第31話 雨宮雫は考えたい
「それで、大地くんを喜ばせる方法についてなんだけど」
『は、はい。そうですね……では、まずは日野大地の好物について教えてもらっても良いですか?』
「大地くんの、好物……」
『好きな食べ物とか、好きな服とか、そんな感じのやつです。好物を差し上げるというのは、その人を喜ばせる上で割と鉄板ともいえる行為ですからね』
「ふむふむ」
なるほど、確かに一理ある。
雫も実際、自分の好物であるカルボナーラを大地に作ってもらった時はかなり嬉しかった。紅葉の言う通り、対象を心から喜ばせるには好物を与えることがやはり鉄板なのかもしれない。
して、大地の好物とは何なのか。
雫はベッドの上を転がりながらうんうん唸り――
「……大地くんの好きなものって、何?」
『いやあたしに聞かれましても……』
「私のことが好き、ということ以外何も知らない……」
『ごぢぞうざまでず……ッ!』
「……何で苦しそうなの?」
『お気になさらず。雫様の口から惚気話を聞かされたことへと悲しみと、とても幸せそうな雫様の声が聞けたことへの喜びが鬩ぎ合って心が砕け散りそうになっているだけですから』
「よく分からないけど、大変そう」
紅葉の心中としてはぶっちゃけ大変なんてレベルではないのだが、雫は知る由もない。
「好物をあげればいいなら、大地くんに私をあげればいいの?」
『雫様。発言には気を付けてください。あたしの妄想が爆発してしまうおそれがありますので』
「……今の言葉のどこに妄想する余地があったの?」
『ありますよ! ありまくりですよ! 雫様をあげるということは、雫様の身体をあげるということ。つまりは雫様の貞操を……あ、ひゃふぁい、鼻血が……』
「大丈夫? 気分が悪いなら、電話終わる?」
『止まりました!!! 止まりましたからもっとあたしとお電話しましょう! あたしの幸せのために!』
よく分からないが、どうやらまだ相談には乗ってもらえるらしい。
安堵に胸を撫で下ろしつつ、雫はスマホを右手から左手に持ち替える。
「私をあげるのがダメなら、好物をあげる作戦は不採用。……恋人の好物すら知らないだなんて、私は彼女失格」
『ま、まあ、まだ付き合い始めたばかりですし……そ、そうだ! 雫様のことですから、喜ばせたい云々についてはもう日野大地に話しているのですよね?』
「うん。でも、余計なことしなくて良いって一蹴された」
『(日野大地がそんな素っ気無いこと言うでしょうか……?)』
「森屋さん?」
『いえ、何でもありません。では、ここはひとつ、アプローチの方法を変えてみましょう』
「と、いうと?」
『日野大地の好物が分からないなら、こちらで勝手に予想して選別すれば良いのです』
「……それ、間違ったら嫌われない?」
『それが恋人からのプレゼントであれば、どんなものでも嬉しくなってしまうのが男心というものです。特に日野大地は雫様に心の底から惚れていますので、他の男と比べてもそのストライクゾーンはかなり広いと思われます』
「大地くんが、私に心から惚れている……えへへっ」
『(雫様の照れ声超可愛いちゃんと録音してるから後で編集して会員の皆さんに無償提供するとしましょうえへへえへへへ』
「なに笑ってるの?」
『し、雫様が日野大地を無事に喜ばせることができた未来が頭に浮かび、つい嬉しくなってしまっただけですよ?』
「そう。森屋さんは優しいね」
『え、ええ。ありがとうございます。あはははは……』
己の邪が過ぎる心を読み取れずに純度一〇〇パーセントの感謝をぶつけてくる雫に、紅葉は若干の罪悪感を覚えてしまう。
このままでは雫の純粋さに押し潰されかねないため、紅葉は意識を切り替えるための咳払いを挟みつつ、会話の手綱を握り直した。
『それで、日野大地が喜びそうな物品についてですが』
「うん」
『雫様が思う日野大地が好きそうなものとは、何ですか?』
「ふむ……」
枕の上で頬杖を突き、考える。
大切な許嫁が喜んでくれそうなものについて、
愛しい恋人が笑顔になってくれそうなものについて、
雫は思考を巡らせる。
「……ゲームとか?」
『…………確かにそうかもしれませんが、恋人へのプレゼントとしてゲームをあげるというのは流石にどうかと……』
「む。じゃあ、漫画」
『雫様の中で日野大地はオタクか何かで固定されているんです?』
「だって、大地くんはいつもゲームをするか漫画を読んで過ごしているから」
『そうですか……そう、ですか……』
紅葉は電話越しにとても大きな溜息を洩らす。
『うーん、困りましたね。日野大地が欲しいものについて何か口にしていたりしていればまだ突破口が開けたのですが』
「大地くんは私さえいれば他には何もいらないとしか言わないから……」
『……あの、今なんと?』
「大地くんは私さえいれば他には何もいらないとしか言わないから」
『もうそれ答え出てるじゃないですか』
「え?」
雫の驚き声を遮るように、紅葉は早口で捲し立てる。
『いやあ、おかしいと思っていたんですよね。あの男が雫様に対して「余計なことはしなくて良い」みたいな素っ気無いことを言うはずがありません。これはあくまでもあたしの予想ですが、「余計なことはしなくて良い」ではなく「そんなことはしなくて良い」と言われたのではありませんか?』
「……そう」
『やはりですか。……おそらく、彼は単純に遠慮しているんですよ』
「遠慮?」
『日野大地は自他共に認めるネガティブ野郎です。ですから、雫様からの提案を受けた際、「こんな自分がこれ以上の幸せを求めるだなんて贅沢が過ぎる」とか考えてしまったのではないでしょうか』
「これ以上の幸せ、って……それは、本当に私といるだけで満足しているってこと?」
『そうでしょうね。ムカつきますが、日野大地とはそういう男です』
「私といるだけで……そう、なんだ……」
それはつまり、彼が心の底から自分に惚れているということに他ならない。
相変わらず言葉の足りない自分達に、雫は思わず苦笑してしまった。
「嬉しい……けど、恋人に遠慮するなんて許せない。恋人としての在り方を私が教えてあげる必要がある」
『ふむ、日野大地への嫌がらせならあたしにお任せください。脳内にストックしてある一万の嫌がらせ術の中から最も効果がありそうなものをピックアップし、雫様に伝授して差し上げましょう』
「できれば、大地くんが私のことをもっと好きになってくれるタイプの嫌がらせが良い」
『……それ矛盾してません?』
「矛盾してる、けど……嫌われたくないもん」
『はあああああああん一途な雫様本っっっっ当にかーわーいーいー!』
紅葉はとても気持ちの悪い声を響かせると、
『そういうことでしたら、この森屋紅葉、己の頭脳の全てを駆使して雫様が望む通りの嫌がらせを計画してみせます!』
「夜ごはんができる前に仕掛けたいから、あと五分ぐらいでよろしく」
『うっはあ超ムリゲー! ですが、雫様のためならあたしは不可能を可能にしてみせる!』
「私も一緒に考えるよ」
『雫様との初めての共同作業……ッ! 漲ってきたぁーっ!』
数分後。
紅葉が考案したとびっきりの嫌がらせを雫から受けた大地はあまりのショックで三日三晩眠れなくなるのだが、それはまた別のお話である――――。
俺のことを嫌いなはずの許嫁がやけに積極的なんだが。 秋月月日 @tsukihi7
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