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「本当に覚悟できてんのか?」
「できてる、つもりだよ」
「マジですげえらしいぞ。白目剥いたり」
「平気だよ。僕も小さい頃はよく白目剥いて寝てたらしいし」
「そういう問題じゃねえだろ。骨が変形する、バキバキバキってすげえ音もするみたいだし」
「僕、小さい頃そのへんに落ちてる木の枝拾ってバキバキ折るのが好きだったし」
「だからそういうんじゃねえだろ! すげえ痙攣もするらしいし」
「震えるのは僕だって同じだよ」
「だからさあ……」
「あと、その、もし嫌なこと言ったらごめんだけど」
「あ?」
「これと同じ内容の会話、約一日前にもしたよね?」
布団の中で
互いの衣服越しにではあるが柔らかな胸の膨らみが腕にかすったことにどきりとしつつ、優飛は続ける。
「あの、ほら、昨日、君が女の子に変わる瞬間、一緒に迎えたじゃない。それで平気だったんだから、そんなに念を押さなくても僕はここにいるよって……」
互いの秘密を打ち明けあったあの月曜日の四日後、金曜日の夜。
ヒナタは散々悩んだ末に、優飛を自宅に招いていた。
自身の体質について話したら、優飛が「自分に何かできることはないか」とあまりにも言ってくるものだから、頼みたくなってしまったことがあった。
中学生の頃、土曜日になる瞬間と土曜日が終わる瞬間は、家族の誰かに抱き締めていてもらわないと怖くてたまらなかった。
身体が変化する1分間は、全身がバラバラにちぎられるような感覚に支配される。何も見えず何も聞こえず、存在するのはただ痛みのみ。
けれど、誰かが抱き締めてくれているのは意識の片隅で感じ取れた。それで痛みが軽減されるということでは決してない。それでも、ほんの僅か、心の支えにはなってくれた。
高校に入った頃からは、気恥ずかしさと申し訳無さから自ら断り、どんなに心配されても一人で土曜日に挑んでいた。悲鳴が漏れないよう歯を食いしばり、なるたけ家族には辛さを見せないようにと気を張っていた。
優飛なら、抱き締めていてくれるかもしれないと思った。あれだけ自分を好きでいてくれている優飛が、自分の身体を求めてきたことどころか、自分に指一本触れたことすらない事実にも、その理由にも気付いた今だからこそ、頼みたかった。
「ヒナタこそ嫌じゃないの?」
背中に回された両の手は、着衣越しでもはっきりとそうと分かるほどに震えていた。
「緊張するか?」
「そりゃするよ! 好きな子の家で、好きな子と布団の中で向かい合って、好きな子を抱きしめてて、しかも好きな子の大事な瞬間に立ち会おうとしてる…… もう!」
「怖いか?」
「……正直に言った方がいいよね? うん、すっごく怖かったし、今も怖い」
やはり、そうか。
自分の身体のことはできるだけ詳しく話したつもりではあったが、約一日前、女に変わった直後にヒナタの目に入ったのは「呆然」を絵に描いたような表情の優飛だった。
どんなに想像していても、実際に体験すると衝撃的だったのだろう。優飛は言葉少なで、どこかよそよそしい雰囲気のまま、ヒナタが男に戻る時間が近付いてきてしまっていた。
「怖かったなら途中で逃げれば良かったのに。逃げ遅れたのか?」
「……逃げててほしかったの?」
「違っ……!」
「でしょ?」
随分と久しぶりに優飛の笑顔を目にした気がした。
「君だって不安なはずなのに、僕に大役を任せてくれた。こんなに震える手で抱き締めてもいいって言ってくれた。だから応えなきゃと思った」
「……うん」
「……なんてのはほとんど建前だね」
土曜日0時になった途端。腕の中の大切な人が苦しみ始めた。
白目を剥き、激しく痙攣し、枝が折れるよりももっと激しい音を立て、ん゛っ、ん゛っと短く声を漏らしながら。慌てて何度も名前を叫んだが、一切の反応を返すこともなく、ひたすらに苦しんで苦しんで苦しみぬいて…… そうしている間にも、抱き締めた自分と同じくらいの大きさの身体の感触が、一秒ごとに変わっていくのがありありと分かって…… 1分間がこんなに長いとは知らなかった。
とてつもない恐怖だった。今まで幾度となく震えた自分の手も、いまだかつてないほどに大きく震えていた。
けれど、真に怖かったのはヒナタの変化そのものではなくて。
「手を離したら、ヒナタがどこか遠いところへ行ってしまって、二度と戻ってこない気がしたんだ。だから、離したくなくて…… 力いっぱい抱き締めてた」
「……そっか」
「ねえ、僕に抱かれるの、本当に嫌じゃないの?」
「嫌なわけねえだろ」
「……ありがとう」
「むしろ、そっちこそ大丈夫なのか?」
「何が?」
首を傾げる優飛。
少し言い澱んでから、ヒナタは説明することにした。
「土曜になる時は俺が女になる時だからいいじゃんか。けど、今度日曜になったら…… 君は男を抱き締めてることになるんだぞ?」
言わんとすることを把握した優飛は、ああ、と頷き、優しく微笑んだ。
「違うよ。ヒナタを抱き締めてるんだ」
「……ありがとう」
直後。いつもの激痛で、視界が真っ暗になった。
「痛いね。
苦しいね。
辛いね。
悔しいね。
よく耐えてきたね。
ここにいるよ」
届かないことは理解していながらも、怯えながらも。優飛はヒナタにそう囁き続けた。
決して離さぬよう、震える手に力を込めて。
痛みが去った時、目の前にはやはり優飛がいた。
やはり動揺の残る、けれど昨日よりも幾分柔らかな表情で。いてくれた。
二人はしばし、無言で視線を交わしていた。
が、やがて優飛の瞳にゆっくりと瞼が下り始めた。気付き、ヒナタは優飛の耳元でそっと囁いた。
「また朝にな。お休み」
その低い声に安心したように、優飛は完全に瞼を閉じた。
静かに寝息を立てる優飛の寝顔を眺めながら、ヒナタは今更思い至っていた。
一人で生きなければならないと思っていたくせに、一人で生きたくなかったんだ。
おかしいな、今日はなかなか顔の汗が引かない。視界もぼやけている……
顔に触れてみて、ようやくそれが汗ではないことに気が付いた。
愛おしい寝顔を今一度焼き付けてから、液体の発生源たる両目にそっと瞼を下ろした。
「じゃあ、これで。お邪魔しました」
「うん…… あのさ」
日曜日もヒナタの家でゆっくり過ごし、翌月曜日の朝。大学に行くために家を出ようとした優飛は、ヒナタに呼び止められた。
「どうしたの?」
尋ねると、少し不安そうに、ヒナタは口を開いた。
「……また、会ってくれるか?」
「! 当たり前じゃない!」
「土曜以外でも?」
「もちろん! ヒナタこそ、会ってくれる?」
「そ、そりゃ会いてえよ!」
「よし! じゃあ問題ない!」
「……うん!」
優飛が去った後、ヒナタはメッセージアプリを開いた。
家族の中で最も仲の良い、二番目の姉の連絡先を探す。
そばにいてくれる時間が一番長く、一番ヒナタの気持ちに寄り添ってくれていた姉。
「いつか必ず、大切な人に出会えるから。だから諦めないで」と言い聞かせてくれていたのに、ずっと信じることができないでいた。けれど。
意を決して通話ボタンをタップする。家を出て以来、自分から家族に連絡するのは初めてだ。
ドキドキしながらスマホを耳に当てて待つ。3コール目の途中で、相手は出た。
「もしもし」
「
何も変わらない、姉の声。
「うん。久しぶり」
「どうしたの?」
「どうもしないんだけど、起きてるかと思って」
「そりゃ起きてるけど。何かいいことあったの?」
「……うん」
「そっか。良かったね」
一拍置いてから、ヒナタは胸を張って答えた。
「うん」
間違いなく君だったよ PURIN @PURIN1125
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