? って……そうなってもらえるように頑張るけどさ」


「うん、うん。一緒に、支えあって頑張ろうね、一途かずとくん」


「……はい」


 その後、神坂さんの事をゆりと呼び捨てにする練習をさせられた。

 結局、こっちに帰ってきても振り回される事に変わりはなさそうだと諦めつつ、彼女の笑顔を眺める。

 リセット。現実では、ゲームみたいに時間をさかのぼることは出来ないけれど、仕切り直して未来に進むことは出来る。

 この世界での俺、山咲一途攻略対象神坂ゆりヒロインの物語はここからだ。

 その日から、窓辺には白と紫のアヤメが一緒に仲良く飾られていた。

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ミジンコの俺がラスボス級悪役お嬢様とベストエンドを迎える方法 草木しょぼー @kakukaku6151

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