呪われた氷の姫と古の英雄たち

このはなさくや。

第1話

 猛吹雪が吹き荒ぶ、世界の最果てと呼ばれる極寒の地。寂れた石造りの塔の最上階で、今、世界の存続を賭けた戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。


 全身を巨大な黒い異形の鎧で覆う魔女に対峙するのは、厳つい顔をした四人のむくつけき男達。

 筋肉の盛り上がる丸太のような腕で身の丈程もある大盾を構えるのは、燃えるような赤い髪を持つドワーフの鍛冶師イゴール、147歳。

 彼の後ろで隙なく双剣を構えるのは、美しい装飾が施された甲冑を身に纏うストリニア国騎士団の団長マルクス、48歳。

 白髪の交じった黒髪を一つに束ね漆黒の鎧と漆黒の大太刀を掲げるのは、かつて全世界にその名を馳せた勇者カイ、62歳。

 そして紫紺のローブを風にたなびかせ仲間全体に防御の結界を張るのは、美しいエルフの大魔導師ルミナエル、238歳。


 世界を混乱に陥れた忌まわしい魔女を討伐するために召集されたこの勇者一行は、平均年齢およそ124歳という、とんでもなく高齢の討伐隊であった。





 ストリニアの国が不吉な雪雲に覆われたのは、およそ2ヶ月前の出来事だった。

 国土全体に広がる雪雲から降る雪は、日に日に勢いを増していく。春の喜びに溢れ綻んでいた蕾は固く凍てつき、大地は白い氷のヴェールに覆われた。

 再び舞い戻った厳しい寒さに動物達は姿を消し、人々は固く窓を閉ざすと暖炉に薪をくべ、家の奥に閉じ籠もった。

 深い雪に埋もれたストリニアは、少しずつ氷に閉ざされようとしていた。


 国を襲った異常な事態に、急遽集められた学者達はあらゆる手段でその原因を探った。

 だが原因は愚か手掛かりすら掴む事は出来ず、人々は堆く積もっていく雪を前に深い絶望を覚えた。

 その時である。この雪は雪の女王のせいだと言う者がいた。「雪の女王」とは、雪を降らせて人々を困らせる悪い魔女のお伽噺である。

 一向に止む気配のない雪を前に、いつしかこの雪は魔女のせいであるという噂がまことしやかに語られるようになった。やがてその噂は国中に広がり、いつしか魔女の討伐を望む声が上がったのである。

 そこで王は10年以上も前に引退した勇者を城に召還し、存在する筈のない「雪の女王」の討伐を命じたのである。


 勇者カイを筆頭とする討伐隊に選ばれたのは、真面目で融通が利かないと貴族から煙たがられる騎士団長マルクス。プライドが高く、自分の望む研究しかしない大魔導師ルミナエル。そして偶然城に大盾を納めに来ていた、頑固な鍛冶師イゴールの三人。

