窓の外

逢雲千生

窓の外


 高校卒業を機に上京し、一人暮らしに最適なマンションに住み始めて数年。


 レポートに追われた大学を卒業してからも、私はそのマンションに住み続けていました。


 就職も決まり、一度は引っ越そうと決めたのですが、愛着もあり、仕事場へも無理なく通える場所だったので、もう少し住もうと決めたのが始まりだったと思います。



 新卒として数ヶ月働き、ようやく仕事に慣れてきた頃のことです。


 私の住むマンションは七階建てで、五階に住んでいた私の部屋からは、少し離れた場所までよく見えるため、住み始めた頃からずっと、部屋のカーテンを開け放しておくくせがありました。


 就職してからも変わらず、外からのぞかれる心配もなかったので、その日もカーテンを開けて食事をとっていたんです。

 

 一人暮らしの食事なので、簡単な料理だけでしたが、慣れない環境に身を置く自分へのごほうにと、大好物のデザートを頬張っていたときのことです。


 視線を感じて窓を見ました。


 窓の外は暗闇で、街灯はずっと下にあるため、ベランダからのぞきこまなければ光は見えません。


 当然、夜の窓に映る自分しか見えず、気のせいだろうと、その日はそのまま眠ってしまいました。



 それからというもの、毎日のように窓の外から視線を感じるようになりました。


 警察に相談しようかとも思いましたが、向かい側には二階建ての住宅が建ち並ぶだけで、五階の部屋をのぞきこめるような場所がなかったので、気のせいだと追い返されると思いました。

 

 しかし、一週間以上も続くと、さすがに怖くなり、昼間もカーテンを閉めるようにしたのですが、それでも視線は感じるのです。


 

 どうしよう、どうしようと悩んでいると、テレビでストーカーの番組を放送していて、これだ、と思いました。

 

 目に見えない視線の正体はストーカーで、とても困っていますと警察に相談すると、すぐに見回りを始めてくれました。

 

 毎晩、不定期な時間に交代で見回ってくれたのがいたのか、視線を感じることがなくなっていったのです。


 

 三ヶ月ほどの見回りで、すっかり視線を感じなくなったため、警察にお礼を言ったところ、また何かあったら連絡を入れるように言われ、半年ほどで視線の悩みは解決しました。

 

 職場には知らせていませんでしたが、遊びに来ていたどうりょうには知られていたので、終わったことを伝えると、涙目で喜んでくれたのは嬉しかったです。


 

 見回りが終わってからも、しばらくカーテンを閉めていましたが、もういいだろうと開けても、もう視線は感じませんでした。

 

 これで元通りだ、と嬉しくなり、ふんぱつして買った材料で料理を作ると、いつも通り食事を始め、テレビを見て笑いました。


 

 こんなに笑ったのは、いつぶりだろう。

 

 また笑えるようになって良かった。

 

 そう思いながら、声を出して笑っていると、喉が渇いたので、水を取りに台所に行きました。

 

 次はどんな番組を見ようか、と考えながら部屋に戻ると、窓の方を見て言葉を失いました。


 

 手に持っていたペットボトルを落とし、目を見開いて見つめる先には、カーテンを開けたままの窓。

 

 外はすでに暗くなり、ベランダのさくしに遠くの灯りまでよく見えます。

 

 けれど、そこにあったのはそれだけではありません。


 

 灰色のパーカーに、けた頬。

 

 見開いたようにくぼんだ目の下にはくまがあり、汚れたスニーカーが白いコンクリートと対照で、とても目立っている。


 

 誰?


 

 その一言が出てこなくて、窓の外にいる男は私に気づかない。


 

 どうしよう、どうしよう。


 

 このまま逃げるか、それともテーブルのスマホを取って逃げるか。


 

 恐怖と混乱で、うまく頭が働きませんでした。


 

 男の手が、ゆっくりと窓ガラスを這い、鍵の部分に触れるような手つきをしたところで、思わず「ヒッ」と、悲鳴を出してしまいました。


 

 男の動きが止まり、私へ視線を向けると、彼は驚くことはせず、ゆっくりと背筋を伸ばしました。



 少し猫背気味のその人は、私と向かい合うように立つと、視線を合わせて口を開けました。

 

 何を言うつもりなのかと、視線をそらさず口元に注目すると、男は笑ったのです。


 

 不気味な笑みでした。


 

 いやらしいとか、怖いとか、そんなものではなく、ただただ不気味な笑みだったんです。


 

 それから私は、どうやって友人の家に行ったのか覚えていません。

 

 真っ青な顔で、駅三つ分も先にある彼女の家に駆け込んで、訳のわからないことを言いながら震えていたといいます。

 

 彼女は、ところどころの単語を拾って、ようやく、私の部屋に男が侵入しようとしていると理解できたそうです。


 

 友人の通報で警察が到着しましたが、部屋は荒らされておらず、スマホもお金もそのままで、窓も開いていなかったと、後で説明されました。

 

 強盗目的で来たのか、それとも別の狙いがあったのか、いくつかの視点で捜査をしてもらいましたが、犯人は捕まりませんでした。


 

 それからすぐに引っ越しました。

 

 かなり急な引っ越しだったので、新居が決まるまで、駆け込んだ友人の家に泊まらせてもらいましたが、セキュリティのしっかりしたマンションが決まったので、今はそこで暮らしています。


 

 あんな事があったので、夜にカーテンを開けることは無くなりましたが、一つだけ、警察の人も不思議がっていた事があるです。


 

 あの日、確かに男は手袋をしてなくて、靴も泥だらけでした。

 

 手袋に関しては、見間違いもありえますが、あんなに汚れたスニーカーは見間違えるはずがありません。


 それを伝えたところ、担当してくれた刑事さんはこう言いました。


 

「あの窓から、あなたと友人達の指紋以外は見つかりませんでした。手袋などをしていれば当然ですが、靴跡も検出されませんでした。それどころか、人が侵入した形跡は無く、砂や泥なども検出されなかったんですよ」



 最初は警察も、屋上からロープなどで侵入したんだろうと考えていたみたいですが、その痕跡も無かったそうです。

 


 でも、確かに私は見ました。

 

 今でも男の顔は覚えています。


 だからこそ不思議なんです。



 だってあの人、あの日はマンション下の道路にいたんですよ。


 私がベランダで見たのと同じ頃に、あの男は、私が住んでいたマンションのすぐ下で倒れていたんです。

 

 あのマンションの屋上から飛び降りて。



 つまり、私が男を見た時にはもう落ちていて、私の部屋のベランダにいるということは、あり得ない状況だったんです。

 

 それに、視線を感じていたと言いましたが、あそこはさえぎるものがない場所に立つ、七階建てのマンションです。

 

 屋上から侵入していないとしたら、どうやって私を見ていたんでしょうか。


 

 今でも不思議なんですよね。 



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窓の外 逢雲千生 @houn_itsuki

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