6月

 6月のある時期、京浜東北線が止まった。彼女が研究室に戻ってきた。フェースブックの投稿にはこうあった。


「乗ってる電車が人身事故を起こしてしまいました。電気の消えた電車をみんなで端の車両まで歩いて脱出。線路の脇にブルーシートがかぶせてあるところがあって人身事故って本当にそういう事故なんだなぁといまさら思った……」


 鉄粉カイロを振りながら、「これ助かったー」と彼女は言った。そういえばいつだったか駅前でチラシ入りのカイロをもらったのを、いらないので彼女にあげたのだった。彼女と一緒に研究室に泊まったのはこのときが初めてだった。「おばけ出ないといいね」と彼女は言った。「はい」とぼくは言った。お互いだらだらと作業して1時くらいになったらそろそろ寝ようかということになった。ソファーを並べなおして横になり、電気を消すと彼女はいろんな話をはじめた。このとき彼女は上述した擬人法のフィルタが生み出す認知の代表例(1. 予言への忠誠、2. 事象の一般化、3. 個人化)について教えてくれた。


「言語活動の成功はわれわれから大事な能力を奪ってしまいました。予言への忠誠、事象の一般化、個人化、これらはすべて創作に必要なものです」と彼女は言った。


「我々は演繹的に考える学問をやっていますが、演繹的に考える作業は実は帰納的なものです。3次元の問題を考えるためにはまず1次元で、次に2次元で性質を調べてみるのです。そこで得た結果を一般化しなければなりません。それは理論的な法則の背後に意図を仮定して、自身の直感、つまり予言に忠実に、少ない経験から事象を一般化し、個人の力で解決しようとする姿勢が絶対に必要です。言語活動の成功はわれわれからこの能力を奪ってしまいました」と彼女は言った。


 自動文学以降、手書き小説はマイナーなジャンルになった(そういうと怒る人もいると思うけど、これは単純に市場規模の話だ)。「手書き小説が衰えたのは自動文学が栄えたからではありません。言語活動が言葉のフィルタを押さえ込んでいるからです」と彼女は言った。彼女の自動文学は言語活動によって抑制されたフィルタを再度活性化させることを目指していた。「この小説がやろうとしていることはストーリーテリングではありません。予言です」と彼女は言った。「言語活動が言葉のフィルタを抑制する仕組みは、フィルタリング・ステップで修正された一期先予測を再度取り込んでフィルタリングしているようなものです。この小説はそのフィルタリングをさらにフィルタリングして打ち消すような予言を生成します」と彼女は言った。彼女は黒板に、

『電車が到着した。彼はホームに降り立った。→(フィルタリング)→電車が到着した。しかし彼の姿は見えない。→(フィルタリング)→電車が到着した。しかし彼の姿は見えない。だが彼はすでにそこにいるのだ。』

と書いた。


 馬鹿だと思った。うつ病が創造的なにかに結びつくなんて妄想としか思えない。あれはただの病気だ。苦しくて不便なだけだ。


 ぼくにはこの発言が彼女の弱者への想像力のなさを象徴しているように思えた。自分はフィルタを乗りこなせて、うつ病患者はその能力がないだけだとでも思っているのだろうか。しばらく麻痺していた彼女への怒りが再度こみ上げてきた。


 翌日の朝、ふたりとも部屋着のままで作業していると鳥海先生の秘書さんが研究室に来たとき「やだー、ここでふたりで寝たの」と言った。「はい」とぼくが言うと秘書さんはまた「やだー」と言った。こういう人はたまにいる。人の生活感みたいなのを感じるのがいやなのだろう。


 この時期を境に、プログラムの作成はどんどん進むようになった。秘書さんは「やだー」と言ったが、彼女がぼくと一緒に終夜作業することが増えたからだ。


 6月30日、彼女の完成させたアルゴリズムの実装が完了した。ぼくとしては実装に誤りがないか、彼女に確認してもらおうと思って、プログラムの概要をスライドにまとめたりしていたが、「そんなのいいから」と彼女は言った。


 彼女は乱数のシードを換えて、いくつも小説を生成して読み始めた。ぼくは「研究室インターン1」のレポート提出に備えて、まとめたスライドをコピペして論文っぽいもののアウトラインを作った。


 作業が一段落したので家に帰ろうとすると、「私も帰る」と彼女は言った。駅まで歩く道のりで、彼女の肌がちらりちらりとぼくの腕に当たった。そのたびに、人間の体ってこんなに熱かったっけ、と思った。


 翌31日は17時過ぎに研究室に行った。コンピューターのモニタを見ると、ぼくが前日の帰り際に初期状態として「電車」という単語のみを与えた小説は未だに執筆が続いているようだった。ぼくが借りている机には「水谷君、昔はひどいことしてごめんなさい。あなたが私を嫌っていることを、私は気づいていました。でも一緒に研究できて楽しかったです。」と書かれたメモが置かれていた。鳥海先生から彼女が今朝11階の窓から落ちて死んだと聞いた。落ちたんじゃなくて飛び降りたんだろう。そういえば彼女は発熱していた。今思えば、あれは小説の副作用だった。うつを創造的ななにかと結びつけることなんてできるはずがない。「うつとともに失ったものを、我々は取り戻さなくてはいけません」と彼女は言った。あれは見え透いた嘘だった。うつはただ悲しいだけだ。聡明な彼女がその程度のことを理解していなかったはずがない。彼女が取り戻したかったのは、創造力なんかではなく、罪悪感とか、恥の感覚、死にたい気持ち、筋違いの怒り、そういったゴミだった。それらを取り戻して、はじめて経験する感情に耐えきれなくて死んだのか、はじめから死ぬつもりで死ぬための感情を呼び戻しのかどっちだろう。それはわからない。まあいずれにしても、とぼくは思う。彼女が自殺してくれて、ようやくぼくは彼女を好きになることができた。

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言葉のフィルタ 阿部2 @abetwo

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