 彼等もまた、かつて勇者と共に世界を救った英雄達であった。


 討伐隊の一行は、碌な説明もないまま僅かな装備を持たされ、追い出されるように城を出た。

 勇者の従える愛竜の背に跨がり、一行は手掛かりを求めて国中を当てもなく彷徨った。

 雪に覆われた険しい峰を越え、氷柱と化した大瀑布を周り、底の見えない深い谷に降りる。

 やがて北の国境付近まで来たところで、大魔導師ルミナエルは微かな異変に気がついた。降りしきる雪に魔力が混ざっていたのだ。

 某大な雪に混じる微かな魔力だけを手掛かりに、彼等は視界を遮る吹雪の中竜を飛ばした。

 そして、ついにここ最果ての地に辿りついたのであった。





 強力な氷の魔法を使う魔女との死闘は、三日三晩に亘り続いた。

 魔女は一切の説得に応じず、ただ闇雲に攻撃を繰り返す。圧倒的な魔力の差に勇者一行は苦戦を強いられたが、勇者の聖剣が魔女の胸を貫いた事で漸く終わりを迎えた。

 まがつ力を打ち破ると言われる破邪の聖剣が、魔女の身体を覆う硬い甲冑を打ち破ったのである。


「……やったか?」

「やめてくれ、これで死ななかったら俺らの方が死んじまう」

「全くだ。年寄りをこき使わんで欲しいもんじゃ」

「早く確認して一刻も早く温かい場所へ移動しましょう。こう寒いと腰に堪えます」


 疲れ果てた四人は、それでも年の功か油断する事なく倒れ臥す魔女に近寄り、慎重にその身体を仰向けにした。

 上を向かされた魔女の胸には、深々と聖剣が刺さる。やがて魔女の身体を覆っていた黒く禍々しい甲冑が、溶けるように消え始めた。

 勇者達が警戒する中現れたのは、年の頃は十代の中頃だろうか。折れそうなほど華奢な身体をした、儚気な美少女だった。


「これは……」

「俺達はこんな小さな女の子を相手にしてたのか」

「なぜこんな少女が……」

「この子が魔女……?」


 自分達を、いや世界中を氷漬けにした恐るべき魔女がこんな年端もいかない少女だったとは、一体誰が想像出来ただろう。

 蝋のように白い顔を柔らかに覆う流れ落ちる金の髪。固く閉ざされた瞼は長い睫で縁取られ、色を失った小さな唇はきつく結ばれている。冷たい床の上に力なく細い四肢を投げ出し、今まさにその命の灯が失われようとする少女の姿は、勇者達に激しい動揺をもたらした。


 その時少女の瞼が微かに震えた。

 勇者達が固唾を飲んで見守る中、時間をかけゆっくりと瞼が開いていく。金色の睫の下から現れたのは、まるで澄んだ泉のような青い瞳だった。そして傍に立つ男達の姿を少女の瞳が捕らえると、小さな唇が僅かに動いた。


