2話
「さぁカヌイ、始めよっか」
姉さんが腕を回し首を鳴らしながら近付いてくる、男前というよりも
「安心しなさい、役立たずの兄貴とは違ってカヌイにもちゃんと使えるジル殺法の基本を教えてあげる」
「失礼な、俺の必殺技は悪くない」
「兄貴邪魔、どいて」
うわぁ、それは心つよ、うん不安しかない。姉さんは兄さんを蹴飛ばした後、警戒する俺の前に立つ、すると不意にピッと人差し指を俺の目よりも上くらいに立てた。全く意味が分からない。
「備えなさい」
「…?姉さん急にどうしーーー」
突如足に衝撃を受けたと思ったら、俺は宙を舞っていた。あぁ今日も空は青いなぁ。
「ーーたの…」
「まぁこんな感じね」
姉さんは地面への衝撃に備えていた俺を優しくお姫様抱っこで抱える、その笑顔格好良すぎ、あと肘に胸当たってる、おっぱいってやぁらかいな。うんやばい俺じゃなきゃ惚れてたねーーーあれ姉さん全然下ろしてくれない、笑顔で抱えられ続けられているけど。
「あの、姉さん?もう下ろして?」
「駄目、あたしが今伝えたいジル殺法の基本を答えるまで、カヌイはずっとあたしの赤ちゃん。戦儀もこれで連れていってあげよっか?」
「それだけは止めて欲しい」
「恥ずかしいでしょ?嫌なら必死に考える」
恥ずかしいというよりも、姉さんの熱烈なファンに殺されそうだから止めて欲しいという事と胸が当たってる事は黙っておいて楽しもう。いやというか姉さんにしてはやけに本当の授業っぽいな、えっとジル殺法の基本?さっきと何の関係があるんだ?
「ヒント、飛ばされる前にカヌイはどこを見てた?」
どこ?胸?いや一旦胸から頭を離そう、えっと確か姉さんが前に立って、そう指だ。指を立てると同時に俺はーーー
「そうか、指で意識を逸らして隙を突いた」
「正解、やれば出来るじゃん。そうジル殺法の基本はそこ、意識の外からブチ込むの。流石のあたしでも男と真正面からやり合えば当然負ける、だから隙を突く。だけど普通は隙なんて見せてくれないでしょ?だから作んの、それがジル殺法の基本であり極意って訳」
「…姉さんって意外と技巧派だったんだ、てっきり脳筋だと思っていた」
「ジル、済まないが俺もそう思っていた」
「おいこらはっ倒すぞ、お前ら」
姉さんにお姫様抱っこされながら俺はしっかりと頭に入れる、確かに普通なら姉さんが男に勝てる道理は無い。どれだけ鍛えても肉体だけはどうしても男に劣る、それだけは覆しようもない事実だけど姉さんは違う。姉さんはこの村の男よりも強い、唯一勝てないのは兄さん、そして他の村の戦士長クラスの人達だけ。てっきり姉さんだけが特別だと思っていたけど違う、努力の上で姉さんは強さを手に入れていたのか。あれ、でも姉さんが練習しているところは生まれて一度も見たこと無いぞ。
「姉さんはどうやって隙を作って、そこを突けるの?」
「それは簡単、鼻がピーンと来るところを叩くの。そうしたら面白いくらいに吹っ飛んでくれるから」
ん?聞き間違いか?
「鼻が、何だっけ」
「鼻がピーン」
「鼻がピーン?」
「鼻がピーン」
全く分からない、何?姉さん怖い。鼻がピーンって何なんだ。イメージが全く湧かない。もしかして
「姉さんってあんまり考えてない?」
「失礼ね、しっかり考えて動いているわよ。吹っ飛ばした後どうするかとか」
「隙を作る時は?」
「隙なんて動いてると分かるでしょ?」
良く分かった、姉さんがやっぱり天才型だってことが。でも考え方としてはかなり使えるな。姉さんは感覚で隙を作って突いている、なら俺は考えて誘導して、そして隙を突く。これしか無い。良いことを教えてくれた姉さんには俺の出来る最高の笑顔でお礼を伝えよう。
「姉さんありがとう、とても参考になったよ」
「……」
「…姉さ…ん?」
姉さんが俺を抱えたきり動かなくなった、なんか俯いてプルプル震えてるんだけど。なにこれ怖い。もしかして発作が出ちゃった?
