二十九日目 伝言

■ 29日目 テニスコート


「クソッ!! どうしてこんなことに!!」


 都筑つづきは襲い掛かってくるゾンビを、工作室で作らせた片刃の鉄剣でなぎ払いながら吐き捨てる。報告では春日地区のゾンビは多くても30体のはずだった。しかし、どうみても自分の班に襲いかかっているゾンビだけでも、ゆうに40体は超えている。しかも、報告にあった『夜間は動きが鈍る』なんてこともなく、素早い動きで学生達の首をめがけて喰らいついている。


「おいッ!! 芸専の囮はどうした!」

 近くにいた学生に怒鳴りつけると、学生が「わかりません!! 片方の男はすでに喰われました!!」と返す。


(チッ……ここまでか。駅側の商店街地区を奪還して、この状況で好き勝手が出来る程度の"名声"を得るつもりだったが、完全に予定外だ。自分が死んではしかたない……作戦の失敗は、あの生物学類の男に取らせればいいか)


「第一班から三班までは、テニスコートここで食い止めろ! その間に俺が医学エリアまで走り、残りの本隊と脱出用の車を用意する!! "必ず"皆で脱出するぞ!!」

 都筑が声をかけるとオオーと学生たちの叫び声があちこちで湧き上がる。


(……まぁ、せいぜい時間を稼いでくれよ)


 その学生達の叫び声を背中に聞き、都筑は一度もふり返ることなく、ゆりのき通りを医学エリアのある方向に向けて走りだしていた。




■■ 29日目 グランド南端


「ひ、ひぃっ!!!」

 汗と乾き始めた血で汚れた格好をした若い男が、ゾンビの右腕の攻撃を防ごうと両手で頭を覆い、衝撃に備える。男は恐ろしさのあまり目をつぶる。


 少し間があってからドサッという音がすると、おそるおそる開けた目の前に何かが転がる。それが胴体から切り離されたゾンビの頭部だと気づくと、堪えきれず胃の中に溜まっていたものを撒き散らす。


「ぼさっとしてるんじゃないよ!! 次が来るよ……って、一回生の佐々木? アンタもこの作戦に参加してたのか……」

 名前を呼ばれて慌てて見上げると、見覚えのある短髪の女性が刀のような武器を持って立っている。

「あ……ああ……吉田先輩!? そ、その……う、腕……」

 見上げた先に立っている女性の左手は肘の先からがもう無くなっていた。

「ああ、これ? もう、長くないわね」

 そういうと女性がハハハっと自嘲したかのように笑う。

 佐々木は(なんで、なんでこんな状況で笑えるんだよ!)と頭がおかしくなりそうになって、また胃液を吐く。


 吉田はそんな佐々木を見て、背中をさすり、さっきよりも少し優しい口調で話しかける。



「…………佐々木。落ち着いて、よく聞いて。もうここはもたないわ。すぐにゾンビの"増援"も来る。あんたはこのグランドから逃げなさい。逃げて、中地区に居る皆に今回の作戦の失敗を伝えて。


 ……"何でわかるのか"って? ……もうね、あたしの中に『別の生き物』の感覚とか記憶が流れ込んで来てるのよ……たぶん、噛まれた部分から脳へ"何か"が回ってるんだと思うわ。こいつらの苦しかったり、恐怖の記憶が流れ込んできて……気を張ってないと、すぐに意識を失いそうになる。

 このままだと、今度はあたしがアンタを喰うんでしょうね……こいつらはね、飢えて人間を襲ってたんじゃないの。幾重にも重なる恐怖の記憶から逃れたくて、自我が崩壊するまで


 ――――だから、佐々木。あんたはここから逃げなさい。


 この周りにいるゾンビたちはあたしが引き受ける。こいつらは都築の言ってた"駅"を根城にしてた連中じゃなくて、西側の自動車学校に住み着いてたゾンビの群れだって、が言ってる……だからアンタは、西や北に向かうんじゃなくて、一旦、図書館を抜けて、南の小学校に向かいなさい。小学校に着いたら、東側に大回りをして、医学エリア前を目指さずに、そのまま中地区を目指しなさい……たぶん、それが一番安全なルートよ。