「お、おい、なにか言ってるぞ」

「……さい」

「なんです?」

「て、を……」

「て? 手か? 手がどうしたんじゃ?」


 慌てふためく男達をよそに、勇者は冷静に少女の傍らにしゃがむと、冷え切った小さな手をそっと握った。

 少女の口元に微かな笑みがゆっくりと広がり、それと同時に勇者達の頭の中に流れ込んできたのは、少女のこれまでの記憶だった。





 リグランデールという北にある小国の末の姫として生を受けた彼女は、生まれた時から呪われた力を持っていた。

 触れた物全てを凍らせるその力は、不幸にも王女を取り上げた産婆をたちまち凍らせ、部屋中を氷漬けにした。

 城を凍らせかねない力を恐れた父王は、生後間もない小さな赤子をすぐさま小さな塔に幽閉した。

 以来十六年、姫は外部との接触を一切断たれた塔にある狭い部屋で、年老いた乳母とひっそりと暮らしていたのだった。


「乳母や乳母や、あの窓にとまっているのはなあに?」


 頭上にある小さな窓を見上げた姫が乳母に問う。

 窓を横切る雲と、時折羽を休めに訪れる鳥だけが、唯一彼女の知る外の世界だった。


「姫様、あれは鳥でございますよ」

「鳥?」

「ええ。羽を持って空を飛ぶ生き物です」

「はね……? 鳥は空を飛んでどこに行くのかしら」

「さあ、自分の寝床に帰るのか、それとも餌を探しにどこぞへ行くのか、一体どこまで飛んでいくのでしょうねえ」


 老い先が短く身寄りがいないという理由で選ばれた乳母は、優しい女であった。

 凍らされる事を恐れ、姫と目を合わせる事も触れ合う事も極力しなかったが、まだ赤子の頃から一人塔へと追いやられた姫を不憫に思い、大切に慈しんで育てていた。

 そんな心穏やかな乳母のお陰か、姫は自分の持つ恐ろしい力を一度も使う事はなく、それは美しく健やかに成長した。


 だがある日突如国を攻めて来た蛮族によって、彼女の生活は一変したのだ。


 それは咲き始めた花の香りが風に乗って届く、穏やかな夜だった。

 夜のしじまを割くように突然響き渡った恐ろしく大きな音に、王女は飛び起きた。

 夜だと言うのに窓からは明かりが差し込み、風に乗ってきな臭い嫌な匂いが鼻をつく。至る所から沸き起こる怒号は城を揺らさんばかりだった。

 何事かを悟った乳母は震える王女にありったけの衣服を着せた。そして自分の部屋に置いてあった少量の食料となけなしのお金を持せ、そして初めて姫を塔の外へと連れ出した。


「逃げて、早く逃げなさい」

「乳母や、私、私……」

「ここを出て好きなところへ行くのです。後ろを振り返っては駄目ですよ。さあお早く!」


 今まで一度として怒った事なない優しい乳母の、悲鳴のような怒鳴り声に背中を押され、姫は走り出した。

 もつれる足を交互に動かし、闇の中をひたすら前へ進む。途中誰かの悲鳴が聞こえた気もするが、彼女は乳母の言いつけを守って決して振り返らなかった。


 城壁の外は深い森。

 暗闇の中森の木々は化物のように枝を伸ばし、地面の岩や石は彼女の足を掬おうと待ち受ける。

 初めての外、初めての森、初めての風の匂いと音。彼女は目にする物、耳にする物全てに恐怖を覚えた。


(いや、怖い、乳母や、怖いわ! お化けが襲ってくるの! 来ないで! こっちへ来ないで……! そうだ、みんな凍らせてしまえばいいんだわ! 凍って! 凍るのよ!  私の邪魔をするものは、みんな凍りなさい!)


 彼女から発する凄まじい冷気はその手から空気を伝わり、足から大地を伝わり、辺りをたちまち凍らせていく。

 そうして姫は全ての物を凍らせながら、一人ここ最果ての地に逃げ延びたのである。





(……知らなかった……人の手って……こんなに暖かいのね……)


 勇者達の頭の中に、今にも消えそうな王女の心の声が響く。


(……今まで……誰も……乳母でさえ目すら合わせてくれなかったのに……この人達は……恐れずに私の事を見てくれる……嬉しい……最期に、最期に願いが叶ったわ……)


 透き通った青い瞳から透明な滴が盛り上がり、筋となってつと頬を伝った。


(こんな優しい人達に迷惑をかけて……ごめんなさい……そしてありがとう……私を殺してくれて……ありがとう……)


 ゆっくりと、そして満足そうに姫の瞼が閉じられようとしたその瞬間、勇者は懐から小さなガラスの瓶を取り出した。そして透き通った水色の液体を、迷う事なく王女の胸に振りかけた。


「お、おい、カイ! それはもしかして伝説の薬エリクサーじゃないのか!?」


 驚きのあまり大声を出したのは騎士団長のマルクスだ。

 伝説の薬エリクサーとは、全ての病や怪我を治すと言われる至高の薬。その価値は計り知れず、国宝級のお宝とされている。

 三三人が驚きを隠せない中、勇者は姫の胸に刺さる聖剣に手をかけ、躊躇う事なく引き抜いた。そして間違いなく傷が塞がったのを確認すると、慎重に華奢な身体を抱き起こした。


「……美しい姫よ、私はカイと申します。貴女を救うためにこの地にやって来ました」

「あ……え?」


 あまりに突然の出来事に、自分の身になにが起きたのかわからない姫は、大きな瞳を何度も瞬かせて勇者を見つめる。けれど慌てて身を捩ると勇者から身体を離した。


「い、いけません! 私に触れては駄目です。私は、私は呪われて……!」


 ふらつく身体で立ち上がろうとする姫を横から支え、そっとその手を握ったのは大魔導師のルミナエルだ。


「大丈夫ですよ。落ち着いてください。……ほら」

「え?」

「ね? なんともないでしょう?」


 ルミナエルの手の中にある自分の手を見つめていた姫は、やがてはっとしたように顔を上げた。その青い双眸から、ぽたぽたと大粒の涙が溢れていく。


「……大丈夫だ。もう何も心配する事はないんだ」


 言葉もなくひたすら涙を流す王女の肩にそっと手を置いたのは、勇者カイ。


「まあ、あれだ。難しい事は儂にゃあわからんが、こんだけ年寄りがいるんだ。ちったあ頼りになるぞ」


 困ったように眉を下げごつごつした大きな手で不器用に王女の頭を撫でるのは、鍛冶師のイゴールだ。


「どうして……? だって私に触ると……」

「ええ、そうですね。私の見たところ、貴女は極めて強い氷の魔力の持ち主のようです。今まで誰も教える人間がいなかったため制御が出来ず、ただ無目的に魔力を放出していたのでしょう。ですが、大丈夫ですよ。大魔導師である私がついてますからね」


 姫の手を握ったまま、ルミナエルは安心させるように、にっこりと笑った。

 エルフの特徴である長い耳を持つルミナエルは、透き通るような長い銀の髪を優雅に垂らし、その瞳は宝石のようなアメジスト。まるで絵本に出て来る妖精のような美貌の持ち主に間近で見つめられ、王女の頬にぽっと色が燈る。