「…カ…いい…ど」
「…姉さん?」
「…カヌイ可愛いだけど!!」
突如震えていた姉さんが覚醒した。
「ちょちょ、姉さん!!」
「抱っこしたの久し振りだぁ、懐かし可愛い!!」
姉さんは俺を抱き締め、ハァハァしながら頬擦りしてくる。姉さんの瞳は完全に狂気に染まっていた。
「兄さん助けて!」
「フッ諦めろ我が弟よ、その状態のジルはもう誰にも止められない。例え人智を越えた存在でさえも、な」
「このうい奴め、お姉さまが守ってあげるからね!!大好きお姉さまって言いなさいよ!!」
「お、折れる!姉さん抱き締め過ぎ、背骨、折れるからぁ!!」
こうして俺の特訓は終わりを迎えた、強くなったとは思えないけどやるだけやってみるしかない。
@
そんなこんなで戦儀の時間が近付いてきた、既に吐きそうな程緊張している。戦儀自体は何度もやってるがその成績は今まで全敗、更に戦儀の結果で村での位置付けが決まり、そろそろその序列が確定してしまう。そうなればそれを覆すには戦争で功績を讃えられるか、戦士長を倒す以外に方法は無くなる。つまりはカンソさんから呆れられ、更に村で最弱の烙印を貼られる。それの否かが今日決まってしまう。流石のカンソさんも最弱な人狼を家に置いてくれるか分からない。そうなれば俺は一人でこの島を生き抜いていく事になってしまう。
「カヌイ、本当に先に行っていていいんだな?」
「うん、ちょっとだけ一人になりたいんだ」
「ホントに平気?もし負けても、あたしが父さんに言ってあげるから大丈夫よ」
「ありがとう、それに俺も負けるつもりはないよ。ちょっとだけ散歩したら直ぐに行くから」
「分かった、では先に行こう。ジル、行くぞ」
「でもカムイが…」
「あいつなら大丈夫だ」
不安そうにしている姉さんを半ば強引に兄さんが連れていく。やっぱり男同士だから兄さんには分かるのかな、今は誰にも会いたくない、弱っている姿を見られたくないんだ。
「ハァ…」
兄さん達と別れた俺は歩き始める、目的地は決まっていた。八歳の頃から行き始めた、怖い時、悔しい時、悲しい時に逃げ場所として使っている俺だけの秘密基地、知っている人は俺以外には一人だけ。その一人も俺なんかとは釣り合わないほど遠い、憧れになってしまったけど。
「よいしょ…と」
村外れにある古い建物、蔦で覆われた狭い入り口を抜けると、緑が生い茂っている広い広場となっており長椅子が複数置かれ、その先にはまるで墓標のように一つの短剣が刺さっている。昔に一度好奇心から抜こうとしてみたけど、全く微動もしなかったからもう諦めた、まぁ今更抜こうとなんて幼稚な考えも無いけどね。
この広場には不思議と音が無く、静寂に包まれる、何処と無く懐かしい雰囲気を漂わせている場所だ。何故か俺はここが好きで何かあるといつもここに来てぼーっと過ごす。
「ハァ、ため息が止まらない。また負けるの、嫌だなぁ」
ふと弱音を漏らしてしまった、どうして俺は人狼としての強さが無いのだろう。
ガサガサッ
唐突に建物の入り口の蔦が揺れた、俺以外にここを知っている奴は居ない筈だし、ここを知っている人はそもそもこんな所に来る筈が無い。徐々に蔦を除ける音が大きくなり、こちらに近付いてくる。一応俺は警戒しながら音の方向を凝視し、備える。やがて蔦の先から姿を現したのはーーー
「ぷはぁ、やっと抜けられたぁ」
ここを知っているけど来る筈が無い、憧れの人。
「やっぱりここにいた、私冴えてる!」
「ウナ!どうしてここに?!」
幼馴染みで、皆に愛され可愛がられている女の子、ウナ。