 それと、佐々木……これを」

 

 吉田夏子は前髪を留めていた髪飾りを外し、佐々木に手渡す。その瞬間、前髪がはらりと揺れて、あたりに転がっている異形の者たちとは違う、かすかな花の匂いがする。



「これを……これを、中地区に居る生物学群の川島哲郎に渡して。そして、伝言をお願い。この状況と、奴らに噛まれた後のこと……あたしの中のゾンビのこと、東側には奴らがまだ少ないこと――そして、って」

 

 佐々木は真剣な夏子の顔に無言でうなづく。そのまま怪我を負った身体を気力で起こし、言われたように医学エリアとは反対側の図書館の方に向かって走りだす。


 数メートル進んだ後で、後ろから夏子の声がして振り返る。


「ごめん、佐々木! もう一個、伝えて! ……『哲郎、楽しかったよ』って」

 

 そう言って今度は純粋にニッと微笑む夏子を見て、佐々木は涙が次から次へと溢れて止まらなっていた。「さぁ、行きなさい!!」という声にうながされて、もう一度、図書館に向けてふらふらと歩き出す。佐々木の口からは「ううっ……おぁぁ……」と言葉にならない嗚咽が漏れていた。




■■■ 29日目 グランド南端 二 


「上手く逃げなさいよ、佐々木。さてと……水上、準備出来てる?」


 夏子はハァハァと肩で息をしながら寝転がっている男に声をかける。苦しそうな顔にはびっしりと脂汗が浮かんでいる。身体は脇腹の一部がなくなっていて、もう長くはもたないのが素人目にもはっきりとわかる。


「む……無論でござるよ。橋本氏の敵討ち、オタクの意地ってものを見せてやるでござる」

「……ハァ、その口調やめれば、少しはかっこよく見えるのかもしれないのに」

 夏子は呆れたように笑う。

「ほ、本当でござ、じゃなかった……本当ですか!? じょ、女子に"カッコいい"と言われるとは……は、橋本氏にも聞かせてやりたかったでござるなぁ……」

 そう言うと、何かのコードに繋がれたスイッチらしきものを胸にあて、ボロボロと涙をこぼす。

「泣くんじゃないよ……あたしまで寂しくなってきちゃうでしょ。さぁ、あとひと踏ん張りだよ、水上!」

 もう声を出す力も残っていないのだろう、水上は力なくうなづく。



「オラァァァ!! くそったれゾンビども!! まだ"人間様"が残ってるぞ!!!」


 夏子がありったけの力を振り絞って、大声で叫ぶ。その声に気づいて、周囲のゾンビが一斉に夏子に向かって走りだす。右手一本で応戦する夏子に何体もの異形の者が襲いかかり、次々と身体がえぐられていく。

「グァッ……ガッ…………み、水上ッ!!」

 夏子の動きが止まり、そのまま地面に倒れ込むその瞬間の――最後の声に反応して、水上が目を見開き、震える右手の親指でスイッチを押す。


 その瞬間、あたりに眩いほどの閃光が走り、その中に夏子と水上、そしてゾンビだちが飲み込まれていく。




 ドンッという耳がおかしくなるような豪音が一回、その直後に連続して爆発音が背後で響くと、一瞬遅れてから、前のめりに吹き飛ばされるような衝撃が佐々木を襲う。巻き上がった埃や小石が過ぎ去るまで頭をおさえ、うずくまる。


 しばらくして身体を起こすと、さっきまで自分が居た場所に巨大な炎と黒煙が上がっている。佐々木はそれが何なのかをとっさに悟り、「あ……ああ……」と力なく膝を地面につける。


 音を立てて燃え上がる炎が暗闇を照らすと、それに怯えているような、あるいは全く反対に勝鬨かちどきにも聞こえるような叫び声を、異形の者達が上げるのであった。



(つづく)

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つくば戦記 トクロンティヌス @tokurontinus

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