 その初々しい様子に、カイは二人の邪魔をするように間に割って入った。


「お姫さん、こう見えてこのエルフは俺らの中で一番の年寄りだ。きっと役に立つぞ。それにいざとなれば俺のこの剣があるしな」

「剣、ですか……?」


 大きな瞳を丸くして不思議そうに首を捻る姫に、黒い目を優し気に眇めたカイは手にした剣の柄をぽんと叩いた。


「俺の持つ勇者の剣は破邪の剣。邪悪な力を打ち砕くと言われているが、要は近くにある魔力を吸収しちまうんだ。だからなにかあったら俺がこの剣でお前の魔力を全部吸ってやる。……これからは好きなだけ俺を触っていいからな、姫」

「そうじゃ! いい事を思いついたぞ! 儂がその剣を溶かして姫さん用の護身具に造り替えてやろう。私は鍛治師だからな、姫さんが欲しい物はなんでも作ってやるぞ」


 獅子のたてがみの如き豊かな赤い髪を揺らしながら、イゴールは豪快に笑った。


「それは良い考えですね。この細い腕に映える腕輪もいいですし、綺麗な金の髪に合わせて首飾りにしてもいいかもしれません」

「おい、お前等なに勝手な事言ってやがる。腐ってもこいつは選ばれた勇者だけが持てる聖なる剣なんだぞ……」


 未だにぎこちない姫の緊張を解こうと和やかに談笑する三人を前に、騎士団長のマルクスは一人眉間に皺を寄せていた。パーティの中では最年少48歳のマルクスは、一番の常識人であり苦労人でもあった。


「あー、盛り上がっているところを申し訳ないが、取り急ぎ私達にはやらねばならない事がある。まずはこの上空を覆う雪雲をなんとかせねばならん。それに我々は死ぬ事を前提に送り出された討伐隊だ。国に戻ってももう居場所がない。今後の事をどうするかは……」


 四人は一斉に振り向きマルクスに注目した。


「なんだマルクス、そんなクソ難しい話、あとでいいだろう」

「そうですよ。せっかく姫と楽しくお喋りしているんですから、水を差すような真似をしないでください」

「そうじゃそうじゃ。お前さん、いつもそんなに眉間に皺を寄せとると、その内皺が取れなくなるぞい」

「一体誰のせいだと思っているのです。私は己の職務を……」


「あの……」


 一斉に喋り始めた男達は、姫の鈴を転がすような声にぴたりと沈黙した。


「皆さんは私を討伐するためにいらっしゃったのでしょう? 私に出来る事はありますか? 私が首を差し出せば、貴方達は国に帰れるのですか?」


 今にも零れんばかりの澄んだ瞳が、マルクスをひたと見つめる。揺らがないその瞳に嘘偽りはなく、姫が本心からそう思っているのが彼にもわかった。


 暫くの間姫と見つめ合っていたマルクスは、おもむろに頭に被っていた銀色の冑を取り、床に置いた。そして乱れた金の髪を直し姿勢を正すと、姫の前に跪きドレスの裾に恭しく口を付けた。


「誇り高い姫よ。私の名前はマルクス・フォン・バルスター。ストリニアでは騎士団長を務めておりました。……貴女の高潔な心に私は一生の忠誠を奉げます。今後は貴女を護る盾となりましょう」

「え……? あ、あの……?」


 おろおろと助けを求めるように視線を彷徨わす姫と、そんな姫を見つめ微動だにしないマルクス。二人の姿を見たカイ達三人は、一様に溜息を吐いた。


「あいつ、堕ちたな」

「まったく、真面目な男はこれだから困るのです」

「姫さんも困っとるぞい」





 かつて世界の最果ての地と呼ばれた寒さの厳しい土地に、それはそれは美しい氷の国がある。

 一年の殆どを氷に閉ざされるその国は、厳しい環境にも関わらず豊かに栄え、人々は幸せに暮らすのだという。

 国の特産品はドワーフの鍛冶師とエルフの大魔導師が編み出す美しい魔道具。

 かつて勇者として世界中に名を馳せた男が国を護り、筋骨逞しい騎士と見紛うばかりの宰相がまつりごとを司る。

 国を統べるのは美しい女王。

 女王は生涯王配を決める事はなかったが、彼女の側には常に四人の男の姿があったそうだ。





 Fin

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

呪われた氷の姫と古の英雄たち このはなさくや。 @konohanasak

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