「悩んだ時いっつも来てるでしょ、ここに。私知ってるよ」
「…誰にも見られないようにしていた筈なのに」
「何でもお見通しなのだよ、カヌイ君。というより、久し振りに会話した幼馴染みにその反応は寂しいなぁ」
そう言いウナはぷっくりと頬を膨らませ不機嫌アピールをしている、綺麗な人はやっぱり何をしても華になる。だからこそ俺はウナの隣にいる事が恥ずかしくなり、ウナを避けるようにしてきたんだ。別に付き合っている訳でもないけど、ウナには弱いところを見せたくない。
「まぁいっか、久し振りにしようよ、お話」
「お話?それよりもウナは早く戦儀に行かなくていいの?」
「カヌイと一緒に行きたいの、あそこ何だかピリピリしてて怖いから一人じゃ嫌」
「…俺なんかと居ると笑われるから、止めた方が良いよ」
「むぅ、笑われないよ。それに私が笑わせない。だってカヌイは頑張ってる、その努力を笑う人は絶対、絶対私が許さない」
ビシリと俺に指を指して、微笑むウナ。容姿だけで無く、心もウナは綺麗。きっと本当に嘲笑を止めようとしてくれるのは目に見える、でもだからこそ俺は嫌なんだ、庇ってもらうしか出来ない、情けない自分に優しくしてくれるウナに甘えている俺が心底嫌いだ。
「…ありがとうウナ、君は本当に優しいね」
「…カヌイだからだもん…優しくするのは…」
「えっ?ごめん良く聞こえなかったよ」
「…何にも言ってませんよーだ!」
本当は聞こえている、俺もそこまで鈍感じゃないんだ。どうした俺なんかに好意を抱いてくれているのかは分からない、でも自惚れじゃないけどきっとウナに好きだと伝えたら応えてくれるような気がする。だけどそれはまだ出来ない。俺は君に守られるんじゃなくて君を守りたい、君の後ろじゃなくて君の隣に立ちたい。だからまだ、聞こえないフリを続けるんだ。強くなって、自信を持って、それから伝えたい。ちっぽけだけど、それは俺の唯一の決心なんだ。
「ありがとうウナ…元気出てきたよ」
「本当?良かったぁ」
「だからもう大丈夫。ウナが良いなら一緒に戦儀に行こう」
「うん!えへへ、何だか二人で歩くの久し振りだね」
廃墟を後にしてウナと二人並んで戦儀を行う広場に向かう、途中で他愛もない、俺の兄さんや姉さんの滅茶苦茶エピソードやウナの一つ下の妹、ナラちゃんの話で笑いながら道を歩く。昔に戻れたようにとても幸せだった。しかしもう戦儀の会場、円形の柵で作られた闘技場が見えてきた、この幸せももうすぐ終わりだ。
「…あ」
入り口近くで見覚えのある少女が居た。ウナと良く似ているが、快活な感じのウナに対して淑やかで儚い雰囲気を漂わせる少女、ウナの妹であるナラちゃん。こちらを見かけるとタタッと小走りで走ってきた。
「カヌイ君!」
守ってあげたくなる小動物みたいだ。
「ナラ!」
「ナラちゃん、どうしたの?」
「今日、カヌイ君の戦儀があるって聞いて…」
「あはは、心配で見に来てくれたの?」
「えっと、心配というよりも応援に…来ました」
「ありがとう、あんまり格好良い所は見せられないけど、頑張るよ」
「…カヌイ君…私…あの」
「…俺今意地悪な事言ったな。ごめん、折角応援に来てくれたのに」
ナラちゃんもとても良い子で、こうして俺の事を気に掛けてくれる。本当に俺は回りに恵まれている、だからこそ余計に惨めになるのは俺のエゴなのかもな。
「…大丈夫です」
「ん…?」
ナラちゃんは普段は俺とあまり目を合わせてくれない、元々社交的では無いのもあるだろうけど、年上の男に対して多分恥ずかしい年頃なんだろう。だけどそんなナラちゃんが今は真っ直ぐ俺を見つめる。
