#3.約束はいらない~新たな明日~

 もう、約束はいらない。

 シンジからのコールはなかった。

 だから彼女は戻れない。


 戻らないつもりだった。

 でも今は。

 戻らないのではなく、戻れないのだった――。



「守り守られ、大切にしてきたのに……女ができて、アイツは変わってしまった」



 紫陽花は悔しそうに、肩をいからせ、瞬時にがくりと肩を落とした。



「紫陽花は死ぬ目に遭ったというのに、アイツは女をとった」


「なんといけすかない男じゃ」


「ねえ、許せる? どうやったら、アイツのしうちを許せますか」


「なにも考えないほうがいい。苦しみが増えるから」


「そう……だね」



 こうなれば、ヤケ酒しかない。

 親友のキリトは酒は呑まない。

 期待はしてないが、手近なところで徳さんを誘った。


 てくてくと、徳さんは、ガソリンスタンドまでついてきてくれた。



「お礼に酒おごりますよ。どうですか?」


「あやや……酒もタバコも医者にとめられてましてな」


「そっか、徳さんもうすぐ米寿だって言ってたね。道すがら」


「かわいそうにね、きっといいことがあるからね、悲観するんじゃないよ」



 徳さんの労りに、紫陽花の心がふわっと軽くなったようだった。



「徳さん……ありがと。そっか……じゃあ、ガソリン満タンだし、浜までとばすかな。徳さん、ツーリングしませんか?」


「よぉっほほい、いいですなぁ」


「よっと!」



 紫陽花は、予備のヘルメットをとり出して徳さんにわたした。



「これはデートですかな?」



 紫陽花はくすっと笑って言った。



「そうかも」











 帽子を脱いだ徳さんは、総髪だった。

 銀色に光る髪に、秀でた額が理知的でかっこいい。



「あー、紫陽花ももっと早くに生まれていればなあ」


「ボクこそ、あと云十年若かったらと思いますじゃ」


「ふふ。徳さんと紫陽花だと祖父とマゴだもんね」



 すると、ふっと徳さんが、声のトーンを落とし、しわがれた声を出した。



「じつは、マゴが今年ちょうどハタチでしてな」



 聞いた紫陽花は、ノーテンキに返す。



「あ、紫陽花のいっこ下ですね」


「イヤ……」



 徳さんは、バイクの後部で、寂しそうに口にした。



「マゴはもう……十一歳のときに、ですから。紫陽花さんはマゴの分まで長生きしてくだされ」


「……」



 紫陽花は一瞬黙った。



「……徳さん、まちがえてます。紫陽花はそんなのとうてい背負えません。買いかぶらないでください」



 徳さんは、大きく息をついた。



「そうですね……いや申し訳ない。せっかくのつうりんぐですじゃ。しめっぽいのはやめましょう」



 国道線を走りながら、バイクの上で、紫陽花がやはり明るくノーテンキに言った。



「そうですよ! どうせ生きるなら楽しく、ですよ」



 もうすぐ、道の駅が近い。

 徳さんはすまなそうに、後ろから声をかけた。



「ちょっとそこでいいですかな」


「なんでしょう」


「水を買いたいのですじゃ」


「いいですよ」



 バイクを停めて、紫陽花は徳さんが店から戻るのを待った。

 徳さんはペットボトルの水にアジサイをさして、ほっこり笑った。



「やあ、アジサイが生き返った」


「そのために、水を買ったのですか?」


「当然ですじゃ。潮風に吹かれに行くのですからな。せめてこれくらいは」



 徳さんはアジサイをもって、紫陽花の後部へ乗って何か言いかけた。

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