エピローグ~徳さんといっしょ~

 そこから海は近かった。

 まっさおとは言えない海水でも、眺める分にはかまわない。

 むしろ複雑な胸の内を吐き出してしまうには、少しばかり濁っていて、白波が岩に砕けるくらいが、荒々しくていい。


 広くて、だんだん強くなっていく風に波頭は大きくなって、沖にボートが見えた。

 紫陽花はボートに乗ったことがない。

 そもそもこぎ方を知らないから、胸が落ちついている。


 シンジが、ヨークシャーなんとかの女と波間にこぎ出したとしたって、心は騒がない。

 ナックルを捨てた浜はもう少し先だったけれど、スマホはもう浸水して埋没したはずだ。



「すっきりした……」



 そういうと、紫陽花は、感謝にあふれた笑顔で、徳さんの方を見て言った。



「ありがとう徳さん。ふっきれました。おかげさまで、人生、初デートもしちゃいましたし」



 徳さんはまぶしいものでも見るように、目をしばたたかせた。



「紫陽花さん、ボクが、新しいあなたの水に……」



 徳さんが言いかけたとき、紫陽花の手で、エンジン音が鳴らされた。



「え? 何?」


「……なんでもないですじゃ」




「徳さん、寒くない?」


「いやー、こうしていると青春時代を思い出しますじゃ」


「へえ、徳さんの青春って何ですか?」


「そりゃあもう、モテモテ」


「経験豊富なんですね」



 バイクが、交差点で停まった。

 信号待ちか。



「だから、紫陽花さん、安心してお嫁に来なさいよ」



 信号が青に変わった。

 徳さんの言葉はまたも、エンジン音にかきけされる。



「え? 今、なんて?」


「なんでもないですじゃ」



 かわりのように、今度はバイクを走らせながら、紫陽花が叫んだ。



「ねえ、徳さん」


「ほい!」


「紫陽花、ヤンキーやめるよ!」


「ヤンキーとはなんですかな」


「んー、わかんないけど、不良とか、非行とか言われてた。でもやめる」


「ほう」


「まっとうに生きるよ。バイクはやめないけれど」


「また一緒に海が見たいですのおう」


「ん、またあいにいくよ」


「待っていてもいいのですかな?」


「うん、待ってて、徳さん――」



 二人の乗ったバイクは、こみ始めた道路のただ中に消えていった。

 晴れやかな、光が、さしてきた――。




 end

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あじさいの約束 れなれな(水木レナ) @rena-rena

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