三十日目 敗北


■ 28日目


「…………賛成は出来ません。まだ不確定要素が多すぎます」


 川島が重苦しい声でそう答える。その日、川島と葛木、佐藤は南地区にある大学会館に呼ばれ、キャンパスの警備を担当している体育専門学群との合同ミーティングに参加していた。スクリーンもPowerPointもない、ホワイトボードに手書きで進んでいく議事は、やがて『ある作戦』についての説明にたどり着き、川島はそれに難色を示していた。


「しかし、川島君。君も十分理解していると思うが、もうのも事実だ。周辺のコンビニやカスミに残っていた商品は、ほとんど残っていない。

 現状としては、キャンパスに集まっている君たちを含めた市民や学生の食糧や水を確保するために、体専の人間たちが危険を冒して少々離れた地域の店舗を回ってやっと確保している…………が、それもいつまでも続くわけじゃあない。

 そこで君たちの作ってくれたその"人形"を使って、すでに陥落してしまっている春日地区のゾンビを一掃し、そこを足がかりに駅の南側の商店街を奪還しないと、もう持たんところまできているのだ。わかってくれ」


 大地震以降、体育専門学群のリーダーをしている准教授の都筑つづきがぐっと言葉に詰まる川島を一瞥して続ける。同じく会議に呼ばれていた芸専の橋本と水上が、おろおろと都築と川島を交互に見ている。


「作戦としては、先ほどから説明している通りだ。奴らの動きが鈍る夜間にテニスコートやグランドなど数カ所に『佐藤人形』を設置、ゾンビどもが視認できるようにライトアップして"おとり"として利用し、奴らがそれに向かっているその間に、われわれ体専が捕縛隊を展開、ゾンビたちの動きを止める。

 医学群の研究者たちの報告によれば、首を切り落とすことでゾンビを活動停止にすることが出来るとのことだ。捕縛したゾンビにはすぐにこの措置を施す。


 …………さぁ、川島君。現在残っている『佐藤人形』をすべてこちらに引き渡してくれ。もう、君たちの『実験』は終了だ」


 川島は無言のままうつむいている。葛木は何か言いたそうにしていたが、川島はそれを無言で制する。


「…………ふん。どうやら異論はないようだな。協力に感謝するよ、川島君。われわれのこの作戦で、君たちのお遊びみたいな実験も役に立つのだからね、むしろ君たちが感謝してほしいところだが――――まぁ、今回は『人形』の提供とういうことでチャラってことにしておこうじゃないか。

 さて、今後の展開で『人形』の需要は増える。そこの芸専の二人もこちらに来てもらうとしよう。吉田君、体専のメンバーを連れて、『人形』の収容を」


「し、しかし、先生……」

「吉田君。話を蒸し返すつもりはない。準備を」

 吉田が都築の指示に困惑して、川島の方をちらちらと見ながら言った言葉を、都筑が一段と低いドスを聞かせた声でかき消す。と同時に、都築の指示で体専の学生たちが川島や葛木、そして芸専の二人にじりじりと詰め寄る。

「川島君……」

「川島!」

「か、川島どの……」

 葛木や佐藤、橋本・水上の声に川島は「……すまん、従ってくれ」と力なく答える。その言葉を待っていたかのように、体専の学生や教員が川島たちが用意していた『人形』を持って別の場所へと引き上げていく。橋本と水上も体専の学生に両腕をつかまれて、まるで連行でもされるかのように引きずられていく。途中、何度か川島の方を振り返った二人に、川島は申し訳なさそうな顔をするのが精いっぱいだった。



「…………哲郎、ごめん。あたしもそろそろ行かないと…………」

 あらかたの体専のメンバーが去った大学会館で、吉田が困ったような、悲しそうな顔で川島に話しかける。

「……ああ、わかってる。夏子、くれぐれも気をつけて」

「うん。哲郎も。無理はしないでね?」

「……それはこっちのセリフだよ」

 そう言って二人が抱き合うのを、葛木はいつもとは違う気持ちで見ている。廣田や鈴木がこの場所にいたら、きっと同じような気持ちでいたに違いない。自分の恋人が、あの獰猛なゾンビの群れに奇襲を仕掛けるなんて聞いたら、自分たちはどうするだろうかといったことを心の中で考えていた。

 しばらくしてから二人は離れ、一言も発することなく何か真剣な表情でお互いを見つめている。




「――――ねぇ、吉田さん。この作戦、理子も行くよ」



 突然の佐藤の提案にその場にいた一同が驚いて声を上げる。


「さ、佐藤さん!? 一体、何で!?」

 吉田は目を見開いて佐藤にそう声をかける。その表情は驚いているようにも、どこか恐怖を覚えているようにも見える。

「そ、そうだよ佐藤さん! 佐藤さんが危険な目に会うことは――――」

 葛木がそう言いながら右手を佐藤の肩にかけようとすると、佐藤がそれを左手で払い、続ける。


「あの『人形』にゾンビたちを惹きつける誘引効果があるなら、そのモデルになった理子にも、当然、誘因効果はあるはずでしょ? "おとり"は多いほうがいいと思うし……それにワたシは…………これ以上、犠牲ハ増えてほしくない。ねぇ、だから吉田さん、理子も連れて行って」


 普段がぽやんとしている佐藤の真剣な様子に、あの吉田でさえたじろいでいる。


「なるほど! それはとても良いじゃないか、吉田君。彼女の言うように"おとり"は多いほうが良いに決まっている。ゾンビの捕獲に慣れている君の班が彼女の護衛に回ればいい……佐藤君、協力に感謝するよ」


 吉田の背後から再び川島たちの前に現れた都築が大声で笑いながら、佐藤の提案を歓迎する。吉田はそれに歯を食いしばって耐えているように見える。

 都築の言葉に「はい! よろしくオ願いします!」と佐藤が返事をするのを、葛木が呆然と見つめいている。あまりの展開に思考がついていけない――そんな様子であった。


 都築と吉田が引き上げた後で「じゃぁね、みんなも元気で」と、どこか変な挨拶をする佐藤を「ああ、佐藤さんも元気で」と葛木もつられて変な挨拶で送る。


 川島はまだうつむいたままであった。




■■ 30日目


 中地区に居た川島たちがその『しらせ』を聞いたのは、その二日後のことだった。


「……なッ…………全滅!?」


 川島が言葉を絞り出すと、その報せを伝えた男が下を向く。着ている服はあちこち破れぼろぼろになっていて、そこから覗く皮膚には酷い傷や火傷が見える。


 捕縛班で吉田夏子と一緒に行動していた体専の学生だ。


「……ちょ、ちょっと待ってくれ。春日地区って確かにゾンビの侵入を許していたとはいえ、アンタたち体専の報告ではせいぜい20とか30体くらいしかゾンビは住み着いていないって話だっただろ? 今回作戦に参加した体専の3分の2の戦力が全滅するようなもんじゃないだろ!?」


 葛木が食ってかかるように体専の男に掴みかかる。

「葛木ッ!!やめろ!こいつも怪我してるんだぞ!」

 廣田が間に入って、葛木を体専の男から引き離す。鈴木は状況についていけず、ただ茫然と立ち尽くしている。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 生き延びた体専の学生はそう繰り返しながら、涙をこぼしている。そのすすり泣く声は10分ほど続き、その間、川島や葛木、廣田、鈴木は身動きの一つさえ――彼の怪我の治療をすることさえできずに、ただそれが止むのを待っていた。



「あんたたちの言うとおりだったんだ…………俺たちは、"アイツら"のことを何もわかっていなかった…………アイツらは"おとり"を設置して待っていた俺たちの裏をかいて……」


 少し落ち着いてきた体専の男がぽつりぽつりと話し始める。鈴木は「無理するな」と男の口元に水を運び、廣田が傷に消毒を施している。川島はまだじっと黙ったまま、男を見ている。


「…………真っ先に『人形』の設置をしていた橋本が"喰われた"。突然……突然現れたんだ。橋本や水上たちは吉田先輩の班ががっちりガードを固めていたし、アイツらの気配もそれまでは無かった……それで俺たちがパニックになってるところに、どこから現れたのかわからない何十体ものゾンビたちが…………うっ……本物の……佐藤めがけて…………ウッ……」


 思い出して気持ち悪くなったのか、体専の男が血の混じった胃液を吐き出す。それまで黙っていた川島が近寄り、優しく男子学生の両肩に手を置く。


「落ち着いて。作戦の失敗は君のせいじゃない。ゆっくりでいい、君が見たその他のゾンビの行動を教えてくれないか? それに――――」


 川島がグッと何かを溜めて続ける。


「――――それに他に誰が犠牲になったのか、を」


 葛木や廣田が一番"考えたくなかった"ことを、川島が体専の学生に問いかける。鈴木はすでに耐え切れずに顔を男子学生から背けている。すると、男子学生は弱々しくポケットから血まみれの髪留めを取り出し、川島に渡す。


 川島は「そうか」とだけ応えると、立ち上がり研究室を出て行く。



 ポツポツと自分が贈った髪留めに涙が落ちるのをしばらく見つめていたあとで、ありったけの力を込めて、ただ、ただ叫んでいた。



 止められなかった自分の無力さに、そして、もう逢うことは出来ない恋人に向かって――――




(つづく)

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