黒の作家について

久利須カイ

黒の作家 ― 玉川麻衣の作品についての考察

 玉川麻衣は黒の作家だ。

 現在開催中の個展「あわいの神々」に足を運び、その思いを新たにした。

 もちろん玉川の作品にも着彩されたものは多い。それでもなお有彩色は黒に奉仕しているように思えてならない。

 日本狼、鴉、龍、妖怪の類。玉川の描く対象はいずれもmarginal(境界、辺境)な存在だ。生と死、此岸と彼岸を内在させるそれらをモチーフに作品を生み出す彼女の筆先には、やはり黒ほどふさわしい色はあるまい。

 玉川は「あわいの存在たちを、畏敬を込めて描きたい」(※)と言う。あわいとはむこうとこちらの間であり、その境を隔てるものは「死」だろう。本来は忌避の対象であるあわいの存在たちを、目から血を流し、奥歯を折ってまで、なぜ玉川は顕在化させようと試みるのか。

 今回の個展に際し、玉川は民俗学者である柳田國男の「妖怪とは神が落魄したものである」という言葉を引いている(※)。また過去には「声なき叫び、語られない物語。未だ届かない願い、そこに在った生命たち」を描きたい(※)と発言している。以上から玉川は追われるモノ、滅びゆくモノに強いシンパシーを抱いていることが考察される。

 あわいの存在に形を与え、語られない物語を記録することが彼女の仕事ならば、それは祈りではないだろうか。黒に黒を重ねて描かれた狼の姿に永遠の遠吠えを聞くのは、紙に塗り込められた祈りが、見るものの内に浸透して共鳴するからではないだろうか。

 美の価値を判断するのは最終的には歴史の眼差しだろう。玉川の作品は歴史の鑑賞眼に耐えうるだろうか。この問いに個人的な願望を込めて、耐えうると答えたい。玉川の祈りの集積は、100年先の人々の胸をも打つだろう。しかし残念ながら、それを見届けることは、私にはできない。(そのころには鴉に転生している予定です)

 絵を所有することは、一時的に美を手元に置く権利を有するのと同時に、その作品を後世に伝える義務を負うことだ。数十年先、信頼できる次の所有者に託す日が来るまで、私は今しばらく狼と鴉と白骨を愛でよう。


注1)本稿は評論のため敬称を略する。

注2)本文中の※は本人によるツイッターからの引用である。

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黒の作家について 久利須カイ @cross_sky_78

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