「カヌイ君の努力は…私が知っています。だから無事に帰ってきて下さい」
「ナラちゃんは…頑張れとは言わないんだね」
「…カヌイ君は誰よりも頑張っています。それを私は、知っています。だから軽々しく頑張れ、なんて言えません……すみません、私、少し気持ち悪いですよね」
「気持ち悪くなんて無いよ、ありがとうナラちゃん」
「あぅ…カヌイ君…」
時々ナラちゃんは俺の心の奥を読んでいるかのようだ。だからなのか何故かナラちゃんの前でだけは弱い姿を見られるのは嫌じゃない、付き合いは長いけど、未だに良く分からない不思議な子だ。
「なーんか二人の世界に入ってる、寂しいなぁ私」
その言葉にふとウナを見ると、見事なまでに私は不機嫌ですと言わんばかりに頬を膨らませていた。
「ごめんごめん」
「…あ…」
膨れているウナを宥めながら俺は戦儀に向かった。これ以上しょぼくれると応援してくれている二人に失礼だよな、もう成るようになれ、で行くしかない。
@
ナラは一人、カヌイ達から距離を取り背を見つめていた。不意に手を伸ばしてみるも、当然届かず空を切るだけ。届かないのは距離だけの理由では無く、きっともっと根深い、心理的なモノも一因しているだろう。そんな近くて遠い自分に反して、『彼女』はほんの少し手を伸ばせば触れ合いそうな位に近い。その距離が羨ましく、憎らしく、妬ましい。
「…カヌイ君、私だけが貴方を理解しています。私だけが貴方の努力を知っています。私だけが貴方の強さを知っています。私だけが貴方の弱さを知っています。だからこそ貴方は強くならなくて、良いのです。強くなっては…駄目。今のままで、良いの。そう、あの人の為に強くなろうとしないで」
ナラの瞳は揺らぎ、おぞましい程の零度が宿っている。ナラの視線の先には己には出来ない、己が欲している彼の隣に軽々易々と踏み込める資格を持つ者がいた。本人が望めば、きっと容易に先に進める、だけど敢えてそれをしない。そして弱い彼に強さを求めさせる、倒れても挫けても最後には立ち上がらせる事が出来る存在。本人は意図せず、またそれを相手には求めていないにも関わらずに。
そういうところもまた、ナラを苛立たせる。しかし決してナラは『彼女』を嫌っている訳ではない、親愛もあり、仲も良い、己に出来ない事が出来るため、誇らしげでもある。しかしそれでも最愛では無い、そしてまた、最愛の気持ちがそちらに向かうとなればやはり許せなかった、許せない、許せる訳がない。だって一番初めに好きになったのは自分、一番早く彼を欲したのも自分、彼の強さに気付いたのも自分。空虚だったこの心に身を焦がすような想いを与えてくれた彼、それを奪うならば例え姉であろうがーーー
「誰にも…渡さない、例え貴女が相手でも。貴女には恋慕も憧れも尊敬も、これまでもこれからも全部譲ります。けれど彼の隣、心は…それだけは許さない。それだけは、そこだけは…私。今は、今だけは譲ります、だけどいつか必ず…」
ナラは一度瞳を閉じ、気持ちを落ち着かせるように一呼吸をした。すると先程まで宿っていた零度は鳴りを潜めた、まるで何事もなかったように。けれど確かにそれは其所にあったのだ。一人の少女が抱くには余りにも恐ろしく大きなソレが。それを微塵も感じさせない笑顔で、ナラは二人に駆け寄った。
「…カヌイ君、お姉ちゃん、待ってください!」
人はきっと、その零度を××と呼ぶのだろう。
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