第49話 煙雲の月
煙硝の爆風が流れ、敵兵の臓器が乱れ飛び、血煙のなか手足を失った兵たちの弱々しい呻き声がもれる戦場で、高橋弥七郎が血刀をふるう。生気を失った
「あらかた片づいた……」
優位に進んでいた。左翼へ加勢にむかった部隊も力戦している。このままゆけば勝ち戦にちがいない。初陣で手柄もたて、弥七郎に不満などないはずだ。が、灰色の煙が弥七郎の心を暗くしていた。
「敵は潰走寸前だ、今より追い打ちをかける!」
「………お待ちを」
弥七郎の不愉快さの原因となっている男が制止する。
「なんだ?」
男は疑問に答えることなく、前方に広がる煙と死兵のうごめく闇を探ってくるよう部下に命じた。五人の乱波が得物を手にして走り込んでゆく。みな、尋常一様でない俊足である。闇の中に消えると、弥七郎と同等かそれ以上の手練れたちの気配が一瞬にして消えた。弥七郎の守役を任された忍びにはそれがわかった。
「ここから…………お引きくださいませ」
「どういうことだ」
「ここにいるはずのない者がいるようでございます………直ちにお引きくださいませ」
煙が流れ、闇にうっすらと人影のようなものが浮かびあがった。
「………もう遅い」
「⁉」
そのささやきは後ろから聞こえた。それと同時に、配下の足軽たちの絶望の声が響いた。勝ち戦の余韻を醒ます惨劇が起きている——一方的な殺戮――敵らしき者が未だに正面にいると思っていた弥七郎は、一瞬、ピクリと震えたまま動けずにいる。が、忍びのほうは敵の移動を感じとってはいた。
「何者………だ?」
正体不明の敵に問うたのか、守役に聞いているのか、弥七郎自身もわからない。
「誰でもいい………お前たち二人は……………ここで死んでもらうことに…………決めた」
左文字は刃を構えた。おのれの命を捨ててでもこの若殿の命を守らねばならない。命令である。背後にいる高橋の手勢はすでに逃げ腰で役には立たない。
「少し………遊ぼうか」
(………遊ぶか………。………弥十郎殿…………先に泉に帰すること…………なにとぞお許しを………)
「名乗る名すら持たぬ輩か!」
弥七郎の叫びに怒気がこもる。
「そのようでもあり………そうでないようでもある。………事情が…………いろいろとある」
雲間から月が顔をだしたとき、明月に照らされた女の顔は美しいと言えるものだった。しかし、二人の全身には恐怖の波が走った。美しいと言われる女がその対象となるとき、人はそうなるものなのであろう。
(……来る!)
少女は、女はそう言える年齢だった、瞬時に左文字との距離を狭めて接近し常人には見ることのできない速さで二つの短刀をあやつる。間一髪躱した忍びが女の背後に回り込んで連続して突きを入れた。馬上の弥七郎には判別不能な鋭さである。が、女は余裕の笑みを浮かべながら、あえて躱さずに手に持つ小刀で難なくその攻撃を弾き、視界から消えた。忍びがそれを追う。
「………くっ!」
力量の差をまざまざと見せつけられているようで、弥七郎は苦悶の音をもらすことしかできない。
――忍びが至近距離から毒針を放つ――
「ふふ」
指先で空間をゆがめて毒針の軌道を変え、攻撃を無効化した。恐るべき異能の術を用いる少女が、刃を交えながら意味ありげなことを言う。
「なかなかいい腕だ。けど、あたしとこんなところで遊んでていいのか?」
「どういうことだ?」
不審が不審を呼ぶ。一体この戦いより重要なことがあるというのだろうか、左文字は始め心理的な揺さぶりをかけているのかと疑った。だが、この少女の技量からしてそんな姑息な真似をする必要はないであろう。人の能力を超えた戦いのさなか、16歳の澄んだ瞳が左にながれた。
「………耳川だっけ?」
「耳川!」
相手の唇から最も忌まわしい言葉がでたことによって左文字の心は拍動した。
「忍びを飼ってるのは、なにも大友だけではないんだよ…………。でしょ?」
「⁉」
――ドゴッーゴゴゴゴッー―――。
火焔と黒煙が混じりあった大きな土煙があがる。
(まさか!)
驚愕が左文字を襲う。黒い爆音は続けざまに二度三度と轟いた。
戸次の鬼姫~立花誾千代異譚~ komorebi @komorebi